59.恐怖と勇気の邂逅 part2
「ユイト……!にげて……っ!」
基本的に室内の全員が正気を失っている中で、一部の人だけがまだ周りが見えているようだった。ヘルブラちゃん達ノームと、
「きっ、きみ……っ!ひきかえし、なさい…!いますぐ…っ!」
僕の近くで倒れている、バイソンっぽいボワボワした頭のリカント。
この人は分からないけど……ヘルブラちゃん達は、たぶんポプラーが守ってくれているんだ。
とは言え、その加護は今にも失われそうになっているのだろう。他の人達の全身から出ている、タールみたいなもの。それが指先とかから、チロチロと泉のように湧き出ている。
「でーもん……っ!しんかくの、まっせつだ……っ!たたかっては、いけない……!」
「で、“鬼胎族”……!?」
それは、聞いたことがある。
何だっけ、なんだっけ…!ちゃんと思い出せ…!なあなあで済ますな…!えっと…!神格の…!デーモン・ロード…!意思疎通が出来る…!その信徒…!末節…!その生体マナに、追加効果として……!
「『恐怖』……、“罪餐”……!」
「恐がるほど見えなくなる」魔導能力!
ウィリ=デさんという、Bスコアにまで至った戦闘員が、多対一で地を舐めているのは、そもそも攻撃が知覚できないから!
体内のマナを……あの黒いものに喰われている?変換されている?けど、でも、それをやってる相手のマナを、感じ取ることが難しくなってる、としたら?だから、体内マナ操作とかが上手い筈の人達が、抵抗できずにバタバタやられている?
でもポプラーにだって、生存本能があるわけで、恐怖も感じる……、いや、「感情」っていうものが、知性体と比べると薄い、それが鍵なのかな?
セラで言う“感情”が、魂が起こすマナの運動の一種だとして、それが激しいほど、ヤツの魔導能力の効果が高くなるとしたら、ポプラーに対する効きが悪いのも、説明できる……!
「お、おいっ、きみ……っ!」
「ユイト……!しっかりして……!」
〈だってよ?どうする?〉
ぐちゃぐちゃと、ガムを噛みながらわざと大きく口を開けるみたいに、不快と嫌悪を擦りつけてくる声。生臭い舌で頬を舐め上げられたみたいで、生理的な感覚がザワザワと狂い立つ。
恐ろしいものから目を逸らす、それをしやすい心理状態へ、引きずられている。
〈逃げるか?どいつもこいつも、「その方が良い」って言いたいみてえだけど?〉
「そうかも、しれません、けど……」
「あなたが、に、逃がして、くれない、でしょう?」、そう訊くと、ヒツジとヤギの混ぜ合わせみたいなデーモンは、下顎を回して口を開閉する、その動作をピタリと止めた。
〈どうしてそう思う?〉
「ここの、オオイワの、ノームって、異常個体……、え、ですよね?ヘン、なんですよね……?」
何しろ初めて見たノームが彼らだったから、ちょっと自信がないけど。けれども、知識として教えられたものと、かけ離れていることは明らかだって、それは言い切っていいと思う。
「デーモン……神格が、関わって、たんなら……、きっ、きっとそれが、『異常』の原因だって、思うんです……」
何故か分からないが、神格の使徒がノームの群れの一つを使って、エネクシアの権力機構を襲った。それは、単なる遊びなのか?ちょっと疑わしい。
「なにか……ぁ、あー……、狙い、陰謀?があるって、思うんです、けど……、じっ、じゃあ、だったら……」
〈俺が、「デーモンが関与している」ことを知ったお前を、生かして返すわけがない、か?〉
「喋り方はかったるいけど、いいセンは行ってるな」、
コキコキと、太い首を回して鳴らすデーモン。
その間に僕は、会話の引き延ばしで作った時間を使い、頭を全速で回し続ける。
「それに、背を向けたら……、こ、『怖い』っていうのを、100%、受け入れる、ことになって……」
〈俺の“罪餐”の効きも良くなる〉
ノーム……デーモン……見えないマナ……神格……冒険者……狂気……正気……バイソンのリカント……ヘルブラちゃん……ポプラー……血液……マナ……恐怖……好奇心………ダメだ、まだ繋がらない……!
〈なら、まあ、仕方ないよな?逃げようにも、逃げられないんだもんな?〉
「そう、ですね……、はい……。にっ、にげた、逃げたい、ですけど……うう……、それはダメ、そうなので……」
〈そうか。で?今ので何か考えついた?〉
見透かされた。
いや、最初からバレバレだったんだ!
〈お前も、俺を怖れている。俺にはそれで十分〉
「ユイト……!」
ぽんっ、
そこで、空気にそぐわず軽いと言うか、愉快な音が聞こえた気がした。
直後、脛に奔る焼けるような痛み。
デーモンのマナに掴まれた!?と思って見れば、そこには何故かポプラーが——
「あなたなら…っ、それで逃げれる……!」
〈おいおい、拒絶反応で足がボロボロになってんぞー?後先考えないバカガキじゃないんだから……ああ、うん、ごめん、バカガキだったわ〉
え?
「ヘルブラちゃんっ!ポプラー飛ばせるの!?」
〈あ?〉
「え、あっ、うん」
僕のテンションがバグったことでどうやら動揺させてしまったみたいだけど、今それはいい!なんで彼女がそんな能力を持ってるのかとか、それも後回し!
どうしても埋められなかった欠けが、これでなんとかなる!
善は急げ。つんのめりながらもバイソンさん(仮名)に駆け寄る。
「あのっ!刃物とかっ、血が出せるやつ、持ってませんか!?」
「は、はい……?」
「ヘルブラちゃん!みんな、一瞬だけ、起こせる!?」
「う、うん……?」
「あの、ナイフは……」
「も、もっていきなさい!それではやくにげて」「ヘルブラちゃん!どう!?」「でっ、できる、けど……!」
僕は引っ手繰るように小刀を受け取って、
「やって欲しい!今すぐ!お願い!」
彼女を「賭け」に巻き込んだ。
「あんたねえ…っ!ヘルブラのための、ポプラーを…っ!」
「分かってるっ!でもっ、助けるには、これしかなくって!」
最低なお願いだ。
彼女の安全、延命の為の命綱を、僕の不明瞭なプランにぶっ込むのだから。
断られるかもしれない、と言うか、そうする方が普通だった。
「わかった……っ!」
「ヘルブラ!?」
だけど彼女は、乗ってくれた。
僕を信じたのではなく、彼女の決断力が為せる業だろう。
彼女には、勇気や覚悟があったのだ。
自分が助かる可能性を少しでも高めるより、家族みんなが生き残れるかもしれない、ほんの僅かな光明に飛び込む。それがまやかしでも構わないと、その瞳が言っていた。
ぽぉん、ぽぉん、ぽぉぉぉぉん……っ!
強い子だ。
彼女は迷いなく実行してくれた。
自分を守っている分が残していた、エネルギーほぼ全てを使って、冒険者達にポプラーを植え付けた。
デーモンは大した動きを見せない。
ナメてかかってくれているのか、
“恐怖”の効力を切らさないよう、慎重を期しているのか。
どっちにしろその「待ち」は悪手だ。
悪手ってことに今からする!
「こぉっ、こっちだ!」
ナイフを壁に何度も叩きつけて、大声で呼ぶ。腹から声を出すことに慣れてないせいで、喉がビリビリと破れそうになったけど、注目を集めることには成功した。
そこに居た全員が、こっちを見る。
僕は間髪入れず、自分の首に刃を立てた。
〈なに?〉
「!?」
「……っ!」
「なにをっ」
考える間を与えず、厭さと怖さを振り切りながら、傷を一文字に開き、引き抜く。
右手を全力で横に払って、出来るだけ派手に流血させ、飛散させる。
「もしかしたら」ばっかりの、穴だらけ作戦。
だけど、今ここにある手札で言うなら、これがベストである筈だ。
こみ上げた血反吐を、なるべく遠くへ吐き出して、
息もできなくなりながら、ルーレットが止まるのを待つみたいに、
賭けの成功をただ祈った。




