エルフの長耳について
「耳、ですか……?」
「ええ、あの男からは、なんと聞いていますか?」
山の中の道なき道を歩いている途中、エレノア様が僕に、エルフの耳についてどこまで知っているか、そんなことを訊ねてきた。
旅路の退屈しのぎにもなるから、と。
「ちょっと、待ってくださいね、えー……ライセルさんの資料には、エルフは耳が良いって……、たしか、そういう書き方、だったと思うんですけど、書いてあって……」
気になってはいたんだけれど、身体的特徴についての話なので、聞くのが憚られてたところがある。
「例えば、こういう森、みたいなところで、木々の向こうで、見えづらい生物を、早めに発見できたり、とか?」
と言っている傍から、前を行くペイルさんが右手をヒュンと伸長させ、草むらに擬態する何かの虫だか獣だかを突き殺した。……あの大きさ、獣だよね?虫じゃないよね?
「あの粗忽者めが……」
「あっ、すいませんっ、なんか、間違って……」
「ああ、違いますユイト。お前には何ら気兼ねするところはない。これはライセル・ブラウンの、言葉の使い方についての問題です」
ってことは……あんまり正確な表現じゃ、なかったってことだろうか?
「『耳が良い』という言葉は、エルフの社会での文脈では、複合的な能力について語るもの……、なのですが、他の種族からしてみれば、単に『聴力』を表現すると考えてしまうのは、至極当然のこと」
「己にとって当たり前のこと過ぎて、知らず知らずのうちに言及を省略したのでしょう」、と、「仕方ないなあ」みたいな溜息を、鼻で細く吐くエレノア様。
言葉は批判的だけど、我が子のケアレスミスにガックシきてしまう母親みたいな、良い意味での雑さを持った口調だった。
「エルフの、耳って……、じゃあ、音を聞く、だけじゃない、んですか……?」
「ええ、そういうことです。『動態検知』、という言葉が最も近いでしょうか」
彼女はそこで、自分の耳を指す。
「我々の耳が持つのは、従来の『振動を感じる』能力の、更に深い形態。『マナが運動する際に発するエネルギーを受け取る』能力……、より平易に言い換えましょうか、『マナの運動を感じ取る』能力です」
「え……、え……?」
マナは万物万象の根源で、その動きを感知するってことは——
「それ、動いてるものなら、たいていなんでも、見つけられる、ってことに……」
「ええ。検知範囲や細かさは、個人の資質、素養、コンディション等で、かなりの幅がありますが」
「え、な、ならですけど、人によっては、例えば、えー……、5m先の藪の中で、虫が歩いてる、とか……」
「体調が優れており、動きが少ない場所であれば、珍しくもない能力」
わぁお……、漫画に出てくる達人キャラか何か……?
「その程度で驚いて良いのですか?私であれば、密室で火花が弾けたとして、それが焚火なのか、静雷なのか、金属同士の摩擦なのか、それを外から、10m先からでも感じ分けますよ?マナの動き方が違いますから」
「ぇぇええええ……?」
地球で言うなら、電線の中に電気が流れてるかどうか分かる、みたいなことが出来るレベル?
人間の耳にも、神経が通りまくってて敏感だから、引っ張られると痛い、みたいな話があるけど、もはや次元が違う。
「す、すっごー……!?なんか……すごぉ……!?」
溶けていく語彙力そのままに驚いていたら、僕が見ている前で、その耳がピクピクと上下した。え!エルフって耳を自由に動かせるの!?と彼女の顔を見たら、「驚きました?」という声が聞こえてきそうなほど、鼻高々ってご様子だった。
いやでもこれに関しては「すごい」とかより「カワイイ」が勝っちゃいます!失礼な感想なのは分かってるけど、めちゃくちゃかわいいですよそれ!?
「と、ここまでが理論的な話で」
「あうっ、は、はい?」
「ネタバラシをすれば、エルフはその能力を、常に十全に発揮しているわけではありません。お前の肉体に掛かっている制限装置と同じで、魂の処理リソースを超えないよう、平時は抑制されている」
「あ、ああ……」
流石にいっつもアンテナ全開にしてたら、色々とバグるらしい。そりゃそうである。
僕達人間の脳だって、情報の取捨選択をして、見る必要のないもの、見たらヤバそうなものを、意識に上げる前に選り分けている。エルフの情報処理能力が僕達よりずっと上だったとしても、全てを受け取り切るまでは出来ないのだろう。
情報が捨てられない状態って言うのは、例えばアニメとかで主要人物どころか、背景の端にある草や壁までが、1コマごとに動いてるようなもの。全部の存在が、「こっち見て!」って言ってくるのだ。
目が疲れることは間違いないし、そこに細かい音まで全て収録されてると考えると、ストーリーの本筋が入ってこないこと請け合い。2次元上でも、人類のキャパを超えている。
現実はそれに加えて、鼻が空気の臭いを、肌が服の感触を、舌が唾液の味を絶えず送り続けて、それらを「なんとなくいつも通り」でスルーできず、いちいち意識しなきゃいけなくなって……うん、頭が爆発するね。
「細かく見え過ぎて、逆に自らの現在位置や方向感覚を喪失する、精神に異常を来し、情報制限状態に戻れなくなる、魂の活動が完全に停止する……等々、幾つもの副作用が記録されています」
「……それ、最悪死ぬ、ってことですか……?」
「その通り。エルフに限らず、潜在能力100%という状態は、極めて危険なもの。私のユニークに、相手自身の能力にリミッターを掛けさせないことで、自滅させるという側面があることからも、それは分かろうというもの」
「あ、た、たしかに、そっか……」
エレノア様の力が恐れられているのは、自分に自信がある人ほど、その能力で酷い目にあうから、っていうのも理由の一つなのか。「俺は強いから無敵だぜ」、が通用しないどころか、完全な裏目なんだ。
「分かりますか?ユイト」
「えっ、と、すいません、あの、どのことに、関して……?」
「乃ち、己のブレーキを外すことを、尋常な手段の一つと捉えている、お前の軽率さについてです」
「うぁ………」
そ、そういうことかぁ……。
「今はまだ、影響が肉体で留まっています。けれど、魂がそれに特化する形へと変質すれば、精神や処理能力にも、影響が出るやもしれません」
「い、一応、エレノア様の能力、受けても、生きてた、わけですし……」
「しかしながら、意識は失った。それも、2回ともです。魂に何の負荷もないと、言い切れるものではない」
「そう、です、ね、はい………」
この会話が、エレノア様の心遣いだと、ようやく気付く。
彼女は僕の身を案じてくれて、その注意をする為に、耳の話題を切り出したのだ。
「心しなさいユイト」
エレノア様の、上品な手袋に包まれた指の中節部が、僕の頬をするすると摩る。
「我が所有物となったからには、そう易々と壊れることは、許しませんよ?」
日が昇る草原みたいな神秘的な目には、“慈愛”という言葉がよく似合っていた。
「は、はい……、気をつけ、ます……!」
彼女にとっては、道具のメンテナンス感覚なんだろうけど、でもそうやって気を回してくれること自体に、安心に似た嬉しさを覚えた。
いけない……。それを喜んでいたら、ちゃんと成長できない。
こうやって目をつけてて欲しいから、わざと問題行動を繰り返す、幼稚園児めいた退行を起こしてしまう。
よくないぞ、玄桐唯仁。ちゃんと改善しろ。
命じられた通り、いざって時、必要な時以外は、なるべくやらないようにするんだ。
エレノア様が僕を見てなくても良いくらいに、頼れる従者になれ。
「以上、私は言いたいことを言いました。この件に関してお前から、言及しておきたいことは?」
「いえっ、いいえ……、エレノア様の仰る通りで……」
あ、でも……いや、これは、あんま関係ないかな………
なんて迷いも、彼女には簡単に見破られてしまう。
「何か訊きたそうな顔をしていますね」
「えー……と……話が、けっこう、変わっちゃう、って言うか……」
「構いません。どうやら私は、お前がこの世界に興味を持ち、より深く知っていく、その過程を眺めることが、そこまで嫌いではない」
寛大なお言葉ぁ……。
本当なら煩わしいだろう僕の未熟さを、最大限好意的に受け止めてくれている。
「その……、えっと、やろうと思えば、マナの動き方の、種類?あー、的なものを、細かく区別できる、んですよね?」
「ええ」
「ほんと、ちょっと気になっただけで、分かったらいいな、くらいなんですけど、ゴルゴンのマナって、あれ、どういうその……、あれです、雷系なのか、炎系なのか、光系なのか、それとも別なのか……」
「ゴルゴンですか。ふむ……」
顎の下に指を添え、やや上を見るエレノア様。
「あれは、光というエネルギーそのものですね。情報を光に変えて、下界の生命に注入しているのでしょう」
「情報……それかな……?」
「気になる事でも?」
「気のせい、かもしれないん、ですけど……」
ゴルゴンのマナの爆発に巻き込まれた時、妙に場違いな感覚があった。
あれは——
「優しい……?」
「はい?」
「あー、いえ、それは、感傷的過ぎる言い方で……、うー……温かさ、なんでしょうか?」
肌も骨も焼かれている筈なのに、あまりにも苦痛とは無縁な柔らかさ。体がほとんど失われて、外からの刺激を受け付けなくなって、そうやって出来た空白を、脳が記憶を使って勝手に埋めたのかな?幻肢痛みたいに?
「あの時に、感じたものの、正体?って言うんですかね?それが、よく分かんなくて……」
「ゴルゴンが、『優しい』、ですか……」
あんまりカッチリと納得できない表現だと、僕も思う。あの激ヤバ人体強制改造上位存在に対して、「優しい」なんて普通は思うわけがなくって——
「ふぅん、そうですか……」
………なんだろう。エレノア様の反応が、急にどこか素っ気なくなった気がした。こっちに向けられた瞳が狭められ、下半分だけ露出しているので、緑色に染まってしまっている。
「あ、の…?エレノア様……?」
「私の道具であるより、月の傀儡であった方が、心安らかでいられましたか?」
「……あぇっ?」
ちょっ、これっ、思わぬ誤解が生じてない!?
「私のマナは、『優しく』ありませんからね?」
不興げに口を尖らせ、頬に掛かった銀白の髪の先を、指で巻くように弄る彼女。
「ちっ、ちがいますっ!そういう意味でっ、言ったつもりはなくって……!」
「ふぅ~~~ん……?どうだか」
「いやっ、待ってくださいっ、僕的にはそんなの『もしも』ですらありえなくって、あの光の中でもその、エレノア様から離れようとか、そういう発想自体ぜんぜん出て来なくって、って言うかその前からそれはずっとそうでっ、あの時エレノア様に言われて初めて、いつまでも一緒じゃないんだって気付いたくらいで、付いてきて良いって言われたのもスゴく嬉しかったですし、これからだって、それ以外の生き方は考えられないって言うか——」
等と、慌てて力説していた僕は、背丈と比べて小ぶりな彼女の肩が、小刻みに振動していることに気が付いた。よくよく聞くと、口元を隠す手の甲の向こう側から、「堪らず」といった様子で、震える吐息が漏れている。
「……え、エレノア様?あの、すいません、も、もしかして、なんですけど……」
「ふっ、くくくっ、どうし、ました……?」
「……僕、からかわれて、ます……?」
「はて?まあどちらにせよ、お前の想いはしっかり聞かせてもらいましたが」
熱くなった僕の顔面は、「今の言葉、しばらく忘れてやりませんから、そのつもりで」、とか言われて、余計に茹で上がってしまった。
人が悪いですよお……!
「ユイト」
両手で顔を覆っていたら、肩に手を乗せたエレノア様が、そっと上体を傾けて、
「お前が仕えてくれたこと、私も嬉しく思っていますよ?」
耳元に寄せた唇でそう言った。
ファンサービスの過剰供給によって、真夏の都心部に匹敵する熱暴走を起こした僕の頭は、いつの間にか後ろ歩きめいた体勢になっていたペイルさんが、こっちを鬼のような形相で睨んでいることに気付くまで、しばらく冷めてくれなかった。
はい、すいませんペイルさん。完全に気ぃ抜いてました。エレノア様の盾として気合い入れ直します。だからその顔で見るのそろそろやめて頂けると助かります。怖いので。




