旧友
◆
ミルデヴァの街は少しずつ平穏を取り戻していた。
その街を、鼻をヒクヒクと動かしながら歩く美女がいる。しかも、屈強な犬顔の魔人を従えて。
だが、街に奇人変人がいるのは、いつものことである。
「姐さん……、アルフォンスさんが、妹さんは街にはいないって言ってたじゃないですか。帰って稽古しましょうぜ、稽古」
「うるさい。そう思うなら、あんたも手伝えよ。そのためにあんたを連れてきてるんだから」
ギンがジーベルデンを連れてきたのは、その鼻を頼ったからだ。
ギン自身の鼻もかなりのもので、広範囲の匂いを追跡するのに長けている。しかし、様々な匂いに溢れた場所で探すのは得意ではない。とくに人間形態では、少し人より嗅覚が優れている程度だ。
「って言われても……、妹さんの匂いがおれにはわかんねぇですし……」
「この匂いだよ! 街中でするこの匂い! ほら、あいつも、あいつも! どうしてヒスイの匂いがすんの⁉」
ギンは街行く人々を指差して、イライラと地団駄を踏む。
そんなギンたちを、街人は避けて通る。
ジーベルデンが鼻を使う。
「その匂いなら、あっちの方が濃いんじゃないすかね」
ギンは頭を上げると、その方向を見た。
行列ができるほど人気の串焼き屋から、良い匂いが漂ってくる。
ギンは涎を我慢して、ジーベルデンの首を絞める。
「ふざけんじゃないよ、デン!」
「痛い!」
だが、その視界の端に、白い影が映る。
小さな影は、道の端っこを素早く移動し、尻尾の先が路地に消えた。
(誰か付いて来てるな……)
カンナは誰かに追跡されていることを、敏感に感じ取った。
ルナは生き残るため、狐型の使い魔として、感覚を鋭く創った。
その役割を終えた今のカンナだが、その能力はそのままだ。それどころか、もっと鋭くなっている気がする。
殺意があるようには思えないが、嫌な感じを覚える。
路地を左右に分け入りながら、相手の視界に入らないようにしているのに、追跡が止まらない。
カンナは身軽に壁をよじ登り、屋根の上にいく。
普通の人間ならば、これで追跡しないはずだ。
「ったく。この街、静かなことはないのかよ」
何軒かの屋根を飛び越え、追跡を撒いたと安心し、足を緩める。だが、背後に気配を感じた。
カンナは振り向いて、目を見開く。
銀髪の女が、屋根に降り立つ。その女と目が合った。
鋭く光る眼光に、カンナの毛が逆立つ。相手が動く前に、脱兎の如く逃げ出した。
「待てや、おい! どうして逃げる⁉」
「ひいい!」
普通の人なら、こんな目立つことはしない。
尋常でない女の気配に、恐怖を感じる。
街の屋根をこんな風に飛び回れば、住人の迷惑になり、衛兵たちから目を付けられるのは確実だ。
どうして追いかけられるのかもわからないまま、カンナは逃げ回る。屋根の上を跳び回り何とか撒こうとするが、女も跳んで追いかける。
「待て、ゴラァ!」
「ぎゃあああああ!」
狂乱しながら逃げるカンナだったが、闇雲に逃げているわけではなかった。
捕まるギリギリのところで路地に降りると、助けを呼ぶ。
「イデルゥ! 食われる、食われちゃう! 助けてくれ!」
衛兵イデルはいつも通り見回りをしていた。そこに降ってくる声に振り向く。
「カンナ⁉ うわっ!」
カンナがイデルの体に駆け昇ると、ギンはようやく足を止めた。
「イデル! 良く捕まえた。そいつをこっちに寄こせ」
「ええ⁉」
ギンの言葉に、イデルもカンナも困惑する。
イデルの分隊員も困惑するが、髪を振り乱した戦士風の女に、槍を向けた。
「止まれ! 何者だ!」
「待て! この人はフォルスターさまの客分だ。
ギン、この街に滞在中は騒ぎを起こさないと約束したでしょう⁉ 何をやっているんですか!」
「獣を追っているだけ。騒ぎは起こしていない」
「ヤバいよ、あいつ! 目がヤバい!」
カンナは震えながら、イデルの首に巻き付く。
イデルはギンに手を向け、動きを制した。
「落ち着いてください! どういう状況なのですか、これは……」
イデルは空を見つめる。アルフォンスの鷹型の使い魔のキューリが、上空を旋回していた。
(見てたんなら、止めてよ……。ギンはまだ受け入れられていないんだ……)
イデルはギンに向き直る。
「もし、ヒスイを探しているのだったら、この子は関係ありません。
この子はルナの使い魔です。ルナちゃんの……忘れ形見です。もし、この子を殺すつもりなら、私が相手になるしかありません……。
ギン。お願いだから、退いてください」
イデルは剣の柄に手をかけた。
ギンの探すヒスイとは、ルナのことだと知っている。そして、イデルはルナは死んだのだと思っている。
ルナを失った悲しみを、ギンは何かにぶつけているのだと考えた。
「違うって、殺すなんてしないよ。ただ、逃げたから追いかけただけ。話をしたいんだ」
カンナはイデルの肩の上で起き上がる。
「ギン? お前、ギンっていうのか。それにヒスイだって?」
カンナは聞き覚えのある名前に、ようやくギンの容姿を確認する。
銀色の髪色は、夢の中で見るルナの記憶の色に見える。カンナのただ白いだけ毛並みとは違い、太陽光に反射して美しく輝く。
どこか泉の水面のような雰囲気を感じ、夢の中の印象とは違う。それに夢の中の『銀』は、人ではなかった。
「…………」
カンナはイデルの肩から降りた。
「何を話すことがあるっていうんだよ」
ギンは微笑んだ。
「ルナの思い出話でもしようと思ってね」
◆
グリオンは食堂の扉を守るように、兵士たちと一緒に立ったままでいた。
もう軍人ではないし、この城の守りは充分だ。座って休んでいれば良いのだが、手癖のようなものだ。
そのグリオンの話しかけてくる人物がいた。彼が近付いてくると、兵士たちが背筋を正す。
「グリオン。久しぶりだな」
「レインロッド卿。お久しぶりです」
「よせよ、卿なんて。昔みたいに、ヴァージルでいい。軍を辞めたと聞いたが、今は傭兵をやっているのか」
「まぁ……な。傭兵商会に所属しているわけではないが……」
ヴァージルは顎でついてくるように示す。グリオンは彼に従った。
少し離れた場所の、待機用のベンチにヴァージルは座る。グリオンもその隣に座った。
ヴァージル・レインロッドは騎士である。
国内でも有数の兵であり、王族の護衛としては申し分ない。
グリオンやアルフォンスと年齢も近く、軍学校からの知り合いであった。
「家族は元気か。ミリアだったか」
「ああ。しかも今、お腹にもうひとりだ」
「おお! それはめでたい。
じゃあ、モリーは元気なんだな……。良かったよ」
グリオンは頷く。
「お前の方はどうなんだ。今は姫の護衛か」
「いや。まぁ、休暇みたいなものだ。近頃は練兵に討伐に、大忙しだったからな」
「東はそんなにか……」
ヴァージルは護衛専属というわけではない。
各地を転戦し、凶悪な魔物を狩り続ける、王の剣である。
民間人である狩人商会や、各地に勤める兵士たちでも敵わないような魔物を狩るのが仕事だ。
そして、魔王軍と戦うための先鋒でもある。
「しかし、まさか、王女さまがいるとはな。てっきりリルケー家の娘の誰かがいるのかと思っていたが……」
「新しくできたこの城の見分という名目で、あの学生たちに会うためにずっと待ってたのさ」
「お前は、知っているのか。その……」
「あの髪の短い女の子だろ? 知っているのは、俺とフィオナ姫と家政長ジリオーラさんだけだ」
テルティアがルナだと知らされているようである。グリオンは少し安心した。
名目上、グリオンは学生たちの護衛だが、実際にはルナの護衛である。
ヴァージルほどの手練れが、事情を知っているならば、少しは負担が減る。
「そうか……。姫さまは、どうしてここに?」
「ハッ……。なんとも可愛らしい理由さ。アルフォンスに怪我を負わせたやつに、文句を言いたいんだとさ。
ミルデヴァの街に行くのが、この間の事件でなくなってしまったからな。
ここにいれば憧れのアルフォンスさまに、会えるとでも思っているんだろうさ」
「フ……。アルも役得だな。災難と言うべきか」
アルフォンスは、グリオンやヴァージルよりも、もっと酷いものを見ている。
『処刑人』という酷い仇名が、それを物語っている。
「そのアルフォンスの容態は? かなりの大怪我だったと聞いたが」
「問題ない。三日目には普通に歩いていたからな」
「軽傷だったのか。なんだ……。尾鰭のついた噂を掴まされたかな」
「いや、一度は心臓も止まったって話だ。あいつの常識はずれっぷりは知っているだろ」
重症どころの話ではない。常人ならば死んでいた怪我である。
「ああ……。そういえば、お前のもげた手脚を、くっつけて治していたな。あのときは、そのまま訓練を続行すると言った、お前の方に驚いたが」
「また、古い話を……。もう十年以上前か……」
昔話に花を咲かせていると、部屋の中に料理が運ばれていくのが見えた。フィオナ主催の昼食会がようやく始まるようだ。
グリオンは立ち上がり、少し警戒するが、とくに騒ぎは起こらなかった。ヴァージルもそれを見送り、座り直すと溜息混じりに口を開いた。
「そのアルフォンスのことだが、お前には言っておこうと思う」
声を落としたのは、他の兵士に聞かれないようにだろう。グリオンもそれを察して、少し顔を近付けた。
「宮廷魔術師たちの間で、アルフォンスを降格させる動きがあるらしい。
七魔剣の称号を取り上げだけでなく、二級魔術士にするとな」
「まさか。今まであいつが、どれだけ宮廷魔術師や貴族たちの尻拭いをしてきたと思っているんだ。
取り上げたくても、取り上げられないだろう」
「俺もそう思う。だが、エーテリアル派の勢力を削ぎたいやつらが、騒ぎ立てている。
魔物に操られるような人間に、その上で学生に負けるような者に、七魔剣は務まらない、とな……」
それは事実である。だが、詳細を大きく欠いている。
先の事件において、魔物に操られたのはアルフォンスだけではない。高名な魔術士・魔導師。戦士や兵士。多くの者が操られたのだ。
アルフォンスが一瞬で学園を制圧したことで、魔術を使える魔物に操られた者たちが、街に溢れず出ずに済んだのである。
その後、すぐに復活すると、怪我を負った民間人たちを癒して回った。
自身もまだ完全には治癒えていないにも関わらず、だ。
その事実を知っているミルデヴァの街では、アルフォンスの責任を問う話など、全くと言って良いほど出ていない。
ジルベルト・エーテリアル・ルトロネル。
ジルベルト・ルトロネル第四王子の生家、エーテリアル家の政争に巻き込まれている。
「ムカつく人だ。この村で匿うのも、恩を売っているつもりなわけか……」
「お前……、変わったな。前はもっとストイックだったのに」
「まぁな、前は……。いや、今はもう、兵士じゃないからな」
「そうか。もう、軍学校の学生じゃないんだったな……。
軍学校を一番の成績で卒業して、出世するのになんでも利用すると息巻いてたやつが、一番最初に軍を辞めることになるなんてな」
貴重な翼竜を十一頭、部下である竜騎兵を十二人も失った。グリオンが軍の現役に復帰することは不可能だ。
魔王軍の情報を持ち帰ったとはいえ、操られていたことを考えれば、その情報も無駄だった。
「部下を失い、夢潰えたわけだ……。けど、幸運な方だ。まだ残っているものもある。
吸血鬼になって、家族を食い殺していた未来もあった……」
「……その噂、本当なのか。吸血鬼から人に戻れたってのは……」
「ああ。だから生かされている。貴重な人類の夢だからな」
「夢潰えて、別の夢にされたか……。
帰るところがあるだけマシってやつか。俺には無縁だな」
ヴァージルはどこか遠くを見つめた。
帰るところがあるだけマシだ。老兵たちはそう言う。
昔のグリオンはそんな生温い言葉は否定しただろう。だが、今は良く理解できる。
家族だ。
「お前も家族を作れ、ヴァージル。そうすればわかるさ」
「…………」
ヴァージルは俯いたまま、何も言わなかった。
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