銀の試練・前
◆
「ギン⁉」
ルナは駆け寄ると、心配そうにギンに触れた。
ギンは少し強張った表情をしている。
「どうしたの⁉ アル先生に何かされたの⁉」
「ナニモサレテナイ」
「何もしてませんよ、失敬な。ただ、彼女に働き口を紹介しただけです」
「働き口って……」
ギンはただ多くの若者たちに見つめられて、少し緊張しているだけのようである。
アルフォンスに変わり、試験官の魔導師が説明する。
「今回の試験は、魔物との交戦。とくに格上の魔物との戦いをどう生き延びるか、です。
ギンさん、転変していただけますか」
魔導師たちは少し離れた。ギンが体を震わすと、回転し、一気に膨れ上がる。人の姿から、巨大な四脚の魔物、ガルムの姿へと変わった。
受験生たちがどよめく。人に化ける魔物を見たことない者も多い。
「見ての通り、このガルムはボス個体。通常のガルムよりも大型で、毛並みも違う。
一撃でも牙や爪に捉えられれば、体が吹き飛ぶと思ってください」
受験生が息を飲む。
「アルファ個体?」
ルナが訊ねると、試験官が説明してくれた。
「ああ、すみません。教科書にはアルファ個体と書いてありましたかね。群れのリーダーとなる個体のことです」
「……いえ。ルナ君は普通に知らないだけです」
アルフォンスが言うと、ルナは顔をしかめる。
「では、ギン。即死だけは避けるようにお願いします」
「ワカッタ。ウチ、ハタラク」
「なんでカタコトなの?」
ルナは久々にギンの本来の姿を見られて、少し嬉しかったが、まさか戦うことになるとは思っていなかった。
試験官が言う。
「ギンさんが、今回の試験の相手です。殺すつもりでやってください。
死んだら骨は拾ってあげますが、まぁ、そうなる前に止めるので安心してください」
「本気かよ……」
ロバルトは冷や汗を流す。レデクス村では人型形態での戦いしか見ていないが、本来の姿の方が弱いと言うことはないと考えられる。
他の学生たちは、いきなり現れた本物の魔物に困惑する。
ギンが魔物であることは公表していた。
アルフォンスの使い魔であると、魔術協会と市に報告してある。ギンの性格からして、隠しておけば必ずボロが出ると考えたからだ。
使い魔には二種類ある。自分自身の魔力で作り出したものと、原生の魔物を支配したものである。
原生の使い魔は珍しく、大抵は弱い魔物しかいない。だが、群れを作る魔物の中には、時折、人に懐く個体も存在している。
しかし、ガルムのような凶悪な魔物は、使い魔としては適さないとされている。その上、ギンはアルファ個体。人に阿ることなど、まずありえない。
観察と実験のため、アルフォンスの管理下に置かれている。
ルナはアルフォンスを睨みつけていたが、アルフォンスは知らん振りでギンの首を撫でた。
「知らない人のために、ガルムの特徴について教えておきましょう」
アルフォンスはギンの肩を指す。
「犬のような形をいる魔物ですが、もっとも判り易い違いは、やはりこの外骨格のような堅甲です。実際には体毛が変化したものですが、金属よりも固く、それでいて柔軟。
身を守る効果もありますが、これによりただの体当たりも、強力な一撃となります。尾と手足にも同じ堅甲があり、そちらは刃のように鋭いため、注意が必要です」
アルフォンスはギンの唇を持ち上げる。鋭く巨大な牙が剥き出しになり、アルフォンスは指でそれを叩く。受験生たちは少し引いた。
「牙は鋭いですが、それよりも恐ろしいのは、口の中の『火腺』です。ギン」
「うう~」
ギンが唸ると、牙が赤熱化する。
「このように口の中に火の魔法を放つ器官があり、牙に熱を持たせて獲物を溶断します。
まぁ、人程度なら、牙だけでも簡単に切断してしまいますが、防御魔術には耐熱性を持たせることをお勧めします。
中には火を吐き飛ばす個体もいますので、距離があるからと言って安心しないように」
アルフォンスは言葉を切った。
「そして、ここからはギンについての特徴です。
この個体は通常のガルムより、体重体長が二倍以上。通常のガルムは脅威階級で言えば、第三階級。しかし、それは群れでいることが多いからです。
一体でいる個体で言えば、第二階級がせいぜいでしょう。しかし、この個体は違う」
アルフォンスはギンの頬をバンバンと叩く。
ルナはギンの毛を引っ張って、アルフォンスから離そうとするが、それで動く重量ではない。
「このギンという個体は、単独で第四階級、もしくは第五階級でもおかしくはない。
よく訓練された兵士と魔術士含む、百人と同等か、それ以上の強さ。
オーガ、セイレーン、ジン……。その程度の実力のある魔物と考えてください」
魔物には脅威階級というものがある。狩人商会が勝手に付けたものだが、今では公の場でも使われることがあった。
第一階級はほとんど無害。第五階級ともなると、都市破滅、悪くて国家破綻。第六階級以上は、ほぼ伝説、災害的な存在だ。
「このような魔物には滅多に出会えるものではありません。是非とも今回の試験で、皆さんの魔物に対する心構えを見せてください」
受験生たちは黙りこくる。そんなこと言われても、という声が聞こえてきそうだ。
「ギン……」
ルナは久々のギンの暖かい吐息を感じる。
「ルナ、手加減はしない。お前が成長したかどうか、うちに見せてみろ」
◆
受験生たちは集まって作戦会議である。
相手は魔物一匹。対してこちらは三十人の見習い魔術士。
数の上では圧倒的に有利だ。ただ、問題は勝利条件である。
「十五分間、逃げ切る……。このために第一試験で走らされたわけか」
グイルクが撫でつけた髪を、もう一度、撫でつけた。彼は受験生の中ではもっとも年上だ。体格も大きいため、三十歳過ぎに見えるが、まだ十八である。
「隊を分ける? 攻撃班と防御班とか」
イルヴァがグイルクに言った。イルヴァは受験生全員と顔見知りだ。話をまとめる役としては申し分ない。
「それでしたらルナを中心に隊を組むべきですわ。治癒魔術師は戦闘の要です」
リリアナが言うと、ロバルトが訊ねる。
「なぁ。それより、逃げ切るってどういうことなんだ? どうやったら逃げ切れなかったことになるんだよ」
「……」
離れたところにいたギリオが静かに言う。
「気絶か、拘束。それか、心が折れるか。怪我をしても本当に死ぬ間際までは、戦闘不能とみなされないでしょう。
魔導師も、こちらに治癒魔術師がいることを前提で試験を作っているはず。極めて実戦に近い試験と思うべきでしょうね」
「ギリオ」
ロバルトが呼びかけると、ギリオはその童顔を逸らした。彼とロバルトの間には、少し問題がある。
グイルクが試験開始の砂時計を見た。もう時間がない。
「攻撃班を決める。それ以外はルナを守る防衛班だ。防衛班からは負傷者を回収するための少数の班を作る」
ルナは反対したかったが、時間がない。
アルフォンスはギンについての特徴は、意図的に話していなかった。ギンを知っている者も、人型での戦い方を見ただけで、魔物形態の戦い方は見ていない。
ギンを良く知るルナ自身も、今のギンは別次元の強さを持っているはずだ。
「グイルク、相手をただのガルムと考えない方がいい。ギンは……」
「わかっている。どんな能力を持っているかわからない。未知の魔物だ」
グイルクがまずは攻撃班を募集する。数合わせを少しして、即席の隊を組む。
ロバルト、リリアナ、オルシア、ディルタ、イルヴァは、ルナの守備につく。
今回の試験は、時間稼ぎが大切になる。そして、おそらくギンはルナを積極的に狙ってくる。
ギンは戦術のセオリーを気にしないだろうが、治癒魔術師を残して置くようなことはしない。必ず何かを仕掛けてくる。
「お~い、もう始まるぞ~。この砂時計が回転したら、始めていいんだよね」
「そうです」
ギンが言うと、試験官の魔導師が答える。
間もなく最後の砂が落ち、自動で回転するはずだ。
「とにかく、ルナを守って時間を稼ぐことだ。みんな、いいな!」
グイルクが見渡して言う。頷くしかない。ここで異論を唱えても混乱するだけだ。
当然のようにリーダーとなったグイルクは、場を支配した。
◆
グイルクは攻撃班を指揮するつもりなどなかった。なぜならこの試験の構造は、ルナを囮にして時間を稼ぐことにあるからだ。
広い円形闘技場は、この円の中で戦えというものではない。ただの障害物。隠れる場所である。構造からすると、地下まであるかも知れない。
防衛班に戦ってもらい、散り散りとなった攻撃班をあのガルムが襲っているうちに、身を隠してしまえば良いと考えた。
(鬼ごっこだ。戦う必要などない)
たったの三十人の見習いで、ガルムの特異個体を倒すなど馬鹿らしい話である。
本来であれば、ここに近接戦を得意とする戦士が必要だ。魔術士だけの小隊規模の部隊など、どの時代でも存在していない。
連携が取れていない魔術士がいると、魔術同士が干渉して発動に失敗する可能性が高いからである。
(自分以外は囮だ。ルナ・ヴェルデには悪いが……)
それを考えたのは、グイルクだけではない。攻撃班に参加した何人かは、わかっていたことだ。
ルナを守る者たちが、五分でも時間を稼いでくれれば充分。そう考える。
砂時計が回転する。
「攻撃班は散って、的を絞らせるな! 自分が囮になってでもあのガルムを引きつけろ! 多少怪我をしても、ルナに治してもらえる! 最後に立ってさえいればいいんだ!」
砂時計が回転し終わり、中の砂が動き始めた。
「攻撃!」
グイルクが叫ぶと、それぞれが遠距離魔術を放つ。
グイルクの予想では、ギンは真っ直ぐに向かってくるはずだった。しゃべることができるとは言え、所詮はガルム。比較的賢いと言っても、人ほどではない。
その予想に反し、ギンはその場で膨らむ。
大きく息を吸い、胸部が風船のように膨らんで、倍ほどの大きさになる。
「なんだ?」
ガルムがあんな形になるとは本には書かれていなかった。どんな攻撃の予兆なのか判断がつかない。
投射魔術が届く直前に、ギンの地面に胸の中の物を吐き出す。
大量の水が一気に溢れる。
ギンの体は水柱に乗って上空へ舞い上がり、水は津波となって円形闘技場を飲み込んでいく。
ほとんどの投射魔術は水の中で打ち消され、愚かにも円形闘技場の真ん中にいた受験生たちは、蛇口から桶に注ぎ込まれた水をまともに受ける。
悲鳴すら掻き消され、押し流された。
「あーあ……」
壁に張り付いた試験官が呆れた声を出す。
何人かの生徒は空中に飛んで避けたが、半数以上は押し流され、どこかにぶつかって戦闘不能になってしまうと思われた。
「アルフォンス魔導師、本当にあの水の精霊は、あなたの支配下にあるのですよね?」
試験官が訝し気に訊ねる。
「まぁ、それなりです」
アルフォンスの曖昧な返事に、試験官は肩を落とした。
溢れた水が落ち着きを取り戻し始める。観覧席に乗りギンは様子を見ていた。
水面からひとりの受験生が顔を出す。ルナだ。
起ち上がったルナが腕を上げると、他の受験生たちが引っ張られるように水の中から飛び出してくる。
延ばした紐を他の受験生たちを繋ぎ、流されるのを防いだのだ。
引き上げられたグイルクに、ルナが叫ぶ。
「グイルク! やっぱり無理! みんなで戦うしかない!」
ルナが叫ぶ。
水面に降り立ったガルムの鋭い眼光に、グイルクは恐怖する。自分の見通しの甘さに後悔した。
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