28.奇跡の内実
波の中に居る。
押しては引いて、寄せては返し、そうやって前後に揺さぶられている。
このまま身を任せていてはいけない、その直感はあった。
空を蹴りつけて、思った方向へと進む、その力もあった。
けれど、どっちに行けばいいのか、それが分からなかった。
真っ暗で、何度も揺られ、方向感覚は常に狂い、失調していた。
波動に打たれ、振り回されながら、どこかに掴みどころが無いか、手足で闇を掻く。
そしてふと、糸のようなものに触れた。
手探りでしっかりと掴み、手繰る。
前からくる波を耐え、背を押す勢いに従い、先へ、先へ。
糸は、点から伸びていた。
近付くにつれ、その点は穴となる。
穴はやがて、光の塊となる。
確信めいたものを持って、力強く、前へ。
その輝ける道に入って、そこでようやく、自分の手足が目に入る。
自分の形を思い出す。
もう一度、背後を蹴った。
ドン!
両目をいっぱいに開き、豊かな胸が跳ね、汗が散り飛ぶ。
「ハァー……ッ!」
心拍が指導し、呼吸が再開、マナの流動が己の輪郭をくっきり浮き彫る。
「エレノア様!」
10mほど離れた場所から、青く半透明の肌を持つメイドが駆け寄ってくる。
「ペイル……」
「良かったぁー……!ホントに死んじゃったかと思いましたよぉー……!」
「備えあれば、なんとやら、ですね……」
エレノアは自らの無意識領域に、幾つかのプログラミングを施している。
心臓が止まった場合に、固有魔導が自動発動し、彼女の自己保存能力——つまり心肺機能や自己再生能力、免疫力等——をブーストさせる、というのもその一つ。
まあ、条件付けの過程で本気で死にかけたので、危うく本末転倒な結果になるところだったのだが。
その脊髄反射的な能力発動については、ペイルにも事前に共有してある。
だから彼女は触手を使い、遠隔から治療やマナ循環促進処置を行うことで、先程の固有魔導の直撃を避けたのだろう。
ただ、体積が目に見えて減っているので、大きめのとばっちりを喰らいはしたらしい。息を吹き返すついでに周囲の生命を爆殺するなんて、我ながら難儀な体質だとエレノアは嘆息する。
「そ、それにしても、エレノア様自身の能力もあるとは言え、あんなに酷い怪我からよく復活できましたねぇ……!」
ペイルが彼女を発見した時、全身の6割以上が焼け焦げていた。
魂が壊れてもおかしくない重傷である。
「それを言うなら、多少なりとも原形を留めていたことが、奇跡と言えます……」
彼女は自身の身体を見下ろし、その肌が隠されているのをしっかりと確認する。
ペイルの腹に収納されていた予備のドレスが、彼女の固有魔導を抑えてくれていることを。
彼女はそもそも、あそこまでの爆発を起こすつもりではなかった。
天使の回路として使われている生物は、限界ギリギリまで魔導能力を引き出されている。だからそれを内から強かに突いてやれば、勝手にバラバラになってくれるだろうと、意図していたのはその程度。
けれどあの時、彼女の魔導能力は、明らかに異常な出力を叩き出した。
一体を殺すつもりで刺したナイフが、一帯を併呑する大規模爆撃に変わってしまったのだ。
あの様子だと、天使の体内にあるエネルギーだけではなく、月からも余剰分を引き出していた筈だ。
それが何を意味するか?
限定的とは言え、彼女の意の下に神格を従わせた、ということ。
彼女が命じ、月が天使に過大な力を注ぎ、エルドリッチだけでなく、近くの全生命全物質を——
「!ユイトは……!」
凍りつくような頭痛が彼女を襲う。
もし、
もしあの少年が、骨片一つ残さず蒸発したとして、
そこからの再生は、可能なのか?
「ペイル……!ユイトはどこに落ちましたか……!?」
「それどころじゃないですよぉ…っ!エレノア様、枷がっ!ミネスの枷がっ!」
「なに……?」
首に触れると、確かにあの忌々しい首輪が無い。
「有り得ない……!心臓が止まった程度で欺けるものでは……、いや、待て、それ以前にあれは、外部から攻撃を受けた場合、自動的に変形と魂への攻撃を実行するよう、出来ている……」
エレノアは破壊痕を、自分がやったとはとても思えない、現実離れしたその戦禍を見る。天使も棘の塔も、跡形もなく消滅していたが、奇妙なことに、大地は綺麗に刳り抜かれてはいなかった。
あちらこちら疎らに、樹木が歪に捩じくれながらも、その根から残っているのだ。
「魔導の、命の形を操り、繋ぐ力……」
繋ぎ、与え、組み換えるのがゴルゴンの魔導。
それが制御不能となり、ばら撒かれた。
それを浴びたものが破壊された後、一部の生物はその力を、偶然利用することが出来た?形や魂を繋ぎ留め、再形成したと言うのだろうか?彼女の固有魔導によって、「残ろうとする意思」がブーストされたことも、その現象を助けたのだとしたら?
標的となっていたエルドリッチは除き、この場の全生物に、粉々になってから再生する余地があった?
乃ち、彼女の魂は、肉体の損壊によってか、或いはミネスの枷によってか、一度バラバラに壊れたのだ。その直後、ゴルゴンの力で破片が繋がれ、彼女の魔導能力の残滓が、それらを引き合わせ、結び付け直した。
彼女を連れて行こうとする波と、戻そうとする波。
そして導となる糸。
あれは、そういうことだった?
「だとしたら……!」
彼女は確信を得る。
「だとしたら、ユイトは滅びていない……!」
無事に生き残る、もしくは復活する道が、可能性があるなら、彼は間違いなくそれを掴み取る!
彼女を置いて、死にはしない!
「探しなさいペイル!お前の能力なら、人探しなど容易な筈!」
「え、ええ……?本気で言ってます?」
エレノアのその断言が、冗談や錯乱によるものではないと理解できたからこそ、ペイルは困惑した。あの無力で心の弱い少年に、そこまでの信用も信頼も、有り得ないとしか思えないからだ。
彼女には、エレノアがその判断を迷いなく下した、その根拠が分からなかった。
「え、エレノア様ぁ?なんで言い切れるんですかぁ?しぶとさだけで繫殖力の無い雑草みたいな、死ににくいだけの弱者筆頭が、ちょっと頭がヘンってだけの雑魚メンタルが、エレノア様みたいに不屈の意志で、自己復元をしてるに違いないって」
ペイルの、ある種真っ当な問いに、
「決まっているでしょう?」
エレノアは呆れたように笑いながら、
「私がそう望み、そして彼がユイト・クロキだから」
得意満面にそう宣った。
「ユイトに私の願いが通じなかったことなど、無いのだから」
狂人の理屈としか評せないその言葉は、けれど少なくとも今回に関しては、何者にも否定できなかった。
彼女が「望んだ」通り、少年は生まれたままの姿で、焼け野原で眠っていたのだ。
死滅と災厄から産み落とされた、不吉な御子であるかのように。




