楽しい学園生活
◆
「やってくれたね、クレイン・アルフォンス・フォルスター」
学園長室に呼び出された魔導師アルフォンスは、学園長であり、育ての親であるオドに詰められる。
「何かありましたか?」
「あたしは受験者の半数以上は合格させるように言ったはずだよ」
「そう言われても……。今回の受験者がヘボだったのでは?」
オドは深く溜息を吐くと、椅子に深く沈み込んだ。
「ちゃんとあの娘が合格できたし、文句なしの特待生だから、もういいよ。けど、あんたには二度と試験官は任せない」
「そうしていただけると助かりますね。師として八百長などしなくても良くなりますので」
「何が八百長だよ。あんた、ルナの実力が見合わなければ、落とすつもりだっただろう。あたしまで共犯にしようとしないでおくれ」
オドはルナを確実に学園に入れるために、アルフォンスを試験官に選んだ。だからといって、決して八百長の指示を出したりはしていない。
「ハァ……。弟子を取るっていうから、色々と丸くなったのかと思ったのに……。とにかくだ。あんたは他人に厳しすぎる。この学園の魔導師をするからには、やさしさも身に付けな」
「おや、僕はあなたを見習って、こんな風になったのですが」
「うるさいよ。もう、下がっていい……。ああ、忘れてた。調査団の件だけどね」
学園長室に呼んだのは、叱るためだけに呼んだのではないことを思い出した。
「報告書だよ。渡すわけにはいかないから、ここでお読み。まぁ、あんたの伝手を使えば、手に入れるのは容易だろうけどね」
「もう調査が終わったのですか? 少し早すぎはしませんか」
オドの手から十枚程度の紙を受け取る。あまりにも軽い報告書だ。アルフォンスは期待できないと思いながら、流し読みする。だが、その内容に目を剥いた。
「調査団が全滅? 生き残りはひとり? 航空部隊が向かったはずでは?」
航空部隊とは、別名『竜騎兵』である。小型のワイバーン種を手懐けてその背に乗って移動する、軍の中でも特にエリートの集団だ。
「航空部隊、五騎構成二部隊十二人が全滅したよ。生存者の竜も死に、その生存者も今は話せる状態ではないらしい。おかげであたしは、大損害を出したと嫌味を言われたよ」
嫌味だけで済んだのは、魔王軍の存在が確認できたからである。
「数百の複数種の魔物が入り交じった部隊……。どうやら、ルナ君の話は正しかったようですね」
「まぁ、ね。ルナの話は荒唐無稽ではないことだけは確かめられた。彼女を信じてみるのべきなのかもね」
「僕は始めから信じていましたよ。……では、ルナ君に僕の魔術を教えることに、同意していただけますね」
「好きにしなよ。どうせ、あたしの言うことなんて聞かない癖に」
アルフォンスは貴族らしい一礼をすると、にこやかに退室した。オドの溜息は増えるばかりである。
◆
試験の次の日、ルナが世話になっている衛兵寄宿舎に、手紙が届いた。紙でできた不思議な鳥が、寄宿舎の門に留まっていた。ヴァヴェル学園からの合否通知である。
「ルナー、手紙来てるよー」
衛兵のひとりがそれをルナに渡そうとする。女兵士たちが大勢集まって、後ろから覗き込む。
「……。あのー、そんなに覗き込んでも面白いことは書いてないですよ」
「大丈夫だよ、ルナちゃん。不合格だったら私が養ってあげるからね」
「不合格ならここで暮らせばいいよ」
「不合格でも仕方がないさ」
「どんだけ不合格にしたいんですか⁉ 合格自体は決まってるようなもんだからね⁉」
ルナが鳥の形に折られた手紙を受け取ると、それは勝手に開いて封筒になった。ルナは共用のペーパーナイフで封を切り、中身を確認する。
「はい、合格です。特待生だから学費も不要。明日から入寮できるって!」
「「ええ~~!」」
皆が不満の声を漏らすが、ルナは放って置いて、色々と世話になった寮母に報告する。
「ありがとうございました。明日の朝、学園の寮に移ろうと思います」
「まぁまぁ。そんなに急がなくてもいいじゃないの?」
「いえ、そういうわけにはいきません。急いでいるのもありますが、後ろの人たちに勉強の邪魔されるので、さっさと出て行きます」
後ろでブーイングが起こるが、ルナは拳を振り上げて追い払う。
「まぁ、とにかく、応援してるよ。今日はお祝いに、夕食豪勢にしなきゃねえ」
「はい。もう一泊だけ、お世話になります」
夕食が豪勢になると聞いて、女兵士たちは盛り上がる。現金なものだ。
そうして、合格の感慨に浸る時間もなく、翌朝、学園の寮へと引っ越すことになる。寄宿舎の面々は、ルナが出て行くことを盛大に嘆きながら見送ってくれた。
◆
朝、寮への引っ越しを終える。
と言っても、荷物はひと抱えしかない。
寮長であるミニティは第五学位の現役の学生であり、この学園で六年過ごしている。学内のことで知らないことはないと豪語した。
「あなたみたいな女の子の天才は久しぶりだから、張り切って案内するからね! 何でも訊いてよ!」
「……」
少し引っかかる言い方だ。六年間、それなりに苦労しているのだろう。
「天才ではないですよ。何年も勉強して、ようやく入学できたわけですから」
「でも、いきなり三学位合格なんて、なかなかいないよ?」
「そうなんですか? でも今回は私以外にも、もうひとり合格したはずですけど……」
「え? そんな話聞いてないけどなぁ」
ミニティが首を傾げる。
ルナは目立ちたくないと思っていたのに、これだけ目立ってしまっている。第三学位試験に一般参加者が一発合格で、目立たないという方が無理な話だった。
(じゃあ、あの娘は誰だったんだろう。オルシア・イーブンソード……)
確かに彼女は存在していたはずだ。ルナだけではあの変態メガネ相手に、受験生は全滅していたはずだ。彼女の風の魔術の持続力は、大いに時間稼ぎに貢献した。
「これがあなたの授業表ね。そして、これが三学位以上で受講できる講義のリスト。推奨学位以下の講義は受講できるけど、それ以上の講義は受講できないから注意して。ほら、危険だったり、秘密保持契約が必要だったりするから……」
「わかりました」
「学園内の地図はもらったよね? 理解できた?」
「ええ、なんとか」
「さすがね! 地図は必ず鞄に入れておいた方がいいよ。もしものときのためにね」
「そんなに迷いますか」
「迷うよー……。広いし、変な魔術で空間が歪んでるし。ま、パターン読んじゃえば、大丈夫だけどね。私は二年くらいで、ようやく迷わずに教室に辿り着けるようになったよ」
ルナは色々な説明から解放されると、荷物を部屋に置いた。既に講義は始まっているのか、寮の中には学生たちはいなかった。
割り当てられた部屋は当然、共同部屋であり、脚の高いベッドが四つと机がひとつ、ベッドの下は様々な物が収納できるようになっており、金庫まで備えられている。
「じゃあ、私も講義があるから行くね。学内をうろつくときは、制服を着てね。わからないことだらけだろうけど、そこはまぁ、仕方ないね。第三学位からだし……。じゃあ、頑張って!」
ミニティは出て行こうとしたが、振り返ってこう言った。
「あ、そうだ。ルームメイトの二人を紹介をしたかったんだけど……。今みんな、新しく来た先生を見に行ってるの。大ホールに行けば会えると思うよ。授業には遅れないようにね。じゃ!」
四つのベッドに、二人のルームメイトならば、ひとつ空きがあるらしい。
残されたルナは荷物を仕舞うと、まずは大ホールに行こうと決めた。どのみち、次の授業の教室には大ホールを通らないと行けない。
ルナは制服に着替えた。体のラインが見えない長いローブに、ロングスカートとロングソックス、灰色のオーバーサイズのニットのカーディガンで、全く露出がないデザインだ。
魔術士らしいと言えばそうなのだが、かなり野暮ったい。
(サイズ合ってるけど。いつ測られたんだろ)
この制服は植物性の繊維で作られている。何かの魔術で織られた生地だ。ルナは少しだけそれに手を加える。魔術を発動し、植物性の生地を操る。
スカートの丈を短くし、長いローブと靴下の間で、膝が少しだけ見えるようにする。そして、ローブの腰の部分の生地を絞って、胴体がスマートに、裾が少し広がって見えるような形にする。
そのアレンジで、かなり野暮ったさがなくなった。
「良し!」
部屋にある共同の姿見で、多少は良くなったことを確認し、ルナは部屋を出た。
(大ホールで集会でもやっているのかな。……隠れながら行こう)
学園内は確かに空間が歪んでいた。
外から見たら狭い部屋なのに、中に入ると広かったり、とてつもない長い廊下や階段なのに、二歩だけで端まで辿り着けたりする。
「確かに方向感覚狂いそう。慣れが必要、これは」
そういうわけで、かなり広い学園なのに、中心にある大ホールには素早く辿り着けた。話の通り、そこには多くの生徒たちが集っていた。
ルナは隅の方を目立たないように、小さくなって移動した。生徒たちの視線はホールにある大階段の方に向いている。これなら背後を抜けられそうだ。
「あ、ルナちゃん!」
「う……」
大きな声をかけられ、ルナは立ち止まる。視線が集まるのを感じる。
「良かったぁ。大食堂でも姿が見えなかったから探してたんだよ。昨日から何も食べてないの? どこに行ってたの?」
制服姿のオルシアが、楽しそうにルナの元までやって来る。
「え? オルシアさん……は、昨日、入学したんですか? どうやって……」
ルナは合格通知が届いてから、最速で入学したはずだ。オルシアも昨日、合格通知が届いたならば、ルナよりも早く入学することはできないはずである。
「入学? 何のこと?」
話が噛み合わず、二人は互いに首を傾げる。
「昨日の試験で合格したのですよね」
「合格したよ」
ルナが訊ねるとオルシアが答える。
「一般参加で入学されたのですよね?」
「いっぱん……?」
オルシアは何の話かわかっていない。ルナは話が見えてきた。
「ええと、昨日の試験、どうして私服だったのですか?」
「へへへ……。寝坊しちゃって、急いでたから間違えて服着ちゃって……。ルナちゃんもだよね?」
照れくさそうに言うオルシアに、ルナは同類と思われたくはないとは思ったが、彼女が寝坊したのは、おそらくはかなり体調が悪かったからだと予想し、あまり強くは言わないでおく。
「私は一般参加で試験を受けたので、まだあのときは制服を持っていませんでした」
「一般参加……。ええ⁉ ルナちゃんが⁉」
試験のときもそうであったが、オルシアは考えがどこか抜けている。
「急いでたから制服を着忘れたんじゃなくて? 偶然……」
「……そんな偶然ありますか?」
オルシアは何かを考え込んでしまった。すっかり話に夢中になってしまっていたルナは、生徒たちが道を開けていることに気付くのが遅れた。
「見つけましたよ、ルナ君」
聞き覚えのある声に恐る恐る振り返る。アルフォンスが軍服姿で立っていた。
「……どうして軍服なんですか? 教師になったのですよね」
アルフォンスはにっこりと笑うと、女生徒たちから黄色い声が上がった。
「まずは、合格おめでとうございます。見事、特待生も勝ち取りましたね。ヴァヴェル学園は公営なので、私は軍属のまま教師になれるのです」
「えぇ……。ずっとその格好でいるのですか……?」
アルフォンスは背筋を張り、鼻息を吐くとルナの話を無視した。
「それよりも、私の講義のことです。私の講義は二日後、内容は魔術戦略となります。第三学以上で受講できるように交渉しましたので、必ず来てください」
「はい……。わかりました」
「どうして、そんなに嫌そうな顔をするのですか」
「……」
「まぁ、良いです。それでは」
アルフォンスは短く話を済ませると、生徒たちを掻き分けて去っていった。彼が去ると、その生徒たちの視線が全てルナに向く。
「ルナちゃん、あの先生と知り合いなの⁉」
オルシアが驚いた顔で問う。彼女は表情が良く変わるのでルナは目に楽しいが、こう注目されている中でやられるのは落ち着かなかった。
「まぁ、そうですね……。今は師匠兼身元保証人ということらしいです。不本意ながら……。授業に遅れます。私はこれで」
ルナはせめての抵抗で不満をアピールする。良くわかっていないオルシア以外の生徒たちは、その言葉でざわついた。ここで師匠であることを言っておかなければ、あらぬ噂でも立てられかねない。
「あれがルナ・ヴェルデ……」
「ねぇ、隣にいるの。イーブンソード家の……」
「七魔剣の弟子⁉」
「あいつら……」
生徒たちが口々に言うのを尻目に、ルナは足早に大ホールを去り、生徒の群れから逃れた。彼らが集まっていた理由は、本当に新任の教師の顔を見るだけだったようである。
「ルナちゃん、ルナちゃん! ねぇねぇ、待って!」
オルシアが後ろから付いてくる。オルシアはあまり足が速くなく、すぐに置いていかれそうになってしまう。少し運動しただけで簡単に息を切らすのだ。ルナはそんな彼女を慮って、足を止めるしかなかった。また肺から出血されても困る。
「はぁ、はぁ……。ルナちゃん、教室あっちだよ。一緒に行こう?」
そう言われルナは振り返った。早足で歩いたせいで、自分が今どこにいるのか完全に見失っていることに気が付く。
「こっち!」
オルシアがルナの手を取り、先導する。ルナは情けなくなり、自嘲した。それを見たオルシアが、ルナに笑顔を向けた。
「ルナちゃんの笑い顔かわいい。そっちの顔の方がもっと素敵だよ」
突然言われルナは困惑したが、それがまた可笑しくて、笑ってしまった。
ルナはオルシアとともに、教室に行くことにした。
◆
学園の授業は退屈ではなかったが、あまりルナの知っていない知識はなかった。
第四学位までは、基礎的な知識を身に付けるための『授業』があり、そこから発展したことを学ぶには『講義』を受けるしかない。
そして、講義は自主参加であり、人気のある魔導師の講義は出席するのも難しいことがあるらしい。
「魔術はイメージの世界です。そして、そのイメージの中に、自分自身の姿は欠かせません。魔術士がそれぞれ自分のこだわりの格好をしているのは、そのイメージを崩さないためです。
皆さんは、もう魔術を無詠唱で使えますか? できない? それは魔術のイメージが固まっていないからです。学生の内は同じ格好の制服でイメージを固めますが、卒業後は自分で選び、拘った格好をして、その形を完全に記憶してください。
それがあなたの魔術を支えまるはずです。
特定の格好で、特定の道具を使い、特定の行動をし、特定の呪文を唱える。それが完全なる魔術を可能にするのです。そして、記憶を呼び覚ませば、その格好でなくとも完璧な魔術が使えるようになるはずです。
良いですか。良い魔術士というのは、けっして自分の道を曲げない。自分を疑わない。疑えばイメージが崩れ、魔術を使えなくなってしまいます。俗にいうスランプというものですね。
皆さんがそのようなことにならないことを祈ります。ですが、不調に陥ったとき、私の言葉を思い出してください。そこにその不調を抜け出すキッカケがあるはずです」
老魔導士ケリーの言葉に、ルナは納得のいくところがあった。
(いつも変身して魔法を使っていたから、変身中じゃないと強い魔法は使えないと思っていたけど……。イメージが固まっていなかったから、ということなんだ。でも、こっちの世界に来てから、魔力が強くなったのはどうしてなんだろう……)
ルナは考えたがわからなかったが、今は考えるのをやめた。弱くなったわけではないから、重要なことではない。
「ね、私もフォルスター先生の講義受けてみようかな。どう思う?」
午前の授業が終わり、オルシアが話しかけてくる。というか、ずっと付き纏われている。同じ学位で合格時期も同じなので、授業内容も同じもので仕方ないのだが、その積極性に困惑するしかない。
「あの……、近いです。もう少し離れてください」
「ええ~。そんなことないよ。普通だって」
オルシアは教室を移動中もずっとルナにくっついて回り、昼食の席も隣に座った。
隣も隣である。大食堂の長机に長いベンチは、まだ空きはあるのに、ルナの真横の肩が当たるくらいの位置に付けてくるのだ。肘が動かし辛く、食べ辛い。
だが、少しすると彼女が普通だと言った意味がわかった。
学園の全校生は四百人ほどである。それが昼食時になると大食堂に一気に集うのだ。充分な広さがあっても、歩く人、座る人、立ち止まる人、話し合う人、それだけいればごった返すのは仕方がないことだ。
ルナがさっさと食事を済ませ、出て行こうとする。しかし、オルシアの食事はゆっくりとしていて、遅々としている。彼女は急いで食べ過ぎると吐き戻してしまうのだと、ルナは考えた。彼女はかなり痩せている。
「食べながら教えてください。オルシアはこの学園に入学して、何年目くらいなの?」
オルシアは教室の位置は大体わかっているようだが、彼女に話しかけてくる友人はいなかった。
「一年かな。私、寝込むことが多くて、ひとつ試験飛ばしちゃったから……。本当は、一年で四学位まで上がってるつもりだったんだけどね。でも、良かったよ。ルナちゃんと会えたから!」
「う、うん……。えと、飛び級もできるんじゃないの?」
「できるよ。でも飛ばせるのはひとつだけだし、試験も経験になるから、あんまりする人はいないみたい。私もいきなり四学位は不安だったし……。ルナちゃんみたいに第三学位から入学するのは、相当すごいことだよ」
昇級兼入学試験は、年に四回ある。偶数学位の試験は六月と十二月、奇数学位の試験は三月と九月にあるのだ。ルナが合格したのは、三月にある第三学位の試験である。
オルシアの場合、三月に第一学位で入学し、六月に第二学位に合格、九月の試験は体調不良で受けることができなかった。そうなると、次の第三学位試験は、半年後の三月となってしまう。
十二月に偶数学位である第四学位は飛び級で受けることはできたが、それは諦めたということだ。
少しは走っただけで、吐血しそうになる彼女だ。寝込みがちで授業も碌に受けられていないはずなのに、受けた試験にはキッチリと受かっている。
「オルシアって、やっぱり優秀なんだね」
そう言われ、オルシアはキョトンとした顔をして見せる。そして、ルナに褒められたのがわかると顔を赤くした。
「そんなことないよ。だって……」
そう言いかけたとき、ルナの背後で大声が上がった。
「おいおい、お貴族さま方がこんな庶民いる場所で、飯食ってるぜ? いつも授業に顔出さない癖に、食べるときだけは食べるんだな」
今度はルナが呆気に取られた。振り向くと何人かの男子が、ルナたちをニヤついた顔で見下ろしていた。
「お貴族さまの食事を邪魔したくはないんですが、どうか机を譲っていただけませんかねぇ。こっちは急いでいるもんで、ノロマな食事に付き合ってる暇はないんだ。貧乏暇なしってやつでね」
そう言った男子生徒は、授業で見かけた顔だ。第三学位の授業にいたが、試験のときにはいなかった。もっと前の試験で第三学位に合格し、複数回行われる同じ授業を何度も受けているということだ。
「他にも席は空いているでしょ。別のところに座れば? それともみんな揃って食事しないと、寂しくて喉も通らないわけ?」
ルナは横目で見て、男子生徒にそう言った。
「は、はあ⁉ チッ……。ヴェルデ家のお嬢さまは育ちが悪いようだな。オレがロバルト・ソリアーダンだと知って言っているのか」
「聞いたこともないけど。馬鹿で有名ってこと? それとも、汚い顔が有名なの?」
「かっ……、こ……⁉」
言い返されることに慣れてないのか、ロバルトは陸に上がった魚のように、二の句が告げないようである。
「ル……ルナちゃん……! いいよ。もう行こう。食べ終わったから」
一色触発の気配を感じて、オルシアは席を立つ。まだ、全部を食べ終わったわけではない。彼女はいつもそうしているのだろうことをルナは感じ取った。この男が絡んでくるのも、今日が初めてではないのだろう。
心労をかけるのも体調に影響するかもしれないと思い、ルナも食器の乗った盆を持って去ろうとする。
「待て! オレにそんな口をきいて、ただで済むと思っているのか!」
ロバルトは腰に挿してあった棒を引き抜いた。豪華な装飾を施されたそれは、魔術士の持つ短い杖の一種で、ワンドと呼ばれるものだ。
喧騒にあった大食堂で、魔術合戦が始まりそうになり、緊張により少しの静寂が訪れる。
ルナは盆を持ったまま、彼を睨んだ。いつでも魔術が発動できるように待機する。この距離で杖を向けられたとしても、ルナの方が早く魔術を発動できる。体内へと力が流れ込んでくるのを感じる。
ここは人が多い。大規模な魔術ではなく、他人を巻き込まないよう、小規模で確実に仕留める魔術を使うつもりだ。
ルナは怒っていた。事情も知らない他人が、人のことを悪く言うのが許せなかった。どこにでもこういう奴はいるものだ。
(このクソ餓鬼、わからせてやる……)
だが、そうはならなかった。
「そこまでだ。見ていたぞ、ソリアーダン君。先に杖を抜いたな。これ以上騒ぎを起こすなら、僕が対処する」
「もし、アタシの魔術を受けて無事でいられるつもりなら、撃ちなさい」
上級生であろう男と、オルシアと同年代に見える赤毛の少女が、ロバルトに向けて杖を向けている。
「な、お前ら……。こいつがオレに生意気な口を……」
そう言いかけたロバルトだが、二人の本気の目を見て怖気付いたのか、何も言わずに振り返って去っていく。
「ロ、ロバルト、食事は……」
「いらねぇ! 勝手に食ってろ!」
ロバルトが去っていくと、赤毛の少女は何事もなかったかのように食事に戻った。上級生であろう男は、ルナに視線を向ける。
「ハァ……。心臓に悪い。君、あの子をどうするつもりだったんだ。まさか……」
どうやら彼はルナが何かの魔術を準備していることに気が付いたようである。それでロバルトを助けたのだ。
「君は新入生だね。一応、言っておくけれど、学内での魔術の使用は許可されているが、人を殺傷するような攻撃魔術を人に向けるのは厳禁だ。最悪の場合は、学内だけの話ではなく、裁判にかけられて厳罰を受ける可能性もある。とくに、実力差がある相手には。ヴェルデさん、わかるよね」
ルナこと翡翠のいた世界でも、学校内で刃傷沙汰が起きれば、警察に通報されるのは当たり前だ。
ルナとロバルトの実力差まで量られている。
(あの一瞬でそこまで読み取るんだ……)
ルナはさすが上級生だと感心した。歳の頃は二十歳くらいだろうか。まだ幼さの残る顔つきをしている。
「ご忠告、ありがとうございます。あなたのお名前を訊いても?」
「僕の名はルシオだ。第五学年だよ」
「ルシオさん。実力者と知り合えてよかった。さようなら」
オルシアは一連の出来事に硬直していたが、ルナが振り返って去っていくのを見て、ようやく動きを取り戻した。
騒ぎの当事者たちが去ると、大食堂はようやく落ち着きを取り戻し、いつもの喧騒に戻っていく。
赤毛の少女が去るルナたちの姿を見て、微笑んだ。
「へぇ。あの子たちが七魔剣のね……。面白そう」
独り言を言うと、食事の最後のひと口を放り込んだ。




