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野生の時間

 ◆


 クルクル回る正四面体が、目の前を通り過ぎる。

 重力に反して気持ち良く踊るそれを、ルナは思いっきり蹴飛ばした。すると、四面体は飛んで行くわけでもなく、二つの四面体に分裂すると、また一定の速度と回転で、どこかに消えていく。

 真っ白な空間に、大小様々な建物があり、陰影だけが立体感を出している。それを登る階段や連絡通路が、構造をより複雑にし、決して真っ直ぐな道はない。

 そして白い空間は、孤独だ。人の姿もない。


「あ~~~‼ うおうおうおうおうお!」


 正四面体を蹴り飛ばしたルナは、野生の奇声を上げる。明らかにその目には正気が感じられない。

 その少女の胸に、一本の矢が突き刺さった。矢は心臓を貫通し、背後の壁にルナを固定する。

 狂気に染まった目をしていた少女は、絶命したことで落ち着きを取り戻し、赤い血で真っ白な空間にイロドリを添える。

 その矢を少女が引き抜く。ルナだ。


「ふぅ……。バカなの? 狙っている相手に変身するなんて」


 ルナが矢を引き抜くと、ルナだったものは黒い液体に変わり、骨だけが残る。

 シェイプシフターは魔物ではあるが、知能は高くはない。

 複数人の中に紛れ込むと厄介だが、一対一ではまともな戦闘にすらならない。なぜか他に人がいない状況だと、知能がさらに下がるようである。


「人の真似するなら、もう少し可愛らしくしてほしい……」


 どこに魔物が潜んでいるかわからず、立体構造の上下する道を進むのは厄介である。階段は死角が多く、ゆっくりと慎重に進まないといけない。既に何度か奇襲を受けて、ルナは理解した。

 ここは魔物の巣窟だ。もう、どれくらいここにいるのかわからない。

 ここには時間の概念がない。昼と夜がわからない。眠たくなったら寝て、腹が減ったら食う。その回数から考えるに、十日は経った気がする。

 不幸中の幸いと言うべきかわからないが、建物内にはベッドやテーブル、さらには食糧までが点在しており、未知の空間でサバイバルする必要はなかった。

 始めのうちは食べ物には警戒して手をつけなかったが、解決方法がわかり、それからはひもじい思いをする必要はなくなる。


「あ? ルナはあんなもんだ。シェイプシフターは良く再現してる」


 ルナの足元でそう言ったのは、白い毛皮を持つキツネだ。


「はあ⁉ 私はあんな奇声を上げたりしない!」


「今、上げてるじゃないか」


「奇声じゃない!」


「完全に奇声だな。何言ってるかわかんねぇもん」


 ルナは腹立ち紛れに地団駄踏む。

 狐はルナが作り出した使い魔である。ルナは彼の名前を『カンナ』と名付けた。

 猫のように身軽で、犬のように鼻が利き、兎のように耳が良い。直接的な戦力としては不足だが、今のルナが欲しいところを詰め込んだ。

 食料が食べられるかどうかを判定してくれ、周囲の警戒を行ってくれる。話すことで孤独を紛らわし、発狂するのを防いでくれもする。誰に似たのか口は悪いが、良い刺激にはなる。

 アルフォンスが鷹型の使い魔キューリを、使い捨てにしない理由が良くわかった。話せるほど賢い使い魔は、作るのがとても大変なのだ。

 一定の語彙を返すくらいなら簡単だが、自立思考の上に人間並みの知能を付けることは、正直、二度とやりたくない。ルナも必要に迫られなければ、やらないだろう。

 使い魔は、内臓や神経を完全に再現する必要はない。なぜなら一時的に動けば良いからだ。必要最低限の生物の形を模倣し、動くためのエネルギーは術者の魔力で補えば良い。

 だが、今のルナが必要なのは、物を食べ、寝ている間の警戒をし、ルナの正気を保ってくれる使い魔だ。

 ルナは自分の知識を総動員して、カンナを生き物として再現した。それはルナの医学の知識がなければ成り立たないものだ。アルフォンスもおそらく同じ発想で再現したのだ。


「あのね……、カンナ。あんたわかってるの? 私が指をちょっと鳴らせば、あんたは消えてなくなるんだよ」


「それを言うなら、ルナ。新しい俺を作ってみろよ。また一日、木の中に籠って、半日回復するのに費やせばいいさ」


「こんの……」


 口喧嘩をしているルナは違和感に気が付いた。

 この不思議空間に、風が起こっている。それは今までなかった現象だ。魔物の翼による断続的な風ではない。空気が引き込まれ、一定の速度が保たれている。


「なんだぁ? ドラゴンでも現れたのか?」


「違う……。この感じ、まさか……」


 ◆


「うそ、うそうそうそ! ここ、『アトリエ』だ……! アタシたちアトリエの中にいる!」


 イルヴァが叫ぶ。

 白い空間に白い建物。上を見上げると、その先にも似たような光景が、対称的に広がっている。明らかに空間に異変が起こっている。

 オルシアはアトリエにまだ入ったことはないが、イルヴァが言うならそうなのだろう。第四学位に一年近くいるイルヴァは、すでにアトリエ内での実戦を経験済みである。

 アトリエの内部の構造は、それぞれ特異なものであると習った。見たことのないオルシアでも、ここが何となくアトリエだとわかるのは、あまりにも現実感が薄い光景が広がっているからである。


「イルヴァさん、落ち着いて。アトリエ内なら、魔物がいるかも。とにかく身を隠して……」


 そう言ったときには遅かった。

 声を聞きつけたのか、建物の中から二足歩行の影が躍り出てきた。それはシルエットだけを見れば人型だが、明らかに人ではない。

 人型の体に、錆鉄色サビテツイロの毛皮。顔は犬に近く、見開かれた目は肉食獣のものであり、理性は存在していなかった。

 コボルトだ。

 ゴブリンの一種とされるが、ゴブリンよりも知能は劣り、武器や鎧は使用しない。その代わり、強靭な牙と爪、素早く動ける手足を持つ。魔法を使った遠距離攻撃をしてくる個体も確認される、厄介な魔物だ。

 それが十匹近くいる。二人の見習い魔術士では荷が重い。

 だからと言って闇雲に逃げても、ここはアトリエの中である。他の魔物に出会うか、道に迷ってより危険な方向に向かうことになるだけだ。

 一匹のコボルトが跳びかかってくる。オルシアは空気の壁を作り、受け止めた。

 他のコボルトは距離を詰めながら、オルシアたちを包囲しようと回り込んでいる。


「イルヴァさん、戦うしかないです! とにかくこの場を切り抜けましょう!」


「あ、あたし、戦いは……。ああ、もう!」


 イルヴァは短杖ワンドを取り出し、その先端から何かを放った。それはコボルトの顔に当たるがほとんどダメージはないようである。だが、コボルトは動きを止め、その場でフラフラと足踏みする。眩暈か、酔っぱらっているかのようだ。


「アタシはここでは足止めくらいしかできないからね!」


「充分です!」


 オルシアが見えない壁に阻まれているコボルトを風で浮かす。コボルトは上空へ舞い上がると、それは綺麗な弧を描いて、酔っぱらったコボルトの上に勢いを増して落ちていく。

 肉の潰れる音がして、二匹のコボルトが絶命する。

 イルヴァが魔術を放ち、コボルトたちはその動きに合わせて跳び下がる。目に見えない魔術だが、速度はないことを見抜かれた。素早く移動すれば当たらない。コボルトたちの野生の勘だ。

 一方、死んだコボルトを見て、思わずオルシアは顔をシカめ、目をツムってしまった。自分でやったことだが、それに戦慄する。

 実戦は前の試験で経験済みだが、前はトドメを刺すことより、足止めが中心だったし、多くの魔導師や戦士に囲まれ、考えている暇はなかった。こうして容赦なくトドメを刺したことは初めてだった。

 その隙を見逃す魔物ではない。

 コボルトは左右に跳び、イルヴァの魔術を躱しながら、四足でオルシアに襲いかかる。その爪が頬を掠めようとしたとき、一矢イッシがそのコボルトを貫く。

 さらに無数の矢がコボルトに襲いかかり、何匹かが矢に当たり、何匹かは逃げ出した。

 全てのコボルトが視界からいなくなると、イルヴァがへたり込む。


「た、助かった……」


 オルシアは矢が飛んできた方向を見る。少し高い位置に弓を構えた人物がいる。

 彼女は身軽に建物の上を飛び越えながら、こっちに近付いて来た。その姿に見覚えがある。


「ルナちゃん!」


 オルシアが叫び、イルヴァも顔を上げた。


「ルナ……? やっぱりここに……」


 喜んだ二人だが、建物の上から見下ろすルナの顔は厳しい。弓に矢をツガえたまま、こちらを睨んでいる。


「……」


「ル……ルナちゃん? 私だよ、オルシア……」


 オルシアは忘れてしまったのかと思い、不安になった。ルナはそのまま動かずにいたが、小さく息を吐いて弓を降ろした。


「本物、っぽいね……」


 ルナは降りてくると、二人を見る。


「しゃべらずに付いて来て。ここにいるのは危険だから移動する。なるべく魔術は使わないようにね」


 そう言われオルシアとイルヴァは顔を見合わせる。ルナがさっさと行ってしまうので、二人は静かに付いていった。


 ◆


 少し広い建物の中に入る。外と同じく中も真っ白だが、ここにはカーペットが敷かれ、ベッドにシーツがかけられている。

 ルナは弓を壁に立てかけると、二人を見た。


「それでどうしてここに? まさか、あの魔術を……」


 そう言いかけたルナだが、オルシアに抱き着かれて黙った。


「良かった……。生きてた……」


 イルヴァはベンチのような場所に腰かけた。


「あんたが帰って来ないからさ。図書室まで探しに行ったんだよ。そうしたらここにいたの、いつの間にかね」


「いつの間にか……。二人は、いつここに?」


 抱き着いていたオルシアが、鼻を小刻みに動かして、ルナの全身の匂いを嗅ぐ。


「ちょっと、オリィ? やめてね?」


「ルナちゃん……、汗臭い……」


 そう言いながらも、オルシアは離れようとしない。ルナは溜息をつく。


「十日くらい風呂に入ってないんだもん。仕方ないでしょ」


「十日?」


 イルヴァが訊ねる。


「ここに来てから十日は経つと思う。また、授業に置いてかれちゃうよ……」


「ルナ。あんたがいなくなってから、多分、三時間も経ってないよ」


「え……?」


 ルナは何を言われたのかわからず、イルヴァに訊き返す。


「寮にあんたが戻ってこなかったから、図書室にいるって聞いて、探しに行ったんだよ。そうしたら、誰もいない場所にあんたがいることになっていて、そこに近付いたらアタシらもこの場所にいた。少なくとも、日を跨ぐほどの時間は経ってないよ」


「……」


 オルシアがようやく体を離した。


「アトリエにはそういう空間もあるって聞きました。時間の流れが変わるとか。ここもそうなんでしょうか」


「多分ね。この空間は時間の流れが速いのかも。まずいね。そうなると相当まずい……。外からの助けは期待できない。あっちで一日経てば、こっちで一年とかになりかねないよ……」


 ルナは自分の置かれた状況をようやく理解した。

 どうして何日経っても、助けのひとつもないのかと思ってはいたのだ。それほど遠くに来てしまったのかと思ったが、時間の流れが速いのであれば納得できる。まだ、ルナが行方不明とすら気付けてもらえてなかったのだ。

 三人は顔を見合わせる。

 言葉がでなかったが、イルヴァが諦めたかのように肩を落とす。


「ここから脱出することを考えるとして、どうしてどうやって、ここに来たかもわからないんじゃ、どうしようもない。ルナは状況を説明してくれる? 何があったのか」


 ルナは口を曲げ、どう説明しようか迷った。


「多分、私のせいです。本当にごめんなさい……」



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