不穏の予兆
◆
携行型のストーブで天幕を暖まっている。薪の消費も馬鹿にならない。魔術で補うことはできるが、長期間は無理がある。いつ始まるかわからない戦闘状況のためにも、魔力は温存しておきたい。
睨み合いが続き、膠着状態が長く続いた。
夜になると活発になるはずの魔物たちすら、静かに何かを待っているだけである。不気味なほどに統制の執れた魔王軍は、攻撃の気配すらない。
だが、相手が軍を集結しつつあれば、こちらも集結しておかねばならない。
緊急処置として設けられた川の防衛線に沿って、陣を構築していく。
今まで散発的な戦闘はあったものの、大規模な侵攻はなかった。だが、集結はその前触れとしか思えない。
ルトロネル軍の使者として送られた者は、帰っては来なかった。交渉の余地はない。しかし、上層部からのは指示は、相手を刺激するなというものだ。
相手は魔物である。容赦をする必要はないはずだ。
ジルベルト王子が攻勢論を唱えれば唱えるほど、別の王子が抑え付ける。補給を出し渋り、兵は怠惰を演じる。
「いつまでこうしていれば良いのでしょうか」
ロートベットはミルデヴァの衛兵隊長である。彼女は今、国王軍の魔術特務部隊隊長として派遣されている。この平野で約一か月以上も、何もせずに過ごしていた。
訓練することはできるが、大規模な演習は禁止されていて、できるのは体を鍛えることと剣の稽古くらいのものだ。
「わしはこうして、美女とずっと将棋をしているのも、一興だと思っているがね」
「勘弁してください。今日だけでも、もう五局目ですよ。このままだと、将棋だけやって帰ることになりそうです」
魔術士は軍の虎の子である。散発的な戦闘には参加しない。
ロートベットは治癒魔術師であるため、負傷者の治療も時折行うが、重傷者は今のところいなかった。軽傷か、死んでいるかの、どちらかである。
「早く帰って、娘に会いたいですな。せっかく、国王軍からミルデヴァ軍に移ったのに。こうも長く、足止めされるとは。お、ここで詰みですな」
オルシアの父、ロートベット副官であるコルブレルが、二人の対局を見ながら嘆いた。
「だ! コルブレル! 貴様、どっちの味方だ!」
将棋に負けた元帥、フィリング・ソリオンは、すっかり白くなった髭を蓄えた男だ。
ソリオン上級伯家の当主である彼は、今では息子に実務のほとんどを任せている。
脚を悪くしてからは、王宮で隠居も同然の生活を送っていたが、白髪頭の見た目ほどは歳をとっていない。
半年も睨み合いが続き、誰もこの前線に来たがらなくなったとき、古い倉庫の中から引っ張り出されるように、フィリングはここに派遣された。
「少しは接待せんか! どうして勝てんのだ!」
「元帥が手加減するなとおっしゃったのではないですか」
フィリングが基盤に突っ伏す。コルブレルは落ちた駒を拾った。そのとき天幕の外から声をかけられる。
「ソリオン元帥! 第二連隊隊長のレンドルフ子爵がお越しです」
「……通せ」
フィリングは居住まいを正す。レンドルフ子爵が天幕の入り口から顔を出した。
「トニオ。一局、打ちに来てくれたかね。こやつら、二人して年寄りをいじめるんじゃ」
「申し訳ありません。すぐに隊に戻らなければならないので……」
若い子爵であるトニオ・レンドルフは、ロートベットとコルブレルに目礼すると、早々に用件を口にした。
「ソリオン元帥。連隊全体での演習を行いたいのですが、許可をいただけますでしょうか」
フィリングは顔を上げると、その伸び切った眉毛を上げた。
「許可する、と言いたいところだが、上から止められているのは知っておるだろう」
「しかし……、このままでは兵たちの体が鈍ってしまいます。元帥のお力で何とかできませんか」
「そういわれてもなぁ。そういう現場の意見を抑え付けるために、わしみたいな骨董品を持ち出してきたわけだ。
魔王軍を刺激するなという王のお達しは有効なままだ。やらん方が身のためだな」
トニオは結局、許可をもらえず、溜息をついて隊に戻っていった。コルブレルも飽きて自分の隊に戻る。
ロートベットとフィリングはまた将棋を始めた。
「演習くらいで魔王軍を刺激するとは思えないのですが、なぜ上層部は禁止しているのですか」
ロートベットが訊ねると、フィリングが駒を動かした。
「そんなこと知らんわ。どうせ、第二王子派と第四王子派の権力争いだろう。わしは関わらんことにしておる」
「はぁ」
「第一王子は貴族の傀儡。第二王子は強欲なぼんくら。第三王子は地味。そして、第四王子は切れ者だが、業突張り。この国の未来は終わっておる」
「元帥……。あまり大声でそのようなことを言わないでください……」
ロートベットが苦々しい顔で咎める。
「トニオの生家であるレンドルフ家は、第二王子派だ。その第二王子派まで不満を持ち始めておる。
ジルベルトが交戦論を唱えるたびに、ブラムスは強硬に戦闘を禁止してくる。それが自分の派閥にさえ、不満を抱かせていることなど考えずにな。
だから、ジルベルトも戦闘は避ける。表では交戦を唱え、裏では軍の頭を抑え付ける。小賢しいったらない」
ブラムスとは第二王子のことである。第四王子であるジルベルトとは犬猿の仲で、王宮での派閥争いを激化させている。
「しかし、次の王はフィオナ第七王女殿下に内定したとの噂ですが」
「それを許すジルベルトなものか。絶対に何か仕掛けてくるだろうさ。
しかも、今までの王位継承権にあぐらをかいていたキンガルも、ジルベルトとフィオナを攻撃し始めた。
今の王宮にいたくないから、わしはこの魔王軍討伐元帥を引き受けたのだからな」
第七王女フィオナは、王位継承権の最下位にいた。しかし、王の魔法に覚醒したことで、現国王は末娘のフィオナこそ、王に相応しいと考えているようである。
正式な発表はされていないが、そういう噂だ。ただし、その確度は高いと考えられている。
「実の妹君ですよ。腹違いのキンガル殿下はともかく、ジルベルト殿下は、たいそう可愛がっているとのことでしたが……」
「可愛がっているからなんだ。ジルベルトは自分以外の人間は、道具としか考えておらんやつだ。
あやつが王位につくと思うと、わしはゾッとするわい。だが、他の王子よりもマシなのも事実だ」
駒を動かしていく。
フィリングは将棋は下手だが、長年、王宮の権力争いを生き抜いてきた人物である。冗談のように語っているが、聞く者からすれば冗談では済まない。
「どうしてこの国は終わりかけているかわかるか」
ロートベットは努めて無表情を貫いた。
「私に言わせないでください」
「王子がクソだからだと思っただろう。だが、違うぞ」
「……早く手を打ってください」
フィリングは駒を進める。
「魔術士だ。魔術士がこの国には多い。だから、この国は終わる」
ロートベットも魔術士である。そんな風に言われると腹が立つし、フィリングは貴族だが魔術には理解があると思っていた。失望の目を向ける。
「そんな目で見るな。魔術士が嫌いだとか、そういうことを言っているのではない。
おかしいとは思わんか。この国では魔術士の教育に力を入れている。今ではミルデヴァの街以外でも、それぞれの貴族たちが競い合うように魔術士を育てている。
それなのに魔術士は、国政に関われん。貴族だろうが何だろうが、魔術を習えば、政治には関われない。民を持つことも許されん」
「それは……、歴史上、魔術士が権力を持つと、良い結果にならなかったからでしょう。
他の国でも同様に、魔術士は為政者になれないし、魔術士は育てています。しかし……」
「この国のように腐ってはおらん」
「そうです」
「それは魔術士の育成数の違いだ。この国では魔術士と呼ばれん者も、多くの者がある程度の魔術の知識を有し、簡単な魔術を使うことができる。
今では火を起こすのに昔みたいに石を打ち付けることもない。他の国ではこうはいかん」
「その話と、魔術士がいるせいで国が腐るのと、関係があるのですか」
「魔術士がいるせいで国が腐るとは言っておらんぞ。魔術士が為政者になれないから、国が亡ぶと言っておるのだよ。
高度な教育を受けた者や才能ある者は、ほとんどが魔術士になる。当たり前だ。国が推奨しておるのだからな。
そうなると政治に関わる者はどうなる。魔術士は政治に関われない。つまり、有能な者は政治に関われない。
今の貴族どもを見ろ。皆、自分のことしか考えておらん。国の未来、忠誠心。民のことなど何ひとつ考えず、己の権力、家名、伝統……。愚かにもほどがある。
ロートベット、おぬしやコルブレル、フォルスターの方が、よっぽど昔の忠義に厚い貴族のようだ。だが、貴様らは政治に関われない。魔術士だからな」
ロートベットは苦笑した。
「話の飛躍では。あなたやあなたのご子息のように、有能な貴族もいます」
「おお、ありがとう。だが、ひとり二人でこの国は変えられん。
お前がもし政治家になったら、民を犠牲にして魔術の研究を行うか? お前はそんなに研究熱心か?」
「いえ、私は……。仮定の話はやめませんか……」
「ふん……。やらんだろう。自分が研究しなくとも、他の魔術士が研究すれば良いからな。
結局、魔術とは、技であり道具に過ぎん。扱う者次第で、悪にも善にもなりうる。
時代遅れの古代に決められたような法律に、未だに縛られておる。そして、成長速度の速いこの国は、寿命を迎えるのも早い。
そんなときに魔王の登場だ。一丸となって戦わねばならんのに、未だに政治で揉めておる。嘆かわしいことだ。
ほれ、王手!」
フィリングは立ち上がって喜んだ。ロートベットの気を散らす作戦は上手くいったようだ。
「魔術士を王にすると言っているのですか」
「わしはそんなこと言っておらん。だが、ジルベルトはどうだろうな」
意味深に老人が呟いたとき、天幕の外から大気を揺るがすような爆発音が聞こえた。
ロートベットは咄嗟に防御魔術を発動し、フィリングを守る。
「外……、防衛線の方から……」
「まさかあやつら、やりおったのか⁉」
演習はするなと言っておいたのに、何か派手にやったなら大問題である。
だが、天幕の外では兵士たちが駆け回り、そんな様子でもない。兵士たちは殺気立ち、次の命令に備えるために、フィリングの元に集まり始めていた。
「何事だ」
「元帥! 魔王軍からの攻撃と思われます!」
「攻撃だと? まずは情報の把握にせよ」
ここは丘の上である。まだ日も高く、見渡せる川向こうの魔王軍には何の動きもない。それに最前線である川近くの天幕にも、被害はなさそうである。
「誰か何が起こったのか説明せんか」
誰も答えられず、集まった将兵たちは顔を見合わせる。そのとき、トニオが丘を馬で駆け昇ってくる。
「ソリオン元帥! ご報告申し上げます!」
「トニオ」
「あれをご覧ください」
皆がトニオの指差す方を見る。そこには雪で白く染まった平原に、黒くへこんだ場所があるだけだ。人の足跡のようにも見えるへこみが二つ。ひとつ10メートルほどのそれは、兵士たちが拠点としている場所からは遠い。
「なんだ、あれは?」
「目撃した兵の話によれば、巨大な人型の魔物が突然現れて、消えたそうです」
「巨大な人型? サイクロップスか。だが……」
「はい。足跡が大きすぎます。それにあそこにある足跡以外は見当たりません。跳んできたにしても、おかしな話です」
サイクロップスは10メートルほどある単眼の魔物だ。人型ではあるが、円状の足を持っており、人のような指を持たない。
丘から見下ろせる足跡は、どう考えてもサイクロップスのものではない。大きすぎるし、形が人のものに近い。身長で考えるなら、40メートルから50メートルはあることになる。
そんな大きな魔物はそうはいない。
長く生き過ぎて大地と一体化した古竜か、甲羅が島ほどに育ったアーケロンという亀の魔物、一生を空の上で過ごすと言う雷竜くらいだ。
「被害は?」
「今のところは確認できません。もし演習を行っていれば、我々は踏み潰されていたかもしれません……」
「よろしい。魔王軍の攻撃の可能性は否定できん。
まずは目撃者から詳しく聞き出せ。全軍に警戒させよ。空から巨人が降ってくるかもしれんとな」
将兵たちが動き始め、丘に一陣の風が吹いた。その風に乗って何やら不快な臭いが漂う。
例えるなら何かが腐った臭い。それを焼き焦がした異臭。不快さにロートベットたちは口元を覆った。
突然現れ、突然消えた巨人。だが、その後にはほとんど何も残らず、被害もなかった。
ロートベットは魔術士として足跡の調査にあたる。そこの痕跡には、大量の腐敗した肉片が混ざっていた。
組織だけをみれば、人の肉だ。ロートベットたちと同じメネル族のものである。だが、どれもこれも継ぎ接ぎにされ、人の形はしていない。
人の肉には見慣れているが、こんな形の物は初めてである。大勢の人が犠牲になったのだと感じ、目を少しだけ瞑る。
踏み潰され、足の裏に張り付いていたものが落ちたのか。あるいは。
(屍霊術? でも、わざわざこんな形にする必要がある?)
大きさや形だけで推定されるのは、巨人。本物の巨人ティタンである。
だが、ティタンは突然現れて消えるようなことはないはずだし、遥か昔の神話の時代に絶滅したはずである。
現在では、その存在した証拠は、骨格だけである。世界中で眉唾な目撃例はあるが、その存在を隠すには彼らは大き過ぎる。絶滅した原因も、その辺りにあるだろう。
ティタンをゾンビ化して操るにしても、そのティタンの新鮮な死体が必要だ。
それにそれだけ大きなものを操るには、膨大な魔力が必要である。屍霊術は確かに強力な術ではあるが、わざわざ巨人を復活させたり、再現するなど考えづらい。
(魔力は感じる。でも、魔術とも魔法とも言えない。今まで感じたことのない力……)
足跡を二つだけを残して消えるというのも不可解である。歩いて来たのであれば、それなりの予兆は感じ取れたはずだ。
そのことをフィリングに報告する。結局、魔王軍との衝突は起こらず、その日は終わった。
だが、ロートベットは眠れなかった。
魔王軍がティタンを復活させたとして、何を行うのだろうか。どうして、前線に攻撃してこなかったのだろうか。意図が読めない。
腐敗臭が鼻の奥にこびり付いて、いつまでも残っていた。
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