拍車
◆
セラは良くしゃべる。
娼婦たちが面倒を見ていてくれていたころは、彼女らに文字を習い、意思疎通のやり方を教わっていた。
文字を覚えるその前から、ロウリはその前から、なんとなくではあるがセラの言いたいことがわかっていた。
言葉や文字ではなく、表情や所作でもなく、ただ目を見つめるだけで、なんとなく理解できた。これは他の者にはできないことだ。
セラは声が出せないのだ。
それがどうしてなのかはわからない。治癒魔術師であるアルフォンスという男も、セラを癒せなかった。
「友達ができたのか。そっか。良かったなぁ」
セラはこの間まで、母親を探しに行きたいと何度も言っていたのに、今度はその友達に会いに行きたいと、ずっと言っている。
ロウリはセラの母親が既に亡くなっていることを知っていた。だから、母親探しは反対していた。
しかし、今度は友達を探すために街に出たいと言う。それくらいなら別に構わないのだが、話を聞くにどうもよく分からなくなる。
白い犬のような、猫のような動物が、人のようにしゃべる。しかも、セラの言葉を理解してくれるらしい。
本当にそんな動物がいるとは思えなかったが、ロウリはセラの手を引いて、街に出掛けることにした。
孤児院の院長に出掛けること伝え、セラの手を決して離さないようにして、街に出た。
「ここで会った?」
孤児院からほど近い、何の変哲もない路地である。白い獣の姿も見当たらない。
「どっから来たかわかるか?」
セラが指さす方へ、ロウリは足を向けた。そちらは大通りに続く道である。狭い路地にいるよりはそちらの方が安全ではある。
食べ物の良い匂いがして、ロウリは腹が鳴る。お金は持っていないので、買うことはできない。昔みたいに盗むつもりもない。
我慢していたのだが、セラが駆け出そうとするので、匂いのする店の方を見てしまった。
「進化させたな、店主。良い味になったぜ」
「おうよ! お前に言われ放しじゃ、癪に障るからな。売り上げも良くなってきたから、礼を言わなきゃならねぇが」
「ふふん。崇め奉りたまえ!」
ロウリは空いた口が塞がらなかった。本当に真っ白い獣がしゃべっている。
串焼き屋の店主は、焼いた肉を皿に乗せて、その動物に提供している。まだ熱いそれを、動物は何とか口に頬張ろうとするが、熱過ぎるようだ。
セラは手を振りほどいて、真っ白な動物を後ろから持ち上げた。
「わあああ! これは正当な報酬で、悪いことは……! なんだセラかよ。ルナかと思ったぜ……」
動物が何事かを喚くが、持ち上げたのがセラだと気がついて体の力を抜いた。
セラがその動物を抱き締める。ロウリもやってきて、マジマジとその動物を眺める。
顔は確かに犬と猫の中間で、愛嬌がある。純白の毛並みは美しく、思わず撫でたくなるようなフワフワモフモフだ。
ロウリは手を伸ばすが、動物に唸られて、手を引っ込めた。
「店主さん。この子はこの家で飼っているんですか」
「いやいや。どこかの魔術士の使い魔だよ。その子の知り合いかい。ユキダマは近頃この辺りをうろつくようになったんだ」
「ユキダマじゃない! カンナだ!」
カンナは暴れてセラの魔の手から逃れると、皿の肉に口をつけた。少し冷めて食べやすくなっている。それを美味そうに頬張るのを見ていると、ロウリもセラも腹がなった。
「二人も食べるかい?」
「……お金がないので」
「わははは! 正直でいい子だ! 今日は奢りだ。ほら! そこで座って食べな!」
店主が串焼きを二つ差し出す。もらって良いものかと逡巡するが、空腹には抗えず、ロウリはそれを受け取る。
カンナの後ろのベンチに座り、セラとロウリは肉を頬張る。肉は柔らか過ぎず硬過ぎず、胡椒の刺激が程良く効いていて、とても美味い。
あっという間に平らげたロウリは、顔を洗っているカンナに訊ねる。
「あのー、この間、セラと一緒いてくれたって聞いたんですけど……」
おそるおそるロウリが訊くと、カンナが顔をあげる。
「ああ。母ちゃんを探したいっていうからな。まぁ、その、墓参りになっちゃったけどな」
「墓参り……」
ロウリはそう言ってセラを見た。セラは肉をまだ美味そうに食べている。
セラは母親が死んだことを理解しているのだろうかと思うほど、呆気からんとしている。
セラの母親の墓は、壁の外側の娼館にあるはずだ。そちら側は、外壁内よりもずっと治安が悪い。
「ありがとうございます。一緒にいてくれて」
ロウリが言うと、カンナは身体を震わせる。
「いや、その。礼を言われるようなことはしてない。むしろ、悪かったな。勝手に連れ出して」
「セラは一度言い出したら、絶対諦めませんので。無事に帰ってこれたなら、それだけでも……」
カンナは顔を逸らした。あれを果たして無事と言って良いのかわからない。
「まぁ、気にするな。妹から目を離すなよ」
「そうします」
セラが突然、立ち上がる。まだ食べかけの串焼きが、地面に落ちた。
「セラ?」
ひもじい思いを何度もしてきているセラは、食べ物を粗末にするような子ではない。
セラが見上げる先に、炎のような光が立ち昇っている。
「火事?」
ロウリが立ち上がろうとしたとき、圧力でベンチへと押し戻される。なんとか目を開けた彼の目に飛び込んできたのは、輝くセラの姿である。
「セラ‼」
ロウリはあらん限りの声で叫ぶ。その声に反応してか、セラはゆっくりと振り返った。
そこには顔はなかった。
セラの顔を覆う星空に瞬く無数の瞳が、ロウリを見つめる。不気味なその顔に、ロウリは恐怖に顔を引き攣らせる。
【お兄ちゃん】
井戸の底から聞こえるような、腹を震わせる振動が、ロウリの鼓膜を打つ。セラの声を聞くのは初めてであるが、ロウリはそれを受け入れられなかった。直感でこれはセラではないと理解した。
【お兄ちゃんは、私とずっと一緒にいてくれるよね】
背筋を凍らせる音が、目の前に迫る。
【私とひとつになって】
セラは重力を無視して、漂うようにロウリに近付く。虚空の顔が目の前に迫り、セラの極低温の指先が、ロウリの頬を焼く。
死の気配を感じ、拍動が一気に弾けた。その瞬間、白い影が動けなくなった少年を、セラの手から奪い取る。
カンナは頭を振り、器用にロウリを背中に乗せた。ロウリはその背中で、ようやく酸素を取り込むことに成功する。
「……カンナ⁉ これは……?」
カンナはロウリの倍以上もありそうな体で軽々と屋根を飛び、安全地帯を探す。
「わからん! だが、力が湧いてくる。なんだ、この図体は⁉ 鬱陶しい!」
カンナは大きくなった自分の体に困惑するが、とにかくロウリを守らなければならない。セラに兄を殺させるわけにはいかない。
「あれは、セラの魔法なのか」
カンナが問うと、ロウリは少し言い淀む。
「……それは、わからない。ああいう風になったことはあったけど、切っ掛けもなしにいきなりなるなんて……」
ロウリは何度かセラがあの姿になるところは見ている。だが、それはロウリやセラ自身が危険に晒されたときだけだ。今のようにロウリを襲うなんてことはなかった。
【私の邪魔をするの、カンナ】
突如としてその声が耳元で響き、カンナは身を翻してセラの魔の手を躱す。ロウリはその毛皮にしがみ付いて、何とか振り落とされないようとした。
【お兄ちゃんは私のもの。誰にも渡さない】
「おいおい、ちょっとそういうのは早すぎるんじゃないか」
カンナの言葉にはセラは応えない。
セラの見えない手が、空気を裂いてカンナを圧し潰そうとする。空気の流れを感じ、カンナはそれを跳んで避けると、また逃走を開始する。
その背中で、ロウリは呟いた。
「オレが助けなきゃ」
「何?」
カンナは頭の毛を強い力で掴まれ、強制的に足を止めさせられる。
「カンナ。セラを助ける。協力してくれ」
「お前……」
ロウリの目に宿る光は、セラの虚空の顔に似ている。だが、ロウリのその輝きからは不気味さは感じない。
カンナは顎を喰い縛ると、背後から迫るセラに目線を向ける。
「仕方ない。やってやる。振り落とされんなよ!」
ヒーローとなったロウリの、乗騎となったカンナは吼えた。
◆
街中で同様の混乱が起きていた。
人々の顔面に夜の闇が現れる。そして、そうなった者は愛する者たちを襲い始めた。
だが、それと同時に、瞳に星空を宿す者も現れた。多くは衛兵たちや、魔術学校の生徒。中には戦いなど全く知らない街人もいた。
瞳に星空を宿す者たちは、夜の闇に捕らわれた者たちと戦い、押さえ込む。
混乱は極致と言っても良い。対応に当たったアルフォンスさえ、どうすれば良いのかわからなくなってしまった。
「これは……」
何人かの女生徒に襲われ、アルフォンスは彼女たちを傷つけないように、紐の魔術で覆い尽くして、身動きひとつ取れなくしてしまう。
(いったい何が……)
暴走する生徒たちを取り押さえながら、アルフォンスは状況を確認していく。生徒の中には、実力以上の魔術を使い、暴走者たちを鎮圧している者もいる。彼らは一様に不可思議な光を纏い、混乱に拍車をかけている。
(ルナ?)
なぜかアルフォンスはルナのことを思い出した。頭の中に強烈な痛みを感じ、少しだけ目が回る。
(なんだ?)
何かを考えている時間はない。アルフォンスは気合で頭痛を無視すると、校舎中に糸を張り巡らしていく。そして、暴れる生徒たちの感じ取ると、身動きを封じていく。
「フォルスター魔導師!」
セシリア魔導師が自分の使い魔に跨って、アルフォンスの近くに立つ。
「セシリア魔導師。状況がわかりますか」
「暴れ出す生徒と、それと戦う生徒で混乱しています。生徒の中には街の方で暴れる人を取り押さえに行った者もいます」
「街中でこんなことが?」
「はい。衛兵たちが粘っていますが……」
「魔物の姿は?」
「今のところは確認できません」
魔王軍による攻撃の可能性もあるが、今のところその兆候はない。この無秩序を計画的に起こしているとは思えない。人をこれだけ簡単に操れるなら、オルシアやロバルトを簡単に攫えたはずだ。
「構内は僕が制圧します。セシリア魔導師は、他の魔導師と連携して……」
突風が廊下を駆け、様々な物品と一緒に生徒たちが吹き飛ばされてくる。アルフォンスは網を作り、彼らを安全に受け止めた。
ロバルトは吹き飛ばされた体に磁力を纏わせ、器用に着地する。彼が睨んでいる先をアルフォンスも見る。
「オルシア、やめるんだ!」
台風のような暴風がエントランスを破壊していく。
その風の中央に、浮き上がったオルシアの姿がある。彼女の顔の半分は、他の生徒と同じように虚空で埋められ、それは彼女の長い髪まで覆っている。
【月は私のものだ。誰にも渡しはしない】
耳元で囁くような声が響き、アルフォンスは背筋が凍った。風はアルフォンスの糸さえも斬り裂き、簡単には制圧できそうにない。
「ロバルト君!」
アルフォンスは光を纏うロバルトを見る。彼の瞳には星の輝きが宿っている。
「僕が風を抑え、道筋を作ります。あなたの霆で、彼女を気絶させなさい!」
「……わかりました!」
ロバルトの技は、出力は大きいが、細かな調整ができていない。オルシアを殺してしまうかもしれない。だが、なぜか今のロバルトにはそれができる気がした。
アルフォンスは高強度・高靭性の網を作り出し、風を止めるのではなく弱める。そして、ロバルトひとりだけが通れるくらいの隙間を無理矢理に作り出した。ロバルトの雷撃がその隙間を縫っていき、オルシアの体に直撃する。
オルシアは仰け反り、力を失い、床に落ちる。ロバルトは地面を破壊しながら、凄まじい速さで彼女を受け止めた。
オルシアの顔から虚空が消え、元の姿に戻っていく。
ロバルトは優しく、彼女の乱れた髪の毛を治す。その姿を見て、アルフォンスは何かを感じた。感じたことのない感情が、アルフォンスの中で溢れる。
髪の毛が逆立ち、目の前が真っ暗になる。瞳の中で何かが爆ぜ、無数の光だけの空間がアルフォンスの思考を焼き尽くしていく。
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