堰
◆
誰かがアンのことを覗き込んでくる。見たことがある女性だ。とても懐かしい。霞んだ視界でその姿を捉えると、涙が溢れ余計に霞んだ。
アンが目を覚ますと、美しい模様のある天井が目に入った。見たことのない模様だ。
「目が覚めた?」
その声は優しかったが、アンの期待した声ではなかった。
「ルナ・ヴェルデ……」
少し落胆した声になっただろうか。ルナは困ったような顔をして、覗き込むのをやめた。
「ルナって呼んで。それかヴェルって呼んでもいいよ」
アンは身を起こそうとするが、眩暈がして枕に頭をまた沈めた。
「しばらく起き上がるのに苦労するかも。ほら、これ」
ルナがアンの背中に大きな枕を差し込む。まだ眩暈がするが、頭を上げていないと余計に気持ちが悪くなりそうだった。
「……ありがと」
「どういたしまして。本当は治癒魔術を使って上げれればいいんだけど……」
ルナは言い訳するように目を伏せる。
「……どうしてここに?」
アンのその問いを、ルナは二つの意味で受け取った。
「あなたは試験の最中に魔物と戦って、大怪我を負ったの。私はあなたが三日も目を覚まさなかったから、見舞いに来てるだけ。まぁ、その、ほら。あなたは見舞客が少ないみたいだから……」
ルナは少ないと言ったが、実際はアンの見舞いの客は、ルナ以外来ていない。リリアナは同じく入院しているので、見舞いとは言わないとしておく。
「試験……。リリアナ・リルケーと、あの男の子は⁉」
アンはようやく思い出し、体を前のめりにする。
「リリアナは無事。男の子ってのは……?」
「あなたたちといつも一緒にいる、ソリアーダンじゃない方の……」
ディルタのことだ。名前は認識されていなかったが、ルナと違って忘れてはいなかったようだ。
「どっちも無事だよ。魔物もアル先生……フォルスター魔導師が倒してくれたから。でも、メインスって子は行方不明のまま……。あの吸血鬼がメインスに化けてたのか、メインスが最初から吸血鬼だったのか。わからないままだよ」
「……」
試験の後、再度捜索が行われ、メインスの人間関係周辺や、寮の部屋や実家の検分がされたが、怪しいものは見つからなかった。
ロバルトの事件のときに街を歩いていたという目撃情報から、彼が魔王軍に協力していた人物か、あるいは首謀者であるとの憶測があるが、結局は謎のままである。
アンは再び枕に身をゆだねる。安心して息を吐いた。
「あ、それと試験は全員合格になったよ。これからは第四学位の同期になるね。よろしく」
ルナは努めて明るく言うが、アンは微笑みもしない。ただ自分の震える手を見つめるだけだった。
「それと、これね」
ルナはアンに腕輪を差し出した。真ん中の宝石は罅が入り、輝きを失っている。それでもアンはその腕輪を大事そうに胸に抱いた。
「魔装の方も、看護師が捨てようとするから、大事な魔道具だって言って、取っておいたよ」
アンの魔装、ドレス型の鎧は、見る影もなく破壊されている。ファスミラとの戦いもあるが、治療のために脱がすに苦労したようである。どのみち、もう役には立たなさそうだ。
「魔装……。どうしてあなたが知っているの?」
ルナは問いに答える前に窓を開け、外に向かって軽く叫んだ。
「キューリちゃん、アル先生呼んできて! アンの目が覚めた!」
病院の庭木の枝でまどろんでいた使い魔の鷹キューリは、少し不満気な顔をしてから飛んで行く。
ルナはそれを見届け、人の気配がないことを確認すると、胸にかけた鍵を握った。一瞬だけ自分の魔装を召喚し、アンに見せる。
「……」
「まだ、他の人にはこの力のことは言っていないの。黙っておいてね」
「そう……。あなたも『太陽の使徒』なんだね」
アンの言葉に、ルナは言葉に詰まる。
「た、太陽の使徒?」
アンの口から出た予想外の言葉に、ルナは動揺した。
「えっと、私は『月の使徒』って言葉しか聞いたことがないんだけど……」
「月? じゃあ、そういうことなんだ。私たちは別の力を持っている。いえ、持っていた……」
アンは腕輪を見つめた。もう何の魔力も感じない腕輪に、少しの喪失感と、失望と、清々しさを感じる。
「待って……待って。別? 私たちの世界には月の使徒以外の魔法使いは存在しなかった。あなたも別の世界から、こっちに落ちてきたんだよね。私は……」
「ルナ。私は秋津国という国からこっちに来た。あなたは違うんじゃない?」
「秋津……。どこのこと? 地名じゃなくて、国名なの?」
ルナの混乱はさらに大きくなる。
「ええ。国の名前。私の世界にも色々な人種がいた。でも、あなたのような髪色や目の色をしている人はいなかった。
おそらく、あなたのいた世界は、この世界に近い世界なんだと思う」
アンの髪色は黒く、瞳も黒い。顔の印象は確かにこの国で見る人種とは、どこか違う。とはいえ、この世界にはルナの元いた世界よりも、たくさんの人種傾向があるため、あまりにおかしいとは言えない。
ルナは鍵を握り締め、少し落ち着きを取り戻す。
「私の国は、日本という名前だった。魔神ヴェルディクタによって、もう、多分……、滅ぼされてしまったけど……」
「魔神……」
ルナは思い出し、胸が締め付けられる。まだ、二人は戦い続けているのだろうか。それとも……。
この世界に自分と同じ存在がいるのであれば、希望があるかも知れないと思ったのだ。帰る方法が。
アンの壊れた魔装は、月の使徒のそれと同様の力だと感じた。だが、アンは違うと言う。それどころか、ルナのいた世界とも違う世界から来たのだと言う。
アンは手を伸ばした。ルナはその手を取る。アンの手は冷たく、ひんやりと気持ちが良い。
「ごめんなさい。もっと早く会えていれば良かった。でも、もう私はダメみたい。
もう、自分の中に魔力を感じない。太陽の使徒でも、魔法使いでも、魔術士でもないみたい……。あなたの力になることもできない……。
ごめんなさい……ごめんなさい……。私はいつも、いつも……」
アンが堰を切ったように泣き出し、ルナは自分の後悔を思う。アンの体を抱きしめ、冷たい体を温める。
「大丈夫、大丈夫だよ。私が必ず、あなたの助けになる。治して見せるから……」
黒炎の魔術の影響については、既に聞かされていた。
今、アンの中で魔力を作ることができない。魔力を構成する、肉体・精神・霊魂の三要素が、掻き乱され、操作することができなくなっている。
黒炎は治癒魔術を無効化するのではない。魔力自体を打ち消してしまうのだ。
アンはリリアナの体内で培養した細胞を、アルフォンスの糸の魔術で無理矢理定着させることで、一命を取り留めた。だが、その後遺症は残り続けている。
アンは魔術を失った。
アルフォンスは病室の扉の前で、二人の嗚咽を聞いていた。
(入りづらい……)
二人が泣き止むまで、扉の前で立ち尽くしていた。
◆
リリアナの退院日は、図らずもダウリの退院の日と重なる。
リリアナの経過は順調で、まだ指を上手く動かせないときがあるが、生活には支障がない程度である。ダウリの方はすっかり元気だったので、リリアナの病室に入り浸っていたようだ。
既に王子も王女も宮廷魔術師も、街から去っている。
ヴィテウスは別れを盛大に嘆いたが、リリアナに仕事を疎かにするなと言われてしまい、引き下がるしかなかったようだ。
ルナたちは二人を迎えるために、校門で待っていた。
学校が特別に馬車を用意してくれたので、ルナたちが迎えに行くと余計な手間が増えるため、大人しく待つことにした。
「ごきげんよう、皆さん。昨日ぶりですわね」
リリアナが降りてくる。
「うおー、外って感じ!」
ダウリが続くと背伸びした。一か月以上も入院していたのだ。体は鈍っているはずだが、彼女の柔らかそうな体は意外と丈夫なようだ。
「おかえり、ダウリ。ま、もうすぐ卒業することになるんだろうけど」
「ふふん。そうだね。残り少ない学生生活、楽しむことにする」
イルヴァがダウリに花束を贈る。
今度はディルタが進み出て、リリアナに花束を手渡した。
「まぁ! ディルタ、ありがとうございます。とっても綺麗なお花……」
ディルタは顔を赤くして、自分の耳裏を指で掻く。
「ボクじゃなくてルナが用意したん……お」
ルナがディルタの背中をつねる。
「おかえり、リリアナ。ダウリさん」
ワイワイと話しているとき、校門の脇を誰かが通り過ぎる。背の高い浅葱色のローブの女性だ。明らかに学生ではなさそうだが、門番は彼女を敬礼し素通りさせた。
「誰だろう?」
オルシアが不思議に思って振り返った。魔術士であることはわかるが、見たことはない人物である。しかも、かなり目立つ。
彼女が向かった先には、アンが待機していた。
アンはリリアナよりも早くに退院していた。彼女の回復力は目を見張るものがある。
ルナはそのことに希望を持っていた。魔術を使用できなくなってしまったアンだが、使徒としての力は保っている。使徒の体は丈夫だ。それが残っているのであれば、いずれ魔力も元に戻る希望がある。
アンが軽くルナたちに会釈し、第四学位に上がった五人は、少し落ち着かない感じで目礼を返す。
アンは背の高い女性とともに、校舎の中に入っていく。
今まで騒がしくしていたのに、急に黙るのでダウリとイルヴァが噴き出した。
「なんなのそれ⁉ ウケる!」
「めちゃくちゃ気まずいね。何があったの?」
リリアナが笑った。
「この試験の間に、どれだけのことがあったか忘れてしまいました。でも、とても身のある試験でしたわ」
リリアナに対するアンの誤解は解けた。アンはそれでもいつも一緒にいるようなことはしないようだ。彼女の性質なのだろう。
魔術が使えないアンである。実践と実戦を主体とする第四学位の授業は、休学するのかと思ったが、彼女は諦めることはしなかった。だから、授業は一緒に受けることになる。
これから先、少しずつ仲良くなっていけば良い。
国中に戦争の機運が蔓延する中、学生たちも変化を求められる。だが、それはまだしばらくは先の話だ。
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