包囲
◆
「くそ、くそ……、クソォ! どうしてこんな、こんなことに……」
ロバルトは下水の嫌な臭いの漂う地下通路を、地団駄を踏みながらウロウロと歩き回っていた。
「まあ、落ち着いてくださいよ、ロバルト。作戦は上手くいっています。あなたが暴れてくれたおかげですよ」
ロバルトはメインスの胸ぐらを掴む。そしてその顔面を思いっきり殴りつける。増幅された膂力が、メインスの顔面を砕き、嫌な音を立てて歪んだ。
普通の人間であれば死んでしまうような陥没であるが、メインスは立ったまま、気にせずに話し続ける。
「やめてくださいよ。すぐに治ると言っても、痛みはあるんですから」
「そう怒ることもあるまい。お前さんの望みは叶ってではないか。人々に己の力を見せつけられたのだからな」
通路の先の暗闇から、この指輪をロバルトに渡した老人メディコニアンだ。
ロバルトは彼の姿を見つけると、殴りかかろうと駆け出す。メディコニアンが手を翳す。するとロバルトの鼻先から首にかけて大きな亀裂が走り、彼は激痛に襲われ、床の上で奇妙なダンスを披露する。
「強情な奴だ」
「すごいですよ、ロバルトさん! 僕なんて最初の十分で音を上げたのに。アハハハハ!」
そう言ったメインスの目は、どこか焦点が合っていない。
(こいつ……。こいつもこの指輪で操られて……)
ロバルトの体が再生していき、何事もなかったかのように痛みが引いていく。今のロバルトには死の自由すらない。この隷属の古代魔道具の指輪『黒隷の首輪』を解除するような魔術もない。
ロバルトは悔しさに地面を叩く。
「こんな、こんなはずじゃなかったのに……」
感情が爆発し、子どものような癇癪を起して、ロバルトは街で魔術を使い、多くの人々を傷付けてしまった。
最後に覚えていることは、オルシアの瞳。ロバルトを恐れ、完全なる敵意の目。ロバルトを殺すための、本気の魔術。
「オレは、オレはただ……」
メインスがロバルトの肩に優しく手を置いた。
「ロバルトさん、大丈夫ですよ。あなたはまだ役に立てる! だって、あなたは街の有力者、ソリアーダン家の大事な跡取り息子です。兵士たちも下手にあなたを攻撃できないでしょう」
ロバルトはその言葉に苛立ちを募らせる。
「……黙れ……」
ロバルトの体から霆が迸り、メインスを撃つ。メインスの腕は吹き飛ぶが、彼は気にしなかった。
「アハハ、いいですよ、ロバルトさん! その調子です。暴れて暴れて、暴れてください! 死ぬまで!」
メディコニアンはその様子を見て言う。
「この作戦が上手くいけば、お前たちにも更なる力が与えられるだろう。わしは主をお迎えに上がる」
「承知しましたよ、メディコニアン。ああ、早く我らが主のご尊顔を拝したい……」
メインスは恍惚とした表情で、通路へと消えた。メディコニアンは別の通路へと消え、ロバルトは独り残される。
また、怒りが腹の奥底から熱いものとなって沸き上がり、知らず知らずに獣のような叫び声を上げた。雷の化身となったロバルトを狂気が支配する。
◆
衛兵たちは地下に入るために、軽装鎧に円盾、短剣で武装し、なるべく身軽な装備である。
二十五人の小隊につき、ひとりの魔術士という、戦争でもなかなか見ない豪華な編成である。人狩りにしてはあまりにも豪華だ。それは魔術都市の威信を賭けた戦いだからだ。
約二か月後に行われる、ヴァヴェル学園の公開試験に向け、街の不安要素は掃討するつもりである。そのために市長であるドラウスは、ロバルトの生死は問わずに解決することを命じた。
ロバルトの親であるラルバには、必ず救い出すと伝えていたにも関わらず、だ。
「よろしいのですか」
衛兵隊長であるロートベットは、常駐兵の指揮官であり、ドラウスの右腕である。
「構わん。綺麗事だけでは街は運営できん」
ロートベットは無表情に頷いた。
ドラウスの考えは理解できないことはない。だが、実際に手を下すのは、部下の兵たちである。ロバルトの状態がどういうものなのかわからない状況で、殺してしまえば一生拭えない傷を負う結果になりかねない。
命令を受け取ったロートベットは、防衛に必要な最低限の兵力を地上に残し、衛兵の総力を結集していた。
地下街の人通りは少なく、今のところ騒ぎらしい騒ぎは起こっていない。
「隊長。第三層は既に捜索完了。異常はありません。全部隊の準備整いました。第二層へ突入し、捜索を開始します」
うしろに待機していた隊員が、ロートベットに報告する。
「了解。第二層からが本番。慎重に進めるように、全部隊に……。コルブレル殿、全部隊に伝達してください」
「『第二層に潜んでいる可能性が高い。慎重に歩を進めよ』。そんなところですかな」
「はい。お願いします」
コルブレル・イーブンソードは、現在、ロートベットの補佐官に納まっている。
彼は貴族であるし、エリートである魔物討伐部隊の遊撃部隊のひとりであり、ロートベットなどより高い地位だった。それをかなぐり捨てて、家族を優先した。降格することになったものの、彼の魔術を失うには惜しいというのが、軍の見解だ。
コルブレルが石を宙に浮かべると、その石に語りかける。
「全部隊に告ぐ。対象は第二層に潜んでいる可能性が高い。慎重に歩を進めよ」
石が震え、空気が振動する。
『第一部隊、了解』
『第二部隊、了解』
『第三部隊、りょーかーい』
『キノ、返事は短く端的にしろ!』
『うるさいよ。耳元で叫ぶな!』
コルブレルの浮遊杖による遠隔会話、通信である。
部隊にひとつひとつに持たせたコルブレルの小石のような杖は、周囲の敵を探知するだけでなく、離れた人同士の会話も可能にする。ただし、全ての声を拾ってしまうので、隊長の陰口を叩くことは禁物だ。
「気を引き締めろ。敵はひとりとは限らない」
『『了解』』
通信を終えると、コルブレルはにやりと笑う。
「楽しい方たちですな」
ロートベットはまだコルブレルが部下にいることに慣れていなかった。
彼は経験豊富な魔術士だが、残念ながら戦闘はたいして期待できない。攻撃魔術の専門家ではないのだ。それでも大抵の魔術士よりは強いと、同じ魔術士としてロートベットは感じている。ただ本人から「戦闘力は期待しないでくれ」と言われてしまった。
「……申し訳ない。我々も進みましょう」
この街ミルデヴァは、複数の層から成り立っている。
表層にある大きな市街地は、この街の住人の多くが住む中核である。しかし、その住人たちの生活を支えているのは、地下にある巨大な設備だ。
下から第一層と呼び、表層の下にある地下街は、第三層である。
第三層と第二層は地下と言っても、平原よりは高い位置にある。
昔にあった都市の上を覆うように、現在の表層は建てられている。第三層は昔の街の構造をそのまま受け継ぎ、住宅街ではあるが遺跡のような雰囲気がある。
日が当たらず、通常の生活を送るには不便であるが、その代わり家賃が安く、小さな店や貧しい家庭がひしめいている。規模は表層にある街ほどではないが、小さな店が乱立する場所は独特の雰囲気があり、好んで訪れる者も多かった。
第二層には、この街の心臓部とも言える、魔動揚水機が備えられている。
強力な魔術が施された装置は、地下水の流れから魔力を得て、上層へ清潔な水を運ぶことができる。半永久的に稼働すると言われているこれは、とても巨大な装置で、第二層のほとんどはこの機械の一部である。
この場所はメンテナンス用の通路と、使われなくなった昔の通路があり、ほとんど人は立ち入らない。
ここに入る人間は、巡回の衛兵か、ポンプの整備に来た魔術士くらいのものだ。その人気のない場所を好んで訪れるのは、浮浪者、犯罪者や逃亡者、脛に疵持つ者たちだ。
最後の第一層には、だだっ広い整備された水路と貯水槽があるのみで、隠れられる場所は少ない上、完全に地中にあるため、逃げ道はない。
ロバルトは表層の地面を打ち破り、地下街に逃げた。そこからの足取りはわかっていないが、彼が外に逃げた形跡も確認できなかった。そのため、第二層に潜伏している可能性がもっとも高い。
「コルブレル殿はこの件はどう見ているのですか」
「どう、とは?」
「魔王軍についてです。市長はもう隠すことはやめたようです」
「なるほど。それでは市民に混乱が広がるかも知れませんな。まぁ、公開試験まで隠しておくことなど危険なことかもしれませんが……。ゴホン。今回の件は魔王とは関係がないのでは?」
「しかし……、あなたのお嬢さまも今回の事件に巻き込まれています」
「確かに。ですが、やり方が違います。魔王軍はオルシアを無傷で確保しようとしていました。聞いた話では今回は、友人ともども危機的状況だったとのことではないですか。今更、後始末に来たとも考え難い。私はむしろ、ソリアーダン家を狙った、誘拐事事件だと愚考しております」
「誘拐? そう言えば、ロバルト少年は誰かに操られていたとの話がありましたが……。人質にこんな騒ぎを起こさせるなど、危険では」
「確かに理解はできませんな。しかし時期を考えると、効果的かも知れません。ベルキオン市長がロバルトの生死を問わない命令を下すことは、相手は織り込み済みでしょう」
「相手? それはつまりラルバ・ソリアーダンが狙いだと……」
そのとき、コルブレルの石が振動し、部下の声を真似る。
「第三部隊! 魔術による攻撃を受けました! これより交戦状態に入ります!」
「交戦? 待て、相手は……」
ロートベットが問うが、その声は雑音に掻き消される。雷鳴のような振動が、小石から発せられる。
「早すぎる。どうやら、あちらから出て来てくれたようですな」
「第一部隊の位置に、全隊を集合。決して逃すな」
◆
暗くなった部屋に明かりは点いておらず、オルシアはルナが本当に寝てしまったのだと思った。
「ルナちゃん、ご飯、ここに置いとくね」
起こさないように囁く。ルナの反応はない。窓が少し開いているのに気が付いて、オルシアはなるべく静かに窓を閉める。
(窓、開けたのかな? 外は寒いのに……)
もう夏になるが、夜になると肌寒い場所である。二階にあるこの部屋は、風が吹き抜けることも多く、昼間でもあまり窓は開けない。
嫌な予感がして、オルシアは明かりを点けて、ルナのベッドに近付いた。ベッドは膨らんでいるが、丸過ぎる。オルシアは慎重に布団をめくると、その下にはルナの体ではなく、毛布しかなかった。
「……」
オルシアは思考停止し、それをじっと眺める。
「オルシア。アタシ、リリアナの様子を見てく……。何? また、人の寝顔を見てるの?」
イルヴァが部屋の入り口から声をかけてくる。オルシアは慌てて布団を戻すと、振り返る。
「うん。リリアナちゃんに、元気になったら部屋に遊びに来てって伝えてください」
「わかった。図書室で本を借りてくるけど、何かリクエストある?」
「う、ううん。あ、できれば第三学位で習う範囲のを……」
「わかったよ」
イルヴァが出て行くと、オルシアは急いで窓を開けた。暗闇の中に人影は見えない。
(ルナちゃん……⁉)
オルシアは何も考えずに窓から飛ぶ。風を舞い起こして、静かに舞い降りると、校門を目指した。今から追いかけても間に合わないかもしれない。それにオルシアも謹慎中で、寮から出ることを許されていない。
校門へ行く途中、生徒たちが正面から歩いて来たので、木陰に隠れる。彼らが談笑しながら寮に戻るのを見送ると、木陰の奥の外壁沿いに、誰かがいるのが見えた。
◆
ルナが塀を乗り越えようとすると、草が絡みつき、その足を止めた。
「リリアナ。良くここがわかったね」
ルナが振り返えると、リリアナは部屋着姿で立っていた。
「街に向かうなら、門ではなく、人気がない場所から出ると思いましたから。ルナの寮からは、ここが一番近いですわ」
リリアナは少し疲れた顔をしている。ルナにはわかる。リリアナはこの辺り一帯の植物を支配の魔術で操作して、ルナが外に出ないように見張っていたのだ。そんなことをすれば、効率の良い支配魔術でも疲れ切ってしまう。
ルナが足を踏みしめると、魔力が解放され、リリアナの支配が解ける。リリアナはその威力に一瞬、肩を竦める。
ルナは何も言わず、塀の方へ向かおうとする。
「お待ちなさい! 行かせるわけにはいきません!」
ルナは溜息をつき、足を止める。
「リリアナ。あなたには関係ない。放っておいて」
「……関係ないですって? 本当にそう思っているならば、あなたは大馬鹿者です。あなたの行動によって、同室のオルシアは連帯責任を免れませんわ。それにあなた自身、ここで学園の外に出るようなことがあれば、退学か投獄されることになります。
それをわたくしに関係がない? あなたがそう思っても、わたくしはそうは思いません。
それに今からあなたが向かってどうなりますの? あなたは魔術士見習いでしかありません。衛兵だらけの街に行って、魔術を使うおつもりですか。ダウリお姉さまのことが気になるお気持ちはわかります。しかし今は、大人たちにお任せするべきです。わたくしたちが向かっても、足手纏いになるだけですわ」
リリアナはなるべく落ち着いた声で話すように心掛けているようである。しかし、少し震えたり、上擦ったりして、動揺が見て取れた。ルナはその様子を笑った。
「な、何が可笑しいんですの⁉」
リリアナは顔を紅潮させて怒る。だが、ルナは馬鹿にしたのではない。嬉しかったのだ。
「ありがとう、リリアナ。あなたと友達になれて良かった」
リリアナはさらに顔を赤くするが、今度は怒っているわけではなさそうだ。
「な、そ、そんなことを言っても、説得などされません!」
そうして向かい合っていると、静かな風が吹いて、二人は振り向く。そこにはオルシアが立っており、リリアナはさらに顔を歪めた。
「オルシアさん。あなたまで……」
「ルナちゃん。ロバルト君を助けに行くんだね」
その言葉にリリアナが眉を顰める。
「衛兵たちが市民であるロバルトの命を奪うとでも? 彼は操られています。そんなことは……」
「リリアナちゃん。ロバルト君の魔術を見たでしょ。あれは生け捕りにできるようなものじゃない。これ以上の被害が出るよりも先に、止める必要がある。それが例え無実の市民でも、為政者である貴族はそうする」
オルシアが断言すると、リリアナは口を引き締めた。リリアナも貴族であり、そのやり方は知っている。より小さい犠牲で済むのであれば、それを選択することもある。
二人のやり取りを聞いていたルナが、首を振った。
「それだけじゃない。ダウリを助けるには、ロバルトを生きて取り返す必要がある。お願い、二人とも。見なかったことにして寮に戻って。私のことは忘れて。私は誰にも傷付いてほしくないだけなの」
「そ、そんなの、わたくしだって、誰にも傷付いてほしくない! でも、わたくしたちにはどうしようもできません! あなたこそ、寮に戻るべき人でしょう!」
リリアナがなるべく声を抑えて言うが、それでもその叫びは悲痛だった。
オルシアが一歩前に出て、静かに口を開く。
「ルナちゃん。私も行くよ。私も手伝う」
「な、何を言っていますの、オルシア⁉ あなたも謹慎中の身ですのよ。見つかればどうなるか……」
「……」
ルナは徐にオルシアに近付き、その体を抱きしめた。甘い香りにオルシアは心地良さを感じた。
「ルナちゃ……」
「ありがとう、オリィ。あなたとも友達になれて良かった」
ルナの言葉を最後まで聞く前に、オルシアの体からは力が失われ、地面へとへたり込んでしまう。
「ルナ! あなた、何を……」
リリアナが魔術を警戒して構える。
「ただ眠らせただけ。オリィは頑固だから。勝手に追いかけて来ちゃうでしょ?」
ルナはオルシアを静かに芝の上に寝かせると、リリアナを見る。
「オリィをお願い。寮の窓は空いているから、そこからバレないようにベッドに戻しておいて」
「そんなの卑怯ですわ……。そんなやり方……」
「リリアナ。これは私の使命なの。私のせいでこうなっているんだと思う。だから、私が解決する。……お願い」
ルナは立ち上がると振り返る。リリアナは止められないことを悟った。
「ルナ・ヴェルデ。……もし、誰かに見つかって騒ぎが大きくなったら、あなたはこの学園に戻ってこなず、そのまま街を出てくださいませ。もし、戻って来たら、わたくしは容赦なくあなたを捕えます」
リリアナが泣きそうな声で、厳しい言葉を紡ぐ。
戻ってきたら捕まる。リリアナはそれを案じたのだ。その真心に感謝し、ルナは振り向かずに言った。
「ありがとう。私の友達」
足元の地面が盛り上がり、ルナの体を宙へと舞い上がらせる。
空中に飛び出し、街の上空を駆けながら、ルナは変身した。




