冬の初め
◆
カンナがいなくなったせいで、朝起きるのが遅くなった。
カンナはカーテン越しにも光の変化を感じて、夜明けすぎには起こしてくる。もう少し寝かしてほしいところであるが、起こしてくれないのも寂しいものだ。
寮の学生たちが、学園に戻り始めた。皆、園外授業で外に出ていたので、学園にいる生徒たちはまばらであった。園外授業に行かなかった生徒たちは、第五から第六学位の者たちだけである。
ルナたちは手紙が届いてからすぐに戻り、移動手段も空飛ぶゴーレムという便利なものだったため、ほぼ一番乗りで帰ることができたのだ。
ルナは寮生たちを笑顔で出迎える。皆、杖を向けてくるか、喚いて逃げ出す。そのたびにオルシアが生きていることを説明した。
大食堂でも大抵の生徒は一度通り過ぎ、振り返って二度見してくるので、注目されるのに慣れたルナもさすがにウンザリしてきていた。
ただ、一度認識されれば、噂が広がるのもあっという間である。
次の日にはそう言った生徒も少なくなり、まだ帰ってきてない生徒たちも、帰ってくるなりそのことを知らされる。注目されているせいで、噂の広がりも早い。
そう言った噂に敏感な人物が、ようやく帰ってきたのは、ルナたちが帰ってきてから、一週間後のことであった。
彼女は弦楽器のリラをかき鳴らし、まるで演劇の佳境、悪が退治されるそのときを再現する。
その旋律が誰にではなく、自分に向けられていることに、ルナは戦慄した。
「ルナ・ヴェルデぇ……」
リラの演奏の優雅さとは裏腹に、イルヴァの声は枯れ、髪は毛羽立ち、制服は見るも無惨にボロボロである。
山ごもりから帰ってきたかのような姿、実際に山ごもりしていたのだが、いつも身嗜みに気を使うイルヴァとは思えない姿で、ルナを見つけると駆け出した。
ルナは悲鳴を上げながら、寮の廊下を逃げる。
「逃げるなや! ゴラァ!」
「イルヴァさん、これには事情が……!」
「アタシがどんな思いでこの一ヶ月過ごしたか……。思い知らせてやる!」
「ひぃいいっ……!」
逃げ続けて、イルヴァがベソをかきながら息も絶え絶えに追いかけてくるのに気が付いた。
ルナは仕方なく立ち止まって、イルヴァを受け入れる。腹に一発強いのくらい、そのままタックルに移行して、二人は芝生に倒れた。
しばらくイルヴァにされるがままにされ、涙と鼻水を肌で感じられるようになったとき、イルヴァはようやくルナを解放してくれた。
「ごめんなさい、イルヴァさん。もうこんなことは起きませんから……」
「絶対、許さねぇ。一生、この件でたかってやるからな」
「……」
◆
風呂に入ってさっぱりとしたイルヴァと、揃って大食堂で昼食を摂る。
「レイニーさんに弟子入りしてたんですか。へぇ……」
「弟子と言うか、見学と言うか。仕事に同伴させてもらっただけだけどね」
レイニーとは音の魔術を使う一級魔術士だ。学園に現れたヴェルデのアトリエ探索の際の、地図作成要因として、先遣調査隊に参加していた。
「またあの格好になってたんですか……」
ルナが言うと、イルヴァが笑った。
「ね。あの人、露出凄いでしょ。山の中でもあの格好なんだから、驚いちゃったよ」
「露出?」
オルシアが何の話なのか興味を持ったらしい。
「女の人だったんだけど、なんか下着の上にコートだけだったんだよね。今の時期、山にあの格好で入ったら、凍えそうだけど……」
「なんかあのコートに秘密があるらしいよ。脱いだときはさすがに寒そうにしてたけど」
ロバルトとディルタがやってきて、リリアナもそこに合流する。
「ごきげんよう、イルヴァさん。外での授業はどうでしたか?」
「リリアナ。その顔からすると、ルナが生きてたのは全員知ってたってことか……。仲間外れは、アタシだけだったわけね」
「必要なことでしたのよ。あなたに秘密を知らせれば、レイニー・フォスさまのお仕事に同行することはできなくなってしまいますから。苦渋の決断でしたわ」
「はぁ、そう……」
「そのリラが、イルヴァさんの新しい杖ですわね! 音色をお聞かせて願ってもよろしくて?」
リリアナは話を逸らす。イルヴァは少し恥ずかしがりながらも、演奏してくれた。
大食堂にいつもとは違った雰囲気が漂い、生徒たちはその軽快な音楽を楽しんだ。
◆
そうやって学園自体が穏やかな時間を取り戻し始め、ほとんどの学生たちと魔導師が帰ってきて、ようやく通常通りの授業が再開された。
そして、アルフォンスとの訓練も同時に再開されることになる。
この演習室に入るのも久しぶりな気がした。
「殺風景ですね」
今日の演習室は、標準状態。白一色にパネルの模様があるだけである。パーティ会場でも用意されているかと思っていたのに残念だ。
背筋を伸ばし、美しい姿勢で立つアルフォンスは、いつもの軍服である。
揃えた踵と、後ろで組んだ腕。何も言わずに佇む姿は、地に突き刺さった剣のようである。
「なんか……、怒ってます?」
「怒っていますよ。僕もまだまだですね。あなたに感情を探られるようでは……」
「……」
死を偽装したことを怒っているのだろうか。それともお土産がなかったことだろうか。思い当たる節はいくつかあるので、下手につつくのはよろしくない。
「き、機嫌を直してくださいよ。こうして可愛い弟子が、無事に帰ってきたんですから……」
「無事?」
アルフォンスは軍靴を床に打ち付けて、少しルナに近寄る。
「無事というのは、本気で言っていますか? 僕は師として、あなたに何も教えられなかったかと思うと、残念でなりません」
顔を近付けられ、ルナは背を反らした。アルフォンスの額の血管が浮き上がっている。
これは完全にキレているやつだ。
「治癒魔術師の心得を言ってみなさい」
「……あー」
心得はたったの二つだ。アルフォンスに死ぬほど叩き込まれた。
「戦いは極力避けること。死ぬときは一番最後に死ぬこと……」
「無事というのは、誰に助けを借りくことなく、一度も死なずに戻ってくることを言うのです。
真っ先に敗北し、それだけでも恥だと言うのに、あつまさえ守るべき王女に命を救われるという失態。筆舌に尽くし難い。
ゾンビたちの群れに突っ込んで、焦って魔術が使えなくなった? 戦士を別行動させて、治癒魔術師が近接戦?
もう、僕はどうすれば良いのか、わからなくなってきました……」
アルフォンスは怒りを通り越して、深い溜息をついて落ち込み始めた。彼がそんな方に落ち込むと、ルナもなんだか気分が落ち込んでくる。
「申し訳、ありません……」
アルフォンスに失望されることが、こんなにもつらいことだとは思わなかった。
鼻の奥が痛くなり、目から熱いものが溢れそうになる。
「ルナ君?」
「な、泣いてません!」
あれ、そう言えば、帰ってきたときは「ルナ」と呼んでくれたな、と思い出す。
アルフォンスに頬を掴まれ、顔を上げさせられる。まるで色気のない持ち上げ方に、ルナは不満だった。
「その瞳、どうしたのですか」
「瞳?」
アルフォンスの瞳に映るルナの左目だけが、黄色とも白とも言えない色に燃え上がっていた。
◆
授業が停止していた期間分だけ、第五学位昇級試験の日程も後ろにずれ込み、空には雪がちらつくようになっていた。
スカートを短くしていたルナは、厚手のタイツと毛糸のパンツを身に着け、防寒とした。
今までの学園ではロングスカートが主流だったため、やはりそれも物珍しく映ったらしい。黒いタイツを見て、中には売女ようだと揶揄する男もいたが、それは「お前がそれに見慣れているからだろ」と言って、黙らすことに成功する。
スカートの長さを短くしていた女生徒たちは、そのタイツを購入していく。ひと財産築かせてもらって、懐は温かい。
試験前の休みの日。ルナはひとりで街に出かけた。
近頃は考えることが多過ぎる。
アンのこと。アルのこと。オリィのこと。自分のこと。
時間が経つと、瞳の色は元に戻った。それは魔術士アン・レデクシアの瞳の色と酷似していたが、今のアルフォンスはアンのことを知らない。そして、このことは話すつもりはない。
その全てを相談できるのは、ギンだ。ギンに相談したところで何かあるわけでもないが、とにかく話しておきたかった。
結局、アルフォンスには、グリオンのことは話せなかった。機会を逸してしまった。一度機会を逃すと、その後もズルズルと話せなくなってしまう。
「寒……」
制服のローブと、中にカーディガンを着て、タイツも穿き、オルシアがくれたマフラーまでつけてきたが、乾燥した空気と石の街は、容赦なく体温を奪う。
この時期の表層の通りは、人通りが少なくなる。買い物客は寒さを逃れて、地下街に移っていた。
閑散とした寂しい大通りを抜け、ダウリの店につく。ガラスのショーウィンドウから中を覗くと、ダウリは一生懸命に裁縫(といっても複数の針と糸を魔術で操っている)をしていた。
扉を開けると暖かい空気にホッとする。ストーブで温められた室内は、暑いくらいだ。
「いらっしゃい。ってルナか」
「こんにちは、ダウリさん」
ルナは持ってきた荷物を作業台に置いた。この間預かった、ルナのノルマである。
「もう、できたんだ。さすが仕事が早いね」
「これ、学園での代金と帳簿の写しです。イルヴァさんは寒いから外に出たくないみたいで……」
「そっか、ありがと。おお! たんまりだね。自分たちの分は、もう持ってった?」
「はい。それも帳簿に書いてあります。でも、いいんですか、こんなにもらって……」
「学園で儲かった分は、私にとってはボーナスみたいなもんだから問題ないよ。盛大に使ってよ」
「ありがとうございます」
ルナはしばらくストーブで温まると、ダウリに言う。
「ギン、います? 奥ですか?」
「うん。まだ寝てるんじゃない? 布団から出たくないって」
ギンはダウリとルナの魔術縫製店で、寝泊まりすることに決めたらしい。
ギン曰く、ルナがいない内はアルフォンスの屋敷にいたらしいのだが、近所の雌たちから凄まじい視線を感じるので、逃げてきたとのことである。
ルナと一緒に逗留先を探していたとき、ダウリが部屋の一室を貸してくれることになった。
「ひとりで寂しいと思ってたところだから、丁度いいよ。腕っぷしの強い人がいると安心だし」
ダウリはそう言ってくれた。ギンのことは魔物だと正直に話したのだが、少し変わった魔法使いくらいだと思っているようである。
「いいですか、起こしに行って」
「もちろん。別に許可も必要ないよ。自分の家だと思って」
「……はい」
ルナは階段を上がって、ギンの部屋に侵入する。カーテンが閉められ、部屋の中は暗い。
カーテンを開けると、布団の塊が丸くなる。
「ギン、起きなよ。もうお昼になるよ」
ギンは布団の中で、不明の言語で抗議する。ルナは布団をはぐる。
「あああああ寒いいいい」
「なんで裸なの?」
ギンは全裸で眠っていた。それは寒いに決まっている。
人とのなったギンは、魔犬の姿のときとは性格も違うのか、ルナはこんな無防備な彼女は初めて見る。
「不思議なんだけど、その状態で犬の姿に戻ったら、毛がない犬になるの?」
「……布団返してよぉ~」
ギンはあられもない姿のまま、ルナの手の布団に包まろうとする。ルナは回転して、それを避けた。
「早く服を着なさい」
「うう~、寒い……」
裸じゃないと眠れないのに、寒いのは苦手のようだ。毛皮があったときは問題なかったのだが、人の姿ではそうもいかない。
ようやく起きてきたギンは、さっそくストーブの前で温まる。
「散歩に行こう? 時間あるでしょ?」
「い、いやぁ、今日はダウリに用事を頼まれてて……」
「特に用事はない」
ギンは精一杯の抵抗を試みるが、ダウリに無慈悲に打ち砕かれて、ルナに連れ出されてしまった。
まだ冬の初めである。もっと寒くなるのに、これでは先が思いやられる。
読んでいただきありがとうございます!
評価、ブックマーク、感想等で応援お願いします!




