均衡の刃
◆
「いいぞぉ! 転位したが、動いている! 実験は成功だ!」
ボレリリスが歯をカタカタと鳴らして喜んだ。シアリスはその背中を蹴る。
「どこが成功だ。街はあんなに遠いじゃないか」
遠くに見える巨大な城壁都市に、シアリスは嘆息した。ミルデヴァの街である。
「細かいことを……。全高56メートルの対象の転位ぞ。数キロ程度、誤差の範囲だ!」
「だったら……、その誤差修正のために、走らせろ」
「走らせる? 燃料が足りん。いや、よしんば足りたとしても、歩くのが精一杯だ」
シアリスは自らの影を広げる。その影から浮かび上がるように、グールたちが立ち上がる。
「お呼びでしょうか、シアリスさま」
「お前たちはボレリリスに従って、燃料となれ」
「……かしこまりました」
グールたちは開け放たれた窯の中に向かって飛び込んだ。グールが飛び込むたびに、火が燃え上がり、建物自体が振動する。
「おお、いいぞ! このまま前進せよ!」
地響きによって、足場の鉄板が擦れる音が響く。それは一歩踏み出した。
シアリスたちがいる場所は、建物なのではない。ティタンの背中に付けられた、動力コアの足場である。
巨大な人型の魔物の、その胸にある心臓部だ。
グールが燃え上がり、そのたびに窯から伝わる高熱の脈動が、ティタンの骨格を震わせる。
「ティタンゾンビ! さぁ! 蹂躙せよ!」
興奮するボレリリスを、シアリスは冷ややかな視線で見る。
「……わかっているな、ボレリリス。私の部下を使ったのだ。失敗は許さない」
シアリスに言われ、ボレリリスは剥き出しの歯をカタカタと鳴らす。
「こちらのことより、作戦を修正したらどうかね。予定通りいかないことはわかっていたはずだ」
予定ではティタンゾンビの質量によって、ミルデヴァの街に施された物理結界を破壊し、グールの部隊によって混乱させる予定だった。
「ルミリアとウィンブリルは予定通り、街に潜入してメルビムを殺せ。結界内では不滅者の力充分に力を出せないだろうが、ルミリア、君なら問題ないだろう。
僕はなるべく派手に動いて、注意を惹き付ける」
「かしこまりました。ご武運をお祈りいたします、シアリスさま」
ルミリアが言うと、影となって消え去った。
オークのウィンブリルは唸るように口を開く。
「おれは生命の魔女を狙うはずだ」
「もちろん。しかし、その生命の魔女を狙うには、周りの者を倒さない。見つけて背後から近寄れるとは思わない方がいい。
それに近くには『処刑人』がいるはずだ。俺が注意を惹くまで待っていることだね」
「……いいだろう。おれが死んだら、アルムゴッツさまには、勇敢に戦ったと伝えてくれ」
「フフフ……。君の頑張り次第だな、それは」
ウィンブリルは自分の歯を打ち付けて、承諾の返事とする。彼は足場から飛び降りると、ティタンの体を駆け降りていく。
「気が早いな。乗っていけばいいのに。
じゃあ、ボレリリス。せいぜい暴れて外に注意を引いてくれ」
「いいだろう! だが、踏み潰されても文句を言うな」
シアリスは黒い翼を広げ、夜空へと消えた。
前のように手を抜くつもりはない。デルクリムト将軍に宣言した通り、魔物らしくただ感情の赴くままに、戦って、戦い抜くつもりだ。
◆
ティタンゾンビの出現から、十数分後。
ミルデヴァの市長であるドラウス・ベルキオン伯爵は、魔道具であると望遠鏡を使って、平原に突然現れた巨大な人影を見た。
暗闇に浮かび上がる、赤熱を放つ巨人は、絶望の足音をともなって、街へとゆっくりと歩を進めている。
「さっきの音は何の音だったのだ」
「不明です。現在わかっていることは、対象は約50メートルはあるということだけです」
ドラウスにも他の兵にも、その音の正体はわからなかった。
巨大な足によって引き起こされる地響きの音ではない。それは巨大過ぎる物体が『転位』したときの空気の破裂音なのだが、そんなものを聞いたことがある者は、古今東西、誰も存在しなかったので、正体がわかるはずもない。
「まさか……、ティタンなのか。まだ、あんなものが生きていたと?」
誰に訊ねることもなく、ドラウスは言葉を吐き出した。
街の中央にある統律城のテラスからは、ミルデヴァの街だけでなく、平原を一望できる。
街の外壁門をはるかに超える巨大な魔物だ。ドラウスは見たこともない魔物である。
物語の中でしか出てこない魔物だ。対処法など確立されていない。ミルデヴァにあのティタンの巨体に対抗する設備はない。
ただその大きさから、通常兵器や小規模な魔術では、足止めすらできないだろうと見積もった。
「兵器の準備は進めているか」
「げ、現在、壁外の住民の避難を優先して行っており……。対空バリスタを、並行して準備中です」
「バリスタ? そんな玩具であれが止められるように見えるか! 投石機だ。投石機の準備をしろ!
住民は自主避難に任せろ! 兵が足らんのだぞ! 待機兵たちも叩き起こせ!」
「は、はい!」
指揮官が兵士に伝えると、手紙鳥に指示を書いて飛ばした。
「くそ。ロートベットがいないときに……」
ミルデヴァの防衛の主力は、魔術士兵である。その魔術士兵と、指揮官であるロートベットは、前線での任務に就いている。
「他の街から連絡は? どうやってあんな巨人をここまで運んできたのだ」
そう問いかけるが、答えられる者はいない。
「……フォルスターはまだ来ないのか!」
伝令の兵士が言いづらそうに口を開く。
「それが、姿がどこにも見えず……」
「な……」
この国の最高戦力であるアルフォンスがいるから、主力の部隊が前線に出ているのである。その最高戦力と連絡が取れないのでは話にならない。
ドラウスが罵りの言葉を口にしようとしたとき、街中で小さな鐘の音が鳴り響いた。
大きな警鐘は、大型の魔物。小さな警鐘は、小型の魔物を示す。街の中に小型の魔物が侵入したのだ。
「これは……、偶然ではない。魔王軍の攻撃なのか。やつら前線を飛び越えてきたのか⁉」
ティタンを魔王軍が戦力として有しているのであれば、その対応を考えなければならない。いや、今はそれどころではない。まずはこの街を守ることが優先だ。だが、戦力が足らない。
そのとき、テラスに一羽の鷹が舞い降りた。
「アルフォンス!」
ドラウスが鷹に駆け寄る。それはアルフォンスが良く伝令に使う使い魔である。名前は確か、キューリとか言ったか。変わった名前なので憶えている。
「申し訳ありません。ただいまアルフォンスさまは、街に侵入したヴァンパイアロードを追跡中です」
「ヴァンパイアロードだと⁉」
まだ遠くにいるティタンより、そちらの方が重大事項である。下手をすれば、街が壊滅しかねない。
叫び出したくなる気持ちを抑えて、ドラウスは藁にも縋る思いでキューリに問う。
「わ、わかった。そちらはアルフォンスに任す。他には何か言っていなかったか」
「はい。ここからは伝言です。
すぐにオド学園長、メルビム魔導師、他の学校の魔導師、魔術協会、各種商会の協力を仰いでください。
大手門を警備していた兵は、ヴァンパイアの襲撃により壊滅しました。大量の魔物が、壁外街から侵入しています。
オド学園長にはゴーレムを使って、住民の避難誘導をするように要請を。魔導師各位には魔術協会の指揮下の元、兵たちの援護を。傭兵、冒険者、狩人には、街の中の魔物の掃討を要請してください。
金銭はケチらないように」
「わかった……。わかっておるわ、そんなこと!」
アルフォンスはいつもひと言余計なのだ。
「聞いていたか! 直ちに要請を送れ! 国庫を開けて、金を見せびらかせ! 断るようなら、反逆罪で処分すると脅せ!」
「承知いたしました!」
国庫の金は国に納める税金である。つまり国王の所有だ。市長と言えども、それに手を付けることは許されない。それこそ反逆である。しかし、ドラウスは状況を正しく理解していた。
今現在、この街は存亡の危機にある。
戦力は足らず、未知の魔物が迫っており、街に凶悪な魔物が侵入している。ここを生き延びなければ、反逆も何もない。
◆
異変が起こる前。まだ門兵たちは暇を持て余していた。
日が沈んでも、門は閉まることはない。深夜の鐘が鳴るまで、兵士たちの業務は続く。
とはいえ夜も更けてくると、出入りは少ない。大抵は顔見知りが通るだけで、暇を持て余す。
そこに強烈な耳を劈く破裂音が聞こえ、兵士たちの眠気は吹き飛ぶ。
兵士だけでなく、市民たちも微睡みを抜け出して、外の様子を見はじめた。
兵士のひとりが伝声管で、外壁の上にいる兵士と連絡を取る。
「何があった。何の音だ」
『わからない。何かが平原の向こうで……』
そのとき、門の感知結界が作動し、近くに魔物がいることを知らせる警告音を鳴らす。ロートベットのゴーレムたちが自動的に動き出し、襲撃に備えた。
門兵たちも武器を構え、通路の先を見る。壁外はほとんど街灯がないため暗いが、壁を通り抜けるこの大手門のある通路は、夜輝石によって夜でも明るい。
だが、その夜輝石の光が陰る。何かの力に干渉され、光を失い、また灯った。
明滅などするはずのない魔法の石が、狂ったかのように点いては消える。ただならない雰囲気に、兵士たちは息を飲み、通路の先をじっと見つめた。
蹄の音が暗闇から響き、紫の輝きを放つ騎馬が速度を上げて駆けてくる。馬に頭はなく、その乗り手にも頭はない。
不死の騎士デュラハン。
無念の中に死んだ騎士は、悪魔によってその騎馬とともに、不死の魔物と化すという。
何騎もの首なし騎士たちが、暗闇を引き連れて駆けてくる。
「錨を降ろせ!」
年配の指揮官が叫ぶ。ここは船上ではない。錨などないはずだが、ここでは別の意味になる。
兵のひとりがレバーを倒すと、天井に固定されていた鎖が、振り子となって落下した。先端には返しのついた錨型の鉄塊が取り付けられており、ハンマーのように落ちてくる。
錨の表面は聖別された銀でコーティングされており、不死の騎士たちを次々に絡め捕り、騎馬は足を取られ倒れていく。
そこに兵士たちは矢を打ち込み、トドメを刺す。突破した数騎も、ゴーレムに行く手を阻まれ、飛び込んできた兵士の剣によって、ようやくの永遠の眠りに就いた。
「やった……。やったぞ!」
兵士のひとりが喜ぶが、指揮官が厳しく言い渡す。
「まだだ! 油断するな! 錨から死体を取り除け。ボウガンの装填急げ。主門を閉鎖するように伝えろ!」
大きな主門を閉めても、横扉から兵士たちは避難できる。人ひとり分の小さな扉からは、大型の魔物は侵入できないようになっている。
門の開閉装置は、壁の内側にある。伝声管を使って担当に連絡する。しかし、返事はなく、門も閉まることない。
「閉門を……! 応答してください!」
応答がなく、困惑する兵士をよそに、爽やかな風が通路を吹き抜けた。何が起こったのか誰もわからないまま、兵士たちの首は胴体と生き別れとなる。
兵士たちの事切れた体が石畳を叩き、吹き出した血が通路を汚す。静かになった通路に、白い女が降り立つ。
彼女は素足のまま、汚れるのも構わずに、血溜まりを歩く。その手には薄い刃の剣を持っており、切っ先からは血が滴っていた。この女が、門兵たちを殺したのだ。
「ダメでしょう。他の魔物が侵入してきている場合も考えないと」
ルミリアは思わず口にしてし、自分の言葉に笑ってしまう。もう、軍人でも人でもない。だ。
「……」
静かに剣を払って、その場から去ろうとしたとき、誰かの呼吸音が聞こえた。
「あら、生きてるんだ」
年配の指揮官が、切り落とされた右手首と引き裂かれた肩を、左手で押さえている。失血を何とか止めようとしている。
「手で防御したんだ? やるね」
「お前、お前は……、イーブンソード……。どうして……」
懐かしい名前を聞いて、ルミリアは笑った。顔が引き裂かれるような笑みである。
「私のことを知っている人がまだいるなんて。もう、忘れ去られたと思ってたのに」
ルミリア・イーブンソードは、自分よりもずっと体の大きな、鎧を着込んだ指揮官を片手で持ち上げる。
「ぐ、く……」
指揮官は何とか逃れようとするが、無駄なあがきだ。吸血鬼の握力から逃れられる常人はいない。
「どこかで会った? ああ、竜退治のときの隊長さん! ずいぶん、老け込んだね……」
「……化け物め」
年配の指揮官は血を吐きながら、ルミリアを睨みつけた。彼女の赤い瞳が黒く染まる。
瞳孔が大きく開き、食欲がルミリアを支配する。伸びた牙を舌で舐め、湿らせて滑りを良くした。
「どうしてって、それは……。ディナーが用意されてるなら、食べないと失礼じゃない」
そういうと極めて自然な動作で、指揮官の首に口をあてがう。突き立てられた牙が、指揮官の生命力を奪い、ルミリアは血で腹を満たした。
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