39.金貨の使い道 part2
「……!こほん、そ、そこの白線で、結構です」
いつの間にか異様な空気に支配されかけていたその場を、なんとか我に返った職員が取り戻す。
少年が自信無さげな挙動で位置につき、それに合わせてウィリ=デも動く。
正面から彼と向き合った時、その獣皮のフードの下、暗闇の中から脆い光が零れた。
それは恐らく、涙を湛えた黒い瞳だ。
「手荒くいくよ?」
「……ヒっ、……はぃ……」
そんなに怖いなら、全身から拒否反応が出るほどなら、よせばいいのに。
ただ目の前に立たれただけで、心臓が止まってしまいそうになっているのに。
その少年は、本能に「死ぬぞ?」と聞かれ、「はい死にます」と答えているのだ。
理解できない物体を視界から外さないようにしつつ、彼女は職員に向かって頷き、翼を畳んだままで腰を落とす。
「制限時間は、私が『始め』と言ってから『そこまで』と打ち切るまで。武器は使用して頂いて構いません。魔導筒も、ユニークもです。ただしお互い致命傷を避けるよう努めてください。こちらが悪質と判断した場合には、罰金や信用スコアへのマイナスを課すことになり——」
ルール説明が行われている間に、少年も構えを……構えなのだろうか?両手を頭の前まで持ち上げるそのスタイルは、怯えによってガードが上がり過ぎたポーズにしか見えない。
「以上、ご質問は?」
開始に支障はないことを確認した職員は、右手を前に伸ばし、
「それでは……始め!」
宙を縦に両断するかの如く振り下ろす。
「うわああああああっ!!」
それを聞いてすぐ、少年は突進。
彼としては、肉体のリミッターを外した本物の全力であったが、
——……遅いわね……
Bスコアのウィリ=デは勿論、戦闘を生業にしていない者ですら、容易に対処できる速度しか出ていない。
素人丸出しの大振りテレフォンパンチをサイドステップで躱し、そのまま何発か様子を見る。けれど、何も感じない。パニックになった童子が腕を矢鱈に振っているのと、大差ない行動。
——間違いなく、弱いわね、このコ……
その肩透かし感に釈然としない思いを抱きながらも、体はテキパキと動いていた。
彼が彼女に叩きつけようとした左拳を取って、体ごと捻り上げることで止める。
「あああっ!?ウアアアアっ!?」
そのまま半回転させ、足を払い、うつ伏せ状態で硬い床に叩きつけた。
「ギャうぐっ!?」
バキリという音は、鼻の骨の断末魔かもしれない。
「じっとしてなさい」
袖を捲ってみれば、極端に体毛が薄い腕が現れる。
リカントではなさそうか。それとも何らかの病による脱毛だろうか?
まさかエルフ系の変種か?
「じゃあ顔も見せて」
「まっ、だだだだだだ!?!」
「こーら動かないで?あんまりジタバタすると折れちゃうから」
「お、折れるって、骨が……!?」
「最悪の場合はそうなるわね」
「ヒぃッ!?」
バキリ。
折れた。
「「はっ?」」
ウィリ=デと職員の声が重なった。
彼女の目の前でライトベージュの肌が裂け、ピンクの筋繊維が千切れ、鮮紅色の肉が割れ、暗赤色に染まった破片が飛ぶ。
急に激しく動かれたので、いつものクセでへし折ってしまったが、まあ有言実行と言えばその通り。
そして少年は、自分の力で自壊しない為のブレーキを、意図的に除いている。敢えて腕を破壊することで拘束を脱する選択も、あり得るものと言えるだろう。
理屈は分かる。
分かるのだが。
「お前はなんなんだ」と、ウィリ=デは困惑を隠せない。
ハモった事実から見ると、職員も同じ思いを抱いている筈だ。
今の流れは、そうじゃなかっただろ。
明らかに、痛みから逃げて、力を抜くところだったろ。
脅し文句を聞いて、ちゃんとそれを怖がっていただろ。
その顔やめろ。
なんでそんな「もうおしまいだ、痛いのはイヤだし大人しく言う事を聞こう」って顔で、即座に自分を破壊できるんだ。
というようなことを思う暇もあらばこそ、彼の右手がフックの軌道で、彼女の側頭部を目指してスタートを切っている。
「ぎゃあああああっ!!」
いや「ぎゃああああ」ではなくて。
今攻撃してるのはそっちだろうが。
ウィリ=デの心の中にはツッコミの雨が絶えない。
頭突きで打ち返し、拳を砕いてやろうか、そう検討していた脳が、新たな発見によって鋭く注意喚起。
指の隙間から、反射光が漏れている。
あの蕩けるような、しつこいほど享楽的な色は——
——金貨?
それを握り込むことで、パンチを硬くしたのだろうか?
彼我の戦闘能力差は、そんなもので埋まらない……という結論を出しかけたが、ここまで何度も見せてきた彼の底知れなさを思い出し、念の為に頭を下げて避けることを選んだウィリ=デ。
その視野が突然、数割ほど狭まった。
「ッ!」
次いで痛覚が、右眼窩内からの損傷報告を上げてくる。
「くっ!」
右手で少年の胸ぐらを掴み、投げ飛ばして間合いを離す。
自らもバックステップを踏みながら、何が起こったのかを理解しようとする。
右の眼球が潰れていた。
彼女が少年の攻撃を避けようとしたことで、彼が下から放った突き上げを、自分から顔に刺しにいく形となってしまったのだ。
金色に気を取られていたことも、しっかり災いした。
だが、何を食らった?
彼の左腕は破壊されて……そこで気付く。
骨だ。
砕けたことで、断面が複雑に割れ、尖った腕の骨。
それで突き刺されたのだ。
そして更に、もう一つ。
少年の腕が、再生した。
——自己治癒能力に特化したタイプの、身体強化……!
生物が持つ自然修復機能、それを強化することで、高速で傷を治せる者が居る。
どうやら彼は、それを得意としているらしい。
——他はそこまでなのに、一つの技能だけ異様に伸びるタイプ、かぁ……!
治すことが出来るから、自分のダメージを顧みない、そんな戦い方が出来たわけだ。
——………本当に?
受け身も取れずに背中から壁に叩きつけられ、肺の空気を一度完全に排出させられた少年は、咳き込みながらもなんとか立ち上がり、またあの情けない構えを見せる。
チラチラと職員の方を確認しているのは、戦いがここで打ち切られるのを期待しているから。
そこに安心感や万能感はない。
治せようが戻せようが、痛いものは痛く、彼はそれを忌避している。
他方、策を構築する過程で、それを避けようとしていない。
思い切り良く、嫌いなものへと飛び込むことを、視野に入れ、実行している。
戦闘中に発生した謎が解けたのに、最初の不可解はそのままだ。
矢張りこいつ、何かおかしい!
「うおああああ!!」
測定はまだ終わらない。
その望みには縋れない。
それを理解したらしい少年がまた、ヤケクソみたいな態度で駆け出した。




