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怪人

 ◆


 ロバルトを無人の地下貯水槽へと引き摺り込むことに成功し、そのときにルナは(パス)を繋いだ。

 それは物理的なものではなく、心の繋がりである。

 怪人ファントムとの戦いは、殺してしまえば負けになる。彼らは操られただけの被害者であり、敵ではない。

 ただ、これは改心させるのではない。支配を奪い取るものだ。それにはもちろんリスクがトモナう。心が繋がっているとき、ルナの心も支配の危険に晒される。

 ルナはロバルトの心に付けられた首輪に手を伸ばしたとき、伸びたクサリの先にある。強大で、どす黒くて、それでいて空っぽなウツろを感じた。


(誰? そこにいるのは)


 暗い部屋。汚物の臭いと腐臭の漂う狭い部屋だ。どこかのアパートの一室。

 その床にウズクマる小さな影。その影にルナは触れようとした。そのとき、その真っ黒な影がウゴメき、顔を上げたように見えた。

 影の中に、影がある。いや、暗闇がある。瞳と思われる場所には、さらに暗い闇が渦巻き、ルナを見つめていた。その影が笑ったような気がした。不気味な笑顔。感情のない笑い声。

 吐きそうなほどのオゾマましい気配に、ルナは動きを止める。

 これは救うべきものじゃない。救えるようなものではない。邪悪。いや、悪という形容も生温いほどの圧倒的な仇敵ヴィラン


「ロバルトは返してもらう……。消えなさい!」


 ルナが叫ぶと、そこにある全ての情景が、解けて風に飛ばされていく。暗闇は楽しそうに、それでいて何も感じていないように、大笑いをして消えていく。

 あっさりと消え去ったことに、ルナは拍子抜けした。もっと派手に抵抗をされ、ルナ自身も危険な状態になると思っていたのだ。

 暗闇がいた場所には、ロバルトへと繋がる鎖だけが残り、ルナはそれを手に取った。それを辿ると、ロバルトに刺さった黒いトゲに行きつく。


 ◆


 ルナはナイフでロバルトの右手の中指を、指輪ごと切り落とした。指輪は肉体に癒着しており、骨と一体化していた。切り落とす以外に方法はなかった。

 ただ、これでロバルトを操る、魔術的・物理的な支配は解かれるはずである。


「ロバルト! 目を覚まして!」


 支配の魔術は解けた。だが、ロバルトの攻撃は治まるどころか激しさを増す。


「ロバルト⁉」


 呼びかけが聞こえているようには見えない。

 ロバルトの首輪(・・)に繋がっている鎖。魔術的な繋がりをルナは手にしている。


「お願い、ロバルト! 正気に戻って!」


 この繋がりを使えば、ロバルトの行動は操作できる。しかし、それをしてしまえば今度こそ終わりになる予感がルナにはあった。二度とロバルトは正気に戻らず、ルナの操り人形になるか、自滅するだけだ。

 ロバルトの中に魔力が溜まっていく。前に街中で見せた魔術だ。溜めた雷撃を一気に放出する、捨て身の魔術だ。ルナの防御では防げるかわからない。


(壁を……、いえ、とにかく距離を取るしかない!)


 ルナは水面を大きく盛り上げて壁にしようとする。同時に後ろに下がり、距離を取ろうとした。その迷いが、刹那の判断を鈍らせた。思った以上に消耗していたルナは、自分の魔術で生み出した水面の傾斜に足を取られ、体勢を崩してしまう。


「ヤバ……」


 目の前が真っ白になり、死を覚悟する。

 なぜか最後に思い浮かべたのは、オルシアの決意に溢れた顔だった。


(あんなにいじめてくる相手を救おうとするなんて、物好きだ……)


 悪いことをしてしまった。有無を言わさず、昏倒させるなんて。人のすることではない。


(謝ろう。リリアナにも、アル先生にも……)


「「生きていれば」」


 その思いがロバルトとのパスを通じて、同調した。

 ロバルトは最後の意識を振り絞り、攻撃の軌道を真下に逸らす。

 爆発。

 熱による水蒸気。分解された水分。ロバルトの燃える肉体。

 地底湖に広がる凄まじい衝撃が、辺りを飲み込んだ。


 ◆


 津波と化した水を、兵士たちはひと固まりになって凌いだ。

 ロートベットの防御魔術は、数百人を包むほどの大きさであり、その芸術的なまでの魔術に、同行していた魔術士たちは口を開けて彼女を眺めた。

 ロートベットの本懐は、『守護』だ。まさに衛兵隊長の名に恥じない防御力こそ、彼女を彼女足らしめている。さらにここに治癒魔術まで加わるのだから、彼女を突破しない限り、この街を陥落させることは難しい。

 ただ、地味でなのだ。

 アルフォンスに比べて、彼女が七魔剣に選ばれていない理由はそこにある。どうしても攻撃を主体とする魔術より、防御魔術は過小評価されてしまうのは、狩る(・・)ことを主体にした現代魔術の限界だ。

 打ち寄せる波が静まり、水面が落ち着いた。霧のような水蒸気と、天井から滴る水滴に視界は悪い。


「……負傷者はいる⁉」


「いません。隊長」


「良し。全員、確保に移る。魔術士は水中を探索。まだ波が荒い。注意して」


「了解!」


 衛兵たちは散らばりながら、船着き場から水面に降りていく。まだ、先ほどの衝撃から水面は回復していなかったが、それも徐々に治まっていく。

 イデルは天井が崩落するのではないかと思いながらも、急いで爆心地に向かう。霧が晴れてくると、規則的に並んだ天井の明かりが見え始め、崩壊の様子もない。


(丈夫な場所だ。魔術士ってのは、とんでもないな)


 イデルもこの街の衛兵として魔術に接せることは多いが、こんな大規模な魔術は初めてであるし、この貯水槽に入るのも初めてのことであった。自分の住む街の下に、これほど大きな水溜まりがあるとは思っても見なかった。

 前を行く同僚たちが足を止めた。イデルも歩調を合わせて止まると、彼らがなぜ止まったのか理解した。

 貯水槽の丁度真ん中の辺り、霧が晴れて見えてきたのは、水面に浮かぶ大樹である。

 横方向に枝葉を伸ばしたその木は、水中に根を伸ばしているが、先の方は湖底まで届いているわけではない。本当にそこに浮かんでいるのだ。

 どういう理屈かわからないが、その木は水面に直立しており、太いミキと枝は、ここが光の届かない地下だと思えないほど立派なものである。

 水にそんなものが揺蕩タユタっているのだ。魔術による仕業にしても、奇妙な光景である。

 その大樹の幹に抱かれるように、ロバルトは眠っている。遊び疲れて木陰で休む少年のように。

 無傷に見える。ただ、その右手の中指は欠けており、血は止まっているが骨と肉が見えていた。

 コルブレルが杖を飛ばし、周囲の様子を探った。


「罠ではないようですが、さて……」


 ロートベットが前に進み出る。大樹の下に来ると、無防備に眠るロバルトの額に手を置いた。


「生きている……」


 安堵の空気が流れるのも束の間、ロートベットはロバルトに手枷を付けた。魔術を封じる手枷だ。


「衛兵隊長、これを」


 イデルが木の枝を指差す。そこにはロバルトの中指と思われる指が生えていた。枝に指が生えている(・・・・・・・・・)のだ。その指には黒い宝石を付けた指輪が填められており、不気味な光を放っている。


「それが今回の騒動の原因かもしれませんな」


 イデルが指輪に手を伸ばそうとした。


「触るな!」


 ロートベットが叫ぶ。イデルは驚いて手を引いた。


「少年を運べ。その指輪は魔術士に任す。二隊を護衛に残す。コルブレル殿はここに残って指揮をお願いします」


「了解しました。ロートベット隊長はどうなされますか」


「私は病院に行き、ロバルト少年の検査と治療を行います」


 ロートベットの言葉にコルブレルが頷くと、衛兵たちは行動を開始した。

 魔術士たちが水中から大樹を取り囲み、何かの呪文を唱えるのを背中越しに感じる。イデルは少年を持ち上げると、ロートベットに従ってその場を後にした。

 状況は全く理解できないが、今はその疑問に答えられそうな人物はいない。

 周辺の様子を衛兵たちが探るが、大樹以外に変わったものは見つからなかった。魔術によって周辺を探知したコルブレルは、ついに緑のドレスの姿を探し当てることはできなかった。


(無事であると良いが……)


 あれほどの戦いをして、無傷でいられるとは思えない。とにかく感謝するしかなかった。


 ◆


 ルナは病室に入る。人目を避け、目くらましの術まで使っていた。術の使い過ぎで全身がダルいが、この機会しかない。

 この世界の病院はルナのイメージする病院とは様子が違うが、深夜の暗く長い廊下は想像通りの不気味さがある。

 何とか病室を探し出して、人気ヒトケがないことを確認し、静かに中に入り込む。

 部屋の真ん中にはベッドがあり、その四方に台座に乗せられた大きな輝石が鎮座している。床に描かれた魔法陣を踏んで消さないように慎重にベッドに近付いた。

 ベッドにはダウリが苦しそうに眠っていた。輝石から発せられた魔力が、彼女の体を取り囲み、外界との接触を禁止している。

 ルナは結界に触れた。指先に物理的な感触があり、ダウリに触れることはできない。


(この結界を壊したら、人が飛んでくるな……)


 空気だけは通す。そのことを理解したルナは体を魔力で覆い、空気に擬態する。それで結界を通り抜けて、ダウリの額に触れた。

 触れられた刺激に、ダウリはゆっくりと目を覚ました。


「ルナ……。どうしたの? ここ、どこ?」


 ダウリが体を起こそうとするので、ルナは止めた。ルナの認識阻害魔術が効いていない。ダウリはほとんど無意識で話しているだけだ。寝惚けている、あるいは夢遊病のような状態だ。記憶には残らないだろう。


「病院です。街で襲われて、ダウリさん、危険な状態になってたんですよ」


「そっか……。喧嘩なんて慣れないことするもんじゃないね……。魔術士資格取って、調子に乗っちゃったかな」


 魔術士は学園を卒業しなくとも資格を得ることは可能だ。ただ、それには魔術協会による別途の試験と、その資格を維持するための実績と資金が必要である。だから、大抵の魔術士見習いは、卒業試験によって魔術士資格を得る。

 ダウリは卒業後の事業のために既に研究成果を協会に公表しており、ヴァヴェル学園の卒業試験は、ただの形式的な儀式でしかなかった。そして、既に卒業できる者をいつまでも在籍させておくほど学園も甘くはなく、さっさと卒業させるために旅に出ていたダウリを呼び寄せたのである。

 ルナはロバルトから抜き取った生命イノチをダウリに返す。

 色が悪く、やつれた頬に紅が差し、ダウリの呼吸が落ち着く。


「ありがとう……。治癒魔術?」


 ダウリから漏出する生命力が留まり、ダウリの中に定着するのを見取る。ルナはダウリの乱れた髪をやさしく整えた。


「ごめんなさい。ダウリさん。私、戻らなくちゃ。また、学園で会いましょう」


「うん。わかった。……ほらね。ナイフ、役に立ったでしょう?」


 ダウリが眠たそうな瞳で、腰に差したナイフを見た。確かにダウリに貰ったナイフを使って、ロバルトの指を切り落としたが、そのことをダウリは知らないはずである。ルナが困惑していると、ダウリはまた眠たそうに言う。


「先行投資だよ……。先行とうし……」


 ダウリは眠りに就いた。もうこれで安全なはずだ。

 ルナは静かにその場を離れると、寮への帰り道を急いだ。


 ◆


 捜索が終わった第二階層を、ラルバは背中をつつかれながら先に進んだ。文字通り、つつかれている。メディコニアンはどうやったのか、姿を完全にクラましているが、その気配だけは感じ取れた。

 凄まじい振動が下階から伝わってくる。ホコリが舞い落ちてくるたびに、地下街が崩れるのではないかと心配になる。


「言っておくが、まだ使えるかどうか、本当にわからんぞ」


「黙って案内しろ。少しでもおかしな行動をしたら、息子の命はないと思え」


 虚空から小声が返ってくる。ラルバは大人しくその声に従った。

 第二層の端、ほとんど人が訪れない場所だ。なぜならば、のっぺりとした外壁の内側があり、暗い回廊が延々と続くのみで、無料で使える明かりすらないからである。

 ラルバはその近くにある床を探った。暗闇の中、小さなランタンの明かりでは心許ココロモトない。


「さっさとせんか」


「十年以上ここを訪れていないのだ。この明かりでは探すものも探せん!」


「随分と落ち着いておるな。息子の命が懸かっているというのに」


「……事実を話しているだけだ」


 ラルバは床に這いつくばり、床のレンガをひとつひとつ確認していく。しばらくそうしていると、体を起こした。


「これだ。このヒビ割れが目印だ」


 メディコニアンの気配が近くに来た。


「開けろ」


「本当に開けていいのか。衛兵たちがわざと残した、警報付きの罠かも知れんぞ」


「……開けろ」


「……」


 ラルバは指示に従い、奇妙な罅割れのあるレンガに指を置き、合言葉を唱える。


「我ら黒猫は、パンを分ける。夜に銀貨を、月にササぐ」


 唱え終えるとラルバは立ち上がり、後ろに下がった。微振動すら起きず、静かにゆっくりと外壁に左右に別れ、大きな穴がそこに生み出される。

 穴から強い風が吹き込み、ラルバは手をカザして目を守った。

 表層から見れば第二層は地下だが、その穴は地表からかなり高い位置にある。下を見ると、壁内に入りきらなかった者が住む門前街が広がっている。


「昔とは違う。このルートで密輸はできんぞ」


 ラルバが言うと、メディコニアンが魔術を解き、姿を現す。


「構わんさ。なるほど、ここには確かに感知結界がない。これであれば……」


 メディコニアンが祈るような仕草をする。その表情には恍惚コウコツとした微笑みが浮かぶ。


「ああ。ご主人さま。わしは成し遂げましたぞ。御出でくださいませ」


 ラルバは後退りする。いったい何が現れるかわかったものではない。だが、メディコニアンの願いとは裏腹に、外から入ってくる者は現れなかった。


「ご主人さま……? どうして……」


 外壁に開いた穴から、虚しく風だけが通り過ぎる。しばらくすると、壁は自動で閉じていき、メディコニアンは呆然とそれを見送った。


「な、なぜだ⁉ どうして……。おい、もう一度、開けろ!」


 ラルバは冷めた目線をメディコニアンに向けた。


「無理だ。知っているだろう。道は十日に一度しか開かない。次に開けられるのは、十日後だ」


 メディコニアンが節くれ立った手でラルバの胸ぐらを掴む。


「ふざけるな! そんな話を……」


 メディコニアンが杖を突き出して、ラルバを脅そうとする。しかし、その手がなかった(・・・・・・)


「ひ……、ギャ!」


 腕から血を吹き出し、メディコニアンは激痛に床を転がった。ラルバは血を浴びないように後ろに跳んで下がる。


「ここまでのようですね。残念です」


 その声にメディコニアンは顔を上げた。暗闇から伸びる銀の線。現れたのは軍服を着た長髪の男であった。


「処刑人……フォルスター……」


 メディコニアンは力を振り絞って立ち上がると、男に向き合う。自分の腕を切り落としたのは、この男であると理解した。

 アルフォンスは軽薄な笑みを浮かべながら、ラルバを背後にカバう。


「まさか……、街の有力者に、あの数の護衛しかつけないと思っていたのですか」


 メディコニアンはようやく自分が泳がされていたことに気が付く。ラルバの落ち着きようから、アルフォンスが張り付いていることを承知していたことも悟った。


タバカったか……」


「悪を根絶することを謀ると言うのであれば、そうなのでしょうね。残念ながら、あなたの主人は現れなかったようですが」


 アルフォンスはメディコニアンの狙いを見定め、その計画を防ぐためにラルバを囮にしていたのだ。


「無駄な手間は省きましょう。降伏してください。そして、あなたの魔道具と、主人について話していただければ、痛い目を見なくて済みますよ」


 メディコニアンは腕の傷口を魔術で焼灼し、止血した。辺りに血肉の焼ける嫌な臭いが充満する。


「黙れ! 貴様らに話すことなど何もない! 死……」


 叫ぼうとしたが、メディコニアンの口は動かなくなった。それだけではない。指一本、眼球ですら、言うことを聞かなくなる。

 ようやく自分の状況をメディコニアンは理解した。

 体中に目に見えないほど細い糸が巻き付いている。それが全身に巻き付くだけでなく、全身の穴という穴に入り込み、筋肉の動きを阻害しているのだ。そして、思考が乱され、自害用の魔術も発動できなかった。


「どうして、僕が『処刑人』と呼ばれているかご存じないのですか?」


 アルフォンスはゆっくりとメディコニアンに近付いた。


「魔術士を殺す魔術士。それがその二つ名の由来です。仲間殺しとまで揶揄ヤユされることもありますが……。ふむ、あなたは死ななくて済みそうです。これから、ゆっくりとご主人さま(・・・・・)については語っていただきましょう」


 メディコニアンは声にならない声を上げた。


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