ノブレス・オブリージュ
◆
黒いドームの外では、混乱が広がっていた。
無数の魔物たちが黒い壁から溢れて出てくる。魔導師たちは陣を敷き、それを迎え撃つ。遅れてやってきた兵士たちも加わり、さながら戦場のような状態となる。オドのゴーレムが散発的に現れては魔物と戦うが、焼け石に水だ。
まだ、生徒たちの避難が済んでいない。
アルフォンスは治癒魔術師である。多対多の戦闘において、治癒魔術師は後方支援に徹するしかない。それは戦力の摩耗を抑えるための、基本的な戦術である。
歯痒いのは、アルフォンスは攻撃こそ得意とするところなのだ。最前線に出て戦うことこそ、彼の本懐である。
矛盾だ。彼は矛盾を抱えている。
だからこそ、独りを好み、受ける任務もそれに対応するものであった。
ゴブリン、ハーピー、スケルトン、インプ、オーガ、ゾンビ、ガルム。
多種多様な魔物が息を合わせて襲いかかってくる。即席の陣形では迎え撃つのが精一杯である。魔術士の数が多くないため、攻め手に欠ける。
ひとりの兵士がゴブリンの斧に腕を砕かれる。アルフォンスは紐の魔術ですぐさま彼を引き寄せると、治療を施した。
「申し訳ありません、フォルスターさま」
「さぁ、立って! 仲間を守るのです」
「はい!」
生徒たちを後ろに抱え、前に進めず、アルフォンスは動けない。八方塞がりの状況が続く。そこに突然、ゴーレムの群れが現れて、魔物たちを抑え込んでいく。
「これは……」
「派手にやってるじゃないか」
「リンドー先生……オド学園長」
アルフォンスが振り返ると、そこには三人の学生を連れたオドが立っていた。
「あんたも気苦労が多いね。なんでもかんでも守ろうとするから、こんな風に雁字搦めになるんだよ」
オドは小さな体をゴーレムで支えると、後ろに縮こまっている学生たちに告げる。
「みんな、良くお聞き! これは訓練でも試験でもない、実戦だよ! 目を見開いて、自分のやるべきことを考えな! まだ魔力の残っている者は、空中の敵と大型の敵を狙って攻撃しな。味方の上に魔術を落とすなよ! 疲れて動けない者は、邪魔にならないように後ろに下がり、砦に避難しな! ゴーレムが守ってくれるから!」
オドの声を聞き、学生たちは顔を見合わせる。
「生徒を……。しかし……」
アルフォンスは困惑するが、オドはどこ吹く風だ。
「生徒たちを信じなよ。試験でも良くやってたじゃないか。第四学位からは実戦も多くなる。この子たちはもう卵じゃないんだよ」
ライムンドが力を放出し、空中へと斉射する。空中の魔物が黒焦げになり、バタバタと落ちていく。
「行くぞ」
ライムンドが言うと、レオとアリエッタも続く。ライムンドの攻撃力は、確かに学生の域ではない。
インフェルナ校の生徒が立ち上がり、その後に続いた。
空中に幕放電のような霆が、空を覆う。ロバルトの欠けた指から放たれた魔術だ。彼もまた本物の実戦を経験しているひとりだ。
背後からの追い風が魔物の動きを封じる。オルシアの風が皆を守るように包む。魔力もその扱いも、既に魔術士としてやっていけるだろう。
学生たちが立ち上がり、得意とする魔術を放つ。ひとりひとりの力は弱くとも、彼らも魔術士を目指す者だ。
突然増えた攻め手に、魔物の群れは押され始める。
「アルフォンス、あの壁だ。あんたが破壊しな。守りはあたしがする」
オドの言葉にアルフォンスは頷く。
彼は跳び、周囲の魔物を切り裂きながら、黒いドームへと近付いた。
◆
「はな、して……。もう、自分で歩ける」
アンはリリアナから体を離す。だが、体勢を崩しそうになり、リリアナが支えた。アンはその手を振り払う。
「アン……。出血が……」
アンの脇腹からは血が溢れている。止まる気配がない。
「やめろ……。私に触れるな!」
アンの振るった手が、リリアナの頬を打った。
「アン……。どうして、そんな……」
「……お前のせいだ。お前のせいでこんなことに……。違う……、くそ……。あの子を助けないと……。あいつは化け物だ……。勝てる相手じゃない……」
アンは朦朧としているようで、支離滅裂だ。
リリアナはそんなアンを力尽くで持ち上げた。アンはそれでも振り払おうとするが、リリアナは無視する。アンも諦めたのか、少し大人しくなった。
正面に黒い壁が目の前に見え、リリアナは足を止める。
「これは……」
触れようと思えば触れられる。だが、触れてはいけないものだと直感が告げる。
向こう側では戦いが起こっているようで、光が明滅しているが、靄のせいで良くわからない。
背後では吹雪が舞い、戦いの音が響いている。
「迷っている時間はありませんね。やらなくては!」
リリアナは躊躇することなく、黒い壁に触れた。手袋が朽ち、肌が露出する。激痛が走り、皮膚が爛れていく。
「やめろ……。無駄だとわかるだろ……。この魔力、人がどうこうできるものじゃない。お前だけでも隠れるんだ……」
アンは少しだけ意識を取り戻した。もっとも嫌いな女が、なぜかアンを助けようとしている。自分だけが寝ていることなどできない。
「こんな結界、わたくしにかかれば、簡単に破れてしまいます! 少しだけ耐えてください!」
爪が腐り落ち、大きな罅割れが腕を伝っていく。血が流れるが、赤いはずのそれも黒い塵となって消える。激痛にリリアナの顔が歪む。涙まで蒸発しそうなほどに全身が熱い。
「どうして……、私なんかのために……」
「あなただけのためじゃありませんことよ、勘違いしないでください! わたくしは貴族です。助けを求める人がいたら、助ける。助けを求めてられてなくても、恨まれても、助ける! それがわたくしたちの信念です!」
結界の隙間に魔力を通していく。精密な操作。結界の力の奔流は、リリアナの魔力では破れない。だが、細い隙間を開け、そこから人ひとりくらい通すことはできるかもしれない。
アンの出血は酷いものだ。このままで死ぬ。リリアナは後のことは何も考えていない。
「でも、リルケーは……。あなたたちは……」
自分の村のことを思い出す。
飢えて死ぬ子どもたち。魔物が来ても助けてくれない兵士。リルケーの名を冠した者による弾圧。
まるで真逆のことをリリアナは言う。
「家名や、血筋など、魔術士にとっては些細なことですわ! わたくしは魔術士として尊敬するあなたを死なせはしない! 目の前の助けを求める学友を助けなくて、宮廷魔術師などになれるものですか!」
◆
ディルタの腕はもう上がらない。体の震えが止まらない。自身の魔術の許容量を超え、全身の体温が奪われる。
青白い顔で目の前の少女を見た。
ファスミラは体を再生していく。その速度は遅い。始めの頃より遅くなってきている。だが、充分ではない。
「驚きました……。なるほど。あなたの魔術。対不死者用に調整されているのですね。近接機動戦に特化した魔術ですか。珍しい」
「お褒めに与り、どうも。子どもの頃からわけわからん訓練に付き合わされてきたけど、まさかこんなところで役に立つとはね。吸血鬼の王相手にここまでできれば、上等だぜ……」
ディルタの魔術は、評価されづらい。身を隠し、体温と臭いを消し、近距離で確実に魔物を仕留めることに特化している。冷気による血液の不活性化と、凍結による回復阻害。対吸血鬼専用と言って良い魔術だ。
それは現代魔術の価値観に逆行している。
ファスミラの手がディルタの首に伸びた。冷たい手だ。
「吸血鬼の王? そんなものと一緒にしないでください。僕は、僕です」
ファスミラは小さく溜息をついた。
「あなたにも、リルケーさんにも失望です。あの子は僕の力を見て、もっと上手く立ち回ると思っていましたが……。勝てないのであれば、跪いて許しを請えば良いのです。どうせ逃げられはしないのに」
小さな少女の膂力ではない。ファスミラが首を掴んだ手を上げると、ディルタの足が地面から離れる。何とかその腕に手をかけて、窒息を防ぐ。
「く……が……」
ディルタが何かを言おうとするが、圧迫された喉で声が出ない。
「え? なんです?」
ファスミラが首を絞める力を弱める。
「お前さ……、うちの……リーダー舐めすぎだろ。あいつはやるって言ったら絶対やるぜ」
「……」
リリアナは爛れていく腕を気にせず、立ち昇る結界の魔力の隙間に、自分の力を流し込んでいく。その魔力で力の流れを操作し、少しずつ結界に穴を開けていく。
鋭い棘のような魔力が、黒い壁を貫通したとき、リリアナは両腕をその穴に押し込み、力で持ってこじ開けていく。
道だ。小さな道である。人が這って、やっと通れる道。
「もっと大きく……!」
足を踏ん張り、力の流れをイメージし、それを無理矢理に変えていく。ただの腕力ではない。
魔術。
小さな力を大きな力に変える。魔力の神髄。
いつの間にか結界には大きな穴が開き、人ひとりはゆうに通れる大きさになっていた。
「すごい……」
アンは思わず口に出していた。
「アン、早く行ってください! この穴が閉じないうちに!」
「ま、待って。あなたはどうするの⁉ このままじゃ……」
「わたくしはディルタを助けに行かなければなりません! 早く!」
リリアナの手は既に骨が見えかけている。指先はなくなり、形を保っているのが不思議なくらいだ。
アンは何も言えず、這った。全身が痛む。足が動かない。早く外に助けを求めなければ。血を失い、気を失いそうになる。壁の中に進もうとしたとき、何かが飛んできた。
銀色の糸。
それが編まれるように複雑に絡み合い、ひとつの構造物を作り出していく。リリアナの開けた穴が、さらに大きく広がられていき、糸でできた通路が出来上がった。
「良くやりました、リリアナ君。あとは任せなさい」
突然、負荷がなくなり、力が抜けて倒れるリリアナを、アルフォンスは抱き留めた。
◆
ファスミラはディルタを自分の影の中に収め、連れ去ろうと考えていたが、やめた。
「ムカつく奴は殺すに限りますね」
「う……、くそ……!」
ディルタはなんとか振り払おうと暴れるが、何の効果もない。
もう片方の手に黒い炎を宿す。
「ゆっくり噛み締めて死んでください」
小さな傷で良い。治らない傷は、炎が蝋を溶かすように、ゆっくりと広がっていく。既にアンは死んだも同然だ。だから、追いかける必要はない。
ディルタを黒い炎を宿した手で触れようとしたとき、地面が沈みこんだ。足が動かない。逆にディルタの体は上へと持ち上げられる。ファスミラの腕に巻き付いた木の枝が、締め付けを強くしてその骨を砕く。
「ちょちょちょ、ちょっと、待って! 上はダメだって、上はぁああああ」
大樹がディルタの体に巻き付いて、彼の体を上空に運んでいく。訳のわからない悲鳴を上げながら、ディルタの姿は大樹に隠れて見えなくなった。
大樹の先端が黒いドームの天井に当たるが、それは大きくなるのをやめない。地形を飲み込み、ひとつの森のような大きさへと変わっていく。
ファスミラは大樹に飲み込まれる前に、片腕と両足を切り離し、後ろへと飛ぶ。
「もぉー、何なんですか。次から次へと……」
伸びてくる大樹の根を躱しながら、ファスミラは蝶のように空中を舞う。
その視界に緑のドレスが掠めた。
「それは……、こっちの、セリフだ‼」
巨大な木槌が振り下ろされ、ファスミラは蚊の如く叩き潰される。




