水上の宿
◆
テルティアたちの宿はレデクス村にある。
フィオナ姫が自分も村で宿泊すると言い出したので、それを止めるのに家臣らは骨を折ったようだ。
学生らが城に泊まるということもできたが、メルビムがそれを拒否した。
どんなところででもしっかりと生活し、休息を取り、万全の体調を整えるのが、一流の魔術士であるというのが、彼女の言である。
昨日寝れなかった、調子が悪い。自分と人の命を左右することになる魔術士に、そんな言い訳は通用しない。
宿と言っても、一軒家である。それをひとつ貸し切って、しばらくの間、ここで過ごすことになっていた。
二階には部屋がいくつかあり、女子部屋と男子部屋、そしてメルビムの部屋、グリオンの部屋に分けられた。宿にはキッチンもあり、自分たちで料理することも可能だ。風呂とトイレだけは、離れに行かなければいけない。水の上にある家屋なので、そこは仕方がないことだ。
夕食を摂ったあと、学生らで今日習ったことを復習しようとしていたのだが、疲労が限界に達し、ひとりひとりと気絶し始めたので、結局、何もせずに就寝することになる。
目を瞑ると、次の瞬間には朝だった。
テルティアは、久々に夢を見なかった。少し心が浮き立つような感じがして、勢い良く目覚めると居間に降りた。
まだ、誰も起きてきていないと思っていたが、メルビムが既に茶を飲んでいた。
「おはようございます、メルビム先生!」
「おはよう、テルティア。よく眠れたようだね」
「えへへ。わかります?」
「髪の毛、すごいことになってるよ」
テルティアの短くした髪の毛は、近頃、寝起きで良く暴れる。
頭を慌てて押さえ、キッチンの鏡の前で水を使う。メルビムがヘアブラシを貸してくれたので、それで撫でつける。
(長いときはここまで酷いことになることなかったのに……)
ナイトキャップでも作ろうかと考えていると、メルビムが言う。
「魔術で解決しないのかい」
「何でも魔術でやってしまうと、いざというときに使えなくなると、アル先生に厳しく言われていますから。私もそう思います」
「いい心掛けだね。さすが、アルフォンスだ。茶、飲むかい」
「いただきます」
まだ朝食が届けられる時間までは時間があるし、他の学生も起きてこない。
メルビムとともに卓につくと、茶を飲む。少し冷めているが、薫り高い茶であった。
「美味しい」
「本当にね。フィオナから分けてもらったんだよ。お礼を言っておきなさい」
「そうなんですね。そうします」
メルビムはちゃっかりしたもので、王族の品を飲む機会を逸しなかったようだ。
しばらくそうして静かな朝の時間を過ごしていると、メルビムは唐突に言った。
「魔法を有すものは、膨大な魔力を有す。昨日話していたことを憶えているかい」
「はい。王族は強い魔力を持っているんですよね。フィオナが魔術を習えば、相当な術士になれるかもしれません」
メルビムは首を振った。
「……それは苦難の道だけどね。魔法使いと魔術士についての違いは、授業でやらなかった? 一学位のときに」
「え、えっと。本で読んだ気もしますけど……。一学位を経験してないので」
「ああ、そうだった。飛び級で入学したんだったね。じゃあ、教えておこう」
メルビムは茶をひと口飲む。
「まず話すべきは、魔力がどこから来るのか、だね。
魔術を使うとき、魔術士はどこから魔力を取り出している?」
「身体ですよね。生命力を魔力に変換して使っている」
「そう。生命力を魔力に変え、魔力を属性に変えることで、体の外でも魔力を操作することができる。つまり、魔術士は基本的に生命力以上の魔術は使えない。
生命力を見れば、相手の実力を大体は見極めることができるわけだ」
魔術で言う『生命力』とは、その者の体の丈夫さだけを指すのではない。
生きる意思、魂の強さ、運命の力。それらをまとめて生命力と呼び、魔力と呼ぶ。
「けど、魔法使いは、特別に生命力が優れているわけじゃない。だから、魔法使いの実力を見極めるのは難しい」
「でも、魔法使いは魔力が多いって……」
「それは例えだね。魔法使いは、人よりも生命力が、魔力が特別優れているわけじゃない。
魔法使いがいったいどこから魔力を取り出しているのか、今のところわかっていないんだよ。少なくとも生命力を魔力にしているわけじゃない。
魔法使いが魔法を使っても、魔術士みたいに即座に疲れ、限界がくるようなことはない。無尽蔵とまでは言わないけれど、魔法の力ってのは使い放題なわけだ。
ここで話が戻る。魔法使いが魔術を使ったら、どうなる?」
メルビムの問いに、テルティアは少し迷った。
魔法使いが生命力を魔力にしているわけではないのであれば、魔術も使い放題なのだろうか。しかし、魔術とは生命力を魔力に変換する術である。生命力が特別に多くないのであれば、結局、普通の人と同じようにしか魔術を使えないはずだ。
「別に何も……。魔法が使えるだけの、普通の魔術士になるのでは?」
「もっと、自分が魔法使いの立場になって考えてみなよ。
魔術はイメージだよ。魔法使いは魔法という別の力が使えるんだよ。魔術を使うとき、魔法のイメージに引っ張られる」
「つまり、魔術の習得が難しい?」
「魔法使いが多い場所で育った子は、特にね。魔法という先入観が、刷り込まれているのがいけないのではいかと言われている」
「では、魔法使いが偉大な魔術士になると言う話は……」
「それだけ困難だからこそ、偉大になると言う皮肉みたいなもんだ」
家政長のジリオーラが、大らかにもフィオナに魔術を教えても良いと言っていた意味がわかった。
もし魔術を習得できるなら、それは才能である。
王位継承権を破棄しても、魔術を習う価値があるかもしれない。習得できないのであれば、それはそれで良い。そういうことだ。
テルティアは釈然としない気持ちになった。
魔術は万人のためのものだと学園では教えている。だが、王族にはそれが適用されないのであれば、万人などと言うべきではない。
もちろん、それは建前であることがわからないほど、テルティアは子どもではない。
魔術によって王族も利益を得ているのでだから、万人のためになっているとも考えることはできる。
それでも、魔術を学ぶ機会すら、王家の血を引く者には与えられないことには、納得がいかなかった。
「魔法使いが魔術を使うと、魔法が使えなくなるなんて迷信めいた話もある。
フィオナがどれほどの魔法を使えるのかは知らないけれど、もし使えなくなれば、あたくしは打ち首かもね」
メルビムが舌を出して、自分の首を切るジェスチャーをした。彼女は冗談めかして言うが、本当の話だ。
「王族の魔法というものは、それほど大切なものなのですか」
「さぁね。魔法使いは秘密主義だ。どんな魔法を使えるのか、あたくしも知らないということにしておくよ。
昔は……、あたくしが生まれる少し前の話だけど、魔法がなければ魔物に対抗できず、大きな国家は作れなかったんだ。魔術が隆盛する前は、魔法の時代だったというわけさ。
人間社会の成り立ちが魔法から始まったことを考えれば、それを伝統的に守ることも大切だとは思うよ」
テルティアは納得できたわけではないが、メルビムに感謝する。
「ありがとうございます。フィオナが授業を受けることを許可していただいて……」
メルビムは大きく声を上げて笑う。
「すっかり妹弟子にするつもりじゃないか。この話を聞いたアルフォンスが何と言うか、帰ったときが楽しみだね」
(めちゃくちゃ見透かされてる……)
メルビムに考えを見抜かれ、少し恥ずかしくなったテルティアは茶を啜った。
◆
「おっはようございます!」
アンが勢い良く扉を開けるが、居間で寛いでいたのは、メルビムとテルティアだけだった。
アンは家政服ではなく、昨日テルティアが作ってあげた学園の制服風の衣装である。
「あれ? 他の皆さんは、まさか……朝の鍛錬……」
「いや。まだ寝てるだけだね。起こしてきておくれ」
「……」
アンとテルティアは二階に上がり、学生たちの部屋の扉を叩く。
「リリアナ、オリィ! 起きてる?」
部屋の中で慌てた音がして、リリアナの声がする。
「少々お待ちくださいませ! 今、準備中ですわ!」
今起きたなとテルティアは思いつつ、アンの方を見る。アンは扉の前で耳を凝らしている。
「何?」
「あの、扉を叩いても、反応が全くないのですが……」
テルティアは扉を蹴り開け侵入すると、容赦なくカーテンを開ける。明かりが差し込み、ロバルトとディルタは光を恐れて布団の中に隠れた。
「テルティアさん⁉ そんな男性の部屋にズカズカと……」
「起きないんだからしょうがないでしょ」
テルティアは二人の布団を無理矢理引きはがす。二人は勢いで床に転がった。
「さっさと起きなさい! アンが朝食持って来てくれたよ!」
そう言いながら出て行ったテルティアを、ロバルトとディルタは寝惚け眼で見送る。
アンがそんな二人を心配そうに見るが、気を取り直した。
「おはようございます! 下で準備していますので、降りてきてくださいね」
「普通に起こしてくれれば、起きるからね……」
ロバルトは言うが、もう二人は嵐のように去ってしまっていた。
朝食を食べ終わり、宿の外に出る。丁度、フィオナがヴァージルを引き連れてやって来るところであった。
フィオナもドレスをやめ、アンとおそろいの制服風の衣装に身を包んでいる。口を開かなければ、少し機嫌の悪い見習い魔術士にしか見えない。
ムスッとした顔のフィオナは、今日もご機嫌斜めのようである。
「ああ、気にしなくていい。朝はいっつもこの調子みたいだからな」
ヴァージルはその言葉を挨拶とする。
「じゃあ、俺は見回りでもしてくる。後は頼んだ、グリオン」
「えぇ……」
そう言って騎士は姫を放ったらかしてどこかに行ってしまった。グリオンは結局ひとりで護衛することになってしまい落胆する。
レデクス村は全員が戦士だとは言え、任務を放ってどこかに行ってしまうのは問題であるが、肝心の姫の方が監視の目がなくなって喜んでいる。
メルビムが水面を歩き始めたので、学生たちもついていく。アンは完全に水面を歩くことを習得していた。フィオナもぎこちないが、なんとかついて来られている。
「お……、お?」
「ひ、姫……。て……手を貸しましょう」
「……結構」
おっかなびっくり歩くフィオナに、ディルタが手を貸そうとする。しかし、ディルタの声は震えていた。
どうやら大きな湖での水面歩行は、水恐怖症と高所恐怖症が同時に発症するようである。努めて冷静であろうとしているが、脚が震えている。
「この魔術、もっと前に教えて欲しかったな。この感覚、癖になりそうだ」
ロバルトが言うと、リリアナが応える。
「街で暮らしていれば、水面を歩く機会などほとんどないですもの。必要な人は勝手に覚えるものですし、授業でやる必要なんてないですわ」
「まぁ、それはそうか」
水面を歩く人という物珍しい光景に、村人たちが野次馬に集まっているのが見えた。メルビムがその人集りに杖を振り上げる。
「コラ! 見世物じゃないんだよ! さっさと仕事に戻りな!」
「やべぇ! 鬼婆だ!」
「逃げろ!」
村人たちが蜘蛛の子を散らすように逃げると、学生たちは乾いた笑いを浮かべる。
メルビムによる授業は専門性でなく、汎用性を重視していた。
それも当たり前で、リリアナ以外はメルビムの結界魔術を専門にするつもりはない。この機会に多少は学んでおくのも手だが、メルビムの方も教えるつもりはないようであった。
「つまり、自分の今もっている魔術を『性質反転』させることで、術の対応力を上げるわけですわね」
「その通り。
ディルタの冷気は、火の熱を反転させたものだけど、テルティアの火の魔術は、火の破壊を反転させて、癒しに変えている。
ひとつの属性でも、複数の性質を扱えるようになる。覚えておいて損はないどころか、これからは必須の技能になるだろうね。
ちょっと実例を見せてみよう。ロバルトの雷ならば、音の性質を反転させて、こうなる」
メルビムが手を叩く。
突然、周囲の音が全て消え去り、自分の心音だけが聞こえるようになる。濁流が流れるような轟音は、自分の頭を流れる血流の音だ。
もう一度、メルビムが手を叩く動作をすると、音が元に戻った。
「フィオナを助けておやり」
メルビムの言葉にフィオナを探すが、今までいた場所にいない。
良く見ると、水の中にフィオナが沈んでいた。テルティアが慌てて彼女を引き上げると、フィオナは口から水を吐き出す。どうやら音が消えたことに驚いて、水面歩行の魔術を解いてしまったらしい。
また乾かされるフィオナを、メルビムは気にせずに話を続ける。
「風の魔術でも似たようなことはできる。まぁ、風の場合は、音だけを止めるわけじゃなくて空気全体を止めるから、使い方には注意が必要だけども。
この性質反発は応用次第で、いくらでも魔術は幅を広げることができるわけだ。
せっかくだから、水の上で常に術を使いながら、自分の得意な魔術を使う器用さも身に付けなさい」
メルビムは簡単に言ってのけるが、応用をマルチタスクはかなり難易度が高い。
「これが第四学位……」
「第五学位に上がれる人が少ない理由だね」
テルティアの言葉にオルシアが頷いた。
「何かな、ロバルト」
ロバルトが手を上げたので、メルビムが指す。
「どうして第四学位からなのですか。これをもっと早くに教えてもらえたら、修得する時間も長くとれたと思います」
「それは簡単な話だ。まずは基本の五属性をしっかりと会得すること。魔術の危険性を学ばせてから応用をさせるべき、というのが学園長の考えだからだね。
今のフィオナみたいに、慣れていない水面歩行が簡単に解除されるように、他の魔術よりも危険な力でもある。
生徒の中には『反転』を、逆噴射だと思い込んでいる者もいる。そういう生徒が一番最初にやることは、自分自身に魔術を打ち込むなんてね。
昔は多かったよ。年に十数人くらいの低学位が、それで大怪我をしていたから」
ロバルトは顔を引きつらせる。
「オレ、やっちゃいそうだ」
ロバルトとは違うことで、フィオナは顔色を悪くしている。話に全くと言って良いほどついていけていない。
独学で魔術を学んでいたといえ、実践はほとんど初めてのようなものである。いきなり応用と言われても、まず基本五属性すら危うい。自分自身の魔術がどういうものなのかもわかっていない。
メルビムが水で椅子を作り出して座った。杖を振るって、水玉を的として、宙に浮かせてみせる。
生徒たちが性質反転を積極的に学ぶ中、テルティアはフィオナに話しかけた。
「どんな魔術が使いたいか、どんな魔術士になりたいか、何かイメージはありますか?」
「私は……、治癒魔術師になりたい。アルフォンスみたいな」
テルティアは少し苦笑いする。
アルフォンスのような治癒魔術師は、異例中の異例である。普通の治癒魔術師は、あくまで後方支援の役割が多い。そして治癒魔術の会得難易度は、他の魔術の比ではない。
「わかりました。じゃあ、水の魔術からやってみましょうか」
初心者のフィオナが水面を歩けているのであれば、水の魔術にそれなりに適性があるということだ。治癒魔術は三つの属性、土・水・火を混ぜ合わせて使う。ひとつひとつ会得していくしかない。
昨日とは違って、素直にフィオナは頷いた。
アンの方は、本格的に魔術を学ぶ気はないので、剣術に応用できるように、魔術による移動を学ぶようである。
まずは水面歩行を完全に体に沁み込ませるため、走り回ってたまに飛び出てくる水玉を斬ったりしている。
テルティアにとって性質反転は目新しいものではなかったが、何となくで使っていたものも、説明されると違った印象になる。
それに教える側に回ると、今まで感覚でやっていたものを言語化する必要があるため、それが理論として身についてくる。フィオナがいてくれたおかげで、別の気付きも得られた。
そうして長閑に授業は進み、静かな村での生活が始まった。テルティアは静かな時間がゆっくりと過ぎていくことに、久々に安らぎを感じる。
だが、そんな時間も長くは続かなかった。
読んでいただきありがとうございます!
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