テルティア
◆
王立騎士団がレデクス村への応援に駆け付けたのは、一日も経たない内である。
何騎もの翼竜種に乗った騎士たちが、村に訪れてみれば、村は平和そのものである。しかも、他の村中の住人たちが集まって、お祭り騒ぎなのだ。
「ど、どうなっているのだ……?」
「誤報⁉」
「ふざけているのか!」
騎士たちは村が魔王軍の襲撃にあったと聞いていた。それがなかったことにされているのだ。能天気に踊っている村人たちに、困惑や安心よりも、怒りに近い感情が湧く。
「まぁ、待て待て。ここにはフィオナがいるのだから、何か事情があるのだろう」
そう言ったのはジルベルト第四王子である。フィオナの実の兄である彼は、何をも置いて駆けつけた。
その脇を走り抜けていく老人がひとり。
「ライラッ~‼」
宮廷魔術師ディテウスが、水面を凄まじい勢いで駆けていく。
ライラとはリリアナの名前のひとつである。ヴィテウス・フォンデルケルン・リルケーは、リリアナの父だ。良くわからないがリリアナの位置を探知し、一直線に駆けていく。
「……。とにかく状況の確認だ。城に何人か送って状況を聞いて……」
「殿下。あの小屋に兵士たちが何人かたむろしています」
ジルベルトがそちらを見やると、確かに小屋船の前で兵士たちが、酒を飲んでいる。
陽気に歌うのに夢中になって、騎士団が降りてきたことにすら気が付いていない。
「では、まずはあそこからだ」
数人の騎士を連れて、ジルベルトが小屋に近付く。
完全武装の屈強な騎士たちが歩くのだ。浮かれた村人たちも、さすがに黙って見送る。
その物々しい雰囲気を感じ取った、飲んだくれいた兵士たちが、ジルベルトの姿を見て慌てて立ち上がる。足元がおぼつかない。
「フィオナは」
「シルへルトへんか、こきけんうるわしう」
「フィオナは?」
「な、中におられましゅ」
ジルベルトが小屋の扉を開けようとするが、開けるどころが触れることすらできない。
「誰だい」
中から老婆の声が聞こえた。
「ジルベルト・ルトロネルだ。ここを開けろ」
そう言うと扉が開き、中にメルビムとアンが待機していた。
「ジルぼうや、ずいぶん早かったね」
「メルビム魔導師」
メルビムはジルベルトを中に招き入れると、扉を閉める。外の喧騒が嘘のように静まり、小屋の中は穏やかな空気が流れていた。
「ジルベルト殿下」
アンが立ちあがり、挨拶をしようとするが、ジルベルトは手で制した。
「良い。それで?」
「フィオナ殿下は奥の部屋でお休みです」
アンはそれだけ言うと黙る。てっきりフィオナの元へ駆けるかと思ったが、ジルベルトは冷静である。
「続けろ」
「えっと、フィオナ殿下は、王の魔法の力を使って、村に押し寄せたゾンビを人に戻し、怪我人も死人も、全員を、全てを元に戻されました。
ただ、その……まだ意識が戻らないのです。テルティアの話では、命に別状はないとのことですが……」
アンの言葉に、ジルベルトは喜びとも悲しみとも言えない表情をした。彼はすぐに険しい表情を取り繕う。
「わかった。アナスタシア、ご苦労だった。少しメルビム魔導師と二人にしてくれるか」
「かしこまりました」
アンは小屋の外に出る。それを見送って、ジルベルトはメルビムを見た。
「本当に王の魔法を発動させたのか」
「一から話すよ」
メルビムは事の経緯を話した。
ゾンビたちの襲撃。ヴァージルの離反。魔王軍の屍霊術士。フィオナの誘拐。洞窟の魔鉱床での、王の魔法の行使。
隠すこともなく、知る限りのことをメルビムは伝えた。
「おそらくは今の王族どころか、歴代の王の誰よりも、強い力をフィオナは持ってる。
しかも、これだけ多くの人の前で披露したんだ。隠し通せることじゃない。
フィオナは今、第一王位継承権を持つことになる」
「……」
ジルベルトは口元を押さえ、笑みをなんとか隠そうとするが、無理だ。
「ククク……ハハハハ。メルビム……、学生たちの卒業を急がせろよ。
これから先、忙しくなるぞ。ああ、とても残念だ。残念だよ……」
ジルベルトはこらえきれなくなり、大口を開けて笑った。その声はメルビムの結界で外には漏れない。
「けど、これだけの奇跡はあの魔鉱床があったからだ。それが失われた今では……」
太陽の落涙はその魔力を失い、今はただの石ころとなってしまった。
村の名物のひとつが失われたわけだが、村人の誰もそのことを責める者はいない。
「そんなものは関係ないさ、メルビム。事実さえあればいい。奇跡を起こしたという事実があればな」
メルビムは溜息をつく。
「うちの学生を巻き込まないで欲しいんだけどねぇ」
「無理な相談だ、メルビム。時代の潮流からは逃れられない、誰も。この私さえも……」
◆
「ライラ!」
「お父さま⁉」
突然抱きかかえられたリリアナは、驚いて扇子を水面に落としてしまう。それをディルタが拾った。
「大丈夫なのか⁉ 怪我は⁉」
「お父さま、痛いですわ。少し落ち着いてくださいまし」
娘にそう言われ、隣のディルタがいるのを見て、ヴィテウスは居住まいを正す。
「ゴホン……、失礼。それで何があったのだ。敵は? 魔物はどこだ?」
「連絡が行き違ってしまったみたいですわね。急いで来てくれて感謝します、お父さま。
でも、フィオナ殿下とメビウス魔導師が、全て解決してくださったのです。もう、何の心配もいりません」
「フィオナ殿下? いったい……」
リリアナは振り返ると、岸の方に向かって声をかける。
「ルナ! わたくしたちはフィオナ殿下の元に戻ります! こちらの清掃は頼みました!」
岸で屈んでいるルナが、声に応じて手を振った。
「掃除? なんでまた……」
「戦いでかなり村が荒れてしまいました。水の中にも色々落ちていますし、少しでも復興の助けになればと……」
「復興? この有様でか」
村人たちは楽し気に笑い合っている。とても復興中という雰囲気ではない。
「それは……、まぁ仕方ありませんわ。あの奇跡を目の当たりにしては。ディルタ、あとは頼みます」
「はいはい」
「ハイは一回!」
「はい」
リリアナが去るのを見送ると、ディルタは急いで村の方に走っていき、村人たちのパーティに加わった。
ルナはギンと一緒に湖岸回りを掃除して巡る。
ゾンビたちの足跡で岸はぐちゃぐちゃにされ、植物たちが踏み荒らされている。ルナは魔術で少しだけ力を貸して、植物たちが回復できるように手助けして回った。
ギンはもっぱらルナの周りで遊んでいるだけで、手伝うつもりはないようである。
「じゃあ、死んだ後のことも覚えているんだ。どんな感じだった」
「自分が自分じゃないみたいな感覚。いや、感覚じゃないか。自分が、空気か植物の根っこになったみたいな。広がって、それでもひとつで……」
「あー、わかる。うちの場合は水だったけど」
「じゃあ、やっぱりあのとき死んだの?」
「水の精霊が新しい体を作ってくれなきゃね」
「……」
「そんな深刻な顔するなって。お前だって、約束を守る前に死んでたじゃないか」
「黒炎の影響は?」
「黒炎? ああ、あの魔術か。まだ感じてるよ。問題はないけどね」
「……ギン、相談があるんだ。聞いてくれる?」
「もう心は決まってるけど、後押ししてほしいってこと?」
遠慮のない物言いに、ルナは苦笑する。
「――のことなんだけど……」
ルナはギンに悩んでいることを話して聞かせ始めた。
二人の様子を遠巻きに眺めていたオルシアが、木の陰に隠れながら言う。
「今、笑った。何の話をしてるんだろう」
「やめろよ、オルシア。姉妹の時間を邪魔するもんじゃない」
「でも、ロバルト! おかしいとは思いません⁉ ルナちゃんは死にかけた……、いえ、死んで生き返ったのに、あの人泣きもしないなんて……。
それにルナちゃんだって、生き別れの姉に会えたのに、ずっと落ち着いてるし……」
「姉妹なんてそんなもんじゃないのか? 兄弟がいないからわからないけど」
「むう……」
オルシアにも兄弟姉妹はいないので、その辺りのことは推測するしかない。
ロバルトはオルシアが聞き耳を立てるのをやめる気はないのを見て、ひとり箒で湖岸を均して回った。
「好きにすればいいじゃないか」
「うわ。テキトーな答え」
「だって、うちにはわかんないもん」
「もう少し真剣に考えてよ!」
ギンが木にもたれ、胡坐を組んだ。
「じゃあ、言わせてもらうけど。うちだったら元に戻すね。だって、その方が自分のためになるし。
人の幸せなんてものは、他人がとやかく言えるものじゃない。
その子は、前は幸せそうだったか、今は幸せじゃないのか? それを比較すればいいじゃない?」
「ギンは、賛成ってこと?」
「いや? ぶっちゃけどっちでもいい」
「……」
ギンに相談したのが馬鹿だったと、ルナは植物たちを治しながら思った。
「ありがとうね。助けに来てくれて」
ギンは変わっていない。ルナの言葉を聞いてはいても、望む答えを返してくれるわけではない。それでこそ、ギンである。
けれど、ひとつだけ気に食わないことがある。
「なんでもふもふじゃないの」
「もふもふ?」
◆
不意に開かれたレデクス村祭りは、さらなる兵士たちの到着で、さすがにお開きとなった。
三日目を過ぎてもフィオナは目を覚ます気配がない。
騎士たちは、いつまでもフィオナ王女をこの村に置いておくことに難色を示し、ジルベルトもそれに同意する。
騎士たちは真夜中に秘密裏に準備し、フィオナを連れ去るように帰っていった。
そのことを知った村人たちは大いに悲しむが、一般市民の扱いなどその程度のものである。仕方ないと諦めるしかない。
ルナたち魔術士見習いも似たようなもので、メルビムすら別れを告げることはできなかった。
ジルベルトもともに去り、完全に部外者扱いされたメルビムは「王族の振舞いではない」と怒っていたが、リリアナが「形振り構っている場合ではないのでは」となだめる師弟の逆転現象が見られて、ルナとしては少し面白かった。
今、フィオナはこの国で、王に次ぐ二番目に重要な人物である。
フィオナが去り、心にぽっかりと穴が開いたような一日が過ぎる。
他の村の人々も、ようやく帰路に就く。
周囲の村は、数日ではあるが、人がいない廃村になっていたはずである。レデクス村の戦士たちが何人か護衛として付くことになった。そのため、静かな湖畔に浮かぶ村は、さらに静かになってしまう。
他の村の者たちが知らせてくれたのだが、今回の王女誘拐事件には、この地の領主であるヴェリンジャー・リルケー家が関わっていたという話があるらしい。
今、騎士団はその調査を行っているとのことである。もし、それが本当のことであるなら、反逆だけでなく、魔物と通じていたことになる。貴族であったとしても、情状酌量の余地はない。
しかし、メルビムの予想では、ヴェリンジャーは王女がこの村にいたことは知らなかったのではないかと言う。
「つまり、ただリリアナへの嫌がらせのためだけに、魔王軍を引き入れたと? そんな愚かなことをするのですか、為政者である貴族が……」
メルビムはこの話をリリアナにも話した。それではリリアナのせいでこの村が襲われたかのようである。
「愚か者は、どこにでもおりますわ、ルナ。
それにこれは、わたくし個人への嫌がらせというよりは、この村自体と、ジルベルト殿下、魔術士たち、フォンデルケルン・リルケー家への恨み。
そういったものが積もり積もって、凶行だと思います。……あくまでも噂の範囲ですから、何とも言えませんが」
ルナには信じられなかったが、リリアナには思い当たる節があるらしい。リリアナは落ち着いていた。
彼女は貴族としてのそう言ったエゴイズムを、受け入れる覚悟を持っている。
時間が過ぎ、メルビムは授業を再開しようとするが、生徒たちも手が付かない状態だった。
そんなメルビムたち一行に、ヴァヴェル学園からの手紙鳥が、夜中に届く。
耐水性の厚紙でできた長距離用の手紙鳥は、大型で丈夫である。しかも、中に小さい本体の手紙鳥が入っており、外側が飛べなくなっても、小さい手紙鳥がある程度は飛んで、伝言を届けてくれるという念の入用である。
メルビムは手紙の内容を読むと、少しだけ溜息をつく。
「もう少し、練度を上げておきたかったんだけどねぇ」
「何と書いてあるんですか」
ルナが訊ねると、メルビムは手紙を寄こした。
「学園の掃除が終わったから、戻って来いってさ。今回の事件のことも伝わってるんだろう」
「急な話ですね」
「あっちの都合に振り回されるのが、魔導師と学生たちだよ。
さぁ、明日の朝には発つ。みんな、準備しな」
レデクス村で過ごした時間は、たったの二週間と少しである。
濃密であり、長閑な時間だった。
世話になった村人たちに挨拶し、残っている村人たちは総出で別れを惜しんでくれた。
「あんたたちがいてくれたおかげで、村には活気が戻った。ありがとう」
「また、絶対きておくれよ」
「フィオナ殿下だけじゃなく、皆さんまでいなくなってしまうなんて……」
アンが名残惜しむようにリリアナの手を握る。
「アン、アナスタシア。本当にお世話になりましたわ」
「私の方こそ、本当にお世話になりました。リリアナやみんなと過ごした時間は、まるで夢の中みたいです」
「アン、他のみんなのことは忘れても、ボクのことだけは忘れないでおくれ。
この花には特別な魔術をかけておいた。決して枯れることはない。ボクたちの仲のように」
ディルタが花束を渡すと、アンは困惑しながら受け取った。
「え、えっと……、絶対、皆さんのことは忘れません。この花は大切にしますね!」
泣きそうになっていたアンだったが、涙が引っ込んだようである。そんな彼女をルナはじっと見る。そして意を決して、アンに告げる。
「アン。あなたは今、幸せ?」
「テルティア……? 皆さんとの別れはつらいです。でも、はい。幸せです。
みんな生きていて、こうして別れを惜しむことができるのが、どれほど幸せか。私は身に沁みました」
「アン。ごめん。ずっとウソをついてて……。私の本当の名前は、ルナ・ヴェルデなの。だから、ルナって呼んで。これからは」
「わかりました。でも、私の中ではずっとテルティア、テルティアルナだと思います」
「そっか、わかった。じゃあ、これからはそう名乗ることにするよ……」
テルティアという偽名は、ただ並木翡翠、ルナ・ヴェルデに次ぐ、三番目という意味で付けただけである。
でも、アンがそれを望むならそうしよう。
アンにもう一度、魔装を創り出す。そうすれば、彼女の中に眠るもうひとりの彼女、魔術士アン・レデクシアが目覚めてくれるかもしれない。
しかし、ルナはそうしなかった。
アンが幸せだったから。
グリオンが駆る飛竜型ゴーレムに乗り、皆は手を振る。
テルティア・ルナ・ヴェルデは、この世界で生まれた。
三章終わりです!
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