32.旅路 part1
あっと言う間にメイド姿の青スライムの手が、緑の斑模様をした大猿に咥え込まれてしまった。
「ぺっ、ペイルさっ」「あのぉ、いい加減慣れてくれませんかぁ?」
直後、猿のヘアスタイルが一気に変わる。
いや、青いトゲトゲが後頭部から無数に貫き生えて、そう見えただけだった。
「なんかある度にあなたに反応するの、メンドいしウザいんですけど?」
変形した手で1匹の脳をハリセンボンに変えたペイルさんは、逆の手を雑な感じで横に振った。その動きに合わせて伸びた先端が、飛び掛かってきていた最後の1体を打ち据える。
大猿はそれでもヨロヨロと起き上がろうとして、けれど水球を口に撃ち込まれ、溺れ死んでしまった。
「それとも私のことナメてますぅー?自分がクソザコヒヨワヒヨコだからって、私もそうだって思ってんですかぁ?」
「すっ、すいませんっ、いやっ、あのっ、そう思ってるんじゃ、なくて、僕は……」
「ペイル、その辺りにしておきなさい」
震える手足を広げ、特に意味の無い盾となっていた僕の髪に、上品な蔓とでも表現すべき、手袋越しの指の感触が絡みつく。
「ユイトはこのままでいいんですよ。今のこの状態が、見ていて趣深いと言うのに、萎縮させてしまうのは惜しい」
「エレノア様ぁー、私もう主人の感性を、胸を張って自慢できませーん……」
「別種の獣に擬態して、群れに紛れ込むのを楽しみとするお前に、興の良し悪しを語られたところで……」
「え゛っ!?ちょっ、知ってたんですかぁー!?いつからぁ!?」
「お前如きが、この私に隠し立て出来るとでも?」
寛大な上に、手下のことをよく見ていて、気配りも欠かさない完璧なご主人、ハイエルフのエレノア様。
僕が一生を捧げたくなった相手であり、僕を“所有”してくれている人。
濃密な草いきれと、見る者の目を疲れさせるような青と緑で溢れた森の中、歩くたびに銀白の星々を散らす彼女の周囲だけ、冬の朝みたいに澄んだ風が吹いている。
出会ってからもう一月以上と言うのに、彼女の姿を視野に入れただけで、緊張で全身がカチコチになってしまう。
幸せな眩しさを、僕の目が勝手に浴びる、その一方的な享受が後ろめたくて、
けれど僕は僕だから、何も返す当てが浮かばなくて、
結果、どうしたら良いか分からずフリーズしかけるのだ。
しかも今、僕の頭の上では、彼女の手指が軽やかに躍っている。トントンと楽しげなステップを踏むそれを、邪魔しないよう静止するしかない。
まあ、そのリズムがマッサージみたいに、頭皮から僕を溶かしているせいで、動く能力自体がなくなっている、っていうのもあるけど………
「ああー!エレノア様!そいつダメになってます!私より不定形になってます!絶対気持ち良くなってますって!」
「なっ、ちょっ、そんなっ、ごご誤解です……!なってませ……ふわぁ……あ゛あ゛あああ………」
「なってるでしょう!?なんですかその堂々としたアクビぃ!!誤魔化す気ありますかぁ!?」
「ペイル、静かになさい。あまり騒ぐと “来客”を余計に招き寄せます」
「これ私が悪いんですかぁー?」
ぐぅ……、髪をひと梳きされるごとに、一緒に脳の皺がアイロン掛けされている気分。
ブラッシングされる犬とかって、こんな気持ちなのだろうかと、僕より一回り二回り高いところにある美貌を見上げながら、そんなことを思う。
いや待て、それじゃあ僕がエレノア様のペットみたいな……、うん?奴隷とか下僕とか道具とか、そういう立場になることを受け入れてるんだから、つまりペットで良いのか?え、それって良いのかな?
何がアレって人権を投げ捨てるような発想なのに僕が特に抵抗を感じてないところが現代日本人として「どうしました?難しい顔をして」あっ、なんかエレノア様に覗き込まれたらもうどうでも良くなった。マズいな、思考が着実に液状化してる。
水でタプタプに満ちた皮製のガラクタになる前に、考える葦としての自分を取り戻そうと、自分の両頬を張って意識を覚醒させた。頭の体操として、現状の整理をしてみよう。
エルフが支配する濃いめの優生思想国家、エリーフォンの最西端から、死んだふりをして更に西へと脱走してから、今日で5日目くらいだ。
最終目標は、「エレノア様を女帝にすること」。
その為の当面の目的地は、「成り上がりの聖地」と呼ばれた商業都市群らしい。
アメリカみたいな場所だろうか?
草木を掻き分け、捕食者達の襲撃を受けながら、道なき道を進んでいき……と言うと、なんだか冒険家みたいで格好がつくけれど、実際のところ、僕にはほとんど負担が掛かっていない。
スライムメイドのペイルさんは、大きな蛇魚形態に変身できる。その状態を維持するには、マナの吸収、変換処理能力をフルに稼働させないといけなくて、そんなことを長い時間やってると、普通に死の危険が出て来るらしい。
まあつまり、特撮宇宙人ヒーローみたいに、時間制限付きの変身なのだ。
その時間はマナの使い方によって長くなったり短くなったりするらしいけど、取り敢えず話を単純化させる為に、「一定時間を超過して使用してはいけない」ってことにしとこう。
ペイルさんは5日前から、その半分の時間で僕達を運び、人型形態に戻って徒歩移動と休憩を挟み、そしてまた半分の時間変身して………のサイクルを回してくれていた。
だから移動距離の6~7割は、彼女に乗せてもらえているってわけ。
そして徒歩移動に関しても、僕は肉体の状態がちょくちょくリセットされるから、脳以外の疲労をそこまで感じないし、地形が通り抜けに適して無くてもペイルさんが整地してくれるし、ヤバイ野生動物も彼女の探知・戦闘能力の高さで一蹴できるし……と、ツアーガイドさんに付きっきりで誘導される、観光客みたいになっている。
もともと東京に匹敵する都会暮らしで、明らかに山歩きに適してない格好のエレノア様まで、なんか僕以上の速さでスイスイ進むので、道中はサクサクだった。
これ僕要らなくない?という点を除けば、事前に聞いていたセラの危険さとは裏腹に、本当に何の問題も起こらなかったのだ。
ただ、これはこの世界における標準的な感覚ではないのだと思う。単にペイルさんが、メチャほど圧倒的に優秀なメイドさん、ってだけの話に違いない。
そんな熟練ガイドことペイルさんは、エレノア様の従者として僕の先輩に当たる人、なんだけど……、当たり前と言うか、玄桐唯仁という人間の常と言うか、信用されてない……もっとぶっちゃけるとハッキリ嫌われている。
この旅が始まる時も、僕の体を圧縮して腹の中に収納しながら移動する、っていう案を出してきた。もし実現していたら、どこに出しても恥ずかしいお荷物野郎の完成である。
とは言え僕も、そっちの方が二人の手間を省けるなら、それに従おうとは思っていた、が、エレノア様が反対してくれた。
ペイルさんに余計な重さを負わせると、予想外の事態が起こった時に即応できない、って言う合理100パーな判断だったんだけど、ちょっと嬉しくなってしまったのは、僕がタンジュンな性格をしているから。
そして僕らは現在、山岳地帯を抜けてジャングルみたいな領域に入っていた。あと2、3日ほどで、中継地となる町に着く予定らしい。
ただ、「ならず者の町」だから、あんまり安心ができるわけでもない。身元が深く掘られないっていう「美点」があるから、立ち寄るってだけ。
まだエリーフォンからはそこまで遠くない。追手が差し向けられる可能性は、念を入れて潰しておくべきなのだ。




