17.重量級獣肉タイフーン
パワーは、棘熊の方が上だった。トロール・ベアの筋骨、その限界ギリギリを引き出しているのだから、ある意味当然だ。
スピードも、棘熊の方が上だった。その重量のおかげで最高速度が大きい、というだけではない。棘から発される拒絶によって、加減速を自在に操り、緩急や機動性まで高水準だったのだ。
テクニックは……、技量は、ギリギリだが、ザルドに軍配が上がった。
自らが操る体を、どれだけ使い慣れているか、その部分の経験値だけが、彼の唯一のアドバンテージだ。
「くぅおおオオオオオオオオ!!」
棘熊のラッシュ。爪の代わりに前足を覆う棘の列が剥き出され、肘を始めとした体の節々から拒絶の力を放つ反動で加速。4本ともを使った続けざまの連打連撃。
肉が生み出す鋭利な大嵐、それはテントも地面も抉り回って、地形を恒常的に変化させていく。台風の日の砂浜みたいに。
その大暴れをなんとか受け流し、躱し、反撃を入れるザルド。
熊手の一撃が掠める度に、ゴッソリと体幹が崩され、今にも転び倒れそうになるのを、なんとかフットワークで衝撃を逃がし、耐える。その度に、精神と肉体のスタミナが、音を立てて消費される。
反対に、彼が繰り出すカウンターの爪と拳、蹴り足は、いともたやすく拒絶される。何度も頬を即死で撫でられて、それを代償に与えられるのは、全く通用しない強さで相手を叩く権利。破産待ったなしの不平等交易。
そして彼が、その高度な徒労を続けている間にも、熊の背から棘が発射され、そこら中に突き刺さる。それが放たれる度、囚人か監督官か、誰かの断末魔が上がっている。
トロール・ベアがもともと強力な魔物であるからか、或いは体が大きく生やしている棘の数が多いからか、拒絶のフィールドは堅固であり、ライフルやバリスタの包囲攻撃をものともしない。
その一体、たった一体が棘の病に落ちただけで、“廃棄部隊”は壊滅へと追い詰められているのだ。
残った希望は、魔導砲。
時に巨大な魔物を相手にする為、時に山や城砦を攻める為、対大質量目標用に持ち込まれた、大口径火器。
監督官達のうち、それの扱いに手慣れた者が、それを用意している筈だ。黄色と赤のオシャレサボテンになっていなければ、だが。
「うぉおおおおおッ!?」
降り上げられた左前足の一本が、見えないハンマーで叩き出されたような急変軌道で突き下ろされ、ザルドを上から押さえつける。彼の足は、地中に深く埋まってしまった。
そこを逃さず迫る右前足2本は、まるでそれぞれが別の生物の頭であるかのよう。防御するにしろ回避するにしろ、動きが変則過ぎて読み切れない!
「勝てると思ってんじゃあねえぞ森のクマさんがテメエコラッ!!」
バックステップは踏めない、ならば腰は引かない!果敢に前!ザルドの両腕が強くしなりながら高速で振るわれ、視覚的には帯状の物体となる!
対空迎撃肉弾10連射!棘だらけの双頭を叩き押し、かち上げる!
棘熊の右脇腹がガラ空きに!
「こいつでどうだあアアアアッ!!」
光芒すら伴う左フック!遅れてバン、と空中で何かを破り抜いた音!
だがそのかぎ爪は熊の肉どころか、毛皮にすら届いていない!
そしてザルドは、鼻っ柱を潰されている!
「ぬあッ!?」
——なにが……っ!?
第三者視点からであれば、現象の説明は容易だった。
前足攻撃の芯を外されたその時、熊は防護膜を纏いながら背中からの拒絶を強め、なんの技も籠っていない正面衝突を仕掛けたのだ。
今度こそ体勢が致命的に崩れた。
棘熊は右前足を振りかぶって、踏み潰すように上から〈む゛み゛ィアッ!?〉
その横っ面にぶつけられた淡い青色の半透明球体。
それは拒絶され、パンと割れてそれを驚かせただけで終わり——
否、その中に入っていたものが、ザルドの頭の上に降ってきた。
「ザルっドさんんんんんっ!」
それは少年だった。そいつは落下中、彼に向かって右手を差し出したので、はっしと思わず掴み返してしまった。
〈み゛ィィィィィイイイイイッ!!〉
「ひぃいいいいいっ!?」
目を見開き細く怯えた声を出しながら、少年は左手を後方に向けて伸ばす。
その手首から先が、無い。
「はやくぅぅぅっ!!」
懇願らしき言葉が終わるや否や少年が引っ張られ、ザルドと共に棘熊から滑り離れていく!「再生だ」と、ザルドは悟った。左手の先を誰かに引っ張らせながら、腕を治してしるのだ。
「やっ、やったっ!」
「バカ野郎ッ!やってねえ!全然逃げられてねえぞ!」
彼の言う通り危機は終わっていない。
棘熊がキックスタート。鋭角的なホッピングとでも言うべき動きで彼らに追い縋り、すぐ後ろに付けながら棘だらけの前足を振りかぶる!
「うああああああっ!?」
世にも情けない驚愕の一声を合図にしたように、熊の後ろ足がすっぽ抜けた。
〈み゛ィィッ!!〉
そいつの進行方向にあった地面一帯が水分を多く含まされ、緩い土になっていたのだ。そこを思いっきり後ろ向きに踏んだことで、前へ転倒、顔面で地を削りながらの停止を余儀なくされる!
直後、二人の視野が閃光で埋められた。
失神したかと錯覚させる網膜の白焼けと、鼓膜を針で突くような耳鳴りに襲われ、それが正常に戻った時、彼らは柔らかな泥に受け止められていた。
「言っときますけどぉー、エレノア様のご命令!だ!か!ら!手を貸したんですからねぇ?」
傍に立つメイドが、少年に向かって小言を降らせる。
「仲間だからお願いを聞いてくれたーとか、都合よく解釈しないでくださいねー?本当はそんなエリマキ猫なんか、見捨てても良かったんですから!」
水を操る彼女が、少年とリカントの間一髪を掬い取ったのだ。
「はっ、はいっ、ありがとうございますっ、ペイルさんっ!助かりました!」
ザルドはなんとか自力で起き上がる。
そこに並ぶのは、たった今熊を撃った砲兵を始め、ライセル達残存監督官と、生き残った囚人や非戦闘員。
その中でも一際存在感を放つのは、ある主従二人。
「……ペイル、変化の用意を」
白き淫美、主たるエレノアが、
従者たるペイルに、苦渋の命を下した。
「えっ、エレノア様……?」
「最悪の場合、ここに居る毛玉と棒切れどもを、まとめてあなたが運びなさい」
「なんでそんな後ろ向きな——」
メイドの疑義には、すぐに答えが与えられた。
〈み゛ィイイイィィイイィイイアアぁぁぁアアアアァァァーーーッッ!!〉
「……っ!」
「そ、んな……!」
「……ま、そんな気はしてたぜ、俺は」
魔導砲の着弾地点、そこに立ち込めた黒煙を切り裂き、堂々たる立ち姿が現れる。
棘熊には、目立った傷一つ付いていなかった。
「もっ、目標沈黙せず!」
「第二斉射放てぇーっ!第一砲列は冷却急げ!」
監督官達は諦めを見せず、粛々と波状攻撃を進める。体力の限り手を動かし、喉を酷使し、教科書通りの手順を遂行、弱気を圧殺せんとする。
だが誰もが、内心うっすらとだが、察し始めていた。
「奴は、それでは殺せない」、と。




