降り立つ牙
◆
夜輝石のランタンの明かりと星明りだけが湖面の照らし、白く幻想的に輝く。
まだ氷の張る時期には早いが、ディルタの魔術であれば関係ない。スケートリンクがレデクス村の湖に誕生し、村の子どもたちと一緒に楽しむ。
スケート靴があるわけではないので、テルティアが作った簡単なブレードを靴にはめ、それを代わりにする。ただ楽しむだけならば充分である。
明日は授業が休みだ。夜は魔物が出て危険だが、リリアナの張った結界が安全だと知らせてくれる。
「今日は、ラキさんがお休みですね」
オルシアが言う。ラキとは誰だろうかとテルティアが訊くと、オルシアが変な顔をした。フィオナが横から馬鹿にした口調で言う。
「テルティアはそんなことも知らないのか、魔術士なのに。新月のことをそう言う」
「へ、へぇ……。まぁ、まだ魔術士見習いですからね。ディルタは知らないよね⁉」
「なんでボクに訊くんですか……? 知ってるに決まってるだろ」
「ええ⁉ 座学は私より成績悪いのに……」
「マジで腹立つ、コイツ。お前のとこだけ融かすぞ、コラ」
「リリアナ~」
テルティアは素早く滑ってリリアナの後ろに隠れる。
リリアナだけはスケートをしたことがなかったので、ディルタに手を取られながら練習していた。学生たちの中で一番滑るのが上手いのは、当然、氷の魔術士ディルタであった。
「ちょっと、ルナ⁉ 危ないですわ!」
「ルナ?」
リリアナは思わずルナと言ってしまう。アンが首を傾げた。
「し、失礼。テルティア、ちょっと離れてくださいまし」
テルティアは肩をすくめる。こういうときのために、学生たち皆で考えておいた言い訳を使う。
「本名はテルティアルナって言うの。長いからルナって呼ぶ人もいる」
「そうなんですね。でも、ルナって確か、ラキの別名じゃありませんでした?」
「そう! ラキって誰のことなのよ? 歴史上の人物?」
「本当に知らないのか? 確かに授業ではやらないが……。歴史上の人物と言えば、そうかもだが……」
ロバルトが何とか止まりながら言った。
オルシアが簡単に説明してくれる。
「神話の登場人物だよ。月の神さまで、新月の日は、ラキさんはお休みなの。掃除の神さまでもあって、明日は掃除しなくてもいい日なんだよ」
「ほぉ……」
フィオナが華麗に滑りながら、テルティアに軽くぶつかる。
「星の輝きは、アルマテア神が残していった髪の毛。ラキは毎日それを掃除してくれていて、オルスラ神のいる地上に昼の光を届けてくれる」
「はぇ……、アルマテアにオルスラ……」
「オルスラは一番身近だろ、お前にとっては。オルシアの名前の由来だぞ」
ロバルトの言葉に、テルティアはうんうんと頷く。
リリアナが少し呆れた口調で言った。
「こ、今度、一緒に神秘学の本でも読んでさしあげますわ」
「わーい、勉強会だぁ……」
「……」
たっぷりと幻想的な光景を楽しみ、レクリエーションを楽しんだ。
子どもたちは火照った顔で帰った。楽しんでくれたようである。
アンの母のルイ―スが、暖かいココアを入れてくれた。小屋船の縁に座って、それを飲む。
「おいしい……」
冷えた空気の中で飲む暖かい飲み物は、やたらと美味しい。
リリアナは皆より滑れなかったのが気に入らなかったらしく、ディルタを付き合わせて、まだスケートの練習をしている。
「見て! 流れ星……」
オルシアが指差す。皆で空を見上げた。満天の星空が、テルティアたちを見守っている。
空には雲ひとつなく、星を見上げるには絶好の天気だ。
フィオナが唐突に囁くような声で言った。
「テルティア、私には魔術の才能があるか」
返答に困る問いだ。
「さぁ? ないと言っても障りがあるし、あると言っても障りがあるので、回答は差し控えさせていただきますよ、姫。メルビム先生に訊いてください」
かなり不敬な物言いに、フィオナは苦笑する。
「その回答にも障りがある」
テルティアは小さい溜息をつき、少しフィオナに寄る。
相談に乗れるような立場ではないが、若者の悩みを聴くのも、年上の義務かと思う。
「フィオナはどうしてそんなに、魔術を習いたいんですか」
「……誰かの役に立つこと。それが魔術士の理念だと聞いた。私は役に立ちたいんだ。人を救うことのできる大人になりたい」
「……王族であれば、多くの人を救うこともできるはずです。魔術士などよりも多くの」
「教師には良くそう言われる。でも……、ひとりくらいは、目の前の人を救いたいと思う王族がいても良いとは思わないか」
テルティアは星を眺めた。
「治癒魔術ってそんなに便利なものじゃないですよ。
誰かを治療したら、他の誰かも同じように望む。目の前の人を治療していたら、別の誰かの恨みを買うこともある。命の優先順位を付けないといけないときもあるし、治療した相手に殺されそうになることもある……」
「そういう経験があるのか」
「それなりに」
二人の話を静かに聞いていたアンが、ロバルトに訊ねる。
(テルティアさんって治癒魔術師なんですか?)
(あ、うん……。そうなんだけど、内緒にしておいてくれ。色々事情があって……)
(ええ、わかってます。大丈夫です。口は堅いので)
アンは二重の意味で驚いた。
治癒魔術師は数が少ないし、皆とても優秀だと聞いている。その数の少ない治癒魔術師が創世神話を知らないとは思いもよらなかった。
テルティアが魔術の勉強にしか興味がなくて、それ以外のことは全くできない、という風な人物にも思えなかった。
フィオナは立ち上がり、小さくあくびを噛み殺す。
「眠たくなってきた。帰る」
「送ります」
「いらない。迎えの兵が来ている」
夜も更けてきた。そろそろ眠りに就いても良い時間だ。
それを機会に全員起ち上がる。ロバルトがまだスケートの練習をしているリリアナとディルタを呼ぶ。
フィオナは帰ろうとする足を一歩踏み出して、振り返らずに言った。
「テルティア……。いや、ルナ。
それでもあなたは目の前の人を救った。それでアルフォンスと出会えた。全てが全て、悪いことばかりだったわけではないはず。
出来損ないの私にもできることがあるなら、私はそれを学びたい」
そう言い残して、フィオナは迎えの馬車に向かった。アンも一礼すると、ついていく。
リリアナが上気した顔で小屋船に戻って来て、ディルタは氷の魔術を解いた。
「本当に魔術学校に、入学なさるおつもりなのでしょうか……」
リリアナが言うと、ロバルトが手のひらを上に向ける。
「お遊びではなさそうだな。俺たちにできるのは、見守るだけだ」
ロバルトは暗に深く関わるのは寄せと言っている。
「そんなこと言ってぇ。雷の魔術、かなり丁寧に教えてたじゃない? まさか、オルシアから乗り換えて、逆玉狙いに……」
「は? ちがっ……。オレはただ、論理的に説明してただけで……」
「なんてこと! お父さんは許しませんよ! 浮気なんて!」
「誰がお父さんだ!」
ディルタがふざけて言うので、ロバルトは湖に蹴り落とそうとする。ディルタは走って逃げた。
テルティアは、フィオナが自分のことを出来損ないなどと卑下するのか気になり、城への山道を登る馬車を見つめた。
◆
水面に降り立ったアンが、リリアナの手を引く。
「アン……。あなた、大丈夫なの? 血が……」
リリアナが問いかけると、アンは顔を見せずに頷く。
「……」
何かがあったことは明白だ。城でヴァージルと戦っていた。そして、彼女以外、城から降りてくる者がいないのであれば、城にはもう誰も残っていないのだ。
事態は混迷している。リリアナにはもうどうすれば良いのかわからない。
吸血鬼と化したグリオンは、なぜかヴァージルを狙い、不死の戦士同士の凄まじい戦いを繰り広げている。
「グリオンさまは……、味方なのですか。いったい、何が起こって……」
「わかりません。でも、私を助けてくれました。だから、グリオンさんを信じます」
ロバルトたちと合流すると、ディルタとオルシアを運ぶのを手伝った。
ディルタは頭から血を流している。心臓こそ動いているが、危険な状態だ。
オルシアの方は怪我こそないが、無気力に水の中を覗き込んでいる。ロバルトが手を離せば、そのまま自分も沈んでいきそうな、沈痛な面持ちであった。
「ルナはどこに? すぐに治療してもらわないと!」
ロバルトはリリアナのその言葉に顔を伏せた。オルシアは全てを拒絶するように体を丸め、痙攣するように泣く。
「そ……そんな……」
言わなくともその反応でわかる。リリアナは膝をついた。目を覚まさないディルタの頬を、リリアナは優しく撫でる。
「昨日の夜までは、あんなに……」
リリアナはしばらく目を瞑ると、覚悟したのか目を見開き立ち上がる。
「わたくしはグリオンさまの援護に行きます。ロバルトは村にゾンビが入り込まないように、皆さんの援護を」
「待て、オレも行く」
ロバルトも立ち上がる。しかし、その動きは緩慢だ。
「もう魔力が残っておられないでしょう、ロバルト。
アン、あなたは休んでいてくださいまし。骨が何本も折れていますし、内臓も傷付いているのではないかしら。これ以上動くことは禁止しますわ」
「メルビム先生は……、メルビム先生なら何とかしてくれるんじゃないでしょうか」
アンの言葉にリリアナは首を横に振る。
「メルビム先生は今、村を離れておられます。重要な義務ができたとのことですわ。だから、わたくしたちだけで守り切るしかありません。結界も長くは持たないでしょう」
「そ、そんな……」
今の村を放っておいてまでやらなければいけない義務とは何なのか、ロバルトには理解できなかった。しかし、アンは何も言わずに頷いている。
そのとき、狼の遠吠えが聞こえ、リリアナは嫌な予感がして顔を上げた。村を囲む岩山の上、そこに見えた二つの獣の影。
太陽の光に反射して、影しか見えないが、その大きさはただの獣ではない。
魔物だ。
それが大きく跳ぶと、水面に静かに降り立つ。
幻想的なまでに美しい光景に、一瞬、目を奪われる。
形は犬型の魔物ガルムに見える。しかし、不気味な黒と赤の毛皮ではなく、輝く銀色を誇っている。
銀色の毛皮に、頑丈な金属の外骨格を纏う魔獣。普通のガルムではないとわかる。おそらくは特異個体。
その後ろにはそのガルムよりは少し小さいが、見たこともない白い魔獣が降り立つ。
この状況に、まだ敵は戦力を残していたと思った。
ガルムがこちらに向かってくる。リリアナたちは戦うために、剣と杖を構えた。
だが、起き上がったオルシアが、その魔獣たちに向けて水面を走り出す。ロバルトが止めようとするが間に合わない。
「カンナちゃん!」
うしろにいた白い獣が跳び、オルシアの目の前に降り立った。
「オルシア、ルナはどこだ。この辺りで匂いがするんだが……」
リリアナたちはオルシアも含めて、ルナの使い魔カンナのこの姿を見たことはない。だが、オルシアにはカンナだとすぐにわかった。
「ルナちゃんは水の中に沈んでる。助けてあげて!」
「えぇ……。濡れるの嫌なんだが……」
「カンナ!」
オルシアはカンナに飛び乗る。カンナは小さく唸ったあと跳び上がり、水中へと突入した。
「なぁ、敵はあの黒い鎧の方で間違いないか」
いつの間にか銀色のガルムはいなくなり、それと同じ色の髪の毛を持つ女が、リリアナの肩にもたれていた。
リリアナは状況が全く理解できなかったが、質問にしっかりと答えた。
「え、ええ。ヴァージル・レインロッドさまです。おそらく『転位』の魔法を使いますわ」
「りょーかい」
銀髪の女が、腕を回しながらグリオンとヴァージルが戦う方に向かう。
「あ、あの、あなたは……」
「うち? うちはルナのお姉ちゃんだよ。あんたたちからは、ルナの機嫌がいいときの匂いがするから、守ってあげる」
その言葉の意味を理解するのに、リリアナたちは時間を要した。
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