歯車
◆
ルナの小躍りは、ようやく華麗に見えるようになってきていた。少なくとも、相手の足を蹴ったり踏んだりすることはなくなった。
踊れるようになると、少しずつ楽しくなっていき、練習にも気合が入るようになる。
リリアナによる合格判断が下されたのは、ダンスパーティの二日前である。
「限られた時間としては良くできた方ですわ。ルナ、良くやりましたね」
「どうも……」
踊れるようになった曲は、二曲だけだ。とりあえずの基礎的なステップを習得することができれば、あとは何となく合わせれば良い。
「これで何とか恥をかかずに済みそうです。わたくしの教え子が、ダンスホールで躓くことは許しませんですわよ、ルナ」
「……はい。善処します……」
イルヴァが首を鳴らしながら立ち上がる。
「いや、良かった良かった。これで安心して旅立てる」
「旅? 冬休み中はどこかに出掛けるんですか」
ルナが訊ねると、イルヴァが首を傾げる。
「あれ? 言ってなかったっけ? 明日から師匠の、レイニー一級魔術士のところで実習だよ」
「明日⁉ じゃあ、パーティには……」
「出ないよ」
「えぇ……。そんな勿体ない」
イルヴァは楽器の腕前もかなりのものだが、ダンスも上手い。ルナはそれを見られるのを楽しみにしていた。
「せっかくドレス作ったのに……」
「ま、仕方ないね。魔術士の仕事ってそんなもんだって」
ルナが露骨に不満そうにするので、イルヴァは話題を変えた。
「そういえば、リリアナは誰とパーティに行くの?」
イルヴァに訊ねられたリリアナは、肩を落とす。
「いえ、わたくしは……。パートナーがおりませんので、今回は辞退させていただきます」
「「ええ⁉」」
全員初耳である。
リリアナには何人もの男子生徒が誘いをかけていたはずだ。大食堂で玉砕する男子たちを何人も見てきた。日付が近くなった今では、それもなくなったが、冬の初めの頃には、毎日のように『告白』されていた。
それなのにリリアナはパートナーがいないという。
「なんで? リリアナもメルビム先生のところで修行なの?」
「いいえ。師匠は楽しんでおいでと言ってくださいましたわ」
「じゃあ、どうして……」
「それは……、もうわたくしも成人した貴族ですから。滅多な行動は避けるべきだと思ったのです」
「……」
皆が沈黙する。リリアナは領地こそ持たないが、大貴族である。言うこともわからなくもない。
しかし、たかが学生のダンスパーティで、問題になるとは思えない。
「なんだぁ。良かったじゃん、ディルタ。パートナー見つかって」
ルナが何気なく言うと、オルシアとイルヴァが体を震わせた。部屋の隅に座っていたディルタが、顔を上げる。
「ん?」
「だって、パートナーいないってずっと嘆いてたでしょ? リリアナと一緒に行きなよ」
ディルタは節操なく女子に声をかけまくっていたようだが、その全員に断られていた。
ディルタは背も高いし顔も悪くないが、魔術士の女子は身持ちが固い。傷付けられて、精神的に弱るのを極端に嫌う。魔術が使えなくなる可能性があるからだ。
「いや、ボクは……」
「何よ。リリアナなら不満ないでしょ」
「ル、ルナ……」
リリアナがルナを止める。ロバルトが言った。
「ディルタはパートナーができたよ。第四学位の子が誘ってくれてた」
「あ、そうなの?」
それなら仕方ないかとルナが諦めかけたとき、リリアナの表情を見てハッとする。リリアナは泣きそうな表情で、顔を伏せていた。
そこでようやくリリアナの考えを理解して、ルナは配慮を間違えたことを悟った。
ディルタは本当に手当たり次第に、女子に誘いをかけていた。ルナにさえ声かけてきたくらいだ。もちろん断ったが。
どうやら繊細な問題に立ち入ってしまったようだ。
ルナは無性に腹が立ってきて、足踏みをしてディルタに近付こうとする。それが蹴りを繰り出す前動作だと気が付いたディルタは、立ち上がって距離を取ろうとするが、後ろは壁だ。
「あんたさぁ。ちゃんとリリアナも誘ったんだよね?」
「目が怖いっすよ、ルナさん……。ボクみたいな庶民は、リリアナには吊り合わないと……」
これ以上しゃべらせるのは危険だと判断し、ルナは紐を出して、その首を絞める。
「死にたいみたいね……」
「ひょ……」
「ルナ! これ以上は……。いいのです。ディルタの言う通りです。わたくしなどでは、吊り合いません……。
ディルタ、その娘と楽しんでいらして」
「いや、その……、リリアナ……」
リリアナの声は震えていた。ディルタが何か言おうとする前に、階段を駆け上がっていく。
皆が呆然と見送る中、ロバルトがバツが悪そうに口を開いた。
「なんか……、泣いてなかったか」
「え……、ボクのせい……?」
ディルタが何かを考えるように自分の顎を触った。ルナはダンスの練習によって強力になったローキックを、そのふくらはぎに命中させる。
「お、ごっ……⁉」
「さっさと追いかけなさいよ」
ルナに追い出されるように、ディルタは地下室の階段を駆け上がった。
リリアナの背中が廊下の奥に見える。ディルタは全速力で追いかけた。
幸いなことに、リリアナは前が良く見えていないのか、左右にフラフラと歩いていて、追いつくことは余裕であった。
「……リリアナ」
ディルタはリリアナの腕を取る。
目に涙を溜めたリリアナは、努めて平静を装う。
「ディ、ディルタ……。ごめんあそばせ。わたくし、何をやっているのでしょう。取り乱してしまって……」
「リリアナ、ごめん」
だが、ディルタに謝られ、リリアナは涙を溢れさせた。
「違……。そうじゃなくて、あれだ。気持ちに気付いてあげられなくて、ごめんってことで……。リリアナが嫌いとか、そういうことじゃなくて……」
「……でも、ダンスパーティには誘ってくださいませんでしたわ」
「そうだよな、そうだ。じゃあ……」
ディルタはリリアナの腕を離し、貴族っぽく背筋を正すと、少し頭を下げて、手を差し出した。
「ボクと一緒にダンスパーティに行っていただけませんか、姫」
リリアナは少し微笑んで、首を横に振り、手を取らなかった。
「……でも、もう、お相手がいるのでしょう。約束を反故にすることはわたくし、許しません」
ディルタは少し口元を緩める。
「……幸いなことに、未だ相手はおりません。
ボクをひとりの女生徒が誘ってくださいましたが、お断りしたのです。ですので、安心してこの手をお取りください」
リリアナはその言葉に顔を輝かせる。手を取ろうとして、少しだけためらう。
「どうして、断ってしまったのです」
「それは、あなたのために……」
「ディルタ」
はぐらかそうとしたディルタを、リリアナは咎める。ディルタは自嘲した。
「その娘はボクを憐れんで誘ってくれたのです。しかし、ボクはバカなことに、プライドだけは一端にあったようで……。思わず断ってしまいました。
だから心配せず、この手をお取りください」
その言葉を聞いて、ようやくリリアナは、ディルタの手に自分の手を重ねた。
ディルタは手を握ると、そのまま立ち上がってステップを踏み始める。リリアナは驚いたが、笑った。
誰もいない廊下で、二人は踊る。音楽のない、二人だけのダンスホールで、静かなステップは続く。
だが、突然、ディルタの動きが止まる。そして、崩れ落ちる。
「ディルタ……、大丈夫ですの⁉」
横になって丸くなるディルタに息を飲む。ディルタは自分のふくらはぎを持って、冷や汗をかいている。足の筋肉が痙攣したようだ。そんな彼を見て、緊張が一気に吹き飛ぶ。
「……後からくるやつだ、これ……。あとから……」
譫言のように呟いている。リリアナはこんなことをするのは、ひとりしか思い浮かばない。ルナだ。
リリアナはルナが何をしたのかは知らないが、何となく想像はつく。実際、ローキックを受けたディルタの脚は、全力疾走とダンスで限界を迎えた。
なんだか締まらないが、リリアナは嬉しくなる。彼には悪いが、笑いが込み上げてくる。痛がっているのに笑うなんて。そう思うが、止められなかった。
「……ふふふっ」
走ってきて、踊ってくれて、今度は倒れている。どうしようもなく、愛おしい。
彼と一緒にいると楽しい。ずっと一緒にいられれば、ずっと幸せでいられる気がする。
べそをかくディルタの頬に、リリアナはそっとキスをした。
◆
赤い目を輝かせ、牙を剥きだした少年は、夜空を寝転がって見上げている。吸血鬼であることを隠そうともしていない。ここには魔物しかいないからだ。
「なぁ、ボレリリス。まだ動かないのか?」
「うるさいぞ、シアリス! 寝ているだけなら、せめて黙っておれ!
生きている者よりうるさいぞ!」
ボレリリスが指した先には、オークの戦士が黙って座っていた。彼だけがこの場では生者である。
「ウィンブリル、君も文句を言ってもいいんだぞ」
「……」
「無口だなぁ」
ウィンブリルと呼ばれたオークは、黙ったままシアリスを見て、すぐに視線を外した。
不死者であるボレリリスは息を吐く必要などないが、人のときの癖で、腐り落ちた鼻から空気を出す。
「ふん」
ボレリリスは全身を黒い布で覆っている。人のようにしゃべるが、声は遠くから響く音のようにひずんでいる。足を動かさず滑るように移動し、周囲の肉塊に繋がったパイプやら、計器やらを操作している。
ボレリリスはリッチという魔物だ。彼は元は人の魔術士だった。
不死の魔物であるリッチは、とても危険な魔物である。
屍霊術によって自らの身体を改造し、不老不死を手に入れている。そして、その魔術によって、様々な不死者を生み出し、手足のように扱うことができる。吸血鬼にならぶ、人類の天敵である。
ボレリリスの不快な声を打ち消すように、仔猫のような声が不気味な空間に響いた。
「私は、シアリスさまとこうしてずっと一緒にいられて幸せです……。ああ、シアリスさま……」
寝転ぶシアリスの横に、儚げな雰囲気を持つ美女が横たわる。
彼女はシアリスの懐の中に手を入れ、その冷たい皮膚を妖しく撫で回した。
「ルミリア。これからお前の子どもを迎えに行くというのに……。お前の夫が見たら泣くぞ」
「元夫です。もう、私の心はあなたのもの。それにあの人は、前線にいることを確認済みです。会うことはないでしょう」
「そうか。それは残念だ。人だった頃の君を、射止めた男の顔を見ておきたかったが」
ルミリアと呼ばれた女は、寒い中でも薄着のままだ。
白い肌に、鋭い牙。尖った耳に、真っ赤な瞳。彼女も吸血鬼だ。
大人の美女が、年端もいかない美少年に色目を使っている光景は、背徳的で妖艶な雰囲気を醸している。
ルミリアがシアリスの香りを楽しんでいると、無数に並んだパイプが振動を始め、建物全体が揺れ始める。
「おお! ようやく、動いたか!」
ボレリリスが喜び、何かの大きな窯の蓋を開けた。そこに息を吹き込むと、内部で火が灯る。そこから無数に伸びたパイプは、血管のように全体に行き渡っており、窯は心臓のような形となっていた。
「さあ、グールども! こっちへ来い! 飛び込め!」
端で壁のようになって並んでいたグールたちが、火の入った窯の前に並ぶ。そして、次々と躊躇なく火の中に飛びこんでいく。猛烈な臭いと、叫び声を上げて、高温の炉の中で自身を燃やし尽くしていく。
「ああ……。いい響き……。
ねぇ、ボレリリス。どうして、ゾンビじゃなくてグールなの? 作るの面倒なのに」
ルミリアが訊ねると、ボレリリスはほとんどなくなった顔の筋肉を歪めた。
「ゾンビではダメだ。あれは、ただの操り人形だ。必要なのは魂。生きたいという意志だ。
これだけのものを動かすには、それ相応の代償を払わねばならん」
ただし代償は自分以外の命だ。
「ふうん……」
「ルトロネルの血が手に入れば良かったのだがな。まぁ、こいつで我慢するしかない」
ボレリリスが窯の上を見る。シアリスは立ち上がると、窯の上に繋がれた男に声をかける。
「お~い。起きてるかあ。そろそろ、飛んでくれよ」
「グ……グ……」
その男は喉の奥から空気を漏らし、虚ろな目で、窯の熱に当てられている。その手足は斬り落とされ、そこから伸びたパイプが彼を空中に繋ぎ止めていた。
「お~い、ヴァージルく~ん。ダメか……」
「当たり前だ。核ごと繋いだのだからな。だが、レヴェナントの体なら死ぬことはない。
他人の魔力が流れ込んで、死ぬほど苦しいだろうが……。頑張れ、ヴァージル! 頑張れ! お前ならできるぞ!」
ボレリリスがヴァージルを応援した。
ヴァージルには、もうその声も届いていない。ただ、苦しみ。悲しみ。罪悪感。不快感。全身を引き裂くような激痛。そして、後悔――――。
魔王軍に入れば、望むものが手に入るはずだった。だが、自分が最悪の選択をしたことを知った。
もはやヴァージルは、『個』でさえない。装置の一部。振り回される、ただの部品だ。
人の社会の部品になることを望まなかった彼は、魔物の手によって本物の部品となった。
これがもしシアリスの勧誘でなかったのなら、そうはならなかっただろう。ただの魔物として生きていくことができたかもしれない。
しかし、そうはならなかった。延々と続く、死の苦痛。死ぬことも許されない。
熱が全身を焼き、その中に意識が熔けていくのを感じる。最後に残った彼の意識の中に、思い浮かぶのは学生の頃の思い出である。
(アルフォンス……、グリオン……、モリー……、姉さん……)
名前を呼ぶたび、胸の奥がざわついた。
手放した、二度と手に入らない大切なものに、どうしようもなく焦がれる。
あの頃は、踊っていただけだ。恋をしていただけだ。
もう、姉と同じところに行くこともできない。モリーに選ばれたグリオンが妬ましい。名声を得たアルフォンスが眩しい。
(帰ろう。故郷へ……)
その思いが胸を過る瞬間、ヴァージルは安堵した。まだ、意識は保っていられる。帰るという言葉だけが、唯一、形を成している。
その思いさえ、ボレリリスの見せる幻覚だとは気が付けない。
ヴァージルは自分の魔法を使った。それは帰るための魔法だ。故郷に帰るための魔法。
シアリスたちのいる肉で作られた建物は、増幅された魔力によって『転位』する。ヴァージルの望む故郷へと。
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