21.光臨 part1
前線は、大いに押し上げられた。
魔導砲の発射感覚に余裕が設けられ、今ある魔石分は撃ち切れそうだった。
周辺の棘付き死骸は、あらかた掃除が完了。
後はどのようにして、“塔”を安全に処理するか、それだけが心配事となった。
「エレノア様、お召し物が……!感染の危険だって……!」
「どうせ既に汚れています。今更変わるものでもなし、見苦しいですよ」
「ですけどぉー……!」
「お前は解体班に助力しなさい、ペイル」
「えぇー……?」
「甚だ不服」という思いを、ゼリー状の表情筋をフルに使って造形するスライムメイド。その態度は、少しの間でも主人を護衛なしにしたくない、という心配だけが理由ではない。
本来ならハイエルフきっての麗人として、首都メガラルブス上層区域で、手腕を振るっている筈のエレノア。そんな天上人たる彼女は、土の上に居るだけでも不相応。
だのに今、清潔な絹の如く神聖なる肌を、ケダモノの体液に犯されることすら許容して、汚物を抱きすくめている。瘦せっぽちでトロール・ラビット一匹殺せない奴隷相手に、余りにも過ぎた寵愛を浪費し続けている。
しかも、それを受け取っている当人は、頭の重さで双丘を撓ませながら、スヤスヤとのんきに眠りこけて、空前絶後の僥倖に気付いてすらいない。
こんなことは許されない。ここまででも、絶対にあってはならないことなのに。
「そいつはその辺に置いといても死にませんよ、エレノア様……!分かってるでしょう?」
「………」
「それよりエレノア様の衛生状態の方が、ずっと重要です……!洗い清めますから、その荷物とっとと脇に退かしてください……!」
エレノアは、何も言わない。
どころか、両腕の力をむしろ強め、ペイルから奴隷の体を遠ざける。
家族同然のぬいぐるみを、頑として離さない幼子のような姿。
何か様子が変だ。エレノアがそんな、拗ねたような顔をするなんて。
本当によくない病でも貰ったのではないかと、ペイルは気が気ではない。
「エレノア様……!」
「……洗浄するなら、ユイトから先に」
「ぇえ……?」
ほらまた、信じられない言葉が飛び出した。
今の発言の意味が、分かっているのだろうか?
泥に塗れた主人を横目に、道具の手入れをしろと言うのか?
「エレノア様、ほんとにちょっと、いえかなりおかしいですよっ!どうしちゃったんですか……!」
「どうもこうもありません。いいからお前は、エルドリッチの制圧に向かうか、ユイトを清めるか、どちらでも構わないので行動しなさい」
「よくないですよっ!エレノア様、あなたがそんな、雨の翌日に泥の上に貼りついた、びちゃびちゃで不快な落ち葉みたいな、火種にもならないクズにその身を安売りしちゃったら——」
そこでペイルが息を呑んだのは、主に睨みつけられたからでも、その指が愛おしそうに奴隷の頬を弄っているのに気付いたからでもなかった。
黄色と橙の絵具だけで描かれた、黒地の絵画めいた兵営が、ヒヤリと蒼褪めてしまったから。
「「!!」」
主従は同時に東の空に顔を向ける。
漆黒の空に、三日月が輝いていた。
常ならば、沖の海より深い群青色をしているそれは、今や罪人を見つけたサーチライトの如く、眩い睨視を地に投げかけている。
特に高温の炎に似た、芯が白い青色の光。
それが彼女達の居る場所だけを、昼間へと覚醒させてしまった。
「月が……!」
「ライセル!今すぐ棘から最大限の距離を取るように伝達を」「ウガアアアアアアアアッ!!」
悲鳴を上げたのは、彼女達のすぐ近く、首の後ろを押さえるリカント。
彼が痛みを訴えるその部位からは、糸ほどに細い光線が伸びて、遥かなる月へと繋がっている。
「アアアア!!あお!青!!青い空アアアアアアアアアアッ!」
「おい!大丈夫か!何してんだ!」
「やめろおおおおお!そいつに近づくんじゃあない!!」
「一杯の水が緑を笑顔に!星の海には真の自由を!アアアアアアアッ!!」
意味不明な文言を叫びながら、そいつは徐々に宙へと浮いていく。
四肢が大の字に広げられ、関節が不吉な軋みを上げる。
「我々は明日であり昨日である!美しき黄金比はあなたと私!てんけいきたりてちにみちる!!アアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」
その全身が青白く発光。
一瞬で火葬され骨格が剥き出しに。
骨の一つ一つがガチリガチリと外れ、散じていく。
それどころか、一つのパーツが更に分断され、分割され、分離していく。
まるで、頭と手足の先を掴まれ、無理矢理5方向に引き伸ばされる刑罰。
骨の欠片と欠片の間を、青白い光条が貫くことで、バラバラにされて尚も繋がりが断ち切られない。一種の五芒星に近い輝ける図形が、空中に燦然と出現した。
「アアアアアアア!!」
更にまた、別の犠牲者。
恐るべき変貌に気を取られ、月からの操り糸の接近に気付けず、繋がれてしまった者達。
「アッ!アッ!アアッ!アッ!おりる!くだる!そしてのぼらせる!」
「ことば!えいち!おしえる!つたえる!りかいする!わかりあう!」
それらは同じように歪な五芒星に加工され、連結させられ、翼を広げた鳥や蛾の抽象画を描いていく。
「つなぐ!」
「つなぐ!」
「つなぐ!」
「「「つなぐ!つなぐ!つなぐ!つなぐ!つなぐ!つなぐ!つなぐ!つなぐ!つなぐ!つなぐ!つなぐ!つなぐ!つなぐ!つなぐ!つなぐ!つなぐ!」」」
脈絡のない言葉を羅列し、人の身を借りて降り立った月の天使。
その頭部にある、葉脈めいた形の触覚は、誰かの背骨と肋骨だろうか。
「ゴル、ゴン……!」
空の向こうから会いに来る神秘。
知性に一筋垂らされる託宣。
満ちるほどに虐げる太陰。
夜を水底のように青く変え、理を脱臼させる煌々。
棘の病に殊更な敵意を示し、その根絶の為ならば、
幾ら焦土を作ろうと、延々浄める狂おしき掃除屋。
“正青なる仰月”、
“ゴルゴン”又は“ルナティック・ゴルゴン”。
今そこに現れたのは、その神格が寄越した使者だ。
代弁者なのか代行者なのか、その違いには意味が無い。
伝えるにしろ、触れるにしろ、出力される行為は一つ。
「エルドリッチを追ってきたのか……!」
そう呟いたライセルは、魔導筒を構えようとすらしていなかった。
否、彼だけではない。
星の一つとなっていた、神話の住民。
それが人の世に、フラリと立ち寄ったかの如き姿に、誰もが戦意を失っていた。
蝙蝠の骨格めいて、複数の長い突起を持つ1対の翼。
青白いそれらの光量がいや増して、
「ぼ」
「防御態勢を取れ」、という言葉より先、光のカーテンが横切った。
青白いマナが山肌を割り、陣営を焼き、黄色の塔の障壁を研磨。
その薙ぎ払いによって刻まれた傷痕から、暴れ足りなかったエネルギーが、柱となって立ち並ぶ。
その様が、襞のある幕や壁が現れ、揺れたかのように見せたのだ。
ヒュゥッギイイイイイイイイイイイイイイイイイン……ッ!
重苦しく伸びた時間感覚の中、視覚情報に遅れて爆熱波が到達。
ペイルは地中の水分に粘性を与え、土壌を盛り上げてドーム状に成形。
その内部に3重の液体防壁を生成。
冷たい月による白熱の鉄槌は、彼女が咄嗟に張ったその防御を、焼き飛ばし、気化させ、彼女の身体の2割ほどを喪失させたあたりで、なんとか一旦の沈静を示した。




