絶望
◆
ヴァージルは最後の仕上げに、村に滞在する魔術士たちを片付けるつもりだった。
魔王軍の準備が整い始めた時期に、ジルベルト王子の差し金で、魔術士が送られてきたのは偶然とは思えない。
フィオナを護衛させるための言い訳だと、ヴァージルは考えていた。
それなれば宮廷から出さなければ良い話だが、宮廷は宮廷で魔窟である。冷酷なジルベルトも、同じ母を持つ妹は可愛いらしい。
問題は、ヴァージルを護衛に選んだことである。さすがのジルベルトも、ヴァージルが魔王軍と通じているとは思ってもみなかったのだろう。
ゴブリンの魔術士であるルードニツは先に向かわせた。待機しているヴァージル配下の魔物の部隊と合流し、フィオナを魔王軍の支配域まで連れて行く手筈だ。そこから先は空路で運べば、もう追跡の恐れはない。
予定より時間はかかったが、今のところ順調である。
「さて」
湖面に降り立ったヴァージルは、まずはメルビムを殺すつもりだった。
この場で唯一の正式な魔術士であり、ヴァージルを殺せる唯一の人物と言える。
だが、その肝心のメルビムは結界の中で大人しくしている。相当な老齢であるし、村を守るためには仕方のないことだ。
メルビム魔導師を城に近付けないために、ここまでの大規模な段取りを踏む必要があると判断した。メルビムとグリオンが協力するような状況であれば、ヴァージルではどうしようもなかったかもしれない。
計画通り、グリオンは独りで城に来た。吸血鬼の力に再び目覚めたのは計算外だが、嬉しい誤算である。
ゾンビが結界に触れると燃えるのを見るに、不死者であるヴァージルも燃え爛れる結界になると思われる。何より本能がそれを拒否している。転位の魔法で中に飛び込むのは危険そうだ。
結界をどうにかする前に、結界の外の学生たちをやるのが得策だと考える。
これだけの殺戮しておいて、数人を生かしておいて失敗しましたでは話にならない。やれることは徹底的にやっておくべきだ。
「厄介なのは、やっぱりアルフォンスの弟子だな」
テルティアはロバルトの肩でぐったりとしている。魔術を使い過ぎたか、ゾンビ相手に手傷を負ったか。
だが、アルフォンスの弟子であるならば、治癒魔術を使える可能性がある。
魔術士を交えての戦闘において、治癒魔術師ほど厄介な相手はいない。
常に後方で控え、戦いの結果をなかったことにする。相討ち覚悟の戦法すら、簡単に打ち砕かれてしまう。だから、まず最初に殺すべきは治癒魔術師である。
「ヴァージルさま……?」
今のヴァージルは、全身に返り血を浴び、右手はなく、胸に爪痕のような深い切り傷がある。
その異様な姿を見たオルシアが、彼の名前を呼ぶ。ディルタが前に出て、魔術をいつでも発動できるようにする。
「レヴェナントだ……。みんな、下がれ……」
ディルタが震える腕で、ロバルトたちを守るように動く。
ヴァージルは学生たちに言う。
「なぁ、メルビム魔導師に言ってくれないか。この結界を解除してくれって。そうしたら、お前たちの命は助けてやる」
もちろん、そんなつもりはない。
「ヴァージルさんの頼みでも、そりゃ難しいっすね。それより、どいてくれませんか。ボクら村に帰りたいんですよ」
気丈にもディルタが会話をする。
レヴェナントはゾンビとほぼ同義である。違いは、その意思だ。
ゾンビには意思はなく、ただ操られるだけであり、本来持っている肉体の能力を活かすことはできない。
対してレヴェナントには意思がある。肉体の能力を完全以上に引き出し、生前の記憶も持っている。その強さは、ヴァージルと言う歴戦の勇士に、不死者の力を足したものである。
ディルタには時間稼ぎすることしかできないことがわかっているのだ。
「ボ……ボクらか弱い学生ですよ? あなたが何をしてもボクらにはどうしようもありませんって。ボクらがそんなに強くないってわかるでしょ。だから、どうか見逃してくれませんか」
「……」
ディルタの言葉は命乞いである。ヴァージルは少しだけ心が痛む。
そのことに喉を鳴らして嘲笑う。それには自嘲の意味も含んでいた。
「ククク……。これだけの人を殺した人間に……、魔物に命乞いか?」
不意打ちで殺してしまえば良かったのに、ヴァージルは敢えて姿を晒した。それは罪悪感を高めるための儀式に過ぎない。
ヴァージルは魔物と化したが、まだ人間であった。そして、それを捨て去る。
魔法を発動した。
◆
ヴァージルが踏み込んだ瞬間、ディルタが前に出て迎え撃つ。
ディルタの手には氷で作られた大剣が握られており、ヴァージルの剣を受け止めた。ヴァージルは意外そうな顔をして、学生との打ち合いを楽しむ。
「レヴェナントには核がある! それを探して攻撃するんだ!」
ディルタが戦いながら叫ぶ。ここで自分が死んでも、他の者に情報を渡しておけば、まだ救いはある。
ディルタの速度も相当なものであった。しかし、ヴァージルについていけるほどではない。
「俺の速度についてくるか! そうか、お前らもアルフォンスに教わっているんだな」
ヴァージルは面白くなって少しだけ本気を出す。それで終いだ。
ディルタは氷の剣でヴァージルの一撃をまともに受け、氷が砕ける。そのままディルタの首にヴァージルの刃が届く。硬い物同士がぶつかる音が響き、ディルタは水面に叩きつけられる。
「……っ!」
水中に沈むディルタを心配している暇はない。
オルシアが風の魔術で空気を固定する。空気の移動を反転させ防御壁を展開する、盾の魔術である。
ロバルトはテルティアを突き飛ばし、背後にかばう。テルティアは湖に沈むかもしれないが、今ならまだ水中の方が安全だ。
ロバルトは短杖で狙いを定める。風の魔術でヴァージルは移動が制限されるはずだ。そこに雷の魔術を叩き込めば、レヴェナントでもただでは済まないはずである。
杖の先にヴァージルの姿を捉えられればの話だ。
肉の裂ける嫌な音が耳を打ち、ロバルトは振り返る。テルティアの胸からヴァージルの刃が突き出していた。
「ルナ……!」
呆然としたロバルトよりも早く、オルシアが反応した。風によって巻き上げられた水が、ヴァージルを取り囲む。
嵐と化したオルシアがヴァージルに捨て身の攻撃を仕掛ける。迎撃することはできるが、ヴァージルはその手のひらに強烈な殺意を覚え、本能的に転移し、逃げた。
オルシアは目の前から消えたヴァージルは無視し、テルティアの体を支えた。
少し離れた場所に現れたヴァージルに向け、ロバルトの放電が襲いかかる。
味方に当たることのない放電は、敢えて狙いを絞らず、拡散することで出現場所を限定する攻撃だ。
さらにテルティアを支えるオルシアを庇うように、全身から雷を放って空間を確保する。
神出鬼没の敵に対する対処法としては正しい。ただし、長くは続けられない。
「オルシア! ルナは、ルナは無事なのか⁉」
「……」
オルシアは呆然と、腕の中のルナを見つめていた。
「オルシア!」
オルシアは顔を上げた。ロバルトと目が合うと、乾いていた瞳に涙が溢れ出した。
「……死んじゃった。ルナちゃんが……、死んじゃった……」
ルナの瞳は開いたまま、力なく虚空を見つめていた。
◆
「放て!」
指揮官の声のもと、一斉に放たれた矢は、ゾンビの開け放たれた口の中に飛び込み貫通して、喉の奥の頚椎を破壊する。
ただの一矢で、ゾンビは行動不能に陥る。
「こりゃあ、楽だ……」
「次の矢、番え!」
弓を放った村人が呟く。
熟練した弓の使い手でも、不規則に動く的を、正確に射貫き続けることは難しい。だが、リリアナは支配の魔術によって、射手たちを熟練の弓使い以上の実力に変える。
あとは橋を渡られないように、ディルタが作り出した氷の簡易砦で道を塞ぎ、水の中に叩き落とすだけである。
ゾンビたちは水を泳げない。死んだ身体は沈む上、泳げるほど素早く動くことができない。あとでトドメを刺す必要はあるが、行動不能にするだけならば充分である。
メルビムの結界は強力だが、その分、消耗も大きい。結界内に侵入させないことの方が重要だ。
リリアナは気を引き締めるために叫んだ。
「皆さん、油断はしないでくださいまし。魔物はゾンビだけとは限りません! それに矢が尽きれば、この戦法は使えなくなります!」
「補充の矢! 持ってきたよ!」
子どもたちが矢を詰め込んだ木箱を運んでくる。村には大量の矢は一万本以上ありそうだ。村の備えとしては過剰なほどである。
リリアナが少し絶句するが、備えがあることに越したことはない。
リリアナがこの戦法を取ったのにはわけがある。もっと破壊力のある魔術で、まとめて吹き飛ばした方が、戦い方としては楽なのだ。ゾンビの体をなるべく傷付けず、かつ自身の魔力消費を抑えるには、これがもっとも効率的だったのだ。
その代わりに時間はかかるが、この村の防御力ならば問題はない。
貴族としてはフィオナ王女の護衛に向かうべきだろうが、民を守るのもまた仕事の内である。それにメルビムの言う通り、城にはヴァージル・レインロッド卿もいる。ゾンビや屍霊術士程度では、相手にもならないはずだ。
水面が揺れ、足元が揺れた。
「何ですの?」
その力の行方を眼で追う。ロバルトたちの援護に向かったディルタの前に、黒い鎧の戦士が降り立つのが見えた。
ヴァージルのように見える。
「どうしてこちらにレインロッド卿が……」
フィオナ姫の安全は確保されたので、こちらの援護に来てくれたのだろうか。それにしては、まるでロバルトたちの行く手を遮るような行動である。
矢が放たれ、リリアナは視線を戻すと、支配の魔術で矢の軌道を操作し、頚椎を破壊する。村人たちの使う矢の威力も相まって、この調子であればゾンビ殲滅に時間はかからない。
金属のぶつかり合う音が響き、リリアナは再びディルタを見た。彼はヴァージルと戦い、そして吹き飛ばされる。こちらから見れば、首が落とされたとしか思えなかった。
「ディルタ⁉」
リリアナが叫ぶ。ディルタの作り出した氷の簡易砦が消え去る。魔術の影響が消えたのだ。ディルタは死んだか、意識を失ったのだ。
思わず駆け出そうとするが、その脚を意思で踏み止まらせる。今は村人たちを援護しなければいけない。
「リリアナちゃん、行ってあげなさい! こっちは大丈夫だから」
指揮官にそう言われ、少し躊躇するが、頷くと駆け出した。
背後で指揮官が的確に指示を出す。
「ここからは魔術はないぞ! 大楯を前へ! 弓兵は良く狙えよ!」
この村はただの村でない。リリアナは安心して、水面を駆けることができた。
だが、そんなリリアナの魔術が届く前に、ヴァージルの姿が視界から消える。そして、次の瞬間には、ロバルトの背後に現れ、ルナの心臓をその刃で貫いていた。
絶望感がリリアナを襲う。それをすぐに振り払う。
(大丈夫、ルナはこんな程度では死にませんわ)
自分に言い聞かせると、水を支配していく。今やるべきことを違えてはならない。
ロバルトが放電で結界を作り、オルシアとルナを守っている。ならば、自分がするべきことは、敵を倒すこと。
ヴァージルは敵だ。
魔術で支配した大量の水で、ヴァージルを襲う。しかし、既にヴァージルはその場には居らず、自身の周囲に張った感知結界が、背後に危険を察知した。
「チッ……」
目前に迫る凶刃に、走馬灯とはどういうものなのか、リリアナは知ることとなる。
だが、その刃は振られる前に、ヴァージルはリリアナから距離を取らざるを得ない。
自動迎撃の魔術が発動し、水の結界がリリアナを守ったのだ。
「結界魔術士だったか。鬱陶しい」
ヴァージルの視線がリリアナの背後に移る。
(だったら先にやるのは……)
ロバルトが懸命に、気絶したディルタを抱え、気力を失くしたオルシアを引っ張っていた。
「オルシア! 頼む! 歩いてくれ! 結界の中まででいい!」
叫ぶが、オルシアは身動ぎすらしない。ただルナの沈んだ水の中に、光のない目で向けている。
ロバルトの水面歩行魔術の熟練度では、三人分の体重を支えることができない。踏み出すたびに、泥沼の中を進むように足が沈む。
そのロバルトの前に、ヴァージルは立つ。
剣が振るわれ、三人まとめて切り刻まれる。ロバルトはそう思った。だが、ヴァージルは剣を振るわず、別の場所を見つめている。
ロバルトも思わず、そちらを見やる。
水面に降り立ったもうひとつの影が、こちらに目線を向けていた。
グリオンのように見える姿だが、瞳が赤く、白く鋭い牙が唇から覗いている。吸血鬼だ。
「うそ……」
ヴァージルだけではない。グリオンまで魔物と化している。リリアナもロバルトも絶望する。




