諦められないもの
◆
葉が落ちて季節を感じ、冬が近付いている気配を感じる。
領の部屋でのイルヴァのひと言で、ルナもオルシアも驚いてしまった。
「退学……」
「本気ですか」
「本気っていうか、仕方ないじゃない。授業料がなくなっちゃったんだから」
「でも、縫製の仕事でそれなりの金額を……」
「それなりにね。生活費くらいにはなるけど……」
「まさかこの前の賭けのせいで?」
「多少の足しにはしようと思ってたけどね。その程度じゃ無理」
ルナたちが受けた第四学位昇格試験の結果を元にした、生徒たちによる賭けは、著しく風紀を乱したとして、主催した生徒は退学、賭け金は全て学園に寄付されるという結果となってしまった。
イルヴァもその賭けに参加し、所持金をほとんど失っている。
「せっかく同じ学位になって、一緒に授業を受けられると思っていましたのに……」
オルシアが言うと、イルヴァは溜息をつく。
「追いつかれている時点で、論外なんだけどね。アタシの学費は二年分くらいしかなかったから……」
「それで退学ですか……」
ヴァヴェル学園の卒業までにかかる時間は、最短で一年半である。
ルナのように飛び級で第三学位から入学し、半年に一回ある昇格試験を全てパスし、第六学位なった瞬間に卒業試験をすれば、それだけで魔術士の出来上がりだ。
だが、そう単純に終わるほど、魔術士は甘くはない。
まず、飛び級で入学できる生徒などほとんどいないし、半年に一回の試験を全て落とさずに卒業できる生徒も少ない。
ほとんどの生徒が、三年から四年の時間を経て卒業する。中には六年・七年の時間をかける生徒もいる。
イルヴァの場合、第五学位に上がる試験を通過できず、十ヶ月の時間が過ぎている。もし、次の試験で第五学位に上がれても、既に資金は尽きている。
これでも粘った方である。
イルヴァは遅くまで働きながら、授業を受けていた。生徒たちの話を聞き、儲け話の噂を聞きつけては小銭を稼ぎ、何とかここまで食い繋いできたのだ。
「両親にはなんて説明するの? 退学したら実家に帰るんでしょう?」
ダウリが問う。
「実家には……、帰れないかなぁ。借金までして通わせてくれたのに、申し訳立たないし……。この街で就職して、借金返せるくらいまで貯めて、それから帰ることになると思う」
世知辛い話だが、一般庶民の生活などそんなものである。
特に第五学位に上がれずに辞めていく生徒は多い。第五学位から生徒の数が急激に減少する。第四学位から始める実戦の授業で諦める者もいるが、それ以上に授業料の資金が足りなくなることが多いのだ。
中には魔術士として充分に学びを得たとして、自主的に辞めて魔術協会に登録する者もいるが、そういった者が魔術士として安泰の生活をしていけるかどうかは別である。
「私の店で働く? 多少なら金も貸せるし」
「リリアナに相談すれば、出してくれるんじゃないですか」
「私もお父さまに相談してみて、多少なら授業料を……」
三人の言葉にイルヴァが手を上げた。
「まぁ、お金だけの理由じゃないんだよ。貴族に資金提供をお願いするなんてことは良くあることだし、何とかすることはできるんだよ。やろうと思えばね。
でもね。アタシには戦いは向かないことは、変えようのない事実だわ。魔術士としては、これからもやっていく自信がなくなったんだよ」
「……」
戦いだけが全てではなく、まったく戦えない魔術士もいる。とはいえ、魔術士は命懸けの仕事になることもある。自分の身は守れる程度の戦闘能力は必要だ。
その自衛手段に不安のあるイルヴァが、学園をやめると言っても不思議ではない。特に戦争機運の高まる昨今の情勢を考えれば、仕方のないことである。
三人が何も言えずに、イルヴァを見つめていると、窓のガラスが叩かれる音がした。手紙鳥が何か知らせを持ってきたのだ。
イルヴァが窓を開け、二匹の手紙鳥を手に取る。それは学園からの報せの模様をしていた。
「こっちはいつものルナ宛て……、こっちは私宛てか、珍しい」
手紙の内容は、学園長室への呼び出しと、学園内にできた新しい『アトリエ』についての話とのことである。
ルナもイルヴァも中を一度訪れている。オルシアも同様に呼び出されてもおかしくないはずだが、彼女には手紙はない。
「なんだろね。まぁ、行ってみますか」
イルヴァが制服を正して出て行こうとするので、ルナも急いでその後を追った。
◆
学園長室の前には、アンが窓の外を見つめて佇んでいた。
「アン。あなたも呼び出されたの? 中には入らないの?」
中に入らない理由がわからず、ルナが訊ねる。
「ルナ、イルヴァ。ここで待っていろと言われた。街の重役たちが集まってて、話が終わらないみたい」
ルナは不満に思う。確かに中からは言い争うような声が聞こえる。呼び出しておいて部屋から閉め出すとはどういう了見だと、義憤に駆られる気持ちで、扉を叩いた。
「ルナ・ヴェルデです! お呼びにより参上いたしました!」
ほとんど怒鳴りつけるように言うと、しばらくの沈黙があり、オド学園長の声で「お入り」と聞こえた。ルナは決然と扉を開ける。
オド学園長は奥の執務机におり、その手前のソファには、魔術士の女と戦士の男が二人の人物が座っており、副官らしき人物たちが二人の後ろに静かに控えていた。
オドが仲裁するように、声色を優しくして言う。
「生徒たちが来た。もう、話は終わりだよ。あとはそちらだけで話し合っておくれ」
その言葉を聞いて、戦士風の男がテーブルに強く手を置く。
「ダメだ! 責任者はお前だろうが、オド! お前がいなければ話にならん!」
「ちょっと、生徒の前でもその態度でいるつもり? ごめんね~、汗臭くてぇ……」
「何が汗臭いだ! お前こそ香水の匂いで誤魔化しているだけだろうが! 年増が!」
「はぁ? 気持ち悪いから嗅がないように鼻を塞いで? てか、口も臭いからそっちも塞いでくれない?」
どちらも良い大人に見える年齢だが、子どものような喧嘩を始めてしまい、ルナたちはどうするべきかと立ち尽くした。
オドが首を軽く振ってから両手を合わせると、部屋の壁からゴーレムたちが現れて、二人の首根っこを掴み、部屋の外へと放り出す。
「じゃ、あとは任せたよ」
オドは副官たちに声をかける。二人は頷くと、廊下でも喚いている上司を追う。
扉が閉められ静かになると、ルナ・イルヴァ・アンの三人は、オドを見つめた。
「待たせて済まないね。片付けるよ」
複数の小さなゴーレムが現れて、ワセワセとティーカップや茶菓子やらを片付けるのは、なんとなく和む雰囲気がある。
片付けが終わり、ルナたちがソファに座ると、茶が用意された。オドにも新しい茶が淹れられ、女子だけの茶会を少し楽しむ。
「今の人たち、誰だったんですか? 学園の関係者ではなさそうですけど」
ルナの問いにオドはたっぷりと間をとってから答える。
「男の方は、冒険者商会の会長ギル。女の方はあんたたちも知っていなけりゃいけないんだけど……」
「ミルデヴァ魔術協会の会長ですよね」
イルヴァが代わりに答える。
「そうだよ。グレイフォルツ術師長だ。玄関に肖像画が飾ってあるだけどねぇ」
学園都市ミルデヴァで魔術士を志す者として、知っておかなければならない人物No.1だ。
ルナがとぼけていると、アンが用件を伺う。オドは茶をひと口飲んでから話し始めた。
「うん。三人には新しいアトリエの……、名前が『ヴェルデの迷宮』に決まったんだけど、その探索に協力してもらおうと思ってね」
ルナはヴェルデの迷宮と言われて、なんだか気恥ずかしくなったが、別にルナの名を冠しているわけではない。純粋にヴァルナ・ヴェルデ学園の名から取っただけである。
本来ならばオリエンスの迷宮とでも名付けるべきだが、罪を犯した者の名を付けるのもはばかられた。結局、地名としてのヴェルデの名を付けることになったのだ。
イルヴァとルナが黙っているので、アンが質問した。
「それは学生の身で入っても良いものなのでしょうか」
アンの質問は当然のものだ。
アトリエと呼ばれる古代魔術師が作った遺跡は、国が厳重に管理を行っていることが多い。冒険者商会、魔術協会、傭兵商会などに登録し、資格を持つ者のみが、内部に入ることを許される。例外もあるが、ほとんどのアトリエはそうなっている。
学生であるルナたちは当然、その資格を有していない。取ろうと思えば取れるが、学生で維持できるほど簡単な資格ではない。
「このヴェルデの迷宮は、正式にアトリエとして認めるべきかの議論になっていてね。責任者はこのあたしなのさ。だから、誰を入れても問題はないよ」
アトリエ内部に入らせてくれると言うのであれば、ありがたい話である。アトリエ内部には、貴重で強力な魔道具が眠っている可能性が高い。こんな機会は滅多にないことだ。
「もちろん、あんたたち三人だけで入らせるってわけじゃない。他にも五・六学位の生徒何人かと、協会の魔術士数人、上級冒険者隊も同時に入り、内部の評価を行う。先遣調査隊というわけさ」
ヴェルデの迷宮の評価を行い、どのような構造なのか、魔物はどういうものがいるのか、出土する魔道具はどの程度の価値か。そういったことを調査する先遣隊ということである。
冒険者長と魔術士長が言い合っていたのは、その調査の主導をどちらがするかという利権争いであった。
「何もあんたたちに魔物と戦えって言ってるんじゃないよ。冒険者たちの援護と、アトリエの分析をお願いしたいと思っていてね」
だが、学生三人は乗り気ではなかった。
アンが口を開く。
「ご存じかと思いますが、私は今、魔術が使えません。足手纏いにしかならないと愚考します」
ルナも言う。
「あのアトリエ怖い……」
イルヴァは何も言わないが、明らかに嫌そうな顔である。
「なんだい。三人とも嫌なのかい? こんな機会滅多にないことだよ。魔術士を目指すなら、こういう経験は必ず重宝するはずだ」
オドの説得は空しく響く。
「どうして私たちなのでしょうか? ルナとイルヴァはともかく、私が選ばれる理由が理解できません」
ルナもイルヴァも一度、アトリエ内を訪れている。それでいうならばここにオルシアもいてもおかしくはないのに、アンが代わりにいる。
「意外と細かいことを気にするんだねぇ……。ま、いいよ。説明しようか。
アンは魔術が使えなくても、充分に戦える。真剣を持つことを許可するよ。ハッキリ言ってあんたは、魔術がなくてもその辺の傭兵よりもずっと強い。それにいつまでも魔術が使えないままでいるわけにもいかないだろう。少しくらいの荒療治は受けてもらうよ。
ルナはもっと単純だね。中の様子に最も詳しいのはルナだし、治癒魔術師として後衛を任せることができる。あんたらに選択肢はないよ。必ず調査隊に入ってもらうから」
ルナは顔を背けて舌を出して、最大限の不満を表明する。
実時間では短かったが、うんざりするほど中にいた。それに最後の瞬間に聞いた肉の潰れる音と、あの魔物も悪夢で見る。
アンもルナも特待生である。学園側からの依頼を断れる立場ではない。
「イルヴァについては、任意だね。調査隊に入らなくてもいい。けど、あんたの調書は、ルナやオルシアと違って、しっかり理路整然としていたからね。短い間にアトリエの特徴を良く捉えていた。
そういう理由で冒険者商会の勧めがあったのさ。で、こうして声をかけたわけだ。ただ、中は危険であることも事実だから、この件を受けなくてもいい。断っても別に成績に影響はしないよ」
「……」
イルヴァは黙って聞いていたが、少しだけ泣きそうな顔でオドを見た。
「その、お話はありがたいですよ。でも、アタシは多分、今月には退学することになると思うので……。お話はお断りします……」
オドは怪訝な顔をして、理由を問うた。
「退学? どうして? 何をやらかしたんだい」
まだこの話は学園側には伝えてないことである。イルヴァとしてもこんな形で退学を表明するとは思っても見なかったことだ。イルヴァは授業料が足らなくなったことを伝えた。
「学費か……」
オドが小さな体を椅子に沈めて、考えを巡らしているようだ。
入学後に特待生となり、学費の免除を受けることもできる制度はある。しかし、イルヴァは成績が良いわけではない。魔導師や他の学生からの評価は良いが、特待生にするほどであるかというと、そこまでではない。
ルナが手を上げる。
「あのー、私やアンはともかくとして、イルヴァさんにはご褒美があるんですよね」
「ご褒美?」
「調査隊に参加したら、学費の免除とか」
「……無理だね。まず、調査隊に参加すること自体が、ご褒美みたいなもんさ。それだけで単位が出るからね。こうして優先的に話しているのは、調書の出来が良かったからってのもある。
うん。でも、そうだね。イルヴァ、金が足りないと言うのであれば、調査隊には参加するべきだね。アトリエの内部には、出土品がある。見つけた者には相応の報奨金が入る。学費を補うくらいはわけない」
「けど、それも資格がないともらえないですよね……」
イルヴァが言う。冒険者や魔術士としての資格がない者は、報奨金をもらうことはできない。そして、出土品を直接売買することは、国によって禁止されている。学生のイルヴァに換金手段はない。
「本来ならね。依頼料みたいなものは入らない。けど、今回は特別だ。あたしから冒険者商会に交渉してみよう。生徒の学費を補えるくらいの報奨を出せないかとね。その分、調査では活躍してもらわなきゃいけないけど」
「やった! イルヴァさん、一緒に冒険しましょうよ! 私も魔道具探し手伝いますから!」
ルナが明るく言うが、イルヴァの顔は険しいままだ。
「少し考えさせてくれませんか。すぐに探索に入るわけじゃないんですよね」
「うん。でも、二日以内には返事が欲しいね」
「わかりました。話は終わりですか」
「そうだね。もう戻っていいよ」
イルヴァが立ち上がり、ルナたちもそれに続いて部屋を出た。
ルナはイルヴァがどうしてこの話に飛びつかないのか不思議である。
「イルヴァさん、こんなおいしい話はないですよ。これで魔術士になるを諦めないで済みます! 確かに危険ではありますけど、戦士の方もいるわけですし、私もアンもイルヴァさんを守ります……から……」
ルナがそういう間も、イルヴァの顔はさらに険しくなる。
「この間の事件、あんたたちと一緒にアトリエに落とされたとき、自分の無力さを本当に思い知らされたんだ。アタシは魔術士としてやっていく自信を失った。
それにね。後から入って来た生徒たちが、次々に追いついて来て、私を追い抜いていくんだ。アタシだってそれなりに頑張ってはいるんだよ。でも……。
ルナ、アタシを守ってくれるって? ありがとうね。でも、それもアタシを傷付ける言葉なんだよ……。アタシはあんたたちとは違う。ただの凡人だからね」
イルヴァはプライドが傷付いていた。
才能ある魔術士が後から追いついて来て、自分が停滞していることが許せなかった。
これを受け入れられるほど、イルヴァは経験があるわけでも、自信があるわけでも、血筋があるわけでも、才能があるわけでもない。何の変哲もない、ただの少女である。
イルヴァの悔しむ、悲しむ表情を見て、ルナは言葉を失ってしまった。
読んでいただきありがとうございます!
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もうひとつの作品の方は完結いたしましたので、そちらも良ければご覧ください!




