初日の授業
◆
中庭に出たフィオナとアンを含むメルビム一行は、授業のために周囲の物を確認する。
当然ではあるが、座学ではない。魔術の実践の授業だ。庭を壊すことになるかもしれない。
フィオナは少し緊張した面持ちである。
どうやら魔術の基礎的な知識は独学で学んでいたらしいが、ジリオーラの言う通り、それだけで授業についていけるとも思えない。
フィオナは地味なドレスに着替えただけである。腕は出ているし、足元は動かしづらそうだ。魔術を使うには、それなりの防御ができ、動きやすい格好が適している。
「メルビム先生。少し待ってもらっていいですか」
テルティアはそう言うと、フィオナとアンに向き合った。
「授業を受けるなら、このローブは着ておかないとね」
ルナは自分のローブから布を作り出し、紐の魔術を使って、それを縫製する。
ダウリのように細かい刺繍はできないが、学園のローブ風に作ることは可能だ。
フィオナとアンにローブを差し出すと、二人は驚きながらも、それを受け取る。
「凄いです! こんな風に作れるものなのですね。なんだかチマチマと服を作っているのがバカらしくなります……」
アンが羽織りながら言うと、テルティアは補足する。
「うん。でも、布を一から作るのは人の手が必要だよ。それにいちいち魔術を使っていたら、体力がもたないし、変な構造になったりするから着心地も良くない。。
サイズが合わなかったり、違和感あるところがあれば言って、直すから」
フィオナはローブを両手で持って眺めている。目が輝き、頬に薄く紅が指す。
その様子を見て、テルティアは言った。
「お手伝いしましょうか、姫さま」
「……自分で着られます!」
急いでローブを羽織ろうとするが、慌てたせいで腕が引っかかる。結局、テルティアが手伝って、ローブを着せた。
「……よくやりました。誉めてあげます」
「お褒めに与り、光栄に存じます」
テルティアは貴族らしい一礼をして見せる。前の第四学位昇格試験前に、アルフォンスに教わったものだ。
結局、ジルベルト殿下に披露する機会はなかったが、こうしてフィオナに見せられるなら、習った甲斐があるというものだ。
(そういえば、アル先生の弟子になるなら、私の妹弟子になるわけか……。まぁ、そうはならないと思うけど……)
テルティアは抑えきれずにフィオナの頭を撫でた。
「何をする。やめなさい……」
フィオナはそう言うが、まんざらでもないようである。
なぜかオルシアが冷たい目線を送ってくるので、テルティアは慌てて手を離した。
リリアナがアンに向かって言う。
「なんだか、その格好の方が見慣れている気がしますわ。似合っていますよ、アン」
アンは家政服に、学生用のローブを羽織っただけだ。
「そうですか? ありがとうございます。でも、私まで魔術を習っていいんでしょうか……」
リリアナは苦笑いする。
「良いのではないでしょうか。ほら、フィオナ殿下の付き添いですから」
メルビムは増えてしまった生徒を眺める。
「まぁ、今日のところは基礎からやろうかね」
メルビムは噴水の前に立つと、水を指先で持ち上げる。
噴水の水は重力に逆らって、空中で円を描く。アンが歓声を上げるが、フィオナもその程度は見慣れたものである。
「水を操る魔術? やってみる」
フィオナが言うが、「まさか」とメルビムは言った。
「ま、話を聞きなよ。フィオナ姫、言っておくけど、基本のきから教えるつもりはないよ。ついて来られないならそれまでだ」
メルビムは話を続けた。
「魔術には五つの属性があるだろ。面倒だから詳細は省くけど、あんたたちには、これからそれらの性質反転してもらう」
「性質反転?」
「そう。例えば水ならば……」
「!」
メルビムの浮かした水がフィオナに降り注ぐ。だが、水は服に浸透せず、玉となって地面を転がった。
プルプルと震える柔らかで透明な物体に、目を奪われる。
「綺麗……」
女学生たちがそれを眺めていると、メルビムが続ける。
「水の浸透の性質を反転させたんだよ。他のものへの浸透を、反発に変えた。そして、これを応用するとこんなこともできる」
メルビムは噴水の縁に立つと、そのまま水面に足を踏み出した。
「水の上に……、立っている!」
フィオナが噴水に手を入れてみる。しかし、手は水に沈み、濡れてしまった。
メルビムは水面を歩きながら、学生たちを眺めた。
「うん。この中でこれをいつもやってるのは……、ディルタだね。見本を見せておくれ。呪文を唱えてね」
「え?」
意外な名が挙がって、ロバルトが驚く。ディルタが顔をしかめた。
「え? じゃねぇよ。いつもやってるだろ!」
「そうなのか?」
「マジかよ。……『水面よ、我を拒絶せよ』」
ディルタが呪文を唱え、噴水の中に跳び込む。水面は揺れるが、体は沈まなかった。
「水歩みの術だ。ボクの魔術は『冷気』だろ。火の魔術の熱の性質を反転させているんだ。前に言わなかったか」
水の上に立ったディルタは、手の平から炎を作った。それが消えると、今度はキラキラとした空気が垂れ始める。
それは、冷えて固まった空中の水分に、光が反射したものである。
「聞いた気もするけど……」
ディルタは自慢気に皆を見渡す。テルティアが問う。
「水が怖かったんじゃないの」
「フ……。怖いさ。だが、恐怖は克服することもできる」
格好をつけているが、フィオナやアンに響いているかは不明だ。
メルビムが学生たちを見渡す。
「今回は水の浸透だけでいいよ。
あの村を見ただろう。水面を歩けると、便利そうじゃないか。これからの授業は、水面ですることにもあるかも知れない。ここで修得しておいておくれ」
確かにレデクス村は、まさに湖の村である。
魔物とあの村で戦うことになれば、水面を歩くことができれば有利になる。
「イメージとしては、水を反発のではなく、自分自身を反発させる感じだね。まずは足の裏だけに集中し、それに慣れてきたら全身にその魔術をかける。
ここで少し慣れたら、村でもやってみようじゃないか」
リリアナが手をアンの手を取る。
「やってみましょう」
「え? で、できるかな……」
「ちゃんと支えますわ」
性質反転は、支配の魔術の延長である。リリアナであれば、この程度は朝飯前だ。
ディルタが手を回転させて、フィオナに向かって手を差し出す。
「お手を拝借……」
「助かる」
ロバルトがその手を取った。
「……」
テルティアはさりげなく水面に立つ。
反転と言われたから何をするのかと思ったが、治癒魔術を使うときは無意識に使っていたものだ。薬の成分を作り出したり、細胞が混ざり合わないようにしたりするには、性質反転は必須の技能である。
何をすれば良いか戸惑っているフィオナに、テルティアは手を差し出す。フィオナはムッとした顔で、それを無視した。
テルティアは空を切った手をオルシアに向ける。オルシアは喜んでその手を取ると、水面に躊躇なく足を踏み出す。
アンもロバルトもオルシアも、水面に立った。
「立ってます! 立ってますよ! リリアナ!」
「ええ、そうですわね。立っていますわ」
アンが興奮した様子で、リリアナに叫んでいる。
「お前……、ひとりでやってみろや……」
「え。ちょっと待て。まだ感覚が……」
ディルタはロバルトの手を容赦なく離した。ロバルトは沈み、そのまま尻餅をついて全身を水に浸す。
「こんな感じなんだね……」
「ひとりで立てそう?」
「多分、大丈夫」
テルティアが手を離すと、オルシアはそのまま水面に立つことができた。
フィオナはひとり噴水の縁で、水面を見つめる。フィオナは自分の靴の裏を水面に付けてみるが、沈んでいくイメージしかない。
他の者が全員立ったのに、自分だけやらないわけにはいかない。
「水面よ、我を拒絶せよ」
基本に従い、呪文を唱える。そして、勇気を出して片足を踏み出す。
「立て……」
そう思った瞬間、足が沈む。体が前に倒れ、水面に手をつこうとすると、水の入った革袋のような感触で驚いた。
「できている?」
背中に誰かの手を感じた。テルティアがフィオナの服を掴んでいるのだ。魔術はフィオナ自身の力ではなく、テルティアの力で発動していた。
そのことに落胆しつつ、這うように下がって噴水の外に出る。水に濡れずに済んだことに溜息をつく。
そんなフィオナにメルビムは声をかけた。
「どうして最初にテルティアの手を取らなかった?」
「……ひとりでできると思ったから」
「そうじゃない。テルティアに手伝われるのが嫌だったんだろう」
「……」
「いいかい、フィオナ。魔術は感情で使うものじゃない。魔術は想像で使うんだ。
己を知り、己を律する。感情で魔術を使えば、悪に堕ちる。
そして、王族の血筋には、魔法を持つ者が現れる。魔法を持つ者は、普通の魔術士よりも強い魔力を有すると言われている。王族が魔術に手を出してはいけない理由だ。
もし、力のある魔術士が王位につき感情のまま国政を行えば、ただの暴君がその地位に就くよりも、もっと恐ろしいことになる」
「でも、本には、魔術は感情から生まれたと……」
「そうだよ。魔術は、感情だ。今の魔術士は想像力だというけどね。だから感情を制御しなきゃいけない。
なぜ他の先輩たちは、手を繋いで水面に立ったかわかるかい。イメージを掴むためだ。
恐怖、信頼、好奇心。それが魔術を形作る。感情であり、イメージだよ。先輩たちはそれをわかっている。助けを借りることは、恥ずかしいことじゃない。
もし、アルフォンスの弟子になりたいと、本気で思っているなら、テルティアの手を取りなさい。それが魔術士としての、第一歩だ」
フィオナは立ち上がると、テルティアを見る。差し出された手に、少しだけためらいながら、触れる。
「あなたは水の上に立てる。信じて」
テルティアが言う。
魔術はそうやって学ぶ。まず、イメージを体に覚えさせ、感覚を掴むことで修得は加速するのだ。
アルフォンスに殺されそうになりがら学んだ紐の魔術は、ルナの体にしっかりと根付いている。
フィオナは水面に足を踏み入れた。
「立てた……」
今度はハッキリとそう感じる。
「じゃあ、呪文を唱えてみましょう。今立っているイメージと、呪文を結びつけるんです。そうすれば、ひとりでも立てるようになるはずです」
テルティアの言葉に従い、呪文を唱えてみる。
すると、体内に何かが走るように、むず痒いような、心地良いような感覚が通る。
「これが、魔力……魔術……」
「そうです。フィオナ姫の魔術です」
テルティアの手が緩む。フィオナは慌ててその手にすがりつく。
心強い手だ。ただの少女の手には思えなかった。
テルティアの微笑みに、少し恥ずかしくなったフィオナは姿勢を正すと、その手を戸惑いなく離す。
水面が足を弾き返し、体は沈まない。
「やった!」
思わずフィオナは飛び跳ねる。着地するとそのまま、噴水に沈んでしまう。テルティアも慌てて支えようとして、体勢を崩して水に沈んだ。
服のままずぶ濡れになりながらも、フィオナは子どもらしく楽しそうに笑い、テルティアも笑う。
「はいはい、さっさと上がりな。風邪ひかれた困るからね」
メルビムの風と火の魔術で二人は、服を着たままドライヤーにかけられる。
「それじゃあ、フィオナ姫。先輩たちに敬意を払うのであれば、明日からの授業を受けさせてやらんこともないよ。どうする?」
メルビムがフィオナに問うと、彼女は大きく頷いた。
「もちろん、受ける」
「そうかい」
フィオナは顔を上げた。
「皆に言っておくことがある。私の名前に敬称は不要。ただ、フィオナと呼ぶことを許す」
テルティアが我慢できなくなって、フィオナをなでなですると、彼女はその魔の手から逃げた。
「やめなさい!」
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