善性
◆
ルナは白いドレスのまま、足早に街を行く。もう緑のドレスにはなれないし、着替えるための少しの魔力も惜しい。怪我人の治療のために、魔力は温存しておきたい。
避難する人々は、街の反対側に向かっている。学生たちも点呼が終わり次第、避難を開始するかもしれない。後ろから付いてくる二人に苦言を呈す。
「あなたたちは早く戻りなさい!」
ルナの後ろには、ロウリとイヴが付いてきていた。
「手伝います! 治癒魔術は使えませんけど……」
「私も治癒魔術を見てみたい」
「あのね。遊びじゃないんだって! 魔物がいるかもしれないんだよ」
ルナの言葉に、イヴが返す。
「それを言うならルナも同じ」
「私は治癒魔術師だし、実戦経験者!」
「でも、勝手に動き回っていいわけじゃないですよね?」
「この……」
生意気な二人を怒鳴りつけたくなるが、ここで無理に振り払うと二人だけで街に置き去りにすることになる。この街に来たばかりのイヴなどは、学園の帰り道すらわかっていない可能性もある。
「……っ。もう! 離れないようにしてよ!」
「え……。はやっ!」
ルナは駆け出す。鍛えられたルナの脚は、相当な速さである。
ロウリもイヴもほとんど全速力で駆ける。ついていけそうにない速度だったが、なぜか二人は余裕があった。
ルナの紐が二人の胴体に巻き付き、走るのを補助すると同時にはぐれないようにしていた。これでは見た目が犬の散歩だが、今は誰も気にする人はいない。
「キャハハ、はや! 脚、早っ!」
いつもと違う感覚に、イヴとロウリは楽しむ。
「ルナさん! どこに向かってるんですか⁉」
「血の臭いがする方……。二人とも止まって」
ルナが突然止まるので、二人はつんのめる。ルナが紐で支え、地面に転がるのは阻止した。
「急に止まる……な」
イヴが文句を言うが、ルナの真剣な顔に口を閉ざす。
ルナの見つめる先を見た。曲がり角の向こうから、赤い液体が飛び散っている。血だ。
「二人ともよく聞いて。付いてきた以上、覚悟してもらわないといけない」
「覚悟……」
「何があっても、叫ばないで。吐き出さないで。取り乱さないで」
「わかりました」
「……そんなことを、あらためていう必要ない」
ルナは溜息を隠さず振り返る。そのまま血の流れる通りへと出た。
人が倒れている。ひとりではない。五人の兵士が血を流して倒れていた。血の海にルナは眩暈を覚える。
胃がひっくり返る音がした。イヴが道の端に座り込んで嗚咽を漏らし始めた。いくら生意気を言おうと、生理現象には逆らえない。血に慣れているルナでさえ、気分が悪いのだ。まだ、幼い二人には酷な場所だ。
ロウリは口元を押さえながらも冷静に言う。
「そんな……。こんなところにまでもう魔物が……」
「ロウリ。イヴの近くにいてあげて」
「わ、わかりました……」
ロウリも顔色が悪い。とにかく、この光景から目を離させた。
ルナは血に塗れ倒れている男性に触れた。まだ暖かい。それだけではない。男性は触れられた感覚に反応したのか、うめき声をあげる。
「まだ、生きてる!」
ルナは治癒魔術を使おうとして、違和感に気が付く。感覚を引き伸ばして、他の人たちの生死を探る。
全員が生きている。手傷を負っているが、気絶しているだけだ。
それならば治癒魔術を使う前に、全員の止血だ。
皆、刃物による裂傷である。肉厚の鈍い刃である。
ルナはドレスが血で汚れるのも構わず、細い紐を作り出して針のように尖らせ、その傷口を縫合する。
他の人も手早く縫合し、止血を終えた。今にも事切れそうな人にのみ、治癒魔術を使う。魔力の消費を限界まで抑える。まだ、他にも大勢の怪我人がいるかもしれない。
全員を救えたことに安堵する。だが、何か妙だ。
どうしてここまでして、魔物はトドメを刺していかなかったのだろうか。
(斧のような重い武器による傷……。殺さない方が難しい……)
わざと怪我だけを負わせ、救出や治療に戦力を削ぎ、敵をおびき寄せる戦法があるとアルフォンスの講義で教わった。
そんな外道な戦法があるのかと、ルナは嫌悪を覚えたものだ。同時に、治癒魔術師を疲弊させるのに、効率的な作戦だとも思った。
今、ルナはその攻撃を受けているのではないだろうか。
「ルナさん!」
ロウリの切羽詰まった声が聞こえ、ルナは振り返る。大斧を振りかざした大男が、ルナの背後に立っていた。
刃が振り下ろされる。
警戒していたので、避けることは可能だった。だが、それをすると背後の怪我人に攻撃が当たる。ルナは避けずに両手で頭を覆うようにして、刃を受けた。襲撃者は頭を狙い、確実にルナの即死を狙ってくると思っていたので対応できた。
切れ味の鈍い刃である。肉と骨を強化し、それで何とか耐えようとしたのだ。骨は折れるだろうが、治癒させれば何とかなる。
しかし、ルナの予想にも、襲撃者の予想にも反して、肉厚の刃は鎧に受け止められたかのように止まる。
「え?」
「ナニ⁉」
衝撃が襲撃者の筋肉と、ルナのドレスを揺らした。
襲撃者は止まった大斧に困惑する。彼は人ではなかった。オークだ。
「穿つ火精! 矢となり走れ!」
ロウリの呪文が放たれ、三つの炎の矢がオークを撃つ。だが、その剥き出しの皮膚に直撃したのにも関わらず、オークの襲撃者は怯みもせず、今度はロウリに向かって走り出した。
「え?」
そのスピードにロウリは反応すらできない。走馬灯すら感じることもできない。
その斧が振るわれる前に、ルナの紐がオークの手足に絡まり、動きを止めさせる。ルナが手を大きく振ると、オークの体は浮き上がって、家の屋根へと激突する。
「ロウリ、イヴ! 怪我人たちを学園まで連れて避難して! 私はこいつの相手をしなきゃならない!」
ルナはその勢いのまま跳び上がり、さらにオークの襲撃者を投げ飛ばす。
「ルナ、どうやって……」
イヴがその指示に困惑している間に、ルナは屋根の向こうに消えた。
五人の兵士を運ぶことなど、イヴと二人では無理がある。魔術があればできるのかもしれないが、ロウリにもイヴにもそんな力はない。
結局、何もできなかった二人は、無力感の中に置き去りにされた。
◆
オルシアが風の力でルナを探す。だが、ルナはすでにかなり遠くに行ってしまったようだ。探すのに時間がかかっている。
ゴーレムたちの誘導で、学生たちの避難はスムーズに行われている。避難と言っても街の反対側の地区に移動するだけだが、少なくとも戦闘からは遠ざかれる。
街には相当数の魔物が侵入してしまったようだ。軍としては、かなりの失態である。
「お父さまがいれば……」
コルブレルがいればもっと早くに魔物に気が付いて、こんなことにはなっていなかったはずだが、言っても仕方がない。
本来なら集中しているオルシアに話かけるべきではないのだが、校門の前で立ち止まってしまったオルシアに、ロバルトは声をかけた。
「オルシア。見つからないなら、メルビム先生のところに戻ろう。あの人がいる場所なら、安全だ」
「待って。誰かが戦ってる音がする。多分、この反応が……」
複数の丸い浮遊杖が、複雑な動きで気配を示している。オルシアはその動きを見て、顔を上げた。
「誰か……来る」
オルシアの冷たい声色に、ロバルトは警戒し杖を構えた。味方ではなさそうだ。
通りの向こうから、女性が歩いてくる。露出の多い女性である。
暗闇に浮かび上がる白い肌がまぶしい。ディルタが喜びそうな格好だが、この寒空の下ではロバルトには薄ら寒く感じるだけだ。
その女性は、オルシアに良く似ていた。オルシアがもう少し大人になれば、あの女性のような美しさを手に入れるだろう。姉妹だと言われても信じてしまいそうだ。
シェイプシフターかと考えたが、その赤く輝く瞳が、吸血鬼だと伝えている。
「あらあらあら。まさか、あなたに会ってしまうなんて。先に片付けたい用事があるのだけれど」
女吸血鬼がロバルトたちに声をかけてくる。
「おめかしして、どうしたの? 今の学園の制服は……。ああ! 年末のダンスパーティだったのね! それはごめんなさい。邪魔をしてしまって」
オルシアもロバルトも、パーティの衣装のままである。この吸血鬼は学園の内情に詳しい。だから、ここに来たのだろう。
吸血鬼の態度に困惑するロバルトだったが、オルシアの手が震えているのはわかった。呼吸が乱れ、目を見開いている。こんなに怯える彼女は初めて見る。
「お母さま……」
呟かれたその言葉に、ロバルトは仰天しそうになるが、なんとか堪えた。
「久しぶりね、オリィ。ずいぶんと大きくなったね。もう私と同じくらいじゃない。ベッドで寝ていなくていいの?」
オルシアの母は優しい声色で言う。だが、剥き出された牙が、その言葉に狂気を孕ませている。
かつて、優しく強かった懐かしい姿のままの母が、目の前にいる。それなのに、それを母とは思えない。凍り付くような恐怖が、オルシアの筋肉を硬直させる。
ロバルトはオルシアをかばうように前に出た。
「オルシア、下がっているんだ。オレがやる」
呆然としていたオルシアは、ロバルトの言葉に我に返る。
「……ロバルト、一緒に戦う」
浮遊杖から、隠されていた刃を剥き出しをする。
「まぁ……。お母さま、悲しい。せっかくの再開なのに、いきなり戦うつもりなんて……」
ルミリア・イーブンソードは元七魔剣。アルフォンスと同等か、それ以上の武闘派の魔術士だったとロバルトは聞いていた。
そして、彼女は死んだはずだった。いや、ある意味では死んでいる。目の前にいるのは、歩く死体。吸血鬼の王によって、吸血鬼の従徒に堕ちた、不死の魔物だ。
不意に風が止んだ。遠くで聞こえていた警鐘の音が止まり、どこかから戦いの音が代わりに伝わってくる。それがより一層、人のいなくなった街を寂しくさせる。
静寂の中、ルミリアが剣を鞘を擦る音が異様に響いた。
同時に殺気がロバルトを襲う。本能が、吐き気を催すほどの恐怖を沸き上がらせる。
オルシアが果敢にも、ルミリアに質問した。
「お母さま。
もし、人に戻る方法があるって言ったなら、降伏してくれる? 私は吸血鬼を人に戻せる魔術を知っている。だから……」
吸血鬼は口元を押さえ、目に涙を浮かべた。
「……オリィ。嬉しい。私のためにそんな魔術を会得してくれたのね。なんて、やさしい子なの……」
「お母さま……」
ルミリアは突然、大きく口を開けて狂ったように笑った。その様子にオルシアは口を噤む。
「でも、愚かな子。こうは考えなかったの? 私が望んでこうなったって。
ね。わかっているのでしょう。もうすぐ、自分が死ぬことになるってことを。もうその体では、長くは生きられない。わかるでしょ、自分の体だもの。
あなたを置いては死ねない。私は生きるために、不死の体を選んだ。そして、あなたもそうすることになる。
一緒に逝きましょう。そうすれば、もっと世界は明るくなる。ずっと、パーティを楽しんでいられるの‼」
「…………」
ルミリアの言葉に、ロバルトはオルシアを横目で見た。その表情から、あの吸血鬼は嘘を言っていないと確信する。
オルシアが死ぬ。その言葉に動揺する。
「ロバルト、大丈夫だよ。ずっと、隣にいるから」
オルシアは落ち着いていた。
ルミリアは牙を湿らす。
「ね。こうしない? 私の邪魔をしなければ、そのロバルトって子とあなたは生かしておいてあげる」
「……邪魔ってなんのことだ。人を殺すのを黙って見ていろってことか」
ロバルトの質問に、ルミリアは微笑んだ。
「オルシアのことは……、まぁ、優先順位は低いからね。後にしてあげる。ロバルト、あなたも生きていたいのなら、この提案に乗ってほしい。
メルビム魔導師が、ここにいるでしょう。私の任務は彼女を殺すこと。
居場所を言ってくれれば、手間が省けるのだけれど……」
沈黙。小さな雪の結晶が、空を舞う。
オルシアは一瞬、目を瞑った。危険な行為であるが、そうするしかなかった。
そして、竜巻を纏う。それに合わせ、ロバルトも全身に霆を走らせた。
「ここを通すつもりはない。いいな、オルシア」
「うん。もう、この人はお母さまじゃない。容赦はしなくていい」
その様子に、ルミリアは不気味に口角を上げ、剣を構え直した。
「立派に育って嬉しいわ。ここで簡単に折れてしまう剣なんて、ほしくないもの」
ルミリアの瞳孔が大きく開き、戦いの興奮に染まるのを見る。
この殺気を受けて、また一瞬、足がすくんだ。だが、今はオルシアが隣にいる。彼女を一生守ると決めている。それだけで、この魔物に立ち向かうだけの勇気が湧いてくる。
ロバルトは短杖に、戦いの魔術を込めた。
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