天険
◆
まだ昼のはずなのに、暗くなってしまった。
オルシアの泣き声が聞こえる。オルシアの腕をロバルトが掴み、何かを叫んでいる。
(またロバルトにいじめられたのだろうか。近頃はずっとオルシアの機嫌伺いばかりしていたのに)
この暗い景色に見覚えがある。あれは確か、街に来る前に水の精霊に飲み込まれたときだ。自分が水の中に沈んでいることを自覚する。
(そう言えば、今は街の外にいるんだった)
赤色が、広がる。
(スケート、楽しかったな)
もっと暗くなっていく。
(銀……、もう一度会おうって約束したのに……)
孤独感が広がっていく。
(アナスタシア……)
アンがリリアナを助け起こしている。彼女の顔色も酷い。どこかに怪我をしているのだ。すぐに治療しようと手を伸ばそうとするが、動かない。
酷い怪我をしていて、しかも魔術も魔法も使えない。ルナは自分が死んだのだと自覚した。
(でも、アンがいれば、解決してくれるはずだ)
アンはルナよりもずっと強い。ルナが後方支援の魔術士ならば、アンはまさに戦士。
全ての問題を薙ぎ払ってくれる。
(泣かないで)
アンは泣いている。泣きながらも、懸命にリリアナを避難させようとしている。
なぜかルナには、アンが泣いている理由がわかった。
(家族が死んでしまったんだ……)
城に勤めていたアンの家族は、無惨にも殺された。戦う間もなく、首を落とされた。
(でも、アンなら……)
そこでようやく、アンが魔装を着ていないことに気が付く。
(何かがおかしい)
まるでずっと白昼夢でも見ていたかのような感覚だ。
(どうしてアンが、この村にずっと住んでいたことになってるの? あの子は私たちと同じ、ヴァヴェル学園の生徒だった。
そして、転生者であり、私と同じ魔法を持っていた)
事実がねじ曲がっている。魔術士としてのアンの存在がなかったかのようにされている。そして、それが自然なことのように、皆が受け入れている。
どうしてそうなったのかはわからない。わかることは、ルナは死に、魂だけの存在となったことで、その現実から逃れることができた。
(私が魔装をアンにあげたからこうなった……?)
アンは黒炎を力に変え、ルナの力を薪に変えた。そのとき、ルナの力は失われたのだ。
そして、アルフォンスとの戦いで、その残りの全ての力を使い切った。
それを取り戻す方法もわかっている。ただの家政のアンを、魔術士のアンに戻す方法も理解できた。
ただ、もう体は動かない。
じっと水面を見上げる。
カンナが水中を駆けるように、ルナの元へと近付く。その背に乗ったオルシアが、ルナを掴み、カンナは水底を蹴って急浮上した。
◆
グリオンの速度は、徐々に追いつけなくなってきていた。
ヴァージルはレヴェナントの肉体を使い熟し始めた。
それに比べて、グリオンは吸血鬼の力を持て余している。自分自身がどういう状態なのかもわからない。
(俺は吸血鬼なのか? だが、人の血を吸いたいとは思えない)
加えて、ヴァージルは進化した魔法の力をもものにしつつある。
人間であればできなかった転移の連続使用。視界外への転移。
再生能力だけならば吸血鬼の方が上だ。剣と爪による波状攻撃で、極めて至近距離を保ち、何とか五分に持ち込んでいる。
しかし、そう思っていたのはグリオンだけだったようである。
ヴァージルは自分の新たな身体の性能を試していたに過ぎない。
利き手が再生し終わり、先ほどグリオンに負わされたダメージは全てなかったことになってしまった。
爪の攻撃が左腕で受け止められ、グリオンの腹にヴァージルの蹴り上げが命中する。思わず後ろによろめき、距離が離れる。
ヴァージルはその一瞬の隙に、構えを取った。最速の剣。転位の奥義をレヴェナントの肉体で行えばどうなるか、試してみたかったのである。
その構えを見た瞬間、グリオンは防御に注力する。どこから来るかわからない攻撃。だが今度は捨て身での迎撃が可能である。
しかし、ヴァージルの攻撃は、その一段上の段階にあった。
一振りの斬撃が転位によって無数に分裂し、ヴァージルの体はいくつにも別れたかのように見えた。
無数の方向から繰り出される、無数の斬撃。
グリオンの体は細切れにされそうになる。そうならなかったのはまだヴァージルがその技に慣れてなかったからに他ならない。
全身を刻まれたことで再生が追い付かず、グリオンは水面に膝をつく。立つことはもうできない。
ゆっくりと再生しようとするが、今まで通りにはいかない。生命力が限界を迎えた。
「こんなものか。威力が足らないな」
まるでつまらないとでも言うように、ヴァージルは自分の剣を見つめる。片方の刃が潰れてしまった。
「グリオン。お前が魔物となった今、俺たちが戦う理由はないはずだが。どうして俺を攻撃する?」
「……」
グリオンはその答えを持たない。
「確かに俺は吸血鬼なんだろうな。だが、俺は自由だ」
ヴァージルは笑う。狂気に満ちた笑いが空間に満ちる。
「お前は本当に運がいいな。人として死ねるんだ。すぐにモリーも送ってやる。娘も。アルフォンスも。他の仲間も」
ヴァージルは刃を返し、グリオンの首を斬り落とそうとする。
不死を斬る剣技。肉体なきものを殺す騎士の技。
今のヴァージルは、騎士として不死を斬り、復讐鬼として生者を斬る。
その刃が止まる。
「お前たちの動き。アルに似ているな。同じ師匠なのか?」
背後から突然声をかけられ、ヴァージルは反射的に剣をそちらに振った。
銀髪の女が立っていた。
刃が女を斬り裂こうとするが、その上げられた腕に当たると弾かれる。何か防具を付けているようには見えない。だが、皮膚は鋼鉄のように硬く、ヴァージルの刃を弾く。
鳩尾に衝撃を感じ、ヴァージルの体が後ろに吹き飛ぶ。その瞬間に転移し、女から距離を取った。腹部に大きな穴が開いていた。もし、転位しなければ、全身に同じような穴が、無数に開いていただろう。
「何者だ……。人、じゃないな」
「ギンっていうんだ。よろしく。で、お前の核はどこ? 頭? 心臓?」
「……教えると思うか」
余りにもあっけからんとしたギンという女に、ヴァージルは少したじろぐ。
(魔物なのか? だが、敵であることには変わりない……)
これ以上時間をかけることはできない。ここにいる全員を殺すには、転位の奥義をさらに進化させる必要がある。
(こいつが何者だったとしても、今の俺の敵ではない!)
レヴェナントとしての力が、一瞬でこの村にいる全生命体の位置を把握する。
一振りでその全員を斬れば良い。さっきグリオンに行った集中攻撃の逆だ。
ヴァージルはレヴェナントナイトとしての奥義に到達した。
(まずはこの女からだ)
転移し、女を斬ろうとした瞬間、動きが止まってしまう。それ以上の転移ができなくなる。
「⁉」
ギンの手がヴァージルの腕を掴んでいた。その力にレヴェナントの膂力でも抗えない。
ヴァージルは焦る。
体を固定されれば、転位はできない。自分以外の者も転移することはできない。そして掴んでいるこの腕は、鋼鉄よりも頑丈である。女の体重も、明らかにこの体に納まるものではない。
「ねぇ、ひとつ聞かせて欲しいんだけど……。あんたの剣に付いてる血、ルナのだよね?」
「だったらなん……」
言い終える前に、拳が振り下ろされ、ヴァージルの肉体は衝撃で水に沈む。水面に大きな波が起きる。勢いのまま湖底に激突し、砂が巻き上げられた。
だが、致命傷ではない。致命傷になることはない。ヴァージルの核はここにはない。
ギンと水中で向かい合う。
(馬鹿め。水中では素早く動けない。転移の速度が勝る! 今度は掴まれることはない!)
転移しようとするが、また体が動かない。今度は掴まれているわけではないが、まるで固定されたかのような感覚に、焦燥がさらに募る。
「水のあるところで良かったよ。水中はうちの実家みたいなもんだから」
ギンは離れた場所にいるのに、声が聞こえた。まず、水中で空気中のように声が聞こえるのもおかしい。
拳に力を込めるギンにを、ヴァージルは何もできずに睨む。正拳が突き出される。その威力は衝撃というには生温い。
爆発し、収縮する。
水面に巨大な水柱が生まれた。
ヴァージルの肉体は小さな塵と化し、球となって圧縮したあと、痕跡すら消えた。
◆
ヴァージルは目を覚ます。核から肉体が再生されたのだ。
死の体験に衝撃で体が震える。しばらく立ち直れそうになかったが、状況がそれを許してくれない。
ヴァージルの核は、ゴブリン魔術士であるルードニツが守っていた。
ルードニツはすでに村を離れ、フィオナを連れて合流地点で待機していた。
「ヴァージルさま、お逃げを……!」
そのルードニツが言う。彼の体が、巨大な何かの見えない力に圧し潰され、地面とひとつになる。
「やれやれ。ずいぶんと粘られちまったよ。ハァ……、ヴァージル。あんた、付く方を間違えたね」
メルビムは空中から見下ろす。
ヴァージルの喉からおかしな音が出る。
「なぜ……」
ここにはヴァージルの配下である、グールとたちの部隊が全滅していた。
辺り一面、血の海である。
近隣の村を襲撃した際、その実力は見ている。完璧な包囲、油断ない攻撃、そして、略奪することはなく、ただ仕事をこなす。
メネルの兵よりもずっと優秀である。自分がひとつの道具であると理解し、国家の利益というひとつの目的に向かって直走る。
その部下たちが、たったひとりの老婆に蹂躙されていた。
メルビムはゆっくりと降り立つ。
ヴァージルはなんとか立ち上がり、レヴェナントの力で剣を創り出す。愛用の剣は失われてしまったが、どのみち今のヴァージルには必要のないものである。
「なぜって、そりゃあ……」
メルビムは指を差す。拘束されたフィオナが、こっちを恐怖に染まった目で見ていた。
「あたくしも一国家公務員として、王族に仕えているわけだからねぇ。王女誘拐を見逃すわけにはいかないよ」
「そんなことを聞きたいんじゃない……。どうやってここを知ったんだ!」
ヴァージルの考えうる最悪の事態が起こっていた。
例えヴァージルが負けようとも、ヴァージルは核から復活する。核からある程度離れた位置でも、肉体は動作する。時間ギリギリまで粘って、ヴァージルは死ぬ予定だった。
近隣の村を秘密裏に襲撃し、ゾンビを生み出し、村を囲み、城の兵を全滅させた。追跡もこれでありえない。
たったひとりを誘拐するだけに、これだけのことをした。
それが今や、ヴァージルの手元には何も残っていない。
魔王軍としての初任務で部隊を失い、裏切りの王女誘拐騎士である。
「ああ、そっちかい。王女が城から出たら、追跡する結界を張っておいたのさ」
「ありえない……。城の結界は全て解除したはずだ」
「見た目通りの結界は、そうだろうね。けど、本当の結界っての、誰にも悟られないものさ。あのゴブリンネクロマンサー程度に、あたくしの結界が破れるものかよ」
ヴァージルは歯を食いしばる。
「そんな、そんなでたらめがあって堪るか……。貴様のような老いぼれに、この俺が負けるなど……」
「老いぼれってのは、まぁ、本当のことだけど。元七魔剣の実力を舐めてもらっちゃ困るね」
メルビムが七魔剣だったのは、同じ七魔剣のアルフォンスが生まれる前の話である。彼女も自分のことを自慢するような性格ではないため、ほとんどの者が彼女の経歴を知らない。
ヴァージルは一度、息をついた。心を落ち着かせる。
その動作には不死者にとって何の意味もないが、人から変わって日の浅いヴァージルには一定の効果をもたらした。
「まぁ、いい。お前を殺して、姫は奪う。それだけだ」
ヴァージルは転位した。メルビムは自身の周囲に結界を展開し、それを迎撃する。
戦いは長くはかからなかった。
学生であるリリアナに結界魔術で迎撃された時点で、ヴァージルは気が付くべきだったのだ。その師であるメルビムが、それができないはずもないと。
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