14.危機感
らしくない。
それは分かっていた。
傲岸不遜、高慢で利己的。“エレノア”とは、そういうエルフだ。
そうでなければならないのだ。
そんな彼女が、特別に心を開く。その演出を利用してきたからこそ、少なくとも最近まで、彼女は上層で生き残れていた。血統主義の伏魔殿から追われる、それまでの執行猶予を得られていた。
誰もが彼女を見誤っている。彼女に抱く印象をコントロールされている。
それほどまでに、彼女は自身の出力を、上手いこと制御できていた。
他者への見せ方を、掌握していた。
そんな彼女はこのところ、自分の姿を見失うことが続いている。
洞窟の中でライトを消したように、客観視点が立ち消えて、暗黒の真空にプカプカ浮かんだ、迷子になる例が頻発している。
原因と思われるものは二つ。
これまで慎重に積み上げた立場が、一瞬で瓦解したこと。
そして、あの少年に、ユイトに出会ったこと。
主要な因子は前者だ。彼女の頭の中、冴えている箇所が言う。
今までずっとやってきたその印象操作に、意味なんてなかったのではないかという疑念が湧いて、そのせいで緩んでしまっているのだ、と。
だが、彼女がこの問題について考え始める時、いの一番に浮かぶのは、いつだってユイトの顔だった。本能的な部分が、「後者だ」と叫んでいるように。
彼女はそれを否定しようとする。水面に映る景色を崩すように、その手で掻き消そうとする。そうしたら、また別の景色が投影される。彼の様々な言動が、ランダムに再生される。
頭を割られる痛みと恐れより、真実を語らない不義を拒絶した。
肉盾に使われ槍で刺されるという仕打ちの中、最も有効な行動で応えた。
主の誇りを守る為、陰惨な自壊すら手段にした。
そしていつも、いつもそうだ。
あの目。
大した力も持たない、硬さも鋭さもしなやかさもなく、蝿のように落ち着きがなくて、ガラスみたいに脆い黒色。
あれが彼女の銀色を映し、「大丈夫ですか?」と訊いてくるのだ。
彼女に常に圧倒されている、矮小な俗物。
殺気どころか敵意だけで、あっさり動けなくなる弱者。
それが、時に激しい苦痛の中にありながら、まず彼女の心配をする。
「もう厭だ」「助けてくれ」よりも先に、「怪我はないか」と案じてくる。
優しさだとか、嘘をつかないだとか、他者を優先するだとか、そういう美徳は、それしか武器を得られなかった、持たざる者達が好む言い訳。「何も出来ない」を「何もしない」と言い換えて、他者に認めて貰おうとする甘え。
その筈だ。
だが彼は、体も心も弱いのに、自尊も自信も持ち合わせていないのに、彼女を第一に置いている。過信も蛮勇もなく、ただ思い切りだけが良い。
自分が酷い目に遭うのが何より拒みたいこと、という、魂から来る悲鳴を、彼の全身はいつだって如実に叫んでいた。だと言うのに、その声を止めたり、心変わりの気配を見せたりしないまま、身を捨てる「厭な」行動にひた走る。
全身を叩き砕かれ、内臓を貫かれ、筋繊維をブチブチ千切る。
それが当然とでも言うように、根源的な願望とは正反対の方へ、強行突破をし始めるのだ。「彼女に損害を与えない為に必要」、その条件設定が生じた瞬間、突然に。
有能アピールや下心で、彼女のご機嫌を取っているのか?つまり、自らの勤勉さや苦労を見せて、存在価値を承認して貰いたいのか?それにしては、あの目に“媚び”が無さ過ぎる。
あれは、彼女にとって良いか悪いかに、本気で心を砕いている顔だった。真剣に、自分事として、頭を悩ませ、焦燥していた。自らの力不足を、その身を焼くほど悔しがっていた。
もしあれが演技なら、相当なやり手と言っていい。潔く降参、拍手喝采である。
唯一通りそうなのは、彼女の固有魔導の影響を受けて、思考や情緒に不具合が起こっている、という説明。
だが、彼女の知っている壊れ方ではない。
彼女は“実体験”として、自らの力が知性にどう作用するか、それをよく知っている。
彼女の力の影響が軽度に留まった者では、その症状が持続しない。
では重度に至った者は?知的な受け答えなど出来ない。獣か石ころの同類になるだけだ。
よしんば奇跡があって、重症と知性が両立できたとして、生まれるのは単なる機械、上辺だけ受け答えが出来ている風の傀儡。
「これをやれ」と言われたらやる。けれど、命令に籠められた意図は読み取らず、熟考して最善を検討することもしない。
例えば目の前に深い渓谷があり、その向こうにある花を取って来させたいとする。
命令すれば、傀儡は喜んで実行する。ただし、どこかに橋を探したり、或いはそれを作る方法を探したり、ということはしない。
崖を伝って降り、這い昇り、花を摘んでから、帰りもそうする。何の疑問もなく、その高リスクな方法を試みるだろう。その過程で花を潰すかもしれないが、平気な顔でそれを渡してくるだろう。
つまり、それには常識や恐怖といったタブーの概念が、「やってはいけないこと」がない。
ただのプログラムなのだから、言われた通り愚直に動くだけ。
ユイトは違う。
一つの言葉からその後を推測する明敏さを示し、言われた以上のことをやろうとして空回り、自らが他者に与え得る加害を強迫的に忌避し、命の危機が来れば恐怖心に縛られる。
そういった、うざったいほど繊細な心を持ちながら、
体はいつだって、彼女に都合が良い行動を取る。
賢さと発想力と臆病さを持つ死兵。
「頭脳明晰な狂戦士」と同じくらい、馬鹿馬鹿しい言葉だ。
あれを不良生徒扱いしたという学び舎は、それでは何を育てることを目指していたのか?想像の及ばない領域である。
異世界の教育カリキュラムについては置いておくとして、話を戻そう。彼女の大雑把な力では、そんな複雑怪奇な精神構造を、造形できないという話に。
最低でも、無意識に漏らした微量のマナでは、決して実現し得ない。
不死体質の副作用?
なってからまだ1年——それを短いと思うのはハイエルフ特有の感覚だが——、痛覚の麻痺や飛躍的な身体能力の向上等が起こったわけでもなく、虚弱な肉体や死への忌避感がそのままなのに、心だけが大きく変質するなど、あるだろうか?
と言うか、何度も言うように、発露している部分だけを見れば、どこまでも常人の性格でしかないのだ。それでいて行動が、大胆を超えて異常なのだ。「死なない」のがどうこうという問題ではない。
エレノアは最初、ユイトに怒りを感じていた。
弱さを「良い所」と言い換えて、誰かの慈悲を啜れるのを待つ、卑怯者としての在り方。“悪”の利潤を得ながら、表向きそれへの批判だけして、善人の顔と甘い蜜の両取りをする、一方的受益者。そう見えていたからだ。
物を知らないが故に、意図せずその手法を選び、無辜の民であるつもりで生きる、その愚劣な鈍感さがあるように思えて、憎らしかった。
だがその評価は、撤回せざるを得ない。
ユイトは、愚かではない。
「正しさ」の矛盾に苦しみ、独善に転がり落ちまいと踏み止まる。それができるくらいには、その視座は高い。
ただし、バカではある。
「バカ」、そう、バカなのだ。
それが最も適切な言語化である気がする。
あれほどバカなのは、今まで見たことがない。
あれは、一種の熱病だ。
空気を媒介に、周囲に伝播していく、魂の温度。
彼を起点に、様々な者が影響を受けている。
力と残虐さが全てな“廃棄部隊”達の、ユイトへの態度。それは確実に変化していた。
好意的に転じた、まではいかないが、道端のゴミを見る目では無くなった。
間合いを測るべき相手として、明らかに意識が対等に近づいた。
あの堅物の監督官とも、いつの間にか普通に会話をするようになっていた。
その余波で、ライセルのエレノアへの当たりも、徐々に弱くなり始めていた。
そしてエレノアも——
——楽しそう?
らしくない。
“淫涜の天幕エレノア”が、奴隷と楽しげに談笑するなんて。
それはこれまでの彼女と、全く結びつかない姿。
彼の瞳に映る令嬢は、まるで自分じゃないみたいで。
——そんなことはあってはならない!
そんな様子、彼女が作るべき貌から、あまりにもかけ離れ過ぎている。
手放すべきだ。
彼女はその結論に着地しようとしていた。
周囲から見た“エレノア”が、制御を外れて独り歩きしている。
それが何を起こすか、彼女に何を齎すか、分かったものではない。
彼女は完璧でなければならない。
細部まで計算され尽くした彫刻芸術でなければならない。
あの異常な少年が、彼女を変質させてしまうなら、そんなものは確実に排除されなければならない。
不用意に弾み、くるくると惹かれ、どれだけ律しようと安らぎに包まれる。
そんな感覚は、危険だ。心地が良いからこそ、断つべきだ。
彼女に隙を作り、堕落させ、死と番わせようとしてくる仲人。
毒だ。
故に、触れられないほど遠くに、捨てなければならない。
折角それなりの値を払ったのに、などと言ってはいられない。どうしても惜しく感じてしまうなら、襲撃を受けた時にペイルを殺さずに済んだという点だけで、元を取ったと思えばいい。
傷が広がる前に、損切りするべきだ。エレノアはそうしなければいけないのだ。
彼女がそれを密かに決めた頃、ライセルが深刻な顔を作って、報告書を持ち込んできた。
ユイトが見つかったドワーフの砦、そこで何があったのか、調査によって判明したことが書かれていた。
その要塞は、エリーフォン軍に完全に包囲され、封殺されていた。
長い間、負けがほぼ確定したその状態で、籠城を続けていたのだ。
ユイトが落っこちてしまったのは、そんな、亡者達の群れの中だった。




