36.「冒険者でない」ということ
「流石は経済の最先端エネクシア。なかなか斬新な礼儀作法です」
エメリア様はまだ完全には振り向かない。
左足を一歩、斜め後ろに踏んで、半身を向けただけ。
「別れ際に不吉を予言するとは、なんとも奇妙なご挨拶」
僕は思わず周囲を見回す。
あちこちの部屋の隅で立つ、胸に組合の紋章を抱いた黒服が、数歩ほどこちらに近づき、その手をベルトに刺さった棒みたいなものに、さりげなく掛けているように見える。
二人の間の一触即発を嗅ぎ取って、警戒態勢に入ったのだろうか?僕は我知らず、両手を頭の横くらいまで上げていた。
「申し訳ございません。これは本来、私の職責を逸脱した……いわば親切心です」
ペコリと45度のお辞儀を見せる職員さん。「へー、この辺りではちゃんと頭を下げるのが敬礼になるんだ」、という分析は、僕が冷静だからじゃなくて、焦りまくってワケ分かんなくなってるから生じたもの。
「ご不要なお世話で御座いましたら、お聞き流し頂ければ」
エメリア様は少しの沈黙の後、
「発言の真意を問うても?」
話を掘り下げることを選んだ。
「私の行動や、提出した書類に、何かしらの不備が?」
「御座いませんとも、御座いますとも、二通りに申し上げられます」
職員さんの答えは、むしろ謎かけめいている。
「エメリア様の組合加入手続きにつきましては、極めて円滑に進めさせて頂いており、書類も完璧なもので御座います」
「しかしながら」、
そこで赤く光る目が、斜め下にスライドし——
——……僕?
「そちらの方の同行につきまして、まだ何のご説明も頂いておりません」
「……あっ」
そ、そっか。
そりゃ当然、僕は誰だよって話になるよね。
「ユイトは、これは私の持ち物です」
「雇用関係を?」
「奴隷契約と言った方が近いですね」
「それでは、その契約を証明する書類、特殊拘束具、或いは術式をご提示いただけますか?」
うっ、それは……、ちょっと難しい話だ。
特別な道具とか、体に彫り込む術式とか、そういうのは僕の不死身体質のせいで、無意味だったり無理だったりして、省略されている。
唯一、契約を書面に起こしたものがあった筈だけど、エメリア様が出そうとしないところを見ると、たぶん神格騒動の時に紛失してる……いや、そもそもあれには「エレノア」って名前が載ってるから、見せられないんだ……!
「そのようなものは、特に」
「何も無しに、その方はあなた様に、その身の全てを捧げている、と?」
「特別な信頼関係で結ばれておりますので」
胸の中に「キュン」とか「ドクン」とかそういう擬音が鳴った。
うっかり感極まって「エレノア様ぁ……!」と本名をゲロりそうになったので、唇を強めに噛み締めておく。
「それは大変結構なことです。けれども、エネクシアからの信用が得られることは、一切ないでしょう、と、そうお伝えせざるを得ません」
そしてその一言で、のぼせてた頭が急冷却した。
そりゃそうだ。僕達の話には、何の裏付けもない。
「その方の、エネクシア内での取り扱いは、『非冒険者である、素性不明の不審人物』、といったものになります。あなた様は——」
——それを測定に同行させると?
その指摘も、当然のこと。
個人の能力と信用を測るっていうのが、「測定」の趣旨だ。
そこに第三者を介入させたら、まともに測ることなんてできない。
組合としては、過小評価より過大評価する方が、問題となる筈だ。エネクシアの基幹システム、その信頼性に関わることだから。
僕が同行すると、エメリア様は「計測をインチキで滅茶苦茶にした人」という評価を受け、「信用」は当然最低レベルに落ちる。その上、その後にどれだけ功績を積んだとしても、疑いの目を向けられ続けるだろう。
少し(僕が)危険だけど、測定の間だけ外で待っている、とか………
「付け加えさせて頂くならば、あなた様が冒険者となった後、何かしらの交渉の場にその方を帯同する度に、その話は破談となることが予想されます」
「あ……」
「『冒険者同士の信用を背景とした取引に、非冒険者を立ち入らせる』、その意味を、あなた様は理解しておいででしょうか?」
ダメだ。根本的に、良くないんだ。
僕が何者かを規定するものを、エネクシア側に提供できない。
その状態を解消しない限り、解決にならない。
となると、やるべきことは一つ。
「ユイトも加入させろ、と?」
「飽くまでも、『推奨』、で御座います。エネクシアは“自由の庭”。決定権は、あなた方の手に」
またしても深く礼をする職員さん。
僕はそれを見ながら考えを巡らせ、エメリア様に向き直る。
「あの、エメ、リア、様……」
「少し待ちなさい」
彼女は僕に言葉を呑み込ませてから、職員さんに「相談の時間を設けても?」と訊ねた。
「ええ、勿論ご自由に、ご存分に、お悩みくださいませ」
そろそろ慇懃無礼の領域に突入しそうではあったけれど、エメリア様はそれについて何も言わず、僕の近くに寄って声を潜める。
「一応確認ですが、高ランク認定を獲得する自信は如何ほどでしょうか」
「そのー……、お察しの通り、って、あはは……感じで………」
「社会常識」って科目と、あと戦闘能力確認の為にやらされるらしい対人戦がネック過ぎる。
「このまま測定を受けたとして、“ユイト”という存在の詳細情報は広く人の目に触れると、そう構えておくのが妥当なところ……」
「僕が弱い」ってことは、隠しようがないだろう。
となるともう一つの急所、「僕が新知性体である」、って事実の方を、なんとかして伏せるしかない。
「ふ、フードはそのままで、いいんです、よね……?このままこう、例えば……毛の薄いリカントですって、言い張れば……」
「戦闘時にそれを剥がされないという、御都合主義的な前提を適用すれば、それで解決でしょうね」
はい、まあ無理ですね。
あ、でも、「負け」が確定してるなら、発想を逆転させればいいのでは?
「こう、戦闘能力については、最低評価でいいですので、何と言うか……試験をスキップさせてください、みたいなお願いとか、いけませんか……?」
「冒険者」の範囲がガバガバになってるんだから、そういう人だって中にはいる筈だ。
怪我が尾を引いて日々の業務に差し障りが出る、みたいな事故を避けたい職人さんとか。
「通常であれば、それも通るでしょうが……」
彼女はそこで悔やむように両目を閉じる。
「今回は恐らくそうならない。私の落ち度です」
「ど、ういう、ことですか……?」
「我々は既に、要注意人物として目を付けられてしまった」
思わず警備の人達の方を確認しそうになり、エメリア様の右手に顎をスマートに掴まれ、止められる。不審な動きを見せるな、って意味だ。
「恐らく試験の担当者には、探りを入れるよう既に命令が下っている。何か理由を付けて、素顔を暴こうとしてくるでしょう。『降参とは乃ち恭順であり、ならば要求にも応えるべき』、といったように」
エレノア様とペイルさんのペアは、それを力づくで拒絶できる。
けれど、僕は違う。
自分が珍妙な生物であると、白状するしかなくなる。
「測定を受けることに同意した時点で、お前の特異性と脆弱さが、周知の事実となることがほぼ確定する」
「で、でも、僕が冒険者に、ならないと……」
エメリア様の逆転劇、その舞台が土台から崩れてしまう。
思ったより、万事が休していた。
〈もうコイツがスられるかもってのは、許容しませんかぁ?〉
「最悪こわい人に連れてかれてもそれまで」、というマインドを持つべきだと主張したペイルさんに対し、「シッ!」とエメリア様から強めの注意が飛ぶ。
「控えなさい。あの受付嬢、恐らく相当な地獄耳です」
確かに兎だし、優れた聴力を持っていてもおかしくはない。
って思ってまた不用意に目を遣りそうになった僕は、今度は両頬を下から指先で挟まれて制止された。
「……仕方ありません。次善策を取ります」
「それ、って……?」
エメリア様は、中で硬いものが擦れ合う音を出す袋を、僕の前に吊るして見せた。
「こ、これ……!?」
「静かに。当たり前のように受け取りなさい。なんてことのない顔で」
両手でそれを受け止めると、ズッシリとした重みが伝わる。
もしかしなくてもこれ、アレだよね?路銀だよね?
中に入っているのが金貨とかだった場合……、2枚でエリーフォン国軍一般兵の月収くらいになる、って聞いた。1枚あたり、だいたい10~20万円……?ぷ、プレッシャーが……!
「お前の裁量に任せます。最悪使い切ることも視野に入れなさい」
彼女の袖がブルブルと尖った波を立て、即座に握り押さえられる。ペイルさんから抗議が飛んで、却下された模様。すいません僕もこの案にはあんまり賛成できません………
「こ、こんなの……!」
「話は終わりです。お前がどんな結果を出そうと、受け入れましょう」
ところが僕からの反論を待たず、エメリア様はさっさと視線を外し、体ごと振り返って職員さんへ要求する。
「彼の組合加入を希望します。手続きをお願いしても?」
「おっまかせくださーい!」
毛先が少し丸まった白い頭髪を跳ねさせ、ニコニコ顔に戻った兎の職員さん。僕はどうしていいか分からず、フラフラとそちらに進み出ようとして、
右の袖を引っ張られ、止まる。
僕の腕を包む毛皮、それに伝わる震えは、僕のものか、それとも、抓んだ指から来るものか。
エメリア様の顔を見る。
彼女の瞳は、迷っていた。
この人が、これほど目に見えて揺れることがあるのかと、少し驚いてしまう。
「ユイト……、もし……」
指先を擦り合わせるように僕の袖を弄いながら、
「もしお前が……連れて行かれて……」
視線を床に落とし、僕の顔に戻し、
「戻らない、なんてことに………」
それを何度か繰り返してから、目尻をキッと吊り上げ、何らかの決意を示す。
「もし、どうしようもない問題が発生したなら、私を呼びなさい。逃げるでも、大声を出すでも、とにかく全力で、私に報せなさい。私が何とかします。何とでもします」
エメリア様は、
エレノア様は、本当に、凄い人だ。
「お前の秘密が知れたところで、立ち回り方は幾らでもある。重要なのはその秘匿そのものでなく、お前の安全。そこを努々履き違えないように」
こんなに小心で、臆病で、躊躇う以外のことしかできない、優柔不断な僕。
そんな無能が、心を決めるのに必要な言葉を、いつも的確に選び取って、与えてくれる。
「無理は不要。万策尽きたなら、安心して負けてきなさい」
僕の逃げ癖を吹き飛ばすにはどうすればいいか、誰よりも分かっている。
僕の背をちょうどいい力で押して、自然と前進させてくれる。
「その時は、私がお前を守ります」
彼女は何故か僕以上に、僕を使うのが上手いのだ。
「はい……!ありがとう、ございます……!」
衣の切れ端をむしり取るみたいに、ゆっくりと僕から手を放すエレノア様。
彼女から貰った熱が冷めないうちに、床を打ち鳴らすみたいに歩き出し、受付カウンターの前に立つ。
僕はどうしようもないヤツだけど、でもエレノア様に使われれば、意味を持てる。
何も持たない僕から、魔法みたいに価値が引き出される。
「ユイトです……。種族は、伏せます……!」
兎の職員さんは「はいどうぞご自由にー」と言いつつ、小さな突起を持った板みたいなものを、僕の前に差し出した。
「こちらの血判で、指紋と血液をご提供いただきまーす!」
僕は言われるがまま突起の上に親指を乗せる。
チクリ、と僅かな痛みの後に、迷路めいた赤い紋様を、象牙色の板が吸う。
「ふむふむ、指紋があるタイプで、血は赤いんですねー?」
その揺さぶりが効いたことを、顔に出さないよう必死で堪える。
「とすると、リカントさん?でも毛はそこまで多くありませんでしたよねー?鱗も持ってなかったみたいですしー?」
「ごっ、想像に、お任せします……!」
「おおっと、これは失礼致しましたー!」
どこまで見透かされているのか、読み切れない不安の中、
それでも僕は心臓の速まりを、戦意の高揚だと思い込むことにする。
どんな手を使ってでも、エレノア様の期待に応える。
僕の種族を隠し通すのだ。




