荊と蝶
◆
(この傷は……。出血が止まらない。これがルナの言っていた黒炎の魔術……。それにこの鎧は……)
アルフォンスはアンの傷口に治癒魔術を使う。傷口は一瞬だけ塞がるが、すぐに同じように開いてしまう。
「わ、私より、リルケーを……」
アンが呻くように言う。
リリアナは気を失っており、両手がほとんど失われているが、既に応急処置は終わっている。血もあまり失われてはいない。
アンは受け答えはハッキリしているが、目が見えていない。血を流し過ぎたのだ。
「リリアナのことは、心配しなくとも良いです。それよりもアン君、この魔術は黒い炎の槍による攻撃でしたか」
「槍……。いえ、爪の先から炎が出ていて、それに切られた瞬間から、魔術が使えなくなりました……」
「爪……、魔術が使えなくなる……」
アルフォンスはその情報を頭に入れながら、手で物理的に傷口を塞ぐしかなかった。手には何の影響もなく、血は少しだけ勢いを弱めている。
(やはり物理的な物には影響はないか。それとも対象にしか効果はないか。どちらにしろ、ルナの仮説を試すしかない)
巨樹が周囲に生まれるが、アルフォンスは気にしなかった。敵意を感じなかったからだ。成長する枝葉はアルフォンスたちを避けるように成長し、守るように囲んでいく。
「アン君、自分で傷口を強く押さえなさい」
アルフォンスはアンの冷たい手を傷口に持っていき、押さえさせる。
アルフォンスは素早く両手十本の指を空中で回転するように動かし、何かを編んでいく。完全事象化した糸で作った繭玉が、その掌の中に象られていく。
「手を放して」
アルフォンスが言うと、アンは傷口から手を離した。血が溢れる。
繭玉を傷口に落とした。それは傷口触れるか触れないかの位置で浮遊しながら回転し、周囲の無傷の肉に糸を伸ばしていく。
周囲の肉を引き絞りながら、繭玉は薄い膜のようになっていき、出血を止めた。
「良し。上手くいった……」
黒炎は魔力を崩壊させる。その影響を受けた者の生命力を焼く。
黒炎への対抗策をルナと考えていたとき、まず失血を抑える方法を考えた。ルナが思いついたのが、この繭玉である。
完全事象化し、対象に直接魔術を施すのではなく、傷口を覆って出血を止め、応急処置とする。
ルナ自身は繭玉を作ることはできないが、アルフォンスは完成させることができた。黒炎でできた傷を見るのは初めてだったが、上手くいって安心する。
(だが、このままでは血が足りず、衰弱死する。あれをやるか……。本当にできるのか……?)
アルフォンスは一度アンから離れ、リリアナを看た。
リリアナの傷は酷いものだが、時間があれば再生させることは可能だ。だが、その前にすることがある。
アルフォンスはリリアナの血を再生させ、健康な状態まで回復させる。安堵と激痛から気を失っているのを、無理矢理魔術で目覚めさせる。
「アルフォンス……さま? うっ……」
リリアナは目を覚まし、苦痛で身を捩った。
「リリアナ君、時間がないので良く聞いてください。アン君の治療ができない状態です。このままでは血が足りず、間もなく死に至ります。あなたの力を貸してくださいますか」
アルフォンスはアンに聞こえていることも気にせず、その生死を判断した。
「ええ、力になれるのなら……」
「失敗すれば、あなたも死ぬことになるかもしれません。僕もやったことのない方法です。それでもやりますか」
「……もちろん、やりますわ。何をすれば良いのでしょうか」
リリアナは即答した。アルフォンスもその答えを聞き、すぐに準備に取りかかる。リリアナの体をアンの横まで運び、とても細かい糸で管を作る。
「輸血です。ただの輸血ではありません。あなたの体で血を作り、アン君に送り込みます。治癒魔術で拒絶反応を起こさない血に変え、さらに血自体に体を再生させる力を込めます。ですが、治癒魔術の許容量には限界があります。あなた自身の怪我の治りは遅くなるでしょう。血を作りすぎて、生命力も枯渇することになるかもしれませんし、アン君のかかっている魔術の影響を受けるかもしれません」
リリアナには何のことかさっぱりわからないが、とにかく自分の身も危ないのだと理解した。
そうして話す間に、リリアナの肩の当たりと、アンの腕を管で繋ぐ。
「待って……、先生。リリア、ナを、危険に……」
アンは何とか拒絶しようとするが、もはや口すら碌に動かない。
「アン。大丈夫ですわ。わたくし、こんなところで死ぬつもりはありませんもの。だから、今は身を委ねましょう。また、後で喧嘩でもしましょう。わたくし、喧嘩したことないんですの。だから上手くできないかもしれませんが……」
リリアナは語りかけ続ける。アンが意識を失わないように。今、意識を失えば、二度と目が覚めない。
アルフォンスは魔術を開始した。
◆
ファスミラは木の根と木槌に挟まれ、肉塊となった。すぐに肉片の一欠片から身体を再生する。
「無駄ですよ、無駄。そんなただの物理攻撃では」
鉄のように鋭い棘を持つ荊が、ファスミラの大理石の肌をズタズタに引き裂くが、それも意味はない。
「無駄だって言って」
木の実が周囲を取り囲み、破裂する。破片が喰い込み、骨まで粉々にするが、すぐに治る。
「やめ」
木の幹が開きファスミラを飲み込むと、ゆっくりと閉じていき、圧迫し、ミンチに変える。
ファスミラは隙間から抜け出し、元に戻る。
「無駄だって言ってるのが聞こえないのか!」
ファスミラが怒鳴ると、ルナは手を止めた。
「無駄? 怒ってるってことは無駄じゃないでしょ」
「バカなのか? こんな攻撃じゃ、何百年経っても僕は死なないって言ってるんだ!」
「フゥン……。そうなんだ」
そう言いながら、ルナは木槌でファスミラの頭を吹き飛ばす。すぐに治ってしまうが、気分は悪くない。
「……」
ファスミラが下がる。結界の端が背後に迫っている。
(良し。このくらい離れれば、大丈夫でしょう)
ルナはこの黒いドーム内に人の気配を感じ、そこから離れるように攻撃していたのだ。
リリアナたちと地下に落ちたとき、オルシアとロバルトとはすぐに合流できた。二人は動かずにじっとしていてくれたのだ。ルナの土の魔術で近くの者なら探知できる。
二人とは対照的に、リリアナは行動していないと落ち着かない質であるし、ディルタはこの状況では当てにならない。しかも間が悪いことに、昔の地下通路に落ちてしまったようである。
地下通路は試験と関係なさそうだったため、オルシアとロバルトを地上に先に帰した。時間を取られて、全員不合格になるよりマシだと考えたからだ。
リリアナとディルタを探して、地下道をひとりで彷徨う。
どうも二人はグルグルと道に迷っているようで、位置が掴めない。
そして、ようやく見つけたと思ったら、この状況である。とにかく、二人から敵を引き離さなければならなかった。
(この結界。前の世界の創造世界にそっくりだ……)
空を覆う結界は不気味に蠢いている。それは昔見た怪人たちの作り出す空間と酷似していた。
引き離すのは上手くいったのは良いが、ルナは不思議に思う。
「どうして攻撃してこないの? 黒い炎の攻撃、待ってるんだけど」
ファスミラは顔を怒ったような悲しむような表情に歪めるが、深呼吸すると冷静さを取り戻した。
「生命の魔女。そのことについて、少し誤解があるのです。あなたと戦うつもりは……」
その口にナイフが突き刺さり、ファスミラは口を開けたまま悶えた。
ナイフを引き抜き、それを捨て去ると、どこからともなく伸びてきた蔦が、そのナイフを拾い上げてルナの手に戻す。
(な……に、どうして……)
ファスミラは攻撃された部分を捨て去り、元の体の形に戻す。
今までの再生とは違う様子だった。ルナはそのことに気が付くが、ダメージになっているとも思えなかった。
敢えて挑発するように言葉を選ぶ。
「戦うつもりはないか……。それはいい。じゃあ、あんたを殺したい放題ってわけだ」
「……チッ」
ファスミラの表情が変わった。表情だけではない。服装が変わり、体格が変わり、男のように筋肉が盛り上がる。
「なんだ。変装だったんだ、それ」
「いいや。本当の姿だ。こっちもな」
声さえも成人男性のそれとなる。だが、赤く澱んだ瞳だけはそのままだ。
「このまま本気で戦っても良いが……、相手から情報を引き出すことも必要だとは思わないかね。
私たちは味方だ。君は僕らの助けが必要だ。それとも戦いでしか解決できないのか」
「……」
ルナは手を止めた。
「言っている意味はわからないけど、戦いでしか解決できないってのは、違うと思いたいね」
ファスミラは息をつく。
「よし。じゃあ……」
彼が足を止めた瞬間、その全周囲から鋭い棘が伸び、その全身を貫く。
頭の頂点から足の先まで棘が食い込み、棘は体内で枝分かれし、骨まで砕いたはずだ。
空間を埋め尽くす細かな棘が、逃げ場を奪う。
「ハァ……」
だが、いつの間にかファスミラの体は別の場所に合った。いや、棘に捕らわれた体もあるが、新たな身体が空中に作り出されていた。
(頭と心臓を重点的にやれば、少しは足止めできるかと思ったけど……、ダメか……。こいつも怪人なの? どうしてこの世界にも……)
ファスミラはルナと同じ枝に降りてくる。
少女の体のときとは違い、重く力強い動きだ。戦いのための形態である。
「終わったか。話してもいいか?」
ファスミラの怒りを感じる。だが、どれだけその怒りを引き出そうとしても、ファスミラは自制している。
(怪人じゃない……? それどころか人間以上の理性……。なんなの、こいつ……)
ルナが沈黙しているので、ファスミラは話し始めた。
「始めの出会いに誤解があったのだ。
お前があの平原で暮らしていたとき、治療した者の中に我々の敵がいたのだ。そのせいでオーガの将軍アルムゴッツの息子が死んだ」
「息子……」
魔物の子。
ルナはその言葉に違和感を覚える。魔物は生きてはいるが、常識的な範疇に納まるものではない。多くの魔物は突然生まれ、突然歩き出す。子どもを産む魔物もいるが、人のような生殖とは違うものだ。
ルナはそう教わったし、この世界の本にもそう書かれてある。
もし、子を産み、育むことができ、愛情があるのであれば、それはただの生物である。魔物ではない。
「それで、その敵討ちに魔王は軍を遣わしたってわけ」
「いいや。アルムゴッツの配下が独断で攻撃したのだ。
もちろん、部下の失態は、その王の失態。そのことについては謝罪する以外のこともできない。
だが、わかってほしいのは、お前と事を構えることは、本意ではないということだ」
まるで人間のようなことを言う、目の前の正体不明の物体に、ルナは眉を顰めた。
「戦いは本意じゃない。でも、こういう言葉は知ってる? 覆水盆に返らずってね。
あんたたちがしていることに私が賛同する思うの?
私の周りをウロチョロして、仲間を傷付けて。最初から最後まで、敵意だけじゃない」
ルナがそう言うと、ファスミラは瞬きすら止める。
「腹水不返……」
ファスミラはそう呟くと、少女のときと同じような、張り付けた笑みを浮かべる。
「お前は自分がどんな存在かわかっていない。だが、一から全て説明するには時間が足りない。
私とともに来い。お前が魔王を殺したいというのであれば、私も協力しよう。
どこか静かに話せる場所に行こう。
そうすれば、この街にはもう手出しはしないし、お前の仲間も無事で済む」
「街を人質にすると?」
「そんなつもりはない。俺の力があれば、手を引くことができるということだ。
魔王を説得することもできるし、アルムゴッツを黙らすこともできる。お前次第で全て丸く収まると言うことだ」
「……」
ファスミラの体から黒い塵が立ち昇る。それは魔力の一種ではあるが、ルナは見たことのない力である。
これだけの巨大な結界を作りながら、肉体をどれだけ破壊しても再生する。
いったいどれだけの力を蓄えているのか、ルナには想像もつかない。
人との魔物の違いだ。
人は生命力を魔力に変換する。人ひとりの体の中に、生命力を蓄えるには限界がある。
それに対し、魔物は魔力自体を体に貯蓄し、長く生きれば生きるほど、食べれば食べるほど、比例して強くなっていく。
(勝てない……)
最初からわかっていた。この怪人は明らかに本気で戦っていない。
最初の一撃も、それ以降の攻撃もわざと喰らっていた。しかし、ルナは始めから全力であった。
手に持ったダウリのナイフを見る。黒い液体状の何かが付いている。
(これは……、血? でも、あいつの肉片はどれも塵になって消えるのに……)
体液の一滴さえ、それが死ぬと消え、別の場所に新しい身体が生まれる。
ルナは変身を解いた。緑のドレスが消え、どこからともなく現れた制服のローブが体を包んでくれる。
ファスミラは頷いた。
「良かった。では、とりあえず移動して、ゆっくり話をしましょう。お約束します。悪いようにはしません」
戦意がなくなった判断したファスミラは、少女の姿に戻った。そして、ルナに手を差し出した。
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