25.悲劇の終わり
エレノアによって自己保存欲求を喚起され、活発に種を発射していたエルドリッチ。
天使の注意を惹く為の囮要因であり、一つ一つ念入りに虱潰されていたが、
一本、
たった一個、
討ち漏らされたものがあった。
エレノアの攻撃によって、天使が被った損害が、やった本人すら予想していなかったほどに、大きくなったタイミング。
それは彼女の魂が、過去最高潮の昂りを見せたからだったが……その理由はともかくとして、エレノアがゴルゴンに脅威視されてしまったのは、紛れもない事実。
天使の、月の矛先が、明らかにブレた。
「エルドリッチ逃すべからず」、その方針に、確かな隙が生まれた。
エルドリッチにとっては運の良いことに、棘の一つが敵を攪乱しようと分裂したタイミングが、まさに天使の殺気がエレノアに向けられた、その時ドンピシャだったのである。
割れた棘の片割れは破壊されたが、もう一つが見逃されてしまった。二つの大敵のどちらの意識からも、完全に外れることに成功したのだ。
その小さな棘は、拒絶の力を使って軌道を調整。燃える森から逃げていたリスに似た小動物に刺さり、殺傷。その死体を乗っ取ることに成功した。棘付きリスはまず安全な場所にまで逃げ、それから次の獲物を探し始める。
その体が持っている野生の鋭敏さが、動物が起こす地面の揺れを感知。それなりの大きさの何かが、近くを這い進んでいることを突き止める。
捕食者か?
ならば好都合。
呑み込んで貰った後に腹の中で炸裂し、殺して宿主にしてやればいい。
と、ここまで言語的に整理された思考は持たないものの、大体そういったことをなんとなく意識しながら、エルドリッチは棘付きリスを操り、その巨体の前にまろび出させる。
病魔がそうやって、密かに墓を拡張しようと暗躍している間、天使もまた戦況を動かそうとしていた。
マナ供給源にもなる発射口として改造していた、人体の数々。それらの一部をブーメランめいて回転投射し、エレノアを囲い込んだのだ。
〈ヴォッ!〉
〈ヴアッ!〉
〈ヴォアッ!〉
磔で描かれた五芒星達は、かつて頭部だった部分を光らせ、青白いマナエネルギーを吐き撃っていく。
巨像がエレノアを庇い、被弾。撃たれた部分が内側から爆散。それを自在に操る為に精神を接続させている彼女は、骨の中に棲む虫が食い破って出てきたような痛みに、細く形の良い眉をそっと顰める。
「似たもの同士である、と……?」
右手を真横に振り開き、それに合わせて巨像の髪が薙ぎ払う。五芒星達に自爆を強制。
「“成れの果て”が、随分と馴れ馴れしい……!」
しかし付近に追加の刺客が突き刺さるのを見て、その場に留まるのは危険と判断。
マナエネルギーを下方に射出し、スカートをスラスターノズルのように使って飛翔、離脱しようとする。
その頭上に回り込むように、夜空に十数個の五芒星が配置。
光弾でエレノアを滅多打ちにして、押さえつけ、叩き落としてくる!
「しつこい……!」
巨像の体のあちこちが穿たれ、背から腹まで貫通するほどの穴が開けられていった。
「気の利いた誘い文句もなく、引き際も弁えない粗忽ものども……!」
髪を振り乱し、回し蹴りを放ち、敵を一掃する巨像。
だが消費した分のマナを補充し、体を再生し切る前に、次の囲いが築かれている。
棘の塔はその袋叩きを見て、今ならシレッと通せるかと大規模射出の用意を始め、即座に天使本体からの光線照射を食らい、残っていた部分の6割ほどを失った。
幾ら新星に目を奪われたとて、旧来の宿敵を失念するほど、蒼き月は甘くない。
「皆様ご存知の通り、ゴルゴンの力の本質は、繋ぐこと……より分解して言えば、与えて、保つことです」
飛行船内VIP席にて、先程とは別のダークエルフが補足する。
「お気遣いありがとう。是非聞きたいわ」
「続けさせて頂きます。ゴルゴン、月の神格は、繋がった相手に何らかを付与する術を持つそうです。それは単なるエネルギーであったり、情報であったり、思想であったりする、と言います」
正体不明の智慧を強制的に授け、思考を矯正。
そうやって言いなりにした生物に、エネルギーを供給。
「月の啓示を受けた者は、その魔導能力とマナ供給能力を、ゴルゴンの目的への奉仕の為に使います。それはもう熱心な自己改造が行われるわけですが、そこで壊れ切らないよう、ゴルゴンが全体の調整を行っているようです」
生物とは、マナを取り込み、効率的に運用するパーツ。ゴルゴンは限界ギリギリまで、そのスペックを引き出すよう、魂の無意識領域を唆す。
そうして、バラバラに自壊しそうになる肉体や魂を、それらが持つ魔導能力を利用して、一つながりの回路として保ち、マナエネルギーの生成、発射機として変身させる。
更にそれを幾つも連結させることで、全体として引き合う大いなる力を生み出し、回路の強度を向上。より強いマナエネルギーの流動に耐える、優れた回路が完成する。
「そこからは効率化です。回路の形、配列を工夫し、要所要所にマナ流動の勢いを活性化させる、増幅器役を配置させておく。とにかく天使化した個体達に、『一つの大きな体を作る』、その事業に従事させるわけです」
そしてその全ては、天使化個体達の“自由意志”によってなされる。
月がやっているのは、魔導能力を「使わせる」こと。
決断と行動は、個別の魂によるものなのだ。
ただ、強烈な思想誘導を食らわせている、というだけで。
「まあ、なんておぞましい」
「大まかな情報しか耳にしたことがありませんでしたが……、ゴルゴンとは、斯くも怖ろしいものなのですね」
「エリーフォンが“真のエルフ”に“到達”したその暁には、必ず除かれるべきものです……!」
「ええ、その通り。この世に存在していいものではない」
そして——
「それと酷似したものを生まれ持っていたのが、あの甘淫令嬢なのです」
エネルギーを与え、時に思想や思考をねじ曲げ、汚染し、自滅させる。
力を注入し、相手の持つ能力によって、相手を壊し、殺す。
「天使が行うマナ照射。あれも一種の『付与』と言われています。エネルギーの押し売りによって、相手の生命活動や術を暴発させる、と」
例えばエルドリッチの拒絶に、その蒼白なる手を差し伸べる。そうすることで、棘が発した力そのものが、過剰なエネルギーを溜め込み切れず、爆発することで棘を傷つける。
「如何なる防備も貫く矛。対処するには、出力と制御能力とにおいて、圧倒的に上回るしかなく……」
「けれど神格相手に、力押しで勝る者など存在しない」
双眼鏡を覗きながらアスターが繋いだ言葉に、口角を上げて頷くダークエルフの女。
「あの淫欲の婢のユニークは、天使と類似している。つまり、《《下位互換そのものなのです》》」
エレノアに勝てる道理などない。
月へと吠える愚か者は、狂い死ぬのがお似合いなのだ。
「じきに、エレノアのマナ吸収、変換処理能力が、焼き切れるでしょう。そうなれば貯蔵分のマナを引っ張り出すしかないわけですが——」
——足りない
エレノアはそれを悟っていた。
空気中のマナを取り込み、自らのマナとする体内機構。それを短時間で酷使していれば、どこかで正常に動作しなくなる。一旦大幅に稼働率を下げなければ、最悪の場合呼吸すらままならなくなってしまう。
そうなると、予備のマナに手を出すしかない。
企業で言うなら内部留保だとか、肉で言うなら脂肪分だとか、そういう「いざという時の為」の“とっておき”だ。
その量は、当然の如く有限。
ハイエルフは、その中でもマナ操作に向き合い続けたエレノアは、かなりの貯蔵量を内有している。
が、「足りない」。
それっぽっちでは、あの審問会の面々を、皆殺しにするのすら困難。
「どうせならあの時に、あの部屋の中を滅茶苦茶にして、エリーフォン全土を敵に回しておいた方が……いえ……」
結果論の事後講釈。
それに、その賭けに出なかったことを、彼女は全く後悔していなかった。
ユイトを見つけ、あの狭い牢から解放し、天道の下に送り出す。
それがきっと、彼女の役目だったのだ。
「ここが、夢の果て、ですか……」
天使の祝福が巨像を照らし、その内から暴流を溢れ出させる。
薄桃と銀白に通された風穴から、幾筋もの光明が射し漏れる。
ボロボロと崩れゆくその裸体に、新たな肉が付け足されるも、
体積が減っていく早さが上回る。
「ユニークのビジョンが!崩壊が止められていないわ!」
「いよいよ!いよいよなのね!尽きてしまうのね!精も魂も尽き果ててしまうのね!」
「終演よ!終わってしまうわ!どうするの?終わってしまうのよ!お前の足掻き!お前の命!」
まるで窓の外へ身を乗り出しているかのように、レンズに瞳を押し付け盛り上がる婦人会!
「どんな気分?ねえあなた今、どんなものが見えているの?エレノア!」
「こんなもの、か」
一方の彼女は、自分でも意外なほど、落ち着き払っていた。
その意識は、とても穏やかな世界に浮かんでいた。
青々とした光に包まれた、その絶景。
激動の最中に、不思議と静謐を感じさせるそこは、
太陽を仰ぐ海面の下。
「大したことではありませんね。“非業の結末”なんて」
宙に全身を投げ出す彼女、その肌が反す銀色は、
身をくねらせて漂い泳ぐ、嫋やかな魚の鱗の輝き。
「恐れていたよりは、ずっと」
一生に一度、せっかくの今わの際。
だから彼女は、記念に最後までしっかり見てやろうとしていた。
自ら目掛けて撃ち下ろしてくる天使、その姿、その鳴き声、その光の拍動を、魂に焼き付けておこうとして、
それが背負う三日月に、長細い影が横切るのを見た。
「……?」
マナを視力強化に回す。
棘の塔とエレノアに止めを刺すべく、高度を下げてきていた天使の上を、何かが飛行している。
「あれは……」
ペイルだ。
水分を操る固有魔導、その内容の一つに、水球を飛ばす時のような、水を浮遊させる能力がある。それで浮いて、水流を背後に放った反動を利用し、海蛇めいて夜空を遊泳している。
「余計なことを……」
絶対王政に倣って、殉死でもするつもりか?
なくてもいい犠牲が増えただけだ。
なんとか、その端の方だけを弾けさせ、飛翔軌道を曲げられないか、そう考えて、親指、人差し指、小指を立てた右手を、気怠そうに上げたエレノア。
細められ、緑に染まっていた彼女の目が、ペイルから切り離されて投下された、そこそこの大きさを持つ塊を捉える。
「魔導石で、空爆でも試みているのですか?そんな石ころで、何が変わるわけでも——」
眼球の前にマナによって、簡易的な望遠鏡——空気を暖めて温度差を作り光を曲げるもの——を作り、高倍率でそれを見た彼女は、
「——……は?」
生まれて初めて、時間が止まる瞬間を体験した。
「な、なんで……」
さっきまでの、潔く散る決意を固めた、成熟した美しさは霧散し、
「なにを、なにをやって……!」
か弱い少女の独り狼狽する姿が、そこに残された。
「お前は何をやっている……っ!?」
彼女を襲った衝撃は、二つ。
一つ、ユイトが天使の背中目掛けて、高高度から落下していた。
もう一つ、彼がエレノアに向けて広げた、右の掌。
そこに、黄色く光った棘が、突き刺さっていた。




