銀の試練・中
◆
ギンは円形闘技場の観覧席を駆ける。
その口から放たれる巨大な水塊を、オルシアが風の障壁で撃ち落とす。
旋風と豪雨が舞い、演習室はまるで嵐だ。
受験生たちの中には、水面歩行を習得していない者もいる。ディルタが少し水面を凍らせて、足場を確保する。
「どうやら水を生み出すことはできても、遠距離では操ることはできないようです! 絶対に近付けさせないようにしてくださいまし!」
リリアナが言うと、受験生たちは飽和攻撃で、ギンを寄せ付けない。ギンは跳び回ってそれを躱す。
ギンの速度であれば一気に飛び込んでこられるはずだ。遠距離から牽制しているのは、ルナの罠を警戒しているのだ。
ルナは負傷した受験生たちを回収しながら治療する。
だが、限界がある。まだ時間は五分も経っていない。このままでは全員、魔力を使い果たして、後は為されるがままだ。
戦いにおいての一分一秒で、生死は別れる。制限時間の十五分は長過ぎる。
一撃必殺の技が飛び交う通常の戦闘において、十分も戦い続けることなどほとんどない。この時間制限の時点で、相手を倒すしかない気が付くべきだった。
「ロバルト、まだなの⁉」
ルナが叫ぶが、ロバルトは応えない。応える余裕もない。彼の全身から紫電が迸っていた。
イルヴァがリラを爪弾き、音の攻撃を仕掛ける。しかし、その攻撃さえもギンは避ける。
「なんで避けられるの⁉」
演習室のような密閉された空間であれば、イルヴァの音は確実に当てられる。
共振だけでは肉体に大きなダメージは与えられないが、身動きを封じるくらいはできるはずだった。しかし、ギンは避ける。
ギンは別に考えて動いているわけではない。感覚だけで安全な場所を見つけ出し、身を躱している。音と音がぶつかり、打ち消し合う場所に身を置いているのだ。
リリアナの結界が機能し始め、オルシアが嵐を生み出す前に、水塊が破裂していく。
「やった!」
受験生が安堵の溜息をつく。結界があれば耐えることができると考える。
「遠距離攻撃を防いでいるだけですわ! 油断しないで!」
リリアナの言葉に、皆がもう一度気を引き締める。
ギンは足を止めた。遠距離攻撃では埒が明かないと察したのだ。
「近付いてくるぞ! 迎撃できる魔術を準備しろ!」
受験生は警戒したが、ギンは観覧席から水の中へと飛び降りた。水面は揺れもせず、まるで消えたかのように水中へ消える。
「な、なんなんだ、あのガルム⁉ まるで別の魔物だぞ!」
グイルクが水面を見る。どこに行ったかわからない。
「ディルタ、氷で動きを封じられますかしら」
「やってもいいけど……。氷はこれ以上作れなくなる」
「では、足場の氷を厚くして、盾にしてください」
「わかった」
水中から奇襲がもっとも恐ろしい。
「おい、見ろ!」
受験生のひとりが指を差す。氷の足場の周りの水中を、巨大な影が泳ぐ。
尾をくねらせて泳ぐ姿は、獲物を狙う鮫か、巨大な水竜のような動きだ。とてもガルムとは思えない。
その速度が増していき、水没した円形闘技場に水流が生まれ始める。ギンが尾を振るたびに巨大な渦潮が無数に生まれる。水に浮いた氷の足場が、その波に押されゆらめく。
「おいおいおい! まずいぞ、これ!」
水中ではギンに分があるのは明らかだ。今足場を失うのは、全滅することと同義だ。水面歩行をしながら魔術を使えば、さらに早く魔力を失うことになる。
揺れが激しくなり、氷の足場が崩れ始める。
「土の魔術で、氷の反発を『吸着』に変えてください!」
リリアナが言うが、それを咄嗟にできるのは、学生では極一部である。
ロバルトが膝をついた。オルシアが支えようとするが、雷に阻まれて触れることすらできない。
「ロバルト……!」
「オリィ! 私が助ける。自分の魔術に集中して!」
次々に受験生たちが滑り落ちていく。
ロバルトも体勢を崩し、落ちそうになる。彼の全身には霆模様の光が生じ始めている。他のことに構っている余裕がないのだ。
ルナは自分の手が焼けるのも気にせず、ロバルトに触れて滑り落ちるのを阻止した。
「ロバルト!」
「わかってる! やってくれ、リリアナ!」
ロバルトの言葉にリリアナは、ディルタに目配せする。
「落ちたやつには気の毒だが……、一瞬だけだ!」
少し言い訳するように、ディルタが氷に手のひらを押し当てた。水面が一気に凍り始める。水だったものが膨張し、荒れていた波が止まった。そして、すぐに魔術を解除する。氷は跡形もなく消え、水に戻る。
「さあ、出てきてくださいまし!」
リリアナが気合とともに扇子を振り上げる。水面が膨れ、巨大な水柱が立ち昇る。
ギンは少し驚いた声を出す。
「うわお」
ギンの体が上空へと打ち上げた。リリアナの支配の魔術が、水を支配したのだ。ディルタの氷によって動きを一瞬止め、その位置を確定させる。
力の弱い支配の魔術でも、速度を失ったギンの巨体を持ち上げることは可能だ。
だが、それでリリアナもディルタも、魔力切れである。
「があ!」
ロバルトは呪文も忘れ、激痛を押して力の限り、上空へと雷を放出する。しかし、それはギンには当たらず、その周囲を通り過ぎていく。
「はずれ?」
ギンは全身の剛毛が逆立つのを感じた。上を見る。巨大な雷雲が天井を覆っていた。
冷気、熱、空気、電気。嵐のエネルギーがそこに溜まっている。オルシアとリリアナが風を操り、そこに極めて自然現象を再現した。
雷雲は獲物を探し、自動的にギンの体へと降り注いだ。
空気が揺れ、強烈な光と音が空間を満たす。イルヴァが音の防壁で中和しなければ、こっちまで黒焦げになっていたかもしれない。
「……」
ルナは少し心配するが、すぐに気を取り直す。ロバルトの焼け焦げた体を治療した。
ギンの体が水面に落ち、力なく浮き上がる。
「やったのか……。死んだ……?」
水から上がってきたグイルクが呟いた。ルナは否定した。
「いえ……、生きてる……」
ギンが目を開けた。そして、水面で立ち上がる。全身を震わせて、水滴を周囲に飛ばす。
「うわああああ!」
ギリオが魔術で作り出した無数の回転鋸を飛ばした。鋭いそれはギンの体に当たる。だが、毛皮に弾かれて水に沈む。
「う……あ……」
まだ、砂時計の砂は、半分程度しか落ちていない。もう、魔術は打ち止めだ。
ギンが受験生の前に立つ。
「いい攻撃。数秒気絶した」
強大な魔物を前に、皆、ルナが作った浮き輪にしがみ付いている光景は、シュールだ。
ひとり、水面に立つルナは手を上げる。
「試験官。降参します。これ以上は戦えません」
その言葉を聞き、試験官たちが水面に降りてくる。
水だけが静かに引いていき、破壊痕の残る円形闘技場へと戻った。
「そうですか。仕方ありませんね」
試験官の言葉に、受験生たちは全員、同じ気持ちだった。仕方がない。だが。
「まだだ」
ギンが地面を踏み鳴らす。
「ヒスイ! まだ、お前は戦えるだろう。どうして、本気を出さない」
ギンは思わず本名で呼ぶ。ルナは気にせずにギンを睨む。
「……ギン。もう、みんな戦えない。私だけが戦っても、今のあなたには勝てない」
「それは群れを守りながらだからだ。放っておけばいい」
「やらない。巻き込んで戦って、勝ったとしても無意味だから」
ギンは唸りながら牙を剥き出し、ルナを正面から睨み返す。
試験官がアルフォンスに言う。
「と、止めなくていいんですか……」
「もう少し様子を見ましょう」
ギンの口から火花が散る。
「それは足手纏いということだ。お前、弱くなったんじゃないか」
さすがにルナも頭に来る。試験官を見て言う。
「時間。あと何分ですか」
「え。えっと、五分……」
「じゃあ、あと五分、戦うんで。他の人避難させてもらってもいいですか」
「あ、ああ……」
円形闘技場のど真ん中にて、ギンとルナは向き合う。
「……魔術士ルナ。見せてみろ!」
ガルムの巨体がさらに膨らんだように見えた。
ルナもそれに負けじと背筋を張った。
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