灰
◆
女の名は、イリニヤ。セラの母親とは同僚であったとのことだ。
イリニヤは屋敷の小間使いに何かを言いつけると、セラたちを屋敷の裏に案内した。そこは日が当たらず、昼間でも少し肌寒い場所である。
「ここだよ。あんたの母親が眠ってる場所さ」
イリニヤが指したのは、切り出された岩である。それは地面に無造作に立てられていた。
墓石だ。
何人もの名前が、乱雑に刻まれるだけの簡素なものだ。新鮮な花が手向けられているところを見ると、誰かが毎日、手入れをしているらしい。
セラが呆然としていると、イリニヤが続ける。
「四年前だよ。あんたを産んでからも、娼婦を続けていたんだけどね。病気で弱っちまって、そのまま死んだよ」
カンナは溜息をついた。何となくはわかっていたことだが、こうもあっさり言われてしまっては、何と返せば良いのかわからない。
「……あんた、もうちょっと言い方ってもんがあるだろ」
カンナの言葉を、イリニヤは鼻で笑った。
「現実は現実だ。小さな子どもでも、それは変わんない。まだ、こうして名前が刻んでもらえるだけありがたいもんさ。わたしらみたいな商売の人間は」
「……」
セラは墓石に近付き、母の名前が刻まれた場所を撫でた。ただ短く、ジーナとだけ彫られている。
死体は焼かれ、骨も残らない。母は多くの人ともに、灰となってここで眠っているのだ。
「あんたを残してジーナが死んで、あんたをどうするかって話になってね。丁度、あんたの世話をしてくれてた子……、名前はロウリだったかね? 出入りの旦那がその子を養子するって話があったのさ。
その旦那に頼んだら、あんたと兄妹ってことで引き取ってくれることになってね。良かったよ……。今は魔術士のとこに暮らしてるんだろ? ま、身なりを見るに、それほど裕福じゃなさそうだけど、飢えてる感じもしないからね」
イリニヤはカンナを見て、セラが魔術士に引き取られたと思ったようだ。話を促さずとも、聞きたいことを教えてくれた。
「さぁ、話は終わり。お帰りな。ここはあんたの来るところじゃない」
イリニヤは言うが、セラは動かなかった。カンナはセラの足に体を巻き付け、立つように促した。
「帰ろう、セラ。もう良いだろ。兄ちゃんが心配してるぜ」
セラには兄がいる。血の繋がりはないが、それ以上の絆があることがカンナには匂いでわかる。
背後で気配を感じ、カンナは振り返った。建物の影から腹の大きな男が出てきて、セラを眺めている。
「ふん……。ジーナの娘が来たって聞いたから見に来てみれば、まだクソガキじゃねぇか」
「ドーリング。もう帰るところさ。放っておいて」
ドーリングと呼ばれた男は、貴族のように高価な服に身を包んでいるが、その笑い方から上品さは感じられない。この館の主のようである。何人かの手下であろう男たちが、その後ろに控えていた。
「そうはいかねぇよ。|ユニコーンの死骸に森でつまずく《望んでいたわけではないのに幸運に恵まれる》ってもんだ。ガキでも、物好きはいるからな」
イリニヤが嫌悪の声を漏らす。
「あんた、ふざけんなよ! この子は関係ないだろ!」
「イリニヤ、お前は知らなかったみたいだな。セラを身請けした奴は、衛兵にとっ捕まって、今は牢屋の中だ。それでジーナの借金の支払いは済んでねぇんだよ。そうなれば、その子どもが払うのは当たり前だよなぁ。
別に探していたわけじゃねぇが、そっちからやって来たなら、放っておくことはねぇ」
「あんた……、この下種が……」
イリニヤは自分の迂闊さを後悔する。だが、すぐに思い出した。
「でも、この子に手を出すことはできないよ。だって、この子は今、魔術士の保護下にいるんだもの。この子に手を出せば、その魔術士が黙っていないよ!」
「はぁ? 魔術士?」
イリニヤが指し示す先に、カンナがいた。カンナは毛を逆立てて、なるべく体を大きく見せるが、人間の大きさから比べれば、吹いて飛ばせそうなものである。
ドーリングとその手下たちが鼻で笑う。
「へぇ、使い魔か? それでどんな魔術士が飼い主なんだ?」
イリニヤは知らないので答えられなかったが、カンナが代わりに言う。
「俺はクライン・フォルスター魔導師の使い魔だ! 俺にたちに手を出したら、七魔剣が黙ってはいないぞ!」
カンナは嘘をつく。その名を聞けばどんな者でも震え上がる効果を期待したのだが、男たちは顔を見合わせ、大笑いし始める。
「フォルスターだって? そんな大物がこの小娘の保護者? そんなわけがないだろうが。フォルスターの娘はヴァヴェル学園に通ってるってのは、この街じゃ誰でも知ってることだ」
ドーリングの言うことは真実だ。
孤独を好む七魔剣の無慈悲な『処刑人』が、弟子を取って魔導師になったことは、街中の人間が知っている。カンナの浅はかな嘘で、状況はより悪くなった。これからの言葉は信じてもらえない。
「しゃべる使い魔か、従魔か? 見世物小屋に売れば、小遣い程度にはなりそうだな。こいつも捕まえろ」
ドーリングが言うと、後ろにいた五人の男たちが進み出た。カンナはセラを守るために、その進路に割って入るが、男たちは気にも留めない。
イリニヤは諦めたのか、建物の隅に寄り、巻き込まれないようにしている。
カンナは素早く男の腕を躱すと、その顔面に蹴りを加える。男は少しだけ怯んだが、それだけだ。攻撃にもならない。
「セラ、逃げろ!」
カンナが叫ぶ。しかし、進路は塞がれている。逃げ場はない。
カンナは男たちの気を引くように、自分から向かって行き牙を剥く。それで抑えられるのは二・三人が限界だ。二人の男がセラを取り囲み、その腕を掴んだ。
「セラ!」
気が取られた瞬間、カンナの腹に蹴りが入り、カンナの小さな体はボールのように飛んで行って、墓石にぶつかって止まった。
「ドーリングさん。こいつ、危ないですよ。殺した方が良いじゃないですか?」
蹴った男が言った。
「そうか。まぁ、あとで魔術士が来ても面倒だからな。殺して埋めてしまえ」
男がナイフを抜き、白い狐の元に向かう。
(くそ……くそ、くそ……! どうして俺を戦えるように作らなかったんだよ!)
それは仕方のないことだと、カンナも理解している。
カンナが作られたとき、ルナは完全には魔術が使えない状況だった。オリエンスが施した結界は、対ルナ・ヴェルデ専用に改造され、治癒魔術以外の魔術は封印されていた。
それでも少しだけは使えたのは、ルナが死なないように、でも、ある程度は弱るようにしたかったオリエンスの思惑である。
その微妙な調整ができるのが、オリエンスの長所であり、厄介なところだったのだ。
ルナは自分を守るためのバリケードを作り出し、その簡易的な部屋の中で、ジッと音を殺してカンナを作り出した。
体内で完結する治癒魔術であれば、通常通り使えることはわかっていたから、ルナは自分の腹の皮膚の下に、使い魔を作るためのスペースを作り出し、体内で自分の細胞を使い、カンナの体を構築したのだ。
カンナはルナの子宮から生まれたわけではないが、ルナの血肉を分けられた存在であることは事実である。
しかし、時間も魔力も足りなかったために、ルナはカンナの力を敢えて抑えた。
感覚器官が優れているが、戦闘力は普通の動物程度である。屈強な男たちに敵うはずもない。
カンナは血を吐き出しながら、それでも立ち上がった。
手足が折れ、内臓が傷付いている。墓石に頭をぶつけたせいで、片目が見えない。耳鳴りもして、音も聞き取れない。
狐は精一杯の唸り声を上げて、男を睨みつける。その程度では意味のないことだとわかっている。
ただ、少女の願いを叶えてやりたかっただけだ。それが悲しい事実を突きつけることになろうとも、強く生きていて欲しかったから。
まだ、セラには兄がいる。彼の場所に帰してやらなければならない。
しゃべることのできるカンナだが、言葉にならない言葉を叫び、ナイフを持った男に跳びかかろうと身構えた。そのとき、異様な気配に動きを止めた。
何かが潰れる音。
セラを捕まえていた男が、ドーリングの脇を通り過ぎる。
誰も状況がわからず呆然とした。
飛んで行った男は、蹴飛ばされたカンナのように、全身を壁にしたたかに打ち付ける。そのまま、動かなくなったのは、死んだのか、気絶したのか。
捕まっていたはずのセラは、その場から動いていない。
だが、彼女の髪の毛が逆立ち、まるで触手のようにうねっている。その触手の間から覗くセラの顔は、まるで無数の目で覆われているかのように、星空の輝きに満ちていた。
自分の横の壁に張り付いた男を見て、イリニヤが甲高い声を上げて逃げ去った。その悲鳴に我に返った男たちは、武器を抜いてセラに襲いかかる。
刹那。
四人の体は消え去り、全員が投げつけられたカエルとなって、同じように不自然に壁に激突していた。
カンナは薄れゆく意識の中、セラの名を呼んだ。
セラが笑った気がする。ゆっくりとその手を上げ、ドーリングに向けた。ドーリングの顔色が見る見る悪くなり、息ができないのだとわかる。
突然、セラは糸の切れた人形のようになって、その場に倒れ込んでしまった。ドーリングが咽返りながら、怒りを隠すこともなくセラに近付く。
助けを求める声が、自分の口から出ていることにカンナは驚く。緑のドレスが視界を覆い、痛みが引いていくのがわかった。
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