21.光臨 part2
「………ッ!」
「ひ……がい、状況、は……っ!?」
ライセルの呼びかけ虚しく、会話が可能な者自体が、ほぼ残っていなかった。
蒼き月の天使は、更に高度を上げ、這いつくばる地虫どもを睥睨している。
棘の塔はその一部を欠けさせ、けれど依然としてその威容を尖らせていた。谷間のように割れた地形の中、ほぼ唯一原形に近いままの物体がそれだった。
「解体に、向かった部隊は……!?」
ライセルは近くに転がっていた通信士に駆け寄り、それが背負う無線機の方“は”まだ生きていることを確かめ、マナを媒介にした通信を試みる。
「応答せよ!応答せよ!こちらライセル!ライセル・ブラウン!誰か応答してくれ!」
しかし、天使の攻撃の余波を受けての大規模励起現象のせいで、彼らの通信の為に動いてくれる大気中のマナが、まるで確保できない。塔周辺での配置を完了しかけていた者達の無事を、確かめる術がない。
「見れば分かるでしょう」
その傍に立ったエレノアが、自明で無慈悲な結論を告げる。
「ほぼ間違いなく、殲滅されている」
あれの直撃を防げる装備も、魔導能力も、この部隊には無い。
「まさか……!まさかこんなっ!クソ!まさかだ!」
ライセルは悔しげに地を叩く。
従来のケース通りであれば、
天使が来るのがあと1時間、30分後であれば、
様相は全く異なっていたのに、と。
「早過ぎる……!棘の病発生から、月に見つかるまでがあまりにも……!」
「簡単に説明可能です。エルドリッチの切れ端は、月との撃ち合いの流れ弾、それだけのこと」
「そうか……!それなら……!ぐううううう……!」
地を掘り掴み、爪の間に土を詰め込み、拳を作って、また叩きつける。
監督官と罪人と、巨大な災禍を前に団結し、その危機を退けた。という達成感によって、この若く融通の利かない公僕エルフの中にも、この汚職と悪党だらけの部隊における、仲間意識のようなものが芽吹いたのだろう。
そして花を咲かせるどころか、葉を出す前に踏み千切られたわけだ。
どういう経緯でここに来たのか、それが簡単に想像できるほど露骨に青臭い彼には、耐え難い精神負荷だったと察せられる。
『……ちら……ル…zzzzz…!…れか…zZzzz!!…!…こえ……zzzZzZzz』
「……!」
そんな彼の心情が落ち着くのを待たず、沈黙を破るノイズが走った。
通信機からだ。誰かが応答を求めている。
だが、今の大気の状態で、歩兵携行用の無線でキャッチできるほど、鮮明な伝達ができるなんて、相当強力なマナ波動を発信していなければ、理屈に合わない。
ということは、「都市からか!」
ライセルは発信スイッチを入れ、全力で呼び掛ける。
「緊急!応答せよ!緊急!応答せよ!こちら西部方面軍第5懲罰部隊監督官!ライセル・ブラウン一等兵!応答せよ!」
そして受信モードに切り替え、答えを待つ。
『ブラウン……等兵……!こち……ヴィル……防衛本部……!』
「本部だ!」
キヴィル都市防衛本部。
ここから最も近い都市の、駐屯戦力である。
「本部!こちらライセル・ブラウン一等兵!棘の病と月の天使の交戦が開始されている!西部方面軍第5懲罰部隊は壊滅状態!棘の病の滅却はほぼ確定と思われる!月の攻撃がこちらに波及する前に撤退する許可を!」
今の状態で、この場に彼らが留まる意味などない。
エルドリッチは月に焼き払われ、拡散はほぼなくなった。これ以上の長居は、ただ巻き添えで焼け死ぬ危険を高めるだけ。
と言うのはまだ呑気な言い方。ゴルゴンもエルドリッチが居なくなれば、普通に知性体を攻撃してくるので、ボーッと見ていたら10割方焼死するのだ。矛先が向いていない今のうちに、全速力で離れなければならない。
かと言って、監督官はともかく、ミネスの枷で居場所を知られる囚人達は、独断での退却ができない。作戦区域を無許可離脱した瞬間、首がパチン、である。
だからライセルは、念を入れて同じ文言を二度繰り返して、正式な言質を取ろうとしているのだ。この拠点を放棄してもよい、その一言を引き出す為に。
果たして、
『こちら本部!貴官及び残存部隊の撤退を許可する!』
その願いは天に通じた。
『ただしその際、MQ21605番、囚人名エレノアは回収せず、その場に残留させよ!』
そして一名、その恩寵からあぶれた者も居た。
「はぁっ!?」
ペイルが髪を模倣した器官を荒立たせ、ライセルは慌てて撤回を求める。
「本部!繰り返す!ゴルゴンの攻勢明らか!エルドリッチの末節完全焼却の公算極めて大!囚人兵を残す戦術的効力、既に無し!総員による撤退許可を要請する!」
『こちら本部!命令は変わらない!MQ21605番、囚人名エレノアは現地点に残留の上、両神格の末節を尽く討伐すべし!』
取り付く島もなかった。
要請は突き返され、意味不明な命令だけが与えられた。
エレノア一人で、天使と塔、双方を殺し切れと言われたのだ。
『これはエリーフォン国軍統合本部の決定である!MQ21605番、囚人名エレノアに、この神格騒動平定の任務を与える!近隣村落や都市において、本件の被害が確認され次第、当囚人による反逆行為と見做す!』
エルドリッチかゴルゴンか、どちらかが“廃棄部隊”以外に損害を与えた時点で、彼女の死刑執行が確定する、と言うのだ。
「しかし!」
「もうよいライセル、時間の無駄です」
彼を背後から止めたその声は、ぞっとするほど落ち着いていた。
彼女は頭のどこかで、こうなることを予想していたのだ。
「『棘の病は負ける』、その99%を、より100%に近づける、という建付けなら、頷けなくもありません。私は保険である、という建前なら」
「だが、おかしい!どう考えても、倫理道徳を度外視して合理に従ってみても、尋常な判断ではない!
フェロニアスとしては貴重な、ユニークを持った戦力だぞ……!?勝ちが動かない戦いで、使い捨てるなど通るわけがない!
何か命令が行き違っているのだ!それを確認させれば——」
「読み違えたのですよ。お前も、そして私も」
「読み違えた?」、ライセルもペイルも、彼女の言っている意味を理解できない。それは、彼らでは及ばない享楽的な悪意。エレノアも、相手を甘く見ていたと、そう言わざるを得ない。
「激化する戦闘に危機感を持ち、その状況を打開する方策を求め、私を投じるという博打に出た、と、そう考えていました。そう考えてくれるだろう、と」
「……違う、と言うのか……?」
「ええ、どうやら、外したようです」
エレノアが前線に送り込まれたのは、緊迫や焦りからではなかったのだ。
「では、では、何が理由なんですか……?」
「恐らく、私が舞台を盛り上げ過ぎました」
「……何……?なんだと……?」
脅威ではない、愚かな増上慢。
即座の死刑を免れる為、そういった役を演じ切った彼女だったが、それが過剰なほど嵌まってしまったらしい。
もっとざっくりした言い方をするなら、「楽しませ過ぎた」、「面白がらせ過ぎた」のだ。
「エルドリッチ出現の時点で、都市軍に増援を求めたとは言え、統合本部の判断があまりにも早い。まるで、エリーフォンの上流が、こういった機会を待っていたかのように」
月が出ている東の空を、彼女は仰いだ。
「どうせ、私のユニークが薄まるくらい遠くから、見ている筈です」
その先にある都市へ、
そこに来ているだろう観覧者どもへ、
睨み返してやるように。




