楽しい試験 3
◆
第二次験会場は、何もないかなり広い部屋だった。
天上は高く、壁は白く、グリッド状の線が書いてなければ、遠近感が狂いそうである。窓はなく光源もないのに、部屋全体が明るく照らされ、人の立つ影だけが足元に小さくできている。入口はひとつしかなく、何人かの試験官がその近くに待機した。
全員が部屋に入ったのを確認すると、アルフォンスが指を鳴らした。部屋が変化し、地面が盛り上がり、木々が生い茂る。それは天井、壁、床、全体に生え、森に囲まれた部屋となる。
アルフォンスの隣には大きな砂時計が置かれたテーブルがせり上がり、彼はその砂時計を起動すると、振り返ってこう言った。
「さて、二次試験開始です。この名札をもらったとき、言われたことを覚えていますか」
アルフォンスが何十枚かの名札を、その掌から床に落とした。
「え? あれ? ない⁉」「あ、私の」「いつの間に……」
何人かの受験生が、慌てて自分の名札を確認する。二枚もらったうち、一枚を盗られた者が約半数ほどもいた。中には慌てて名札を付け直している者もいる。
「正直、落胆しました。でも、何も言わずに失格にしてしまうのも心苦しいので、盗るのは一枚だけにしておきました」
アルフォンスがにこやかに言う。
「二枚とも残っている受験生の諸君はおめでとう。君たちはきっちり名札を守り切りました。試験合格です」
突然の発表に、戸惑った受験生たちだが、言葉を理解すると跳び上がって喜んだ。
「では、合格者の方は、入口の試験官に名札を返して退室してください。お疲れさまでした。それではごきげんよう」
受験生の半数近くが、会場から出て行く。名札を試験官に返し、意気揚々と外に出て行った。
会場に残った受験者は、一枚を盗られた者だけ、とはいかなかった。二枚とも残っていても、出て行かなかった者もいる。
「ハァ……。残ったのは、二十九人ですか。四十人程度は残ると踏んでいたのですが……」
アルフォンスは独り言ちるが、すぐに気を取り直す。
「えー、試験は既に始まっていますが、残りの聡明な受験生の諸君はわかっているでしょう。これから僕があなたたちの名札を奪います。それをここに置いていきます。二枚とも奪われた者は、その場で失格です。床に落ちている名札を拾って、付け直しても構いません。ただ、他人の名札を付けても意味はありませんからご注意を」
学生のひとりが声を荒げる。
「ひ、卑怯じゃないですか。試験官に合格だと言われれば、合格だと思ってしまうはずです!」
「だから、言ったじゃないですか。名札をもらったときに通達されたルールをお忘れですか? 合格の通知は、翌日にされると言われたはずです。大体ですね……、特に気を付けて守っていたわけでもいないのに、二枚残っているから合格だと思う方がおかしいのでは? いったいぜんたい、第三学位を何だと思っているのですか」
アルフォンスはやれやれと頭を振った。
「一枚は外から見える場所に必ず付けておく。付けずに魔術を使うと失格。
二枚とも紛失すると失格。
試験官が試験開始の合図をし、試験終了の合図をする前に、会場から出ると失格。
失格はその場で通達されるが、合格は翌日の発表になる。
これらは試験中でも変更されることはない。
これらがこの試験のルールです。ちゃんと覚えていた人は偉いです。誉めてあげましょう!」
ルナは自分の名札を確認した。内腿の隠しポケットに入れた予備の名札がない。つまり、自分のライフポイントは残り一。この胸につけた名札を奪われれば終わりだ。
(あの変態……、私の内腿を触りやがったな! 許さん!)
オルシアは何が起こっているのかわからず、困惑した表情でルナの近くにいた。彼女も名札を一枚盗られ、試験会場の外には出なかったくちだ。
「ルナちゃん……、つまり、どういうこと?」
「つまり……、私たちはこれから、あの変態ドSクソメガネから、死に物狂いで名札を守らなきゃいけないってこと!」
「酷いなぁ、僕はこれでもやさしいと思っているのですが。だって、こうしている間にも制限時間は過ぎているわけですし……。ああ、試験終了は、この半時間砂時計が落ち終わったらです。さて皆さん、ボーッとしてどうしたのですか? 逃げ回らなくて良いのですか?」
最後の声は、背後から聞こえた。
アルフォンスの体が信じられない速度で動き、ひとりの受験生を捕らえた。その胸にあった名札がなくなっている。彼はアルフォンスの言葉に騙されなかった、名札を二枚持っている受験生であったが、たった今、一枚失った。
「さぁ、早く逃げてください?」
受験生が一斉に逃げ始めた。
だが、オルシアだけがまだ状況を飲み込めず、皆が蜘蛛の子を散らすように逃げるのをキョロキョロと見ていた。その名札に、アルフォンスの手が迫る。
「させるか!」
ルナの魔術が木でできた壁を作り出し、アルフォンスの手は壁を突き抜けるが、そこで動きが止まる。
「ねぇ、アル先生。この試験の間、あなたを気絶させておいても、合格になるんだよね? 失格のルールに試験官への攻撃は含まれていないよね?」
ルナが笑いながら言った。
「ハッハッハ。もちろん、その程度で失格にすることはありません。できるものならやって見なさい!」
アルフォンスがそう言うと、ルナは間髪入れずに魔術を発動した。
◆
判断力が試される。
この会場は広く、隠れる場所も沢山あるが、素早いアルフォンスから逃げ切れるほど広い場所ではない。
(つまり……、とにかく攻撃して時間稼ぎ……、他の人が名札を確保するのを期待するしかない)
名札は砂時計のある場所の地面に散らばっている。
十数個もあるそれの中から、自分の物だけを一発で選び取るのは不可能に近い。
この試験は協力型の試験だ。説明はされなかったが、その方が確実なのは火を見るより明らかである。
「てか、なんて速さなの⁉ 全然追いつけない!」
アルフォンスを攻撃するために、彼を追いかけ続けているが、中々魔術の射程に捉えられない。しかも、ルナは木々を操作し、その枝のしなりを利用して跳んでいるのに、アルフォンスは魔術すら使わず、足と手と、ときに体全体を使って、枝の間を猿の如く跳び回るのだ。
(このままじゃ、魔力切れになるのはこっちの方……)
ルナは作戦を切り替えた。振り払われたフリをして魔力を節約する。他の受験生には申し訳ないが、囮になってもらう。
アルフォンスは攻撃の手が緩んだと見るや、他の受験生に襲いかかり、その名札を奪っていく。受験生は魔術で迎え撃とうとするが、アルフォンスの身のこなしは尋常ではない。受験生は魔術を放つ前に名札を奪われるか、放った魔術を躱されて簡単に名札を奪われる。
まだ十分も経っていないのに、五人の失格者が出た。この素早さで、第一試験の間に予備の名札を奪ったに違いない。
アルフォンスは何枚かの札を集めると、砂時計のある位置を目指した。そこに名札を溜めておくのだ。
誰かが名札の山を攫っていることを期待したが、残念ながら試験開始時と変わりはない。
「ふむ。皆さん、ビビってますね」
地面に降り立ち、ゆっくりと砂時計の位置に向かうと、爽やかな風が吹いた。ここは室内である。風が吹くわけがない。
名札の山がつむじ風に誘われて舞い上がる。上空を見上げると、制服ではない少女が、空中に浮かんでいる。
「私の目の前で奪おうというのですか。イーブンソード家の放蕩娘!」
アルフォンスがそう言うと、オルシアは少し動揺した。彼がその動揺を見逃すはずもない。凄まじい脚力で地面を蹴り、オルシアに跳びかかる。自身の身長の五倍以上の距離だが、助走もなく跳ねた。
アルフォンスの感覚では、その跳躍で充分オルシアの名札を奪えるはずである。風魔術で体を浮かせることはできても、翼のない体では素早く動くには限界があるからだ。
だが、アルフォンスの体は自分が思った以上に重かった。違う、足に何かが絡まり、跳躍を妨害している。
蔦だ。長く伸びた植物が、アルフォンスの足に絡まっている。
蔦はアルフォンスの動きの止まった体に次々に伸び、その動きを封じていき、地面に叩きつけた。
「!」
ルナの罠だ。
「かかったな、変態メガネ! 私の魔術罠は自然に完全に解け込むんだよ!」
藪に隠れていたルナが、拳を突きあげながら姿を現す。
ルナは魔術罠を作るために、攻撃を中止した。アルフォンスは名札の山を守るために、必ず戻ってくると踏んだのだ。そして、確実に罠に嵌めるために、上空に意識を集中させ、足元の罠を発動したのである。
ルナの隣にオルシアが降り立つ。その腕には大量の名札が抱えられている。
「だ、大丈夫なの⁉ 死んじゃうんじゃ……」
「この程度で死ぬような人じゃないよ。でも、もう身動きはできないはず。それより自分の名札を……」
ルナが自分の名札とオルシアの名札を見つける。その様子を見ていた他の受験生たちも、隠れるのをやめてルナたちの周りに集まってきた。
砂時計は半分以上が落ちている。勝ちを確信した空気が流れ、受験生たちの気が抜ける。
「凄いな、お前。あの七魔剣を倒すなんて!」
「ねぇ、あの植物を操る魔術。どうやったの? あんな風に操れるのは見たことない……」
「落ち着いていたな。実戦の経験があるのか」
学生らに口々に訊ねられ、ルナは内心は穏やかじゃなかった。
(しまった……。目立ち過ぎた……)
存在感なく学園生活を送りたかったのに、感情的になっていた。
(いえ、まだ大丈夫。ここで何も言わずに……)
ルナは顔を伏せ、質問に答えずにいると、オルシアがルナの前に出る。
「ほら、みんなの名札、早く持っていって! まだ、試験は終わってないんだよ」
「終わってないって言ってもなぁ。試験官があれじゃ……」
他の試験官は動く様子はない。彼らはあくまでも審判のようである。
少年のひとりが少し呆れたように、アルフォンスの方を見た。
「七魔剣っていうから、どんなものかと思ったけど、大したこと……」
そう言いかけたとき、アルフォンスを拘束していた蔦が弾け飛び、破片が少年の顔面に直撃する。
「な……なんで⁉」
ルナが叫ぶ。皆の視線の先には、涼しい顔をしたアルフォンスが、体についた埃を払っていた。
「こ、この罠は魔力を吸収するのに……」
関節を封じて身動きを取れなくするだけでなく、魔力を封じて完全に脱出を阻止する構造にしたのだ。
「ルナ君。確かに放出される魔力は吸収されるようですが、体内で完結する力であれば使用は可能です。詰めが甘いですね」
ルナは叫んだ。
「全員で飽和攻撃! 残り十分、耐え切るしかない! この狭い部屋では、逃げ切れない!」
ルナの攻撃を合図に、受験生たちの多くは、ほとんど殺すつもりでアルフォンスを攻撃し始めた。だが、アルフォンスは魔術すら使わず、華麗なステップで無数の攻撃の波を躱していく。
受験生の中にはその間に隠れてしまおうという者がいたが、残念ながら単独になったそういった者たちは、アルフォンスの格好の餌食となる。
結局、今回の第三学位試験に合格したのは、十七人。
合格者が受験者の三分の一以下という、稀に見る厳しい試験となった。




