2.どこにでもいる少年の話 part1
「先輩、クロキ先輩」
ビクリと心臓が跳ね、返事をしようとして喉を詰まらせてしまう。
視線を上げると、鳳蝶朱裡さんの綺麗な顔が、踊り場から僕を見下ろしていた。
最近は寒くなり始めて、なんだか朝の景色も、灰色がかって見えるようになってきた。そんな空気感の中で靡いた、彼女の赤茶のウルフヘアーは、網膜を掻くみたいに鮮やかで、付近の大気に色を滲み出させてすらいる。
空手をやっているからか、背筋に鉄の棒が入ってるみたいに真っ直ぐな彼女は、スレンダーな体型も相俟って、まるで一本の絵筆のようだった。
「え、えっと、僕?」
「あなた以外に“玄桐唯仁”が居るんですか?ボサッとしてないでさっさと返事をしてください」
「ご、ごめんっ。おはっ、よう……?」
口元を覆っていたマフラーを下げ、途中で声を裏返しながら、どうにか言葉を搾り出す。挨拶一つにも何段階かの手続きを踏む僕の様子に、アゲハさんの鋭い眼差しは、ますます冷たさを増していった。
「なんでキョドッてるんですか?ヘンなこと考えてるみたいで気持ち悪いですよ?」
「ごめん……」
「脳死で謝らないでください。クネクネするのもやめてください。少しはじっとしてられないんですか?」
言われてなんとか静止を試みるけれど、人目に付く場所で怒られる居心地の悪さから、両手の指先をモジつかせてしまう。それを見たアゲハさんは、家の中に大きめの虫を見つけたような顔をして、
「きっも」
たぶんそうボヤいた。
「クロキ先輩、今日は確か、バスケチームでしたよね?」
「え、あ、うん……」
今日は一日、球技大会だ。
運動神経がお世辞にも良い方ではないので、サッカーとかそういう、目立たない人が混ざってても良さそうな競技を希望してたんだけど、なんかこう、流れと言うかノリと言うか、いつの間にか、バスケに参加することになっていた。
練習とかはしたんだけど、不安しかない。なんか大きなやらかしをするのではないかと、今日も朝からしょぼくれていたところだ。
「私、アオバ先輩を応援しに行く予定なので、あまり視界に入らないようにしてくださいね?不快なので」
青波雄介。バスケ部レギュラーで、さっぱりした好青年。学園祭のクラス打ち上げとかで幹事をやったりするような、自他共に認める教室の中心人物。
女子人気も当然高く、特にアゲハさんとは「良い感じ」……らしい。空気が読めていないと日頃から指摘される僕は、特に人の機微について、適当な決め付けはしないよう自戒している。
「あ、うん、別に、僕なんかほっとけば、へへ、勝手に試合から、フェードアウトするし……」
「は?誰がクロキ先輩に『活躍するな』って頼むと思ってるんですか?逆ですよ。トロくさい動きで悪目立ちして、不快指数を溜めるな、って言ってるんです。お願いですから、人並みに役に立つくらいはしてください」
「あ、え、あ、うん、ごめん」
「なんでちょっと期待されてるスタンス取ったんですか?身の程を知ってください。普通に不愉快です」
「っそ、うだよね……ハハ……」
仰る通り、僕がファインプレーで注目を掻っ攫うなど、天地が引っ繰り返っても有り得ないことだ。自分に対してそういう信用は抱いてないつもりだったのに、どうしてそんな勘違いをしたのだろうか?
調子に乗って先走った感じになってしまい、耳がカッと熱くなる。アゲハさんと目を合わせられず、笑っているのか曖昧な息を、俯きながら漏らすしかできない。
「お願いしましたから」
そんな僕が復調するのを待ってくれるわけもなく、ジャージ姿の彼女はそれだけ言って、視線をこちらから斜め上方へと移し、
「あっ!アオバせんぱい!おつかれさまです!」
パッと花開くように表情を明らめ、駆け足で上階に消えていった。どうやらアオバ君を見つけたらしい。
彼女のように、彼の活躍を期待して見に来る人は、きっとそれなりに居るだろう。それも男女問わず。その楽しい学校行事の思い出が、僕みたいなノイズのせいで、ぶち壊しになってはいけない。
胃のあたりくる痛みを、「がんばらねば」という決意で押し殺し、段を昇るべく重くなった足を上げた。
結論から言えば、「決意」は全くの無意味だった。
決勝まで勝ち進み、恐らく盛り上がりのピークとなった試合。そこまでほぼ出番ナシだった僕に、何故かやたらとボールが回ってきた。
そして最悪なことに、玄桐唯仁とかいう男は、会場内の熱気に中てられ、ガチガチに緊張してしまっていた。そこから導かれる現実は、その通り、ミスの連発だ。
吹き出る汗は溶岩みたいに熱く、肺はキリキリと締め付けられて寒気を訴え、胸や肩が勝手に上下するから、余計に体が思うように動かなくなる。
「そんなに僕にチャンスを与えても、奇跡なんて起こせないよ!」と、運命の神様を呪っている間にも、ボールは何度も僕の手元に来て、そしてあっさり奪われていく。
僕は何度も相手チームのカウンターの起点になり、ボールを持っただけで失望の吐息が聞こえ始めて、遂には憎悪の高まりが肌で感じられるほどになった。
アオバ君はそんな中でも、3ポイントやダンクシュートを決め、奮戦していた。けれどほとんどの好機が、僕の手によって相手の得点チャンスになる状態で、まともな戦いになるわけもなく。
試合結果から見れば、ボロ負けも良い所だった。
「ざっけんなクロキー!」
その野次の主やアゲハさんが、どんな顔をしているのか。それが怖かった僕は、最後まで見学者の方を見れず、試合後の礼が終わるや否や、逃げるように教室に走ったのだった。
「本当にごめんなさい!」
その日の帰りのHRで、僕はクラスのみんなの前で頭を下げていた。
アオバ君から、「そういう場を設けるべきだ」と、先生に提案してくれたのだ。
「はーい。というわけで、今日のことは皆さんの広い心で、水に流してあげましょう?彼にも良くないところはあったけれど、私も昔は——」
それから担任の茶野木先生の話が終わり、放課後になるまで、2~30分ほどだったろうか。僕は全員の注目を受けたまま、ずっと立っていることになる。一人一人の視線がチクチクと刺さるようだったけど、失敗したのは僕なのだから、甘んじて受け入れるしかなかった。
「マージでサイアク。おいクソキ、テメーがクソなせいでサヤセンの長話につかまっただろ」
「ご、ごめん……」
「こっから打ち上げあるんだけど?あーあー大事な時間が削れたわー、だっっっっる」
「その、ほんとごめん……」
「ごめんごめんって『ごめん』は魔法の言葉じゃねーよカス」
「まーまー、そろそろ行こうぜ?」
着崩した制服にマスク姿、豊かな髪はピンクのインナーカラーで染めたオシャレ女子、桃原亜里沙さんに詰められているところに、アオバ君が助け舟を出してくれた。
「だってさぁー、こいつずっとグシャグシャな顔して、イラつくってゆーかさぁー。ナニソレ、マジグロい。グロキショなんだけど」
「ごめん、その、は、はずかしく、って……」
「ハズいならそもそもあんなプレイングすんなよなぁー」
「アリサ、ほら、期間限定のスポンジケーキみたいなの食いに行くんだろ?」
「ティラミスなー!いくいくー!」
彼女の機嫌がケロッと直ったのを見て、彼の人徳の凄まじさを再確認していると、自在箒を手渡された。
「じゃ、あとよろしくな」
「あ、うん」
足を引っ張って、たくさん迷惑を掛けた僕を、アオバ君はフォローしてくれたのだ。
掃除当番を引き受けるくらいはしなければ、釣り合いが取れないだろう。
「あとお前、打ち上げ費用も出せよ」
「えっ、あの、それ、全員分……?」
2年C組は全部で40人いるから、一人1000円に抑えても4万円くらいに……
「そこまで言ってねえって!2万でいいんだよ2万くらいで!」
「あ、ああ、うん……」
「なんだよぉ嫌なのかー?ケチくさいヤツだなぁー。お前みたいなドン臭セーハンザイシャ受け入れてやってるクラスメイトに、『謝ろう』って気持ちは口先だけかー?」
「あっ、いやっ、あっ、そ、うじゃなくって、ホッとしたって言うか、なんとかその、出せる、金額だったから」
「おっ、マァジィ?なぁんだ、ちゃぁんと償おうって努力してんじゃん。感心感心」
彼の笑顔に安堵を覚えながら、財布の中のありったけの紙幣を渡す。
「えっ、クロキ君?」
ちょうどその現場を目撃した、眼鏡にポニーテールのクラス委員長、上白春子さんが目を丸くして、
「来るの?打ち上げ」
恐る恐る、そう訊ねてきた。
「いやいやっ、いやっ、僕はその、水を差すと、いけないし、お金だけ……」
「あっ、そうなんだ」
安心した様子の彼女を見て、僕も胸を撫で下ろした。
1学期の頃の彼女は、孤立しがちな僕を気遣ってくれていた。だけど、彼女が失くしたハンカチが、僕の机からびしょ濡れの状態で見つかってからは、距離を置かれてしまっている。
身に覚えのないことだったから、そう弁明したけれども、みんなを信じさせることが出来なかった。有効で説得力のある反論や証拠を提示できず、そのせいで今も、彼女を怖がらせてしまっている。
いや、彼女だけじゃない。論理的な説明も、人から信用されるほどの人間性や日頃の行いも、僕が何も持っていなかったから、クラスのみんなに不快感を与えてしまっているのだ。
だから償わないと、って思ってはいるものの、何をやっても今日みたいに、却って嫌な気持ちを増やす結果となってしまう為、頭を抱えている。無実を証明する方策も思いつかないし、本当にどうしようもないポンコツ野郎である。
結局、出来る貢献はこういう、掃除当番を代わるとか、金銭を差し出すとか、努力とか能力とか誠意とか、そういうの無しでもできるものに限られてしまう。
愚図で無能だと、謝罪さえ満足にできないらしい。
「よーし!2万円分まで無料クーポンゲーット!好きなだけ食っていいぜ!」
「全部打ち上げに使ってくれるの?すっごー!」
「まぁじぃ?ふとっぱらー!」
「よっ!俺達のアオバッ!フゥッフゥッ!」
「モテる男は違えなー!」
「ハルちゃんダイジョブ?なんか話しかけられてなかった?」
「うぇっ、マジ?こっわー!こわ過ぎキショ過ぎなんだけど」
「ちょっ、アリサっ、『グロキ』って、ふくくくっ、ヒデーっ!」
「『うっ、あっ、あっ、うっ、ごめんなさ~い』」
「ハ!ハハハハハ!うっま!にてるー!」
楽しげに沸く声が遠ざかっていくのを聞きながら、少しはみんなの楽しみに貢献できただろうかと、そう願いながらテキパキと作業を進める。
一人でやる掃除も今や慣れたもので、すっかり板についてしまった。将来は清掃関係とかもいいかもしれないが、その為にはもっと筋肉とか付けないとかな?
「クロキ先輩?こんな時間まで何やってるんですか?」
「うわっ!?」
と、完全にリラックスした超油断状態だったから、急に後ろから声を掛けられ、跳び上がりそうになってしまった。と言うかちょっと浮いた。
「あ、アゲハさん……!びっくりしたー……!」
「こっちのセリフですよ。まだ居たんですか?」
「アゲハさんこそ、いいの?アオバ君はもう打ち上げ行ってるよ?」
「………」
彼女は胡乱げな視線で、教室を墨から隅まで洗ってから、
「先輩一人ですか?」
と険のある声で訊いてきた。
「ああ、うん。どうせ、のんびりでも良いんだし、なら、しっかりやろうって……、そしたら、こんな時間に………」
なんだか問い質されてるみたいに思えて、弁解めいた物の言い方をしてしまう。別にこれに関しては、何の引け目も無い筈なのに。
「押し付けられたんですね」
「ちっ、ちがうよ。僕とみんなとで、納得し合ってのこと、だから」
「なんですかそれ?逆らえない弱っちさを誤魔化してるんですか?」
「そ、そうじゃないって……。僕、やりたくてやってるから、誤解でみんなを、悪く思わないで欲しくて……」
「はー……、ダッサ」
「クロキ先輩は人をムカつかせる天才ですね」、と、深い溜息混じりに言われてしまう。ここで、どうして彼女が怒っているのか、それが解らないから、僕はダメな奴なんだろう。
「抗議しようとか、思わないんですか?」
「なに、を?」
「自分の扱いについて、ですよ」
「う、うーん……、別に、不満は無いし……」
「そんなわけないでしょ、いい加減にしてください……!」
彼女が纏う空気が、その細い喉が掻き鳴らす言葉が、どんどん尖りを鋭くして、僕にグサグサ突き刺さる。
やってしまった。察しの悪さで人の堪忍袋を破るのは、これで何度目だろう?何が地雷だったのか、思い返してもまるで見当がつかないあたり、玄桐唯仁の人格破綻ぶりが窺える。
「もう『良い人』のフリとかやめてくださいよ……!クロキ先輩は、ただ腰抜けなヘタレ野郎なんですよ……!傷つくことが怖いだけの卑怯者なんですよ……!言い訳しないで認めてください……!」
「う、うん、それは僕も、そうだと思うよ……?」
「だから……っ」
“その時”は、そこでやって来た。




