曖昧
◆
全身をしたたかに打ち付け、転がりながら停止した。
体を起こそうとして両手を地面につこうとして、バランスを崩す。
左手がない。
認識すると、激痛で気を失いそうになる。
ルナは痛覚を遮断し、魔術で止血を急ぐ。
切断された腕は近くに見当たらないので、今はそのままにするしかない。
「ルナ! 無事⁉」
誰かが肩に優しく触れた。
「イルヴァさん? どうしてここに……」
イルヴァは顔面蒼白になっている。
「う、腕が……」
「大丈夫です。止血しましたから」
ルナは立ち上がる。足も折れていたようで、イルヴァが支えてくれなければ、また倒れていただろう。痛覚を遮断した弊害だ。
ルナは無理矢理、足の角度を片手で治すと、治癒魔術で壊れた組織を修復する。これでほとんど魔力を使い果たした。
イルヴァはルナの体を支えながら、吐き気をこらえている。
「おい。休んでる暇はないぞ! こっちに来てる!」
瓦礫となった建物の外で、聞き覚えのある声が聞こえた。
「カンナ? どうしたのその体……」
大きくなったカンナは、牙も爪も鋭さを増し、愛らしさよりも凛々しさが勝っている。ルナは少しショックを受けた。
「くそっ!」
カンナは答える前に、ルナたちを加えて放り投げると、背中に乗せた。
意外と固い毛皮にしがみ付き、白亜の街を駆ける。
イルヴァが杖を振るうと、アルフォンスの体が音の壁にぶつかり、弾き飛ばされる。
「効いた⁉」
だが、アドストリスはすぐに空中で態勢を整えた。
ルナはその姿を見て、驚愕する。
「弱ってる……。もう魔力がほとんど残ってないんだ!」
ルナは勘違いしていた。
アルフォンスは人間のままなのだ。乗っ取ったアドストリスは、その本来の魔神の力を失っている。
アルフォンスの力のみで戦っているのであれば、ひとりの人間のすることなのだ。限界は必ず存在する。
「イルヴァさん! もう一度、魔術を! イルヴァさんの魔術なら……」
アルフォンスの魔術は、現象系の属性には弱い。
火や風に弱いように、イルヴァの音にも弱いのだ。
だが、イルヴァの杖は擦り切れ、真ん中で折れ、繊維ひとつで繋がっている状態だ。
「ご、ごめん、ルナ。今ので打ち止めみたい……」
イルヴァの悲しそうな背中から、ルナは残った手を伸ばす。
「イルヴァさん。杖を直します。だから少し、魔力を貸してください」
ルナはイルヴァに抱き着くように、右手を重ねた。
樹の魔術で形を形成していく。
イルヴァの形。イルヴァの思いを形にする。
「ルナ、これ……」
イルヴァの杖の形は変化し、彼女の想いを形成していく。
想像して作り出す杖は、どんな職人の作り出すものより、精巧にイルヴァの想いを形にした。
不思議な形状の杖だった。弓形のそれには、弦が付いている。爪弾くことで音を出すことができそうだ。
それはリラという楽器に似ていた。
イルヴァの杖を素材にして、新たな杖が作り出されたのだ。
「これがアタシの杖……。手に馴染む……」
イルヴァは初めての感覚に、少し戸惑いながらも喜ぶ。
「イルヴァさん、ごめんなさい……。もう、私は……」
ルナが力を失い、落ちそうになる。カンナの背中の毛が伸び、ルナを支えた。
ルナの衣装が消えていき、学園の制服に戻っていく。
「おい! 気を失ったのか? この状況で⁉」
カンナは跳び回り、アドストリスの攻撃を躱している。ふたりも抱えながら、跳び回るのは困難を極める。
太い紐がしなりながら降り注ぐ。避け切れない量だ。
イルヴァがリラを爪弾く。それは軽やかな音を響かせる。
曲が響いた途端、カンナは時間が止まったような感じを覚えた。
遥か後方で、アドストリスの攻撃が、無人の街を破壊した。
「な、なんだ?」
カンナは何が起こったかわからずに足を止めた。
「カンナ、あの塔を目指して。あの塔ならアタシの魔術を最大限に活かせるはず」
イルヴァの言葉に、カンナは見上げた。
巨大な塔が遠くに立っている。この角度からでは斜めに立っているようにしか見えない。
「あそこか? あんな遠く……、行く前に追いつかれるぞ」
「やるしかないよ。フォルスター魔導師を助けるなら、その方法しかない」
「そうかよ。じゃあ、全力で行くぜ。振り落とされるなよ!」
アドストリスは既にこちらに向かって来ていた。
飛ぶのを諦め、大量の紐を足のように使う姿は、多足の虫のようになっている。空中ではイルヴァの魔術を避けられないと思ったのだ。
奇怪な動きをしながら、白亜の街を凄まじい速度で動き、迫って来る。
カンナの脚も負けてはいない。
イルヴァの魔術が、空気の膜を作り出していた。
空気抵抗を感じないのに、カンナの口元には新鮮な空気が常に供給され、身体能力を極限まで高めてくれる。
この速度ならば逃げ切れるはずであった。だが、アドストリスの執着は、引き離されるほど強くなる。
形振りすら捨てて、紐で巨大な蛇を象ると、最後の力を振り絞り、カンナに迫る。
膨れ上がっていく巨体は、カンナの速度を超える。
イルヴァは音の魔術で足止めしようとするが、それだけではビクともしないほどの巨体である。
「まだ、こんな力が⁉」
イルヴァが嘆く。
アドストリスの最後のあがきであった。
彼女は力尽きようとしていた。このまま、アルフォンスの力を使い果たせば、そこで命運は尽きる。
アルフォンスの生命力が限界を迎えている。アドストリスは最後に残った自分自身の力で、ルナを取り込もうとしていた。
ルナとひとつになれば、魔神の力を取り戻すことができる。
その希望だけが、アドストリスを突き動かしている。
その行く手を、雷が阻んだ。
アドストリスは速度を緩める。
上空に浮かぶ、二人の姿を見る。星を纏った二人、ロバルトとオルシアが手を取り合って浮かんでいた。
雷に打たれ、巨大な蛇が焼け落ちる。
だが、二人に構っている暇はない。
アルフォンスの体が蛇の口から飛び出した。
【イルヴァ。アルフォンスは、ここにいるぞ。
お前がここに来れば、彼を手に入れることができる。
お前がルナに感じていた嫉妬はわかっている。力だけではない。
ここに来い。我が手元に】
囁く声にイルヴァが笑う。
「今更、そんな言葉に踊らされるわけないでしょ。じゃあ、返してもらうからね」
既にイルヴァたちは塔の上にいた。
背中で気を失っていたルナは、その音に目を開ける。
優しい音が、アトリエに響く。
円筒形のアトリエ内を反響し、最大限に高められた音の魔術は、アルフォンスの体を包む。
それはアルフォンスの体を傷付けることなく、アドストリスだけの音と共鳴する。
【こんな。こんな。ありえない。
私は神だ!
こんなことで死ぬわけがない!】
イルヴァのリラは軽やかに、正確に、アドストリスを捉えた。
弱り切った魔神に、それから逃れる術はない。
「てめぇみたいな神は知らねぇよ。消えろ」
カンナが吐き捨てる。
【――――――】
悲鳴が、音ではない悲鳴が響き、アドストリスの断末魔だと皆が悟る。
ルナは曖昧な意識の中、その声を聞いていた。
(アル先生はこれで大丈夫……。アナスタシア……。どこに行ったの?)
読んでいただきありがとうございます!
評価、ブックマーク、感想等で応援お願いします!




