24.エレノア
——お前は呪われている
それはもう聞いた。
——お前さえ生まれなければ
耳にタコができた。
——“弱き女”以外の生き方があるとでも?
そこまで調子に乗ってはいない。
——どうして言う事を聞かないの?
完璧であらねばならないからだ。
——お前はいずれ破滅する
存分に言っていればいい。
——そら見たことか
笑わば笑え。
惨めがなんだ。
失脚がどうした。
命があればそれでいい。
名が汚れているのは最初からだ。
後ろ指を差されるのは生まれつきだ。
その命が残っている限り、産声を上げたあの時よりも、悪い状態などとは言えない。
生きていれば、また始められる。
外からなんと罵られようと、強きエレノアで在り続ければ、彼女の夢は実現し得る。
何百年掛かろうと、いつかはなれる。
何もかもが思い通りになる、押しも押されもせぬ権力者。
世界を動かす、本物の黒幕。
誰が「呪われて」いて、何が「正常」なのか、
それを“決める側”に立てるのは、最後まで生き残った者だけである。
一番後から振り返った者だけが、歴史を決める権利を有するのだから。
だから、生きる。
自分の力で、聳え立って見せる。
群れでも、共同体でも、国でも、
どんなに重いものでも、その2本の足で支えられると、目にしただけで理解させる。
君主たり得る人物として、何があろうと存在し続け、その座に手が届く時まで耐える。
世界に肯定してもらうのではなく、
世界に己を肯定させるのだ。
偉くなりたいのだからこそ、偉くなくなった程度で折れるな。
足を止めるな塞ぎ込むな寄り掛かるな屈するな。
エレノアが存在を許されるには、善悪の定義を覆すしかない。
そんな大敵を見据えているのに、杖を求めている場合ではない。
見る者に「頼りなさ」を感じさせる、「支え」を求めている余裕などない。
だから彼女は、弱さを見せない。
迷いもせず、脇目も振らず、一心に——
ああ、そうだとも。
ああ!嗚呼!その通り!
彼女はきっと、一度諦めた!
理想を語る夢追い人みたいな少年に、牢の外の現実を見せようとしたのだって、腹いせに白紙を汚し尽くしてやりたかったからだ。「自分は諦めたのに、自分より弱いこいつがなんで」、なんて、僻んだのだ。
そして、それが無垢ではなく、何にも染まらぬ撥水性の無地だと知れた瞬間、強さなのだと感じた途端、今度は身勝手にも期待したのだ。掌を返して、甘えた願望を抱いたのだ!
あの少年なら、
こことは全く違う場所から来て、彼女の「呪い」に別の意味を見てくれる、
幼い彼女が求めた“他者”を、そっくり取り出したような彼であれば、
彼女の悪徳も、醜さも、包み込んでくれる気がして。
自分の力で、現実を打破する、野望ではない。
相手の寛容さ、包容力で、現実から守ってもらう、願望。
それを抱いてしまった。
彼女は理想の父親を求め、種族すら違う赤の他人に、欲深くもその像を押し着せた!
そして、それが叶ってしまった!
私利私欲からの行動すら誉めそやし、彼女の為なら自分が一番厭なこともやってくれる。
そして、彼女がどう触れても、壊れないで、死なないでいてくれる。
ユイト。
エレノアを堕落させていく、甘き毒の名前。
天使を端から削りながら、彼女の唇はその形を何度もなぞる。
ユイト、ユイト、ユイト、ユイト………!
脳がその三音を弾き奏でるほどに、血流が心地良い痺れに浸り、彼女の肌はますます輝く。
惜しい。
もうここには誰も居らず、だから声に出せずとも、彼女は本音をハッキリと直視できた。
手放すのは、惜しい。
たとえ彼女の命運が、ここで尽きてしまうとしても、今ここに、傍に、隣に居て欲しかった。
その心音が、血潮の暖かさが、彼女がこの世で最後に感じるものであれば、どんなに良かったことだろう。
だが、駄目だ。
“淫涜の天幕エレノア”の腕は、彼を抱くには、狭過ぎる。
ライセルが持ってきた、報告書を思い出す。
ドワーフの砦で起きた、不可解な奇跡。
土壌を毒で侵し、ネズミ一匹通さぬ包囲を敷き、完全に封殺した城砦。
空を飛ぼうがトンネルを掘ろうが、脱出することすら叶わない。
広範囲に散布した毒ガスで、大気からのマナ吸収すら妨害して、
だからあそこに居たドワーフ達は、降伏して処刑されるか、飢餓に苦しみ全滅するか、どちらかしか道は無かった。
だが、巨神の行進があった日から、彼らの眼の中の絶望は、希望の光に掻き消された。
その手足に、確かな活力が漲った。
そこから10ヶ月ほど、彼らは最後の一兵まで戦い続けた。
何かが起こった。
それは誰の目にも明らかだった。
では、何があったのか?
そこが陥落した時、奇跡の力を持った秘宝を期待し、目の色を変えたダークエルフとリカント達が中を探し回って、けれど何も見つからなかった。
ただ一つ、どこまでもお人好しな、不死身の不思議な生物を除いて。
——ああ!
その記述を思い出すと、今でも首の後ろに鳥肌が立つ。
興奮とも畏怖ともつかぬ感情が、ぞわりと全身を粟立たせる。
何があったのか、その時の彼女は理解できた。
あの、自らの体を道具として使う姿、あれを見たライセルも、薄っすらと察せていた筈だ。
それは、簡単な、なんの謎も無い話だった。
ただ、ユイトの表面的な性格が、その可能性を自然と除外させ、盲点化していただけなのだ。
兵糧攻めで死にかけの軍が、巨神の行進によって不死者が降ってきた、その後から息を吹き返した。
なら話は簡単だ。
ドワーフは、ユイトの肉を食っていたのだ。
彼は再生する際、肉を繋ぎ合わせるか、欠損部から新たに生やすか、選べるのだと言う。ならば、切り落として他者に与えることだって、可能なのだ。
あの砦に立て籠もっていたドワーフにとって、現状を最も効果的に好転させる、最高の一品。世界の意思が味方したと、本気で思えたことだろう。
どちらが提案したのかは分からない。
ただ、ドワーフの中に餓死者らしきものが、ほぼ出なかったらしいから、凄まじい量を提供していたに違いない。
毒の大気に苦しめられながら、マナを最高効率で吸い続け、その身を切り落として与えてくれる。そんな“天の御使い”に、彼らは熱狂し、勝利を誓い、正義を確信して死んでいったのだ。
そんな、どこまでも他者の勝手を押し付けられ、抱えきれないほどの生死の責任を詰め込まれ、慰み者にされるより苛酷な扱いを経て、けれど彼は、人畜無害の顔をしていたのだ。他者を本気で気遣っていたのだ。
「もしやあれは、聖人や傑物の類なのではないか?」
そう言ったライセルは、半ば冗談、半ば本気のようだった。
「何か途轍もない、巨大な存在なんじゃあないか?」
そして正直なところ、エレノアもほぼ同意見だった。
彼女の小さな執着の下に、閉じ込めておくべきではないのでは?
欺瞞に満ちたエリーフォンに、このまま差し出していいものなのか?
だから結局、「手放すべき」と、同じ答えに辿り着いた。
その後をどうするかまで含めて、正直過ぎて戦地送りに遭うような、ライセルという男に託すべきである、と。
従って、彼女の行動は正しい。
ユイトはどうにかして、光の当たる道に立つべき者だ。
だからこれが最善だった。こうするしかないとまで言えた。
ああ、しかし、
けれど、けれども。
天使の足らしき部位に髪を巻き付け、締め上げながら先端をブスブス刺し込み、固有魔導の効果を流入させる。
その最中も彼女の掌には、ライセルにユイトを受け渡した、あの時の感触がジンジンと残っている。
彼から手を離すその時、ユイトを求めて吸い付く肉を、力づくで引き剥がすのに、どれほどの痛みを伴ったことか。
生皮を剥がれるような、最悪の気分だった。
もしかしたら、彼女の魂の一部さえ、剥離してしまっていたのかも。
指が、冷たい。
それは、べったりと塗られた血液が、そう感じさせているのか。
それとも、痛めつけられた神経が、ヒリヒリと震えているからか。
出逢ってからまだ一月に満たない間で、彼女はどこまで弱くなるのだろう。
どこまで“乙女”に成り下がるのだろう。
全て、あの少年のせいだ。
出逢わなければ、こんな自分、知らずに済んだのに。
——私の中身を、こんなに掻き混ぜて、居なくなるなんて、
——なんていやらしい人……
恨めしい人。
怨めしい。
憾めしい。
憎らしい。
彼が憎い。
彼に、逢いたい。
「!」
高速回転する蒼白の円盤が飛来。
それは巨像の左手で打ち払われ、地に突き刺さった。
止まったことで、その形状が大の字に近いと判別できる。
その正体が、改造され、変形している人体の一つだと気付いた時には、
もうその体からマナエネルギーの束が発射されていた。




