あらためまして
◆
ルナはギンに全て話した。
ギンと別れ、学園で起こったことを全てだ。いつものようにギンはルナの話を聞くだけだった。
ギンは着膨れし、ニット帽まで被っていて、魔犬というよりは魔熊である。
「アンのこと、後悔してるってこと?」
「してないよ。でも、誰もアンのことを知らないのは悲しい。私たちを助けてくれたのに……」
アンは魔神アドストリスと相討ちになったのだろうか。ルナにはそうとは思えない。
アドストリスはアンが消えたあと、アルフォンスを操って襲いかかってきた。それと同時に、アルフォンス以外の操られていた人々は力を失い気絶した。
あのとき、アルフォンスを操ってルナを襲ったアドストリスは、残りの力を振り絞った、最後のあがきだったに過ぎない。
そして、その残り滓は、今はオド学園長が封印している。もし、魔神としての力が残っていたならば、そんなことは不可能なはずだ。
そして魔神は、封印の瓶の中で餓死するのを待つように、何も語らずにいる。
アンは前世からの因縁であるアドストリスに勝った。ルナはそう信じている。あとはこの世界の問題ということなのだろう。
では、ルナの知っているアンは、どこに行ってしまったのだろうか。
アドストリスの力で、忘れ去られてしまったのか。ルナが無理矢理な力の使わせ方をしたせいでそうなってしまったのか。それとも、アンの中にあった黒炎がそうさせたのか。
ルナには判断が付かない。
学園の近くにある公園には、霜が降りている。白くなった芝生が、より一層寒々しく感じさせる。
アンは、元の世界に帰ったのだ。
アドストリスが死に、その影響を受けた者アナスタシア。真白御凛子は元の世界に戻ったのだと、ルナは思っている。
そして、彼女の世界は救われたと信じていたい。
もし。
もしも、ルナがヴェルディクタを倒したなら。
(私の場合は、それ以前の問題か……)
元の世界に戻る方法がないのだ。アンの場合のように、あちらから会いに来てくれるとは思えない。
「うう~、ギン~」
「歩きづらい」
毛皮に顔を埋めたいところだが、今はそれがない。仕方なく後ろから抱き着くだけで済ます。
街の中を二人で徘徊し、やたらと旨い肉の串焼きを買い食いした。そろそろ帰ろうかとしたとき、ギンが知り合いの匂いを見つけた。
「あ、リリアナだ」
「お~い! リリア……ナ」
通りの向こうにリリアナの姿が見えた。ルナは何も考えずに、リリアナの名を呼んでしまう。
リリアナがこちらを向いた。いつもの大輪の花のような笑顔だ。しかし、ルナはまずいことをしてしまったと思う。彼女の隣には男性が、ディルタがいたのだ。
リリアナたちが近付いてくる。ルナは気まずくなる。
「奇遇ですわね、ルナ、ギン」
「なんか、ごめん。デートを邪魔しちゃったみたいで……」
「デートじゃねぇよ。ただ、同じところ歩いてただけだ」
「まぁ、ディルタ。わたくしは噂になっても構いませんわよ。あなたとなら」
「はいはい」
ディルタはどんな感情なのか、表情からはわからない。少なくともこの偶然の出会いを喜んでいるようには見えない。
「二人はどうしてここに?」
「この近くに孤児院があることは知っていまして? わたくしたちはそこに行こうと……、そうだ。ルナとギンも一緒に行きましょう!」
リリアナはルナの手を取ると、歩き始めた。残りの二人もそれに従う。
「リリアナはわかるけど、どうしてディルタが孤児院に?」
「まぁ、ルナ。どうしてわたくしが孤児院に行くことがわかるのでしょうか」
「え。ほら、リリアナは優しいから……」
リリアナたちは手に篭を持っていた。子どもたちのための菓子のようだ。さすがに手作りというわけではないが、充分な量の手土産を購入してきたようだった。リリアナの財力であれば、その程度のことは痛くもないだろう。
「それが皮肉でないことを祈りますわ。でも今回、わたくしはディルタの付き添いですの。
ディルタが孤児院に行くと言うので、無理を言って連れてきてもらったのです」
「ディルタが?」
ルナの視線に、ディルタは頬を掻く。
「まさか、幼女を今のうちに手懐けて……」
「……どこから出てくる発想だよ。お前……、普段からそんなこと考えてるのか?」
「ルナ、さすがにそれは少しばかり……」
「すみません」
いつものように茶化そうと思ったが、二人に責められてうつむいた。
しかし、意外である。ディルタが子ども好きとは意外だ。精神年齢的に、嫌いそうな印象だった。
その思いを感じたのか、ディルタは言う。
「別に普通のことだろ。魔術士なら当然のことだ」
「当然ね。そうは思えないけど……」
「そうですわよ、ディルタ。なかなかできることではありません。
わたくしでさえ、あなたに言われるまで、孤児たちの様子を見に行こうなんて思ったことはありませんでした。でも、必要なことですわ。むしろ、今まで考え至らなかったことに、わたくしは反省し……」
「この辺りにある孤児院って確か……」
リリアナの高説が始まりそうだったので、ルナは割り込んだ。孤児院が見えてきて、やはりと思う。
「知っているか、ルナ。この孤児院には、魔術士の素質がある子どもたちが集められてる。貴族の出資でな」
立派な門には、フェリントン孤児院と書かれている。ルナが助けた孤児である、セラとロウリがいる孤児院である。
「リリアナには悪いが……、貴族は信用できない。ここで非人道的な訓練が行われているかも……」
「それはないと思うけど」
「ルナ、この孤児を見たことがあるのかよ。子どもたちの様子を知らないと、そんなことわからないだろ」
「う~ん。だって、ここの理事ってアル先生だし、そんなこと許すとは思えないけど……」
「……アルフォンス先生なの?」
「まぁ! アルフォンスさまが……。それならば安心ですわ」
ディルタは知らなかったようだ。アルフォンスはこの孤児院にかなりの金額の支援をしている。それはルナの願いでもあった。
ルナはまだ一度も孤児院を訪れたことはないが、少なくともロウリ兄妹は、幸せに暮らしていると、出入りしていた使い魔のカンナは言っていた。
「ま、まぁ、でも、実際に見てもいないと、わからないこともあるからね」
孤児院の立派な門は、閉じられてはいなかった。石造りの外見はシンプルで、無駄な装飾はない。規則的に配置された窓は、どこか無機質な感じだ。
だが、その窓の下、低い位置の壁は、やたらとカラフルだった。絵具か、チョークで描かれた、不規則な形の良くわからない絵が、一面を彩っている。
ルナとリリアナは思わず口元が緩んだ。子どもたちの落書きが、そのまま残されているのだ。
それが意図的なのか、忙しくて手が回らないのかはわからないが、それだけでもこの孤児院では、子どもたちは楽しく暮らしているのだと想像できる。
ディルタが足を止めてしまったので、ルナは慰めるように言う。後ろから来たギンが、ディルタを押した。
「子どもを育てることはいいことだ。群れの未来に繋がるからな。凍えていないかだけでも見て行こう」
リリアナが扉の呼び金具を叩く。かなり大きな音がしたはずだが、しばらくしても中から人が出てくる気配はない。もう一度叩くが、誰も出てこない。
リリアナはルナと顔を見合わせる。ルナが慎重にドアノブを回した。
扉を開けると、凄まじい喧騒が耳に飛び込んできた。
悲鳴、泣き声、笑い声、奇声、歓声。
嵐のような音である。さらにそこに走り回る音。何かを叩く音。呼び金具の音が聞こえなかったのもわかる。
「す、すみませ~ん」
その程度の声で、誰かが気付くはずもない。小さな女の子が、指を咥えながらルナを見ているだけだ。
「は、入っていいのかな……」
ギンが扉を開け、リリアナから篭を奪い取る。
「ほら、ガキども! ヴァヴェル学園の魔術士がお菓子を持って来たぞ!」
子どもたちがその声を聞いて、ギンに集り始めた。ギンは篭を高く掲げて、子どもからそれを守ると、ひとりひとりに菓子を配っていく。
一階は広間になっており、まだ小さな子どもたちが、駆け回れるようになっている。
「あ~あ……」
ルナが呆れた声を出す。勝手に菓子を配って良いのだろうか。
「あの、あなたたちは……」
ようやく大人が現れて、ルナたちに対応してくれた。熟年の女性と若い男女が、ルナたちに声をかけた。リリアナが進み出る。
「突然、押しかけて申し訳ありませんわ。わたくし、リリアナ・リルケーと申します。ヴァルナ・ヴェルデ高等学園の学生をしております」
リリアナは全員の紹介を軽く済ます。
「実は、子どもたちが寒さで凍えていないか、心配で様子を見に来たのですが……。どうやら杞憂だったみたいですわね」
「そんなことはありません! とっても助かります! どうぞ、様子を見て言ってくださいな! 子どもたちも喜びます!」
そこからは戦争である。
まず、ギンの菓子がなくなると、ディルタに殺到し、彼を押し潰した。
「なんでスカートみじかいのー?」
「ちょっと! めくらないで!」
「まじゅつみせて!」
「あ、後でお見せますわ」
「あとでっていつ?」
「なんで体を登る!」
「もちあげて、もちあげて!」
遊び相手を見つけた子どもたちは、寒くて外で遊べない分を全て遠慮なく、四人にぶつける。
孤児院の先生たちは何も言わずにそれを見守っている。
背の高いディルタがひとりの子どもを抱えると、ほかの子どもたちも同じことを要求し始める。
ただ、無秩序に要求するのではない。ひとりが並び始めると一列に並んで順番待ちをする。
「教育されてる……」
愛らしい小さい行列になった子らは、さっきまでとは大違いで大人しい。楽しいことには貪欲だ。
ディルタは悲鳴を上げながら、その要望に応える。
小さいとは言え、20キログラムはある体重を何度も持ち上げるのだ。多少の体力では耐えられない。
初めの子が行列の後ろにもう一度並び始め、列は一向に短くならなかった。
悲鳴を上げながらも、子どもたちを持ち上げる。そんなディルタが面白いのか、悲鳴の度に歓声が上がった。
ルナとリリアナはディルタを生贄にし、先生たちの元に避難する。ギンだけは無限の体力で、子どもたちを逆に振り回していた。
「本当に助かります。若い力は偉大ですね」
先生たちはすっかりくつろいでいる。つかの間の休息を楽しんでいるようだ。
ルナたちをあっさりと中に招き入れたのも、この大攻勢から逃れるためのことだったらしい。
「みんな、元気一杯ですわね……」
「そうなんです! いつもこうなので大変なんですよ!」
晴れやかに言われ、二人は苦笑いするしかない。
「申し訳ありませんわ。付き合わせてしまって……」
リリアナはすまなさそうに言う。ルナは微笑んだ。
「うん? 私も少しここに用事があったし……。それに私、結構こういうの好きだよ」
若い先生がルナの言葉を聞いて喜ぶ。
「まぁ、それでしたら、ぜひ、うちに就職してくださいな。お給金は高くないですけど、毎日飽きませんよ!」
「う~ん、どうなんだろ。特待生だと、就職誌先が限られるからなぁ……」
「ルナの場合は治癒魔術師でもありますから、国や市が黙っていませんわ」
熟年の先生、フェリントン孤児院の院長であるオルメリアは、少し言いづらそうにルナに話しかける。
「あのー、もしかしてルナさんって、アルフォンスさまのお弟子さんの……」
「ええ、そうですよ。なんだか近頃は……」
破門でもされそうと言おうとして、やめておいた。
オルメリアは平謝りしてくる。
「申し訳ありません。お弟子さんとは知らず、失礼なことを……」
「失礼なんてとんでもない。子どもたちと遊ばせてもらえて良かったですよ」
しばらくそうして、孤児院での苦労話などを話す。
子どもたちは当然、親がいない。
目の前で魔物に食い殺された子もいる。盗賊たちに攫われたり、親に売られた子もいる。国は厳しく取り締まっているが、そういった事件や犯罪が、横行している地域もまだ多い。
まだ傷が癒えていない者も多い。こうして笑顔で暮らしていけるだけでも幸運だ。そう思わないとやっていけない。
「そう言えば、セラとロウリの姿が見えないんですが……」
ルナが言うと、オルメリアは手を合わせた。
「そうでした! 二人は上の階にいますよ。今、みんな魔術士になるんだって、張り切っているんですよね。
私たちとしては、勉強してくれるのはとても良いことだと思うのですけど、勉強ばかりというのもどうかと思うんです。もし、良ければ少しは遊ぶように言ってやってくれませんか」
この話が曲がって伝わり、ディルタはここが貴族の魔術士訓練場だと思ったのかもしれない。
アルメリアが上の階を案内してくれると言うので、ルナはついていくことにした。リリアナはディルタを援護してから、後から行くと言う。
ルナはアルメリアの案内で、二階へと行く。細かい部屋がいくつかある階で、子どもたちの寝室があるようだ。
さらにその上の階は、見通しの良いラウンジになっており、テーブルと椅子が置かれた落ち着いた雰囲気の場所である。壁際には少ないながらも本が置かれた棚があり、読書や勉強ができる雰囲気があった。
ここではある程度の学習授業が開かれるとのことである。衛兵の人たちが非番のときに来たり、魔導師を目指す者が来て、遊んでいったり勉強を教えてくれるそうだ。
ルナの姿を見た女の子が、一目散に駆けてきた。
セラである。
彼女はそのままルナに抱き着くと、声を出さずに可憐な花のような笑顔を向けてきた。
セラとは一年近く前に、一度だけ顔を合わせただけである。そのときもほとんど話す機会はなかった。だが、彼女は忘れていなかったようだ。
「セラ! 知らない人にそんな風に抱き着いたら……」
ロウリが追いかけてきて言った。彼はルナのことを憶えていなかった。
死にかけていたロウリは、意識が朦朧としていたはずだ。ルナを覚えている余裕はなかっただろう。
「二人とも元気そうだね。カンナから話は聞いてたけど、こうして会うのは初めてだね」
カンナの名が出て、ロウリは不思議そうにルナを見た。
「あらためまして初めまして。テルティア・ルナ・ヴェルデって言います。
二人が元気そうで良かった。なかなか会いに来れなくて、ごめんね」
その名を聞いて、ロウリは自分たちの恩人であることを知る。
ロウリはもっと大人びた女神のような人だと思っていたのだ。だが、自分の想像とは少し違った。失望したわけではない。自分とほとんど年齢が変わらないような人だったからだ。
「え、えと、初めまして……」
そういうのが精一杯だった。
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