59.恐怖と勇気の邂逅 part1
「楽に生きるなら、“逃げる”しかないわなあ……」
おじいちゃんは、そう言っていた。
楽チンな生き方、そんなものがあるのか、訊いた時だった。
「どうしても楽になりたいなら、植物とか細菌みたいに、単純になることだ。ありとあらゆる『思考』から、『直視』から、逃げ続けることだ。死ぬことを、なんとも思わないことだ」
生きることを求めると、僕達は持っている能力を使おうとする。知能を使って、もっと楽に生きようとする。その「戦い」に乗ってしまった時点で、真の意味で楽になんてなれないって、おじいちゃんは言う。
「知性って言うのはな、必ず『分からない』ものを見つける。それは命を危険に晒すもので、だから生きようとするなら、感知しないわけにはいかない。『恐ろしい』ものとして、必ず意識に上げなきゃならない」
考える能力を持った人間という種が、生きようとした時点で、無限に続く無知の牢獄に囚われる。必ず恐怖が付き纏い、それは決して消えてくれない。
「恐怖を見ないフリなんてのは、出来ないんだよ。『そんなモン知らん』と言っている時点で、『知ってる』って白状するようなものだ」
「逃げる」って言うなら、生への執着自体を捨てなきゃいけない。生きるも死ぬもどうでも良くならないと、安心なんて出来っこない。
怖いもの知らずに振舞う人でも、片付け下手な独り暮らしみたいに、見えないところに押し込んでるだけ。負荷は常に掛かっていて、キィキィと柱を軋ませて、いつかは倒壊の時が来る。
今すぐ死んでも別に良いと、そう思えるくらいでなければ、安息なんて訪れない。
「どうだ?そうなりたいか?それもまた、一つの在り方ではある」
それは………
でも、もうその時の僕には、それは出来なくなっていた。
今まで感じてきた、生きるということの価値も、
これまで繋がれてきた、“生命”というバトンへの責任も、
覚えてしまった後だったから。
「そうか……。もしかしたらそれが、“知恵の実”ってヤツなのかもな」
楽園から人類を追い出した、「得るべきではなかったもの」。
川が流れ風が吹くような現象ではなく、「そうでありたい」という意思として、生きようとしてしまったこと。
それは言い換えると、時間感覚なのかもしれない。
「今生きている」ことだけで良しとせず、「これから先も続く」ことを求めてしまう、その強欲さなのかもしれない。
「ユイト。戦うなら、徹底的に戦う方が良いと、俺はそう思う。この世の難しさ、分からなさを、押し入れの奥に閉じ込めず、目の前にしっかり並べるべきだと」
「そういう意味で、お前は筋が良い」、
彼はそうやって、僕のことを褒めてくれる、数少ない一人だった。
「だが、それは苦しい道だ。きっとこれから先、お前は何度も、恐ろしさに打ちひしがれることになる。そしてその苦しみを理解できる同志は、あまりに少ない。
半端に逃げて、逃げ切った気になりたいから、互いに『よく逃げた』、『ここで安心だよな』と気休めを言い合い、共に幻想を補強しようとする。その夢から醒まそうとする者あらば、叩いて追い出そうとする。
それが、人間の主流な習性だからな」
「だから、武器をやろう」、その時彼が教えてくれたのが、「好奇心」というものが持つ作用。
「“好奇心”とは、恐ろしいものへと立ち向かう力だ。『分からない』を、負ではなく正の感情で受け止める、それを可能とするものだ」
「怖い」を「知りたい」にする魔法。
「安心」は出来ずとも、「前向き」にはなれる。
その気持ちが人生を、絶望的な行軍から、尽きることのない宝箱へと変える。
「だが同時に、これは『武器』だ。分かるかユイト?『武器』という言葉の重さが」
武器とは、人に力を与えると同時に、過ちをも大きくする物。みだりに振り回しちゃいけないもの。
そこにはブレーキと言うか、規則や規律みたいなものが要る。
ちゃんと生きる、ちゃんと戦うって言うなら、命を無駄にするのは違う。
「知りたい」と一緒に、「危ない」とか「進んではいけない」とか、そういう感情も用意してなきゃいけない。
「ここから先に踏み入るか」、その選択の決定権を、「恐怖」という外部に託すのでなく、自分の手にしっかり握る。それが真に「戦う」っていうこと。
「知りたい」ばかりで「立ち止まる」選択肢が無ければ、好奇心が恐怖に代わる、独裁者になるだけでしかない。
好奇心を、蛮行への誘惑ではなく、「勇気」にしなきゃいけない。
その為に必要なものを、おじいちゃんは「覚悟」と呼んでいた。
「少しの勇気と大きな覚悟」、
あの言葉は、そういう前提の上にある。
恐れを踏み倒すんじゃなくて、恐れたまま立ち向かえ、って。
「逃げるか、戦うか、選択しろ、ユイト。覚悟には選択が、そして選択には、覚悟が必要だ」
僕は、
僕の今の状態は、
逃げているのだろうか?戦っているのだろうか?
体が勝手に動いたのか、それとも僕が決めたのか。
枷を外すことに成功してから、この大広間に来るまで。その間の行動は全て、僕が選択したことだって、言い切れた。
エレノア様の敵、“オオイワ”が襲撃を受けている。それを察して、だから奴らのホームでの有利を、できるだけ削ごうと駆けずり回った。
具体的には、あちこちに仕込まれていたトラップを、踏んで踏んで踏みまくって、消費させたのだ。一回きりのものならそれで終わりだし、何度も使えるものでも分かりやすい痕跡を残せる。
体当たり式の虱潰し罠解除。攻める側の歩みをスムーズにできるのだから、やる価値はあったと思う。
問題はその後だ。
僕は何か、ザラついた気配に導かれるように、この大広間に来てしまった。
この部屋自体、色んなところからトロッコレールが集合する、ターミナルみたいになっているのも、自然とここに足が向いた理由、かもしれない。
そして、そこで冒険者の人達——ウィリ=デさんが居るから、たぶんそうだと思う——と、それからヘルブラちゃん達が、明らかにヤバい……人?によって、嬲り殺されている場面に出くわした。
僕は、そこで出ていってはいけなかったのだ。
彼らを助けることに成功すれば、僕が「ヒューマン」という新種であることを、彼らに見せてしまうことになる。
測定の時の全力投球が全て水の泡。ここまでの苦労はなんだったのか、っていう話になってしまうし、エレノア様に損をさせることにも繋がる。
だから、隠れてなきゃいけなかった。
それを選択するべきだった。
なのに——
「イヤだあああ!!しにたくないぃぃいい!!」
それを聞いて、つい、「なんとかしないと」って、そう思ってしまったのだ。
ノコノコ姿を晒してしまったのだ。
バカでアホでドジでグズで、自分で設定した芯すら守れない薄弱神経。
フィジカルも意思も弱いから、流されるしかない海洋ゴミ。
自分がそういう人間だってことを、再三のように思い出す。
だけどもう、仕方ない。
やってしまったんだから、だったらこっちに突き進むしかない。
僕は、半端に逃げたのかもしれない。
難しい決定、厭な決断を、放棄したのかもしれない。
これが、「救える誰かを見捨てない」っていう信念なのか、「誰かを見殺しにしたヤツになりたくない」ってワガママなのか、その答えはまだ出ない。
けれど、これから確定させる
知的生命体お得意の、「後付け」だ。
戦っていることにする。
踏み出した一歩を、「勇気」だったってことにしろ。
覚悟を決めろ、玄桐唯仁。
この先、自分がやらかす全てのことを、それから生まれる慙愧も後悔も、
漏れなく受ける気で、決めたことをやり切れ。
「助けたい」って思って、脅威と対峙してしまったんだから、助けるためにできる全てをやれ!その結果を、無理にでもエレノア様の利益に繋げろ!
反省会は、終わった後で開くものだ!




