30.ここに分岐などない part2
「言っておいてなんですが、お前には何の得もありません」
口元に指を持ってきて笑う彼女は、蝋燭の火を吹き消しているように見えた。
「どころか、損ばかりです。不死体質である程度踏み倒せるとは言え、危険だらけの茨の道。人に優しくない生物や、人の敵たる魔物が跋扈し、まるで見知らぬものばかりの獣道。成功や幸福の保証などない代わりに、痛みも苦しみも、砂粒以上にありふれている」
「そして」、
こちらに一歩、彼女が踏み出す。
「何より私は、これから知性体と、言葉が通じる敵と戦う」
双つのヘーゼルアイが、僕を脅しつけるように見下ろす。
「私の最終目的は、何者にも滅ぼされぬ頂点。その存在への否定も侮辱も、赦されることなき絶対権威。ならば当然争う相手は、蹴落とし合うのは、同じ知性ども」
女王に、女帝になりたいのだと、彼女は言った。
もう誰も、彼女を中傷できない場所を、彼女自身で作るのだと。
そしてその為に、人を殺すことも厭わない、と。
「私に同行するというのであれば、これまでと同じように、いいえ、これまでよりも不自由になります。出口のない奴隷身分となり、私に永劫仕えることを呑んでもらいます。私に屈服し、屈従し、時に屈辱すら受け入れると、そう誓って頂きます」
それが、同行者に求める条件。
君臨したい彼女に付いていくということは、いつかはその下に服従するということ。
ならば、今の時点で従者でなければ、嘘だ。
これからもずっと臣下でなければ、矛盾だ。
「お前なら、その意味が分かるでしょう?私が命じれば、お前は知性をその手に掛ける」
彼女の為に殺せなければ、失格だ。
「論理的に、それをしない方が得になる、という提案であれば聞き入れましょう。私も無謬ではないのだから。けれど、『やりたくない』では済まされない」
いつかは必ず、その時が来る。
能動的に、人殺しをする時が。
「無論、罪は私のものです。従者は私の手足であり、私の命令による責を、簒奪することなど能わない。けれど、本物の血で汚れるのは、お前の手、お前の足、お前の胸、お前の顔、お前の魂……ああ、失礼、仮にお前が私に同行するなら、です」
嫌悪感は無視できない。
罪悪感からは逃げられない。
それは確実に、僕には向いてない。
「お前がそれを望んだ場合、家族や友人の許に戻る以上に、私の為にその身を穢す、そのことを優先しなければならない」
僕の個人的な、あらゆる望みを捨てて、
ただ彼女を、女王にする為に、一切合財を捧げる。
「お前には耐え難い、耐えられない道行きとなるでしょう。……優しくて気高い、ユイト・クロキには」
「だからこれを訊ねるのは、この場限り一度だけ。それ以上は無意義でしょう」、
彼女は右の人差し指で、僕の顎を持ち上げて、
「ユイト。お前は同行を望みますか?」
決断を迫った。
違う。
迫ってない。
何も求めていない。
決断でもない。
当たり前を、確認したんだ。
暗黙のうちに決まっていることを、ちゃんと確定させて、
後腐れなく別れられるように。
だから僕は、
僕は、
「ひと、つ、」
気が付くと、質問していた。
「ひとつ、だけ、あの、訊いて、いいです、か……?」
「許可しましょう」
今の話には、仮定には、不明瞭にされているところがある。
「あの、仮に、仮になん、ですけど、僕が、エレノア様に、その、付いていきたい、って、言ったとして……」
「ええ、『仮に』、そうなったとして」
「僕はでも、あのその、『イヤだ』って、逆らえちゃうんじゃあ、ないですか……?」
僕は、死なないから。
最も重いペナルティを負わせられないから。
「僕が……、エレノア様の、邪魔をしたりぃ、うぅ、て、敵になったり……、あり得る、んじゃあ、ないんですか……?」
細められていたエレノア様の目が、丸っこく広がった。
「なんだそんなことか」、そう言っているようだった。
「それは有り得ません」
「な、んで……」
「何故?異なことを」
そしてまた、眼光が黄色一色となる。
「お前がユイトで、私がエレノアだから」
そこにはやっぱり、何の疑念の影も、差していなかった。
「お前はお前自身への誓いを、そして私を、裏切らない。私がそれを知っているから」
エレノア様は、僕も知らない僕を、知っているんだ。
そう思った。
「さ、そろそろ肚も決まったことでしょう」
彼女は指を離し、それから何歩か後ろに下がってから、甲を上にして右手を差し出した。
「エリーフォンに向かうなら、立って、言葉にしなさい。万が一、私との同行を申し出るなら——」
その視線の先が、すぐ前の地を這う。
「そこに傅き、忠誠を誓いなさい」
僕は、時間にしてたぶん10秒ほど、体感で1分くらいの間、その手を見ていた。
僕は、
僕が選ぶべきは、
じゃない、そうじゃなくて、
言い訳とか、今はよくて、
僕が選びたいのは、
僕の望みは、
僕の覚悟は、
——そっか
最初から、そうだった。
最初から、何も変わらない。
僕の心は、動いてない。
初志貫徹。
「大きな覚悟」。
見せかけの、見た目だけのそれっぽさに、惑わされるな。
僕がこれから何をするか、それは他人に委ねることじゃない。
自分のことは、自分で決めろ。
立ち上がる。
エレノア様の瞳と、正面から見つめ合い、声を整えるよう深呼吸を一つ。
そして片膝をつき、両手で彼女の手を取った。
「連れて行ってください」
砂だか石だか、固まった土だかが、警告するように、素足にめり込んでくる。
そんな辛苦を吞めるものか。
そんな勝手が許されるものか。
「あなたと、一緒に行きたいです」
知ったことか。
お前らが、みんながなんと言うか、分からないけれど、
きっとこれが、色々な苦しみと、悲しみを呼び込むんだろうけど、
「あなたの奴隷に、してください」
そうと分かって、進むんだ。
それが生きるっていうことだ。
生物は、僕は、結局やりたいことしかできない。
意志通りにしか行動できない。
そこに差があるとするのなら、覚悟があるか、それだけだ。
と、彼女を見上げて、宣誓したつもりだったけれど、なんだか様子がおかしくて。
エレノア様は空いている左手の甲で、顔の下半分ほどを隠してしまい、いつもの強さを湛えた眼差しすら外に逸らして、
「その……」
珍しく、口ごもっていた。
「エレノア様……?」
少し考えて、思いつく。
「も、もしかして、何かあの、儀礼的に、間違って、たり、とか……」
もしかして、と言うか、そりゃそうだ。
僕のこれは、地球の、それも限定的な様式だし。
文化には収斂するケースもあるとは言え、全然掠りもしないことの方が普通なのだ。
「ごっ、めんなさい、こ、これ、どうしたら……」
いつも通り締まらない僕に、エレノア様は目線を外しながら、
「我が手に……」
「手に……?」
「口付けを……」
「クチヅケ……口付け!?」
思ったより僕の知ってるヤツに近いのが出て来た!?
えっ、セラでも通用すんのそれ!?
「な、なんですか?出来ませんか?私の手に粘膜部分で接触するのは、そんなに抵抗を感じることですか?」
「ちっ、ちがっ、違いますっ!違います!僕的には全然、って言うかむしろ嬉しいくらいで、エレノア様がその、良いなら……!……ああ待って、今僕、何言いました……?あっ、あっ、あの、忘れて……!」
ぶちかました変態発言を必死に取り消そうとした僕だったが、そこで彼女の尖った耳の端が赤くなっていることに気付いた。
手際が悪い僕に共感性羞恥を感じてるのか、それとも良い感じの流れを乱されて怒っているのか、とかならまだいい。よくないけど、まだマシ。
一番よくないのは、風が強いこの場所で、かじかんでしまっている場合だ。
エレノア様の大切な肌を、僕のグダつきが傷めつけていることになってしまう。
ええいままよ!(この言葉初めて使った気がする!)
改めて両手に力を籠め、
「……っ!」
アームグローブ越しに、そのすらりと美しい手に、唇で触れる。
その直前と直後で、手からぶるりと、震えが伝わってきた。
やっぱり、寒いのかもしれない。
すぐに終わらせないと。
そうやって焦りで一杯なまま、今ので合っているか確認すべく、顔を上げたその時、
「これでお前は、私のもの」
身の毛がよだつような寒気に、つーっと背筋をなぞられた。
生きたまま、蛇に呑まれていたら、こういう気持ちになるのかもしれない。
「お前はもう、離れられない」
何より恐ろしいのは、それが全く厭ではないこと。
僕はその時確かに、喜びに浸りきっていた。
「エレノア。それがお前の、終生の主の名。魂魄の一片まで余さず捧げるべき、お前の絶対にして唯一。癒えぬ傷として刻みなさい、ユイト」
歯と骨が、カタカタ鳴っている。
けれどそれは、迷いなどでは決してない。
答えは一つに決まっていた。
「はい……!エレノア様……!」




