不死者の憂鬱
◆
「どう……して……⁉」
いつもの、月明かりの下で爽やかな風に吹かれるような、そんな感覚がない。テルティアはもう一度、変身の呪文を唱える。しかし、何の効果もなかった。
(そんな⁉ どうして……)
裏切られたような気持ちが心の中に広がる。思考が駆け巡り、何が原因なのか探す。
変身することはできないことは今までもあった。だが、そういうときは変身できないと感覚でわかる。力が満たされずに、呪文は不発に終わると、唱える前に判断できる。
ヴェルデのアトリエにオリエンスによって閉じ込められたときも、変身することができずにいたが、慌てるようなことはなかった。
あのアトリエでの遭難以来、ルナは変身していない。
変身する必要がなかったからだ。では力を失ったのは、そこなのだろうか。そこで魔神アドストリスと戦った。アドストリスに力を奪われたのか。だが、ルナはアドストリスとは直接は戦っていない。戦ったのは――――。
呆然としたことでイメージが崩れ、魔術が解除される。テルティアを守っていた植物たちが、土で作り出した壁が、その力を失う。
ゾンビたちがテルティアを取り囲む。
そこでようやく我を取り戻し、すぐに魔術を使って身を守ろうとするが、間に合わない。
(死…………)
雷と風。破壊的な力のうねりが、テルティアを取り囲む。
ゾンビたちが打ち払われ、ロバルトが倒れたテルティアを助け起こす。洞窟から出てきた村人たちが、手に工具を持って残りのゾンビを蹴散らす。
「何やってんだ、お前! 死ぬ気か⁉」
「ルナちゃん、大丈夫なの⁉」
オルシアが風を纏って降り立ち、湖への道を作り出した。咄嗟にルナの名を呼んでしまったが、それを気にする余裕はなかった。
「だ、大丈夫。ちょっと気分が悪く……」
込み上げる吐き気にテルティアは口元を押さえた。治癒魔術が上手く働かない。
村人たちが水面を渡るには、水面歩行の術を彼らにかける必要がある。ロバルトもオルシアも、水面歩行は会得したばかりで、人に施せるほど熟達していない。だが、テルティアも、どうやってかければ良いのかわからなくなってしまった。
「抱えて走れ! 止まっていたらまた囲まれる!」
村人のひとりが叫び、ロバルトがテルティアの体を支えて走る。オルシアは近付くものを察知して薙ぎ倒す。
突然、氷の壁が左右に現れ、周りのゾンビの進路を塞いだ。
「こっちだ! 来い!」
ディルタが水面で叫ぶのが聞こえる。
彼は水を凍らせて、村までの浮き橋を作っていた。村人たちはその橋を走る。湖の表面だけの氷の橋だが、割れることはなく滑ることもない。
少し遅れて三人も道に入り、ディルタは岸の方から氷の橋を消していく。追いかけてきていたゾンビは足場を失って、水中に沈んでいく。
「助かった!」
「結界の中に入れ! 急げ!」
湖の半ばまで来たとき、目の前で爆発が起こる。氷の橋が砕け、先に走っていた村人たちは、水中に投げ出された。ロバルトたちは落水は防ぐが、大きな波に足を止めてしまう。
不気味な鎧を着たヴァージルが、波紋の中央に立っていた。
◆
グリオンは城までの山道を無視し、九十九折りの道を階段のように飛び跳ねながら、一気に崖を駆け昇っていく。
瞬く間に城の入り口まで辿り着く。ゾンビの姿はないが、兵士や家政たちが倒れている。皆、首を一太刀に斬られ、絶命していた。
「…………」
ゾンビとして操られるのを防ぐために、事前に斬り落としたにしては、他の外傷がない。全て一撃で首を落とされ、その攻撃によって死亡している。相当な手練れが、気配を悟られないようにやったとしか思えない。
グリオンは剣を仕舞わず、警戒しながら城の半開きの扉を開ける。
城の中は異様に静かで、もはや誰も生きていないのではないかと思えるほどである。
玄関ホールの両翼階段を上ると、奥の廊下に血で描かれた足跡がある。
静かな廊下に、刃が交わる甲高い音が響き、その方向へ駆け出した。
血の滴る痕が続く扉を開ける。ダンスホールに使われるような柱のある広い部屋。そこにあった光景に、グリオンの手が止まる。
「グリオン。早かったな」
フィオナが血を流して倒れており、その奥に剣を持って向かい合うアナスタシアとヴァージルがいた。
グリオンは何気ない様子で、フィオナの様子を確認する。気を失っているが命に別状はない。
お互いに剣を向け合っている二人の戦士だが、グリオンにはどっちが敵なのかすぐに分かった。
「ヴァージル……。お前、何をやっている」
ヴァージルは全身に血を浴びている。それはまるで血を浴びることを楽しんだあとのようである。
それだけではない。今のヴァージルは、敵と判断するには充分なほど不気味だった。
黒い鎧には赤い血管のような模様があり、その姿は悪夢に現れる騎士そのものだ。肌の色は青とも白も言えない色に染まり、生気を感じない。
不死の騎士レヴェナント。
その声と立ち姿が、紛れもなくヴァージルそのものだったからだ。
「グリオンさま! フィオナ殿下を連れて……」
アンが叫ぶが言い終える前に、その腹にヴァージルの蹴りが炸裂する。アンの軽い体は吹き飛び、柱に激突した。
隙ができる。斬るならば、今だ。
だが、グリオンは不用意に間合いを詰めたりせず、回り込むように横に歩いた。足元のフィオナから離れ、ヴァージルの背後に回る。
アンはそのまま倒れ伏し、気絶したようである。ヴァージルは嘆いた。
「ははは! 面白い村だな。王女のお守りに張り付かされているような兵より、この娘の方が、よっぽど手応えがある」
「……」
ヴァージルは誰に言うとでもなく呟いた。背後に回ったグリオンを警戒し、視線をグリオンに向ける。その目は夜行性の動物のように瞳孔が縦に割れ、黄色の瞳で白目がほとんど見えない。少なくとも人の目ではない。
「なぜ、こんなことをする」
「もちろん、その王女だ。出来損ないとはいえ、ルトロネル王族の血筋。その魔法は役に立つからな」
グリオンはあっさりと答えたヴァージルに、焦りを覚える。他にも仲間がいるに違いない。この状況は非常に拙い。
(フィオナ姫を守りつつ、ヴァージルを斬る。アナスタシアは諦めるしかない)
命の優先順位をつける。その優先順位では、グリオン自身がもっとも低い。
「魔王の手に堕ちたか……。だが、そんなことを聞いているのではない。お前がどうしてこんなことしているのかと聞いているのだ。お前は騎士だ! そのお前がどうして……」
騎士とは則ち、王の剣。国のために命を尽くすと誓った者である。
今のこの状況は、明確な国家への反逆である。
ヴァージルは大声で一頻り笑う。狂気に満ちた笑い声が、ダンスホールに響く。
「なんだよ。お前、言ってくれたじゃないか。家族を持てって。だから、喜んでくれよ。
俺は王女を手土産に、魔王の元で永遠のときを生きる。そこで家族を作って、幸せに暮らすよ!」
まるで子どものようなことを言うヴァージルに、グリオンは寒気を覚える。
「ああ、そうだ。いいことを思いついた。
お前を殺したあとに、アルフォンスの弟子を殺そう。その次は、モリーとお前の娘だ。
バカみたいな政治家ども。バカみたいな戦争。俺をバカにした奴らを全員殺す。そして俺は……」
ヴァージルは自分が何を口走っているのか気付いたのか、我に返って冷静さを装う。
「あぁ……、悪い。ときどき感情の制御ができなくなる。
忘れてくれ。お前が死んだ後のことなんて、お前には関係ないことだからな」
ヴァージルが視界から消える。横からの剣の一閃を受け止められたのは、無意識によるものだった。グリオンの体は吹き飛ばされるが、彼もただの戦士でない。
空中で猫のように体を捻ると、壁に足から着地して衝撃を殺す。そのまま体のバネを使って、ヴァージルに向かって跳び、反撃する。
ヴァージルの体は異様に重かった。グリオンの攻撃を受け止めると、弾き飛ばした。
グリオンは間合いを取りながら、脚を使って隙を伺う。
「いいぞ、グリオン! お前と本気で斬り合ったことはなかったよな⁉ ここでどっちが優れているか、ケリをつけよう!」
ヴァージルの叫びを、グリオンは無視する。
「いつからだ! いつから裏切っていた!」
「少し前さ。この下らない任務に就く、少し前。
魔王軍との戦いで、俺は負けた。けれど魔王は、寛大にも俺を逃がしてくれたんだ!
そのとき、契約を結んだ。
自分で命を絶てば契約は成り、俺は不死となるってな。そのとき、俺は真の自由を得るって、そう言ってくれたんだ! ああ、いいだろう。何のしがらみもない世界がすぐそこにあるんだ!
なぁ、グリオン。お前も一度は魔物になったんだろ? わかるはずだ。この心地良さ。全てを捨て去って、新たな命を得る感覚。
俺は生まれ変わったんだ‼」
「……だったらなぜ、この城の者たちの首を斬り落とした。ゾンビにしたくなかったからじゃないのか」
「ハッ……。そんなものに理由なんてない。ただ単に、切り落としたかっただけだ……。
話しすぎたな。終わりにしよう」
ヴァージルが力を解放した。彼の姿は忽然と消える。
それは騎士としての、魔法使いとしての力だ。
ヴァージルの『転位』の魔法は、異層を通って、別の場所に体を移す。ヴァージルには、剣士としての間合いは関係ない。
軍学校で散々苦しめられた恐ろしい魔法だが、グリオンはその力の弱点も知っている。
(転位は連続では行えない。視界内の設定した場所にしか転位できない……)
左後方。
グリオンは感覚だけでそれを察知し、剣を振る。だが、手応えはなく、剣は空を斬る。再び現れたヴァージルの剣が、グリオンの胸を貫いていた。
心臓とともに肺が破られ、口から血が溢れる。剣が引き抜かれると、大量の血が噴き出し、グリオンは倒れ伏す。
ヴァージルはレヴェナントとなったことで、その魔法も限界を超えていた。肉体が壊れるのも構わず、転位中に位置をずらした。相手が弱点を知っているとわかっていたからだ。
即死。
ヴァージルはグリオンの死を見届ける。
機会を伺っていたように、部屋の扉の影からフードを目深にかぶった小男が現れ、ヴァージルに声をかける。
「お別れはお済みになりましたか」
「ルードニツ。……ああ、悪い。時間を取らせたな」
「今はレインロッドさまが指揮官でございます故。配下として、主人を待つことは苦ではありません」
ルードニツと呼ばれた小男は、慇懃に言った。
「そうか。だが、俺が魔王軍として間違っているときは、ハッキリと言ってくれ。俺はそれを正したい」
「畏まりました。
しかし、魔王さまは、体は魔物となっても、人間性も捨てろとはおっしゃらないでしょう。とはいえ、今は戦時です。ときに冷酷になることも必要ではあります。
そちらの娘にもトドメを刺しますか」
ヴァージルはなんとか剣を握ろうとしているアンを見やる。
「そうだな……」
ヴァージルが剣を突き立てようとしたとき、背後で起きた異変に気が付く。
「グググ……」
不気味な音を口から発しながら、グリオンが立ち上がる。重力を無視したかのように、体を逸らして立ち上がったグリオンの瞳には、赤い光が宿っていた。
「グリオン……! お前、まだ吸血鬼の……」
どこか嬉しそうにヴァージルは叫んだ。
それは吸血鬼の力である。黒い影がグリオンの体を覆い、貫かれた心臓に溢れ出た血液が、時間を巻き戻すかのように戻っていく。
その殺意を感じ、ヴァージルは咄嗟に剣を構えるが、グリオンの剣の方が早く、利き手を切断される。
左手で剣が地面に落ちる前に拾い上げ、グリオンへと数合、刃を交える。グリオンの力任せの攻撃を受け流し、その剣を取り落とさせる。
間髪入れず、グリオンの腹をヴァージルの剣が斬り裂く。腹の筋肉が切断され、強い攻撃は繰り出せなくなるはずであった。だが、グリオンは左腕で自分の太ももに指を突き入れ固定すると、片腕を腹筋の代わりとする。上体を起こし右手の爪で、ヴァージルの心臓辺りを切り裂く。
その不意打ちにヴァージルは反応できず、床に倒れた。
「ヴァージルさま! お下がりを!」
ルードニツが振るった長杖から、いくつもの骨の杭が撃ち出され、グリオンの体を壁に固定する。彼のフードがめくれ、その顔が顕わになる。
長い鼻に、ゴツゴツとした緑灰色の肌、大きく切り裂かれたような口は、笑っているようにも見える。
ゴブリンだ。ルードニツはゴブリン魔術士であり、屍霊術士であった。
「ヴァージルさま、ご無事ですか⁉」
「問題ない。核は破壊されていない。お前の方こそ、これ以上の魔術は危険なのに……。すまない」
ヴァージルは立ち上がる。鎧が蒸気を上げながら再生していく。鎧自体もレヴェナントとしての彼の一部である。
「下がりましょう、ヴァージルさま。飢えた吸血鬼は、動くものを全て襲い、危険です。強い戦士の肉体を持つ者なら、なおのこと」
グリオンは肉体が壊れるのも構わず、返し付きの杭から体を引き抜いている。拘束から抜け出すのに時間はかからない。
「あの生きている娘を貪っているうちに」
「しかし……」
ヴァージルは何かを迷う。ルードニツが説得する。
「あの吸血鬼がシアリスさまの配下であれば、いずれ魔王城で会うことも叶いましょう……。目的を見失ってはいけません!」
ヴァージルとルードニツがフィオナを抱えて出て行くのを、アンは薄れる意識の中で見つめていた。全身の激痛で力が入らず、意識も朦朧としている。
その目に、ひと際明るく光る二つの赤が映る。
人の血を啜るために特化した、白く長い牙が、その口元から覗いていた。
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