困惑
◆
今日も晴天で、野外での活動に良い気温である。さわやかな風が吹き、見学者たちの喧騒を少し和らげてくれた。
受験者たちが走り出すのを見終えて、ルナたち五人はゆっくりと歩いていた。
「じゃ、やるよ」
「ホントにやるのか……。普通に行くのじゃ駄目なのか……?」
「今更、言わないで!」
ディルタが顔色悪く言うのを、ルナは一蹴する。
観覧席からある程度の距離に来ると、ルナが地面に向かって手のひらを翳した。五人がいる地面に布が広がっていく。
シンプルな絨毯だ。その絨毯が少しずつ空へと昇っていき、ルナが空飛ぶ乗り物と変える。
五人を乗せた空飛ぶ絨毯は、マンタのような形になると、試験会場の中央に向けて空へと出航する。
「なんと、愚かな。あのような魔力の使い方をしては、三十分も持つまい」
ディンセルが吐き捨てる。
単身での飛行魔術は、長い現代魔術史上、長年研究されてきた。
魔術で飛行することは、出来ないわけではない。しかし、人ひとり分の体を浮かせるだけでも、かなりの力を使用する。そこに速度やコントロールを加えるとなると、それは最早、曲芸の域。
重い荷物を背負って、全力疾走しながら、綱渡りをして、笛を吹くようなものだ。ただの人間ではすぐに意気が上がってしまい、地面へと真っ逆さまになる。
五人も乗った空飛ぶ絨毯では速度は出せない。歩いて行った方がマシだ。
「オリィ!」
ルナの掛け声でオルシアが魔力を解放する。布で作り出した翼が、オルシアの風を掴み、絨毯が加速した。彼らを追っていたセシリアの鴉が、慌てて全力で追いかける。
かなりの速度で中央に飛んでいく五人を見て、ディンセルは頬の筋肉を痙攣させる。
ジルベルト王子が手を叩いて喜ぶ。
「素晴らしい。即席人力の浮遊船か! 複数人の人間を運べるのであれば、有用そうだ」
「問題は持続性と再現性です。あの程度では……」
ディンセルが何とか否定しようとするが、研究する価値があるのは否定できない。
ルナのやったことは、要はパラグライダ―である。ルナが五人の体重を持ち上げ、オルシアがエンジンとなる連携だ。
当然、魔術で翼を作り出して飛行しようとする魔術士はこれまでも存在した。しかし、人の身に翼を作っても、そのエネルギー効率の悪さに研究は頓挫してしまう。
そのため個人単独での飛行は、滑空程度が限界とされてきた。
さらにこの世界には、翼で飛ぶ生物もいれば、翼なしで飛行する魔物もいる。
巨大な竜が空を飛ぶのは、物理法則を無視している。そこには魔術魔法が存在していると、魔術士たちは思い込み、研究はその解読の方向に向く。それに魔道具の中には、疑似的な無重力を作り出す物が存在する。そちらを探した方が研究するより効率的である。
翼がなくても空が飛べるという思い込みが、飛行という発想を貧困にさせてきた。
「オルシア、少し右に流れています。左へ進路を!」
「わかった!」
リリアナが進路を調整しながら、飛行を続ける。
レベル1を悠々と飛び越え、レベル2に入った。レベル3エリアまで一気に飛び、そこでポイントを稼ぐ作戦をとった。五人分のポイントを素早く稼ぐには、これしかないと判断したのだ。
中央まで1キロメートルほどしかない。空を飛べば、一瞬だ。
小さな林を飛び越えようとしたとき、大きな一本の木が邪魔になる。リリアナの指示でルナが翼を少し傾けると、空飛ぶ絨毯が揺れて、木を回避した。問題はそこで起こった。
「う……」
ディルタが喉の奥から、嫌な音を立てて、空中に胃の内容物を散布する。
「リリアナ! ディルタが吐いてる!」
ロバルトが叫ぶ。彼は背後を警戒しながら、狙える魔物がいれば魔術で討つ役目であった。ディルタも同様の役目だったが、もうそれどころではない。
空中に散布された固形物混じり胃液が林に落ちると、そこにいたものたちが反応する。無数の翼がルナたちを追いかけ始める。
「ハイヴだ! ハイヴが……、ヴァォ……」
ロバルトが魔物見て叫ぶと同時に、人のものとは思えない音を出して、胃の中身を吐き出す。不意打ちで吐いたロバルトは、空飛ぶ絨毯を汚してしまう。貰いゲロだ。
「な、何やってんの⁉」
ルナが怒り混じりに言うが、遅い。
オルシアも吐き出されたものを見て、顔色を青くして口元を押さえる。吐き気に慣れているオルシアはなんとか堪えるが、集中力が途切れて風が緩む。速度が落ち、魔物たちが追い付いてくる。
ハイヴは蜂型の魔物である。
虫ではあるが、人の幼児くらいの大きさを持つ。群れで動き、凶悪な顎と長い尾針に毒がある、危険な魔物だ。大型動物すら躊躇なく攻撃し、毎年の季節になると、人も多数が犠牲になることがある。
その魔物の巣にディルタの爆撃が当たったようである。ハイヴは文字通り目の色を変えて(怒ると目が赤色に変わるのだ)、ルナたちの乗った絨毯を執拗に狙ってくる。
「ルナ! このままでは追いつかれます! 一度、降りて迎撃しま……しょう……」
リリアナも顔色が悪いが、吐くことはない。淑女としての意地だ。オルシアの代わりに風を操るが、オルシアほどの出力はない。
ルナは言われた通り、翼を操作して軟着陸を試みる。
柔らかそうな花畑を見つけ、そこに降り立つ。五人は絨毯から投げ出されるが、大きな怪我はなさそうだ。
「みんな、立って! 敵が来る!」
ルナは素早く立ち上がり、ハイヴの襲来に備えるが、既に空にハイヴの姿はなかった。縄張りから出たようである。
ひと息ついたルナ以外の四人は、なんとか起き上がる。
「なんであれだけ練習したのに、本番でこうなるの!」
一か月、この移動方法を練習し、空中から魔物を安全に仕留めていく作戦を練っていた。それが上手くいかなかったのだ。プランBに切り替えるしかない。
ルナが嘆くと、リリアナが涙目で謝る。
「も、申し訳ありません。ルナ……」
「いや、リリアナが悪いわけじゃ……」
木を避けたせいで軌道が横に逸れ、レベル2エリアを真横に旋回する形になってしまった。レベル3エリアまでもうすぐだが、計画通りとは言えない。
ルナは四人を、気分を晴らす魔術で治療する。
オルシアは気分が悪くなっただけでなく、やはり少し魔術に気合を入れ過ぎたようだ。口の中が血で赤かった。
ディルタを治療するとき、彼は明らかに眼振の症状が見て取れた。酷い眩暈を起こしている。
「ディルタ……。あなた、昨日寝てないでしょ」
「緊張して眠れませんでした……」
ディルタの背中を優しく撫でながら、ルナは溜息をつく。
ディルタは元々、乗り物には酔い易い体質らしく、練習でも気分が悪くなることがあった。それでも近頃はマシになっていたのだ。しかし、寝不足で体調の優れない状態では、それも意味がなかったようである。
この空飛ぶ絨毯の弱点は、安定飛行に入るのに時間がかかることである。ルナたちはスタート地点の魔物のいない場所で、じっくりとその準備を整えたのだ。一度降りてしまうと、どこに魔物がいるかわからない場所での再飛行は難しい。
(ごめんなさい)
ルナは魔術で広げていた布を縮めてバッグに収めた。地面に広がる花畑を荒らしてしまったことを謝る。少しだけ魔術で折れてしまった草花を治すと、気を取り直す。
「距離は稼げた。歩くよ、みんな!」
ルナがそう言いながら視線を後ろに向ける。花畑の先に影が見えた。巨大な四つ足の獣。
その光景に、ルナは心を奪われる。随分と昔のことなのに、今でも鮮明に覚えている。
「銀……」
「え?」
ルナが思わず呟き、近くにいたオルシアが、視線の先を見た。
犬型の獣、ガルムだ。
全身を黒い剛毛が覆い、帷子のような肩甲と、鋸のような硬い尾を持つ。牙も爪も鋭く強靭で、巨体を素早く動かす筋力をも有している。
その影が、ひとつ、二つ……、十以上のガルムがルナたちに牙を剥き、唸り声を上げている。
ルナは正気に戻る。銀ではない。銀はもっと大きいし、毛の色も違う。
「ウソだろ?」
ロバルトが顔を引き攣らせた。ガルムは魔物中でも中位の脅威度の魔物だ。一匹でも第三学位の魔術士見習いが敵うか怪しいのに、それが群れている。
「ゆっくり……。ゆっくり下がりましょう……」
リリアナが声を抑えていった。その額に冷や汗が浮かんでいる。
全員が後退りする。決してガルムたちから目を離さない。ガルムたちも警戒しつつ、ゆっくりと動きながら距離を詰めてくる。
「……後ろに砦のような建物が見えました。合図で一斉に走り出しますわよ」
リリアナは努めて冷静に言うが、無謀である。背中を見せれば一気に跳びかかられ、全滅は必至だ。
「待って、リ……」
「走って!」
リリアナが叫ぶと、五人は一斉に走り出す。確かに砦のような建物が見えるが、少し距離がある。
背後でガルムたちが地面を蹴る音が聞こえた。ルナは振り返って魔術で足止めをしようとするが、その前にディルタがいた。
「止まるな! 走れ!」
彼はそう叫ぶと、大きく息を吸った。そして、それを吐き出す。
地面を這う冷気が、ガルムの足元を凍てつかせる。何匹かが足を滑らし、氷に捕らわれるが、それでも群れは止まらない。
一匹のガルムがディルタに牙を剥く。空気を固める防御魔術が発動するが、それを砕いてディルタに牙が突き刺さる。
氷塊が作り出され、ガルムたちの進路を塞ぐ。無数の牙がディルタに跳びかかった。
◆
レベル1を行くライムンドらは、空の向こうに消えたルナたちを追いかけた。
ほとんどの受験者は一斉にスタートしたので、今はひと固まりになっている。
「あいつらぁ……。急ぐぞ! アニエッラ、レオ!」
ライムンドが足を速めようとすると、目の前の地面が盛り上がる。慌てて足を止めた。
他の場所でも同様に地面が盛り上がり、何かが這い出ようとしている。受験者たちは魔術を放つ構えを取った。だが、正面の盛り上がりは囮だったようだ。
背後で土埃が舞い上がり、ひとりの受験者が空中へ投げ出される。落下してくる受験者は、真下に広げられた巨大な口の中に納まり、悲鳴を上げる間もなく姿を消した。
エオルウィルム。土の中に潜む蛇の魔物だ。
受験者が丸呑みされ、それを見ていた他の者が怯む。
「うそだ……。死んだ、死んだのか?」
仲間であろう受験者が呆然とする中、誰かがエオルウィルムに攻撃する。
閃光が走り、蛇の首が両断され、飲み込まれた受験者が食道から胃に落ちる前に、飛び出した。まだ彼は生きている。
「助かった……?」
ライムンドはそれを無視して先を急ごうとする。だが、その行く手を塞がれ、足を止めた。
「な、に?」
さすがのライムンドも絶句する。
どこからともなく湧いてくる、キノコの魔物ファンガス、小悪魔とも称されるインプ、精霊の一種であるウィスプなど、下級だが大量の魔物が先を塞いでいる。
ライムンドは一瞬だけ戸惑ったが、持ち前の判断力で拳から魔術を放ち、前方を薙ぎ払う。
無数の魔物の群れが焼け落ち、ペンダントに僅かなポイントが溜まった。
「レオ、こういう魔物はお前の役目だ! 薙ぎ払ってしまえ!」
「やるよ!」
レオが刃の杖を解き放ち、ライムンドたちの周囲を旋回させる。それだけで多くの魔物が引き裂かれていく。
他の受験者たちも次々に魔術を放ち、魔物と戦う。さながら戦場のような景色となり、長閑だった練兵場の風景が一変していく。
ライムンドらが敵を蹴散らして先を急ぐのと同様に、敵をなぎ倒しながら進む二人組がいた。
メインスとアンである。
メインスは小さな体に似合わない大剣を振るって、小型の魔物(それでもメインスの体くらいはある)を流れるように引き裂いていく。
アンは小さな輝く光を手に宿し、それをナイフのように投げて的確に進路を開けていく。
「面白い。こんなに魔物がいるとは」
メインスが言うと、アンが否定する。
「魔物じゃない。ただの人形。本物はこんなに甘くない」
「へえ? 本物と戦ったことがおありですか。それは心強い」
「……」
アンが黙ってしまうと、メインスは笑う。
「こいつらはただの足止めですね。エオルウィルムの点数はどうですか? どれくらい入りました?」
アンが点数を確認する。先ほど飲み込まれた受験生を助けたのはアンであった。
エオルウィルムは比較的大型の魔物である。それなりの点数が入りそうなものだが、現在のメインスの点数とアンの点数は大差がない。
「レベル1ではこんなものですか。リリアナ・リルケーたちの行動は正しかったようですね。我々も急ぎましょう」
メインスが何気ない動作で大剣をひと薙ぎすると、無数の魔物がバラバラに切り刻まれる。
アンは少しだけ歯噛みした。
リリアナたちは魔物を倒すことだけでなく、移動手段まで考えていた。アンはそこまで考えていなかったのだ。使い魔を召喚し、自身の周囲を探らせながら、点数の高い魔物を的確に狙っていくことしか考えていなかった。
(あんな、家柄だけの女に負けるわけにはいかない……)
アンはメインスも置き去りにする勢いで走り出す。火と雷の魔術で、肉体を活性させ、一気に加速する。
メインスはその加速に悠々とついてくる。魔術を使っている様子はない。
(こいつは……、いったい何なの? 本当に魔術士?)
疑問に思うが、今は試験に集中することにした。
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