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運命の出会い

 ◆


  翡翠ヒスイが住んでいた場所の近くにあった村は、住人たちは誰もいなくなっていた。

 遠くからその様子を伺っただけで、翡翠はそこには寄らない。おそらくは魔王軍が見張っているはずだ。

 近頃、治療に訪れる人がいなかったのは、魔王軍による侵攻の影響があるようだ。

 人里離れた場所を移動しても、翡翠は気にならない。

 六年もの間に磨いたサバイバル技術と、魔物に対する知識があれば、何の問題もなかった。ただ、銀がいないことだけが寂しかった。

 魔法学園があるルトロネルの国は、はるか離れた場所にある。

 はるか(・・・)と言っても、歩いて辿り着けない場所ではない。ただ、大きな山脈を越え、大河を渡り、広大な砂漠を横切って、大森林で少し迷い、凶悪な魔物の脇をなんとか抜けるだけだ。


(ルーちゃんから貰ったこの魔法の服。派手で最初は嫌だったけど、とっても便利だな。再召喚すれば汚れは落ちてるし、丈夫だし。普段着には絶対にできないけど)


 最初は恥ずかしがっていたのも、今は良い思い出である。

 翡翠は魔法使いに変身したまま、旅をした。

 緑色で可愛らしい服なのだが、派手な装飾とミニスカートは、翡翠は着慣れしていなかった。今は人目がないから、この服でも問題ない。

 この服は肌が露出している部分があるが、その部分も魔法の力で保護される(顔や髪の毛一本まで保護される)ため、虫に食われることはないし、葉っぱで肌を切ることもない。寒さには弱いが、そこは仕方がないところだ。

 そして、この服を着ていると、顔を見られても記憶に残らない。監視カメラやスマフォのカメラにも、顔も声も映像として残らないという、おまけ機能付きだ。だから、魔法を使うときは、必ずこの服を着るようにしていた。

 魔王軍との戦いのとき、この服を着ていたことは良かったかもしれない。少なくとも顔は知られなかったはずだ。


「この世界では、いらない機能だと思ってたけど……。これからも必要になることがあるかも知れない」


 それにこの魔法の服の一番良いところは、召喚する前に着ていた元の服に戻ったときに、元の服の汚れも落ち、ほつれや破れも修復されていることだ。おかげでこの六年間、服を買ったのは一度きりで、元の世界で着ていた服と、魔法の服、そしてこの世界の普段着の三着だけで暮らすことができた。


(着ていたのがこの世界の服で良かった。街に行くのに、元の世界の服じゃ目立ち過ぎるし……)


 元の世界の服を失くしてしまったのは痛いが、特に愛着があるわけでもない。


「これで私の持ってる元いた世界の物は、この鍵だけかぁ……」


 祖母の持っていた鍵。翡翠の運命を変えた鍵だ。祖母と同じように、首から下げた紐に鍵を取り付け、常に持ち歩いた。祖母といつも一緒にいられる気がするからである。

 神獣ルパノクトの入っていた仕掛け木箱の、最後のピースである鍵だ。この鍵を木箱に差し込んだとき、翡翠は魔法の力を得ることになった。

 そのときから、翡翠は月の使徒という魔法使いになったのか。それとも、生まれたときからそう言う運命だったのかはわからない。


「へへへ……。もし、そういう運命だったのに、使命に失敗してここにいるなんて、酷い運命だよね……」


 翡翠は自嘲ジチョウし、月の女神を罵りたくなったが、自重ジチョウした。そういうのはレッドムーンの役目だ。

 街が見えて来る。

 ルトロネルはとても発展した国であった。

 魔法の研究が盛んで、街には様々な魔法の品や、魔法生物たちが闊歩カッポしていた。その国の辺境に当たる部分に、その都市はあった。

 ルトロネル東部の巨大な平原の都市は、霧に覆われることがしばしばある。その霧が晴れ、翡翠の目に荘厳な姿を見せた。

 学園都市ミルデヴァ。

 山に囲まれた平原の真ん中に大きな河が流れ、その河の流れを遮るように、街はあった。

 周囲にはみ出すように広がる街。水を張った堀と水路が街の物流を担い、大きな中央通りが真円を描く巨大な城壁の街を貫いている。その中央には、何階建てかもわからないような巨大な城があり、平原全体を見渡している。


「おっきい……」


 その街の平野を見下ろせる山の頂から、翡翠は感嘆の声を上げた。今からあそこに行くのだ。気合を入れておかねばならない。

 変身を解除して、平原を突っ切る大きな街道のひとつに合流した。行きかう人々は多く、その中に紛れ込む。幸いにも翡翠の普段着の革のドレスは、この辺りの地域でもそこまでおかしな衣装ではないようである。

 それでも街で暮らすには、少し不便な衣服だ。服を買うには金がいる。


「喫緊の問題は、やっぱりお金だよね……」


 お金。ゼニ貨幣カヘイ。通貨。金銭。予算。財源。マネーマネーマネー。

 異世界に来ても、結局、人の営みには欠かせない。


「それに学園って言うくらいだから、入学金は必要だろうし……。奨学金制度でもないかな」


 ないだろうな、とは思いながらも、一縷の希望に縋る。とりあえず学校まで行って、後のことは後で考えることにする。

 魔王軍の魔の手がどこまで迫っているかわからないが、人類には時間がないはずだ。迷っている時間はないと思った方が良い。

 城壁の外に広がる街は、スラムと言うほど乱雑ではないが、充分に区画整備が行われていないようである。おそらくは街の中央部に住めなかった住人が、勝手に家を建てて暮らし始めたのが、ここまで大きくなったのだろう。

 細々とした物を売っている露店に、ショーウィンドウのある立派な店、呼び込みをしている怪しげな店に、開放的な食事処など、活気が溢れている。

 行きかう人々の流れに飲まれると、翡翠はクラクラと眩暈に襲われる。六年も人里離れた場所で暮らした弊害ヘイガイだ。元の世界でもあまり人混みは好きではなかったが、この世界に来てさらにそれが酷くなった。


「うっ……、気持ぢわる」


 自身に治癒チユ魔法を施し、多少の酔いを醒ます。

 比較的人通りの少ない通りを見つけ、そこに入り込んで壁にもたれる。この辺りの建物はあまり背が高くないので、見上げると城壁を望むことができた。

 その様子を見つめる人影には気が付かなかった。


「高い……」


 遠くから見ても異常であったが、近くまで来ると異様である。高さは五十メートル以上、継ぎ目すらなく、威圧的な赤色の石の壁だ。


「これ……、ここにあった大岩を削り出して造ったのかな。でも、地面や他の建物に、同じ材質の岩石は見当たらないし……」


 翡翠はひと目見て、岩石の組成を感じ取ることができた。大地の力を操る魔法の力の副次的な効果である。

 魔法だ。

 魔法の力でこの街は造られたのだ。他の街でも魔法で造られた場所は多々あったが、これほど大規模な建物は見たことがない。さすが、魔法学園がある都市と言ったところだ。


(これだけの魔法を使える人物がいる。魔王に対抗できる人物? いえ、この街自体が魔王の手に既に落ちている可能性も考えておこう)


 魔王がどれだけの魔法を使えるかわからないが、ゴブリンが強力な魔法を使えるようになるほど、魔王軍に魔法は浸透している。その頂点の魔王ならば、この外壁を造る程度は可能だと考えておく。

 翡翠は気合を入れ直し、外壁門を目指そうとした。だが、聞き慣れた音を聞いて、足を止めた。


(嫌な音がしたな……)


 家屋の影に身を潜めながら、細い路地の様子を伺う。


「チッ……。ちょっと魔術ができるからって、調子に乗りやがって……!」


 また鈍い音がして、小さな影が地面に転がった。

 何人かの明らかに堅気に見えない男たちが、二人の子どもたちを囲んでいる。そして、二人のうちの少年が、ひとりの大男に拳で殴りつけられた。

 翡翠は思わず飛び出しそうになるが、グッと堪えた。後先考えず、この街の事情に口を出すのは危険だ。


「いいか。魔術士ってのはな、俺たちみたいな英雄の影に隠れて、言うことを聞いていればいいんだよ! 妹と一緒に飯を食わしてやってるだけ、ありがたいと思いやがれ!」


 大男が叫ぶが、襟首を掴まれ持ち上げられた少年は、鋭い眼光で睨みつける。その目が輝き、少年の掌に火が灯った。

 彼はそれを大男の腕に押し当てる。大男はその熱さに驚いて手を放した。だが、大男の腕は少し赤くなった程度で、火傷と言えるほどの怪我ではない。


「てめぇ!」


 男の子が蹴り上げられ、壁に頭を強かに打ち付ける。男の子の肺から空気が漏れて、酷い音を立てた。


「そうか。いいぜ。お前がそのつもりなら、ここで殺してやる。だが、妹の方は別の使い道があるからな。死ぬより酷い目に合わせてやる」


「やめろ!」


 大男がナイフを引き抜いたとき、翡翠は飛び出してしまった。これ以上、見過ごすことはできない。飛び出してから、変身しておけば良かったと考えたが、後の祭りだ。


「なんだ? 誰だてめぇ」


 大男はナイフを仕舞った。人前で刃物を見せるのは、気が引けたようだ。

 翡翠はこの街の不文律も法律も知らないが、これだけ発展した街で、こんな暴挙が許されるとは思えない。


「衛兵を呼んだ。さっさと逃げないと捕まるよ」


 翡翠は自分が随分と大人になったと感じた。

 前の世界でひとりでいるときに、こんな風に暴漢の前に飛び出すようなことはしなかったはずだ。それになんとか穏便に解決しようとしている。彼らが逃げてくれれば良いが、そんな簡単にはいかないこともわかっている。

 男たちは顔を見合わせ、翡翠を見て品のない笑い声を上げた。


「へぇ、衛兵をねぇ? で、そいつらはいつ来るんだ? 俺たちが何をしたって言うんだ? そんな嘘で俺らがビビるとでも思ってんのか、小娘。それとも、こいつらの代わりに、お前が俺たちの相手をしてくれんのか? それだったら、こいつらを逃がしてやるのもヤブサかじゃないがなぁ」


「……」


 翡翠は飛び出したが、どうするべきか迷った。

 ここで魔術を使うことは構わないが、それがこの街の法律に違反する可能性はある。それにこの子どもたちに人権はなく、衛兵が来ても助けてもらえない可能性さえある。

 だからと言って、このまま放って置くことはできない。とにかく、男を子どもたちから引き離すことが優先だ。


「わかった。私が相手(・・)するから、その子たちを放して」


 大男の後ろにいる暴漢たちが、もうひとりの幼い少女の手を放す。少女は少年に駆け寄り、何も言わずに涙を流した。男たちはもう少年が動けないことをわかっているのだ。


「いいぜ。じゃあ……」


 大男が拳を鳴らして近付いてくる。


(一発くらい殴らせてやるか。それでどこかに連れて行ってもらえれば、人目を気にする必用もなくなる……)


 翡翠はそう考え、無抵抗で待った。誤算だったことは、翡翠の想像以上に、大男の力が強かったことだ。


「う、ぐっ……⁉」


 翡翠の肺から空気が溢れて漏れる。鳩尾に喰らった拳は、翡翠の意識を遠のかせるのに充分な威力であった。胃液を吐き出し、翡翠は地面に倒れ込む。


「へっ、舐めやがって。こいつ、学生か? 魔術でどうにかなるとでも思ってんのか」


 翡翠は人とあまり接触したことがなかった。それは魔法使いにとって致命的な情報の欠如を彼女にモタラシしていた。

 この世界の人間は、身体能力が異様に高いのだ。翡翠のいた世界の名立たるトップアスリートよりはるかに強い者が、一般人にゴロゴロと溢れている。今までは銀が彼らを抑えていたため、翡翠はそのことを重要視していなかった。

 意識が薄れると、魔法を使うことはできない。いつもならば攻撃に当たる前から、治癒魔法を発動することで耐えていたが、今回、翡翠は男を舐めていたために、それをオコタった。

 大男が翡翠の髪を持ち、顔を持ち上げる。


「ふうん。なかなかいい顔じゃねぇか。ちょっと幼いが、それくらいの方が喜ぶ奴もいる。こいつも連れてくぞ」


 大男が仲間たちを振り返る。しかし、彼らは大男の後ろを見つめて、腰の剣に手をかけている。大男も事態に気が付いて、いつでも剣を抜けるようにして立ち上がった。

 大男の後ろに、白衣の男が立っていた。眼鏡をかけ、長身の優男ヤサオトコは、静かに翡翠を見下ろしている。


「なんなんだよ、次から次へと。てめぇも、こうなりてぇのか⁉」


 立っていたのが衛兵でなく、ただの優男なのに安心した大男は、強きに出る。優男が目線を上げ、状況を見た。


「君たち、この街に来て、あまり日が経っていませんね。雇い主は誰ですか」


「は? 雇い主? 何言ってんだこいつ。どうやら、死にてぇようだな」


 大男が剣を抜き放った。優男は手を上げ、降参したようなジェスチャーをした。


「そうですか。ま、帰ってからじっくりお伺いしましょう」


 大男が剣を振り上げた。だが、それ以上動くことができない。口すら動かせず、眼球だけが驚きを示している。

 白衣の優男が手を降ろすと、大男の体が地面に押し付けられる。どこからともなく現れたロープが、その体を固定し、完全に身動きを封じる。


「魔術士……!」


 他の男が叫んだ。だが、そのときには既に三人の男たちの体は動かなくなっており、大男と同じようにロープでグルグル巻きに拘束され、地面に倒れた。


「英雄が呆れた為体テイタラクですね。君、大丈夫ですか」


 優男が翡翠に声をかけ、肩を軽く叩いた。その刺激で少しだけ意識を取り戻した彼女は、魔法を展開し、鳩尾の痛みを取る。意識がハッキリとし、翡翠は体を起こした。

 差し出された優男の手を取らず、翡翠は少年の元に駆け寄る。少女は相変わらず、少年に縋りついているものの、声のひとつも上げない。


「私に看させて。私が治す」


 自分の不甲斐なさに嫌気が差す。油断ばかりだ。

 少女は少しだけ躊躇したが、翡翠のために少年から身を離した。翡翠は少年の体に触れる。少年はいびきをかき、意識はない。


(内臓は……、少し傷付いているけど、大丈夫……。先に頭を……)


 翡翠ヒスイは少年の額に優しく手を置いた。


(脳内出血……。まずい。このままだと治っても障害が残る……。急いで処置を……)


「サナーティオ・ウルネル!」


 呪文が響き、ルナ・ヴェルデとしての魔法が、少年の中に注ぎ込まれる。

 脳を保護し、これ以上の出血が広がらないようにした。魔力を使い、全力だが、繊細に、壊れた細胞組織を修復していく。だが、細胞が上手く定着しない。少年の生命力が足りていないのだ。

 翡翠の治癒魔法は、自分の力だけでなく、治療される本人の生命力も必要になる。その方が自然治癒に近い形になり、後遺症コウイショウが残り辛い。


「栄養失調……。魔法が効かない……。そんな。駄目、駄目……。こんな……」


 少年の生命力が足りていないのだ。翡翠の力だけでは足りない。それに出血が酷く、固まった血が回復を阻害している。日常的な暴力に晒されていたため、他にも血栓ができたいたのだ。

 少年の命が失われていくのを感じた。翡翠のトラウマが蘇る。


「失礼」


 白衣の優男が少年の顔に触れた。何かの魔力が、翡翠の魔法の力の隙間を縫い、崩壊した細胞の糸のような魔力が掴み、規律正しく並べていく。その過程で、出血した場所から血栓を取り除き、回復の阻害をしないようにしていく。

 翡翠はありったけの集中力で、脳の組織を再構成していく。治癒が進み、少年の顔に血色が戻っていく。


「良かった……」


 翡翠は涙流しながら、最後の魔法を送り込むと、少年は目を覚ました。幼い少女は嗚咽しながら、少年に抱き着く。少年の方は何が起こったかわかっていないようである。


「良くやりましたね。見知らぬ魔術士の少女。まだまだ、治癒魔術は未熟ですが、その若さであれだけ使えれば大したものです」


 翡翠はそう言われ顔を上げた。随分と偉そうな態度に、少し頭に来るが、彼がいなければ少年の命はなかっただろう。

 いつの間にか、鎧を身に纏った兵たちが、翡翠たちの周りに集まっていた。拘束された暴漢たちを運ぼうとしている。


「フォルスター先生、ご協力感謝します。その少女は、どうしますか」


 若い兵士が優男に問う。翡翠は幼い二人を庇うように、背に隠した。


「イデル、彼女は今回の犯人を捕まえた功労者ですよ。君は……」


 優男は翡翠を見た。


「僕の名前はクレイン・アルフォンス・フォルスターと申します。君の名をお聞かせ願いますか、見知らぬ魔術士殿」


「私は、ナ……」


 並木翡翠を名乗ろうとして思い留まった。魔王軍に知られているかもしれないし、この世界では変わった響きである。


「ルナ・ヴェルデと言います。助けていただきありがとうございました」


 神獣ルパノクトは、変身した後のこの名前を『魔名』と呼んでいた。正体をバレないようにするための名でもある。


ヴェルデ(・・・・)……。なるほど。ルナ君だね。よろしくお願いします」


 アルフォンスが手を差し出すので、今度はさすがに拒絶しなかった。翡翠ことルナは、彼の手を取ると立ち上がった。少女がルナの裾を掴んでいたので、ルナは振り返り、彼女の額を撫でる。それと同時に健康状態をチェックし、傷があれば修復した。


「お礼を言うのはこちらの方です。街の治安を守る者として、協力していただいたこと感謝します。私たちはこの子らを探していたのですよ。街で連れ去られるのを見かけた者がいましてね」


「この子たちを保護していただけるのですか」


「イデル兵士の命に懸けて、しっかりと保護します」


 いきなり他人に命を懸けられたイデルは、ビクリと肩を震わせたが、背筋を正して応える。


「この街の衛兵として、必ず然るべき保護をいたします」


 子どもたちの格好からしても、あまり良い環境にいたとは思えない。身元を保証する物なども持ってはいなさそうだ。おそらくは孤児だろう。だが、攫われるところを目撃した誰かが、衛兵に通報し、それを衛兵が受け捜索していたのだ。

 ルナは少し安心した。悪い人たちばかりではなさそうである。

 少年は回復の余波で少し呆然としているが、すぐに元に戻るだろう。少女の方はルナの裾を掴んで離さない。


「このお兄さんたちが、あなたたちを守ってくれるって。もう大丈夫だよ」


 少女はそう言われると、頷いた。兄を支えて立ち上がらせる。支え合って生きてきたのだろう。

 少女はしゃべらない。喉に異常はない。おそらく精神的なものだと気が付いた。一体、今までどんな目にあって来たのか、ルナには想像もつかない。また、涙が一滴ヒトシズク、頬を伝った。

 イデルの力強い腕に抱えられた二人は、いつもよりも高い視線に驚いて、イデルの鎧に掴まった。


「イデル、私は持ち場を離れます。ルナ君と話をしてから、戻ることにします。どうですか、ルナ君、これから二人でお茶でも」


「え? ええと……」


 ルナは困惑して目線を逸らした。


「フェルスター先生、彼女は若すぎます。誘惑しないでください」


 イデルが苦言を呈する。実年齢は二十歳だが、見た目は十四のルナである。


「何を言うのですか。恋愛に年齢は関係ありません」


 ルナはこの手の質問にはうんざりしている。特に立場が高いと思い込んでいる者は、良くルナに声をかけてくることが多かった。


「……申し訳ありません、アル先生。私、これからこの街で色々とすることがあるのです。明るいうちに宿も探さなくては。助けていただいたお礼は、また今度ということで」


「へぇ……」


 アルフォンスは感心したような声だけ出すと、微笑えんだ。イデルが割って入る。


「ほら、困ってるじゃないですか。若い娘を揶揄カラカわないでください! ルナちゃん、相手にしなくていいから。先生は女と見れば誰でもこう言うんだ」


「酷いな……。僕は女性だけじゃなく、男性にも声をかけますよ。恋愛に性別は関係ないからね」


「節操なし!」


 イデルに怒られ、アルフォンスは笑った。


「いえ、すみません。ただ、これは職務上の行動なのです。街の治安を守る者として、魔術士である君の身分を知っておかなくてはなりません。これは捕らえようとしているのではなく、事情を知っておく必要があるというものです。拒否していただいても結構ですが、街に入れることはできなくなる。そういう類のものだと思ってください」


 そう言われてルナはようやく自分が疑われていることに気が付いた。


「あ……。私、犯罪はしてないです! 魔法学園があるって聞いて、この街に来ただけで……」


「魔法……学園」


 アルフォンスがそう呟くと、顔を上げた。


「ルナ君は魔法(・・)学園に入学したいのですか? そのためにひとり旅を?」


「はい。その学園なら魔法を学べると聞きました」


「ひとり旅? 女の子ひとりで?」


 イデルが驚いた。婦女子のみでの旅など考えられないことだ。


「良ければ教えてくれませんか。それほどまでに、君が魔法を学びたい理由は何なのでしょうか」


 ルナは二人に話すか迷った。

 翡翠として体験したことを話してしまえば、ルナ=翡翠と辿られてしまうかもしれない。魔王軍の手がこの街に及んでいれば、安全に魔法を学習するために来たのに、それが台無しなってしまう。

 魔王軍がなぜ翡翠の命を狙ったのかはわからないが、力をつけるまでは、少なくともあの黒い炎の魔術への対処を覚えるまでは、魔王軍に見つかるわけにはいかない。


「私は、この街からかなり離れた位置にある、人里離れた場所で暮らしていました。そこで魔物の群れに襲われ、家族を失くしました。その家族との別れ際、約束したのです。私は強い魔法使いとなって、人を救えるようになると……。それが理由です」


 アルフォンスは頷いた。イデルは鼻を啜り、涙を堪えている。ルナはこの程度の話で泣くのかと、少し引き気味に彼を見つめた。


「そんなことがあったなんて……。俺は応援する、応援するぞ! フォルスター先生! 彼女を学園に入学させてやりましょう! あなたならそれができるはずだ‼」


 イデルが勢い良く迫るので、その顔を遠ざけるためにアルフォンスはハンカチを押し付けた。イデルはそれを受け取ると、鼻をかむ。


「ルナ君。今、君は全てを話したわけではありませんね。何か理由があるのかな」


「……嘘をつきたくないので、話せません。私の命に関わることです。お二人はとても良い人ですが、会って間もない人に話せることではありません」


「そうか。正しい判断ですね」


 アルフォンスが立ち上がったので、イデルが子どもたちを抱いたままアルフォンスに迫った。


「先生、彼女を……」


「わかったから、顔を近付けないでくれ。……実を言うと、学園にはこちらから入学しないかと誘うつもりでした。君が入るつもりでここに来たのであれば、それはこちらとしても良い事です」


「え……。そうなのですか。でも、どうして」


 ルナが訊ねると、アルフォンスは頷いた。


「治癒魔術師は貴重なのですよ。この街にはそれなりの人数がいますが、それでも両手で数える程度。君は治癒魔術を使うことができる貴重な人材なわけです」


「その……、お話はありがたいのですが、どうして私が治癒魔法(・・)を使えるとわかったのですか」


 アルフォンスは微笑んだ。そこら辺の娘ならば、その微笑みだけで昇天するかもしれない笑みだ。


「気が付いていませんでしたか。僕が肩に触れたとき、君に治癒魔術を施した。君は始め、その魔力に抵抗を示しましたが、君は僕の魔力が安全だと確かめ、それを受け入れ、自分でも力を使って傷を癒した」


 ルナは全く気が付いていなかった。迂闊である。


(そ、そんなこと、わかるものなんだ……。私以外、治癒魔法を使える人がいなかったから……。次からは気を付けないと)


 ルナのそんな考えを知ってか知らずか、アルフォンスは出かける準備をした。


「よろしければ、今からでも学園に向かいませんか。そこで詳しい話をお聞かせ願いましょう」


 ルナは子どもたちに手を振り、アルフォンスに連れられてその場を後にする。少年の方はまだ呆然としていたが、それでも二人とも手を振ってくれた。


 ◆


 アルフォンスに連れられて、学園への道を行く。

 彼は街を良く知っており、人通りを避けて、狭い路地や人通りの少ない住宅地を通ってくれた。ルナの人混み酔いに気を遣ってくれたのだ。

 外壁の外も大きな街であったが、内側はもっと大きな街だった。

 もし、元の世界でビル群を見慣れていなければ、建物ひとつひとつの大きさに、目を奪われていたはずだ。ルナが何も言わないので、アルフォンスが間を持たせるために説明してくれた。


「この街の建物は、ほとんどが共有住宅なのです。立派な街に見えますが、金持ちも貧乏人も、狭い家で暮らしている。人が多過ぎるからね。部屋の広さでいったら、外壁の外の街の方が大きいくらいですよ」


「そうなんですね。聞いたことのある話な気がします」


 発展した都市はそう言う同じ問題に直面するのかもしれない。

 郊外にある家の方が広く安いが、移動の時間を考えれば、家の快適性を犠牲にするのが、効率的ということだろうか。


「そう言えば、聞いていなかったね。君はこの街のどの魔術学園に入学するつもりだったのかな? これから連れて行こうとしているのは、ヴァルナ・ヴェルデ高等学園と言う名の場所なのですが……」


「え? 学園って幾つもあるんですか⁉」


「それも知らなかったのですね。この街には四つの学舎があるのです。ヴァルナ・ヴェルデはその中でも最も大きい学園になりますね」


「この街に、四つ⁉ さすが、学園都市……」


「魔術学園だけではないですよ。他にも工芸や政治学、算術専門など、魔術以外の学園もあります。だから、この街には君と同年代の若い学生が多い。君もすぐに馴染めると思いますよ」


「わ、若い……。ええと、入学には年齢制限とかはあるのでしょうか」


 見た目は十四だが、中身は二十のルナこと翡翠は、そのことは黙っておくことにしたいところだが、入学に年齢制限があるならば、年齢詐称になってしまう。


「いや、そう言うことはないですね。様々な理由で入学できなかった人たちのために、学園はいつでも門戸モンコを開いている。遅咲きの天才なんて、幾らでもいますから」


「アハハ……。そうですよねぇ! (良かった。最初の関門はセーフ!)」


 ルナたちが大通りに出ると、そこには同じ制服を着た子どもたちが集っていた。大きな門扉があり、その先にはさらに大勢の子どもたちがいた。

 アルフォンスはそのまま進み、ルナはその後に続く。学生たちは二人を好奇と疑問の目で見つめてくる。女学生がアルフォンスに向ける目は、それだけではなかったが。

 ルナはそんな注目を集めるのは初めてで、ここで変身して顔を隠したい欲求に駆られた。


「フォルスター先生、何か御用でしょうか」


 アルフォンスが門に近付くと、警備に目を光らせていた守衛は背筋を正した。


「うん。学園長はいるかな。彼女を会わせたいのだけど。ルナ君、彼の魔術を受け入れてくれ」


「え? え?」


 守衛はルナを少しだけ見てからアルフォンスに向き直ると、手を翳した。


「校舎に入ることを許可します」


 ルナとアルフォンスの体に不思議な光が灯り、すぐに消え去る。何らかの魔法だが、不快な感じはない。ルナはその魔法を受け入れた。


「ありがとう」


 アルフォンスはそれが当たり前という風で、さっさと先に行ってしまう。ルナも何が起こったのかわからず、遅れまいと足を速めた。

 校舎は()であった。

 この街の中央にある城ほどの大きさはないが、それでも相当な大きさがある。その校舎の外壁に、様々なキラメきが見えた。


「さっきの魔術は、この校舎にある結界を抜けるための魔術だよ。ルナ君、我々はあくまでも来客として入っています。この校舎は生徒を守るように設計されたもの。この意味がわかるかな」


「下手な行動を取れば、攻撃されるということですね」


「その通り。良かった。君がこの程度も理解できないようでは、学園長に会わせる顔がないからね」


 そう言われ、ルナは緊張した。もし、ルナの実力が学園長の眼鏡に適わなければ、アルフォンスの顔に泥を塗ることになってしまう。


「あの……、どうしてここまで良くしてくれるのでしょうか。治癒魔法が貴重なのはわかりますが、会って間もない私に……」


「ルナ君、僕はこう見えて博打好きな男なのですよ。君には何か特別なものを感じた。それだけの理由じゃ不満ですか?」


「不満です」


「ハッハッハ。わかった。では、理由を今考えます」


 アルフォンスは一瞬だけ考えるとすぐに口を開く。


「僕はこれでも打算的な男なのです。君を学園に紹介することで、学園と君の両方に恩を売る。君が高位の魔術師となり、僕の仕事を少しでも減らしてくれれば良し。将来の君にこの貸しを使って、我儘ワガママを聞いてもらえれば、なお良し。そういうわけですね」


「先生は口が上手いですね。軽薄だと良く言われませんか」


「辛辣だねぇ。頭の回転が速いと言ってくれタマえ。良く言われるのは事実だから、否定できないけどね」


 アルフォンスは言葉を区切って、ルナに言い聞かせる。


「今の君に何かを要求するような外道ではないと、ここで弁明させてほしい。ただ、将来的にこの貸しは、倍にして返して貰おうかな」


 ルナが並木翡翠ナミキヒスイとして元の世界で暮らしていたとき、身寄りがないと知って言い寄ってくる男は多かった。孤独な少女ならば与し易いと思ったのだろう。学校でも日常でも、安心できるのは仲間とともにいたときだけだ。


(アル先生は、何か違う気がする……。不快な感じはしないけど、何かもっと別のことを考えている気がする)


 ルナは人の顔色をウカガったり、何となくだが感情を読み取ることができた。それは魔法ではなく、人としての力だ。

 アルフォンスにはその力が及ばない。何を考えているのか、ルナにはまったく理解できなかった。


「ここが学園長室だよ。少し待っていておくれ」


 アルフォンスが立ち止まる。ノックして声をかける。


「アルフォンスです。オド学園長」


「開いているよ。お入り」


 アルフォンスはルナをちらりと見やると、中に入って扉を閉めた。廊下で待たされることになったルナは、壁にもたれる。


(学園長室っていうから、もっと秘密の合言葉でしか開かない、やたら豪華な扉を期待したのに、普通の学校の部屋みたい……)


 ルナは少しがっかりする。

 以前、幻月マボロヅキミオが、一緒に見たファンタジー映画の中の学校の扉を見て、


「何人も、毎日、何回も出入りするのに、いちいち合言葉とか、部屋に入るのに時間がかかるとか、絶対気が狂いそう。私なら一日目に扉を破壊する」


 と冷静に言っていたのを思い出す。

 日常生活で魔法は必ずしも便利なものではない。特に毎日使うような物は、何の仕掛けもないシンプルが一番なのだろうとルナは考えた。

 しばし待っていると扉が開き、アルフォンスが入るように促した。ルナは少し緊張しながら、中に踏み込む。

 部屋の中は、扉と同じく地味だった。不可思議で奇妙な装置や、本が所狭しと積み上げられてはいない。

 調度品は出来が良くどれも高価な物だろうが、落ち着いた装飾で心安らぐ物だ。棚には大きな本が大量に並べられているが、完全に整理整頓されており、この部屋の所有者の性格が伺える。

 どの家具も少しだけサイズが小さめなのは、所有者自身のサイズに合わせられているのだ。


「まぁ、お入りよ。随分と苦労してきたそうじゃないか」


 部屋の奥にある執務机に、小さな少女が座っている。ルナよりも年下に見えるが、その瞳に宿る深みは、彼女がルナよりもずっと年上であることを物語っていた。

 彼女はドワーフだ。背は低く子どものような見た目だが、寿命は二百年を超える者もいる。


「ふむ……。見たところは普通のメネル族のお嬢さんのようだね。私はこのヴァルナ・ヴェルデ高等学園の三代目学園長フィオ・オドという者だ。名前を聞かせて貰えるかな」


 メネルと言うのは、所謂、種族名である。ドワーフがそうであるように、ルナはメネル族という種族に属している。

 ルナとしては『人間』でしかないが、この世界で『人間』とは、メネル、ドワーフ、エルフ、デーモンなどの、文化文明を持つ種族全般を指す。

 フィオ・オドは落ち着いた声色で、緊張している様子のルナに丁寧に語りかけた。ルナもそれに応え、落ち着いて名を名乗る。


「私は、ルナ・ヴェルデと申します。お会いしていただき感謝いたします、オド学園長」


「ん。意外だね。強い魔術士ソーサラーというのは、往々にして常識がないけれど。あんたは礼儀を知っているようだ」


 執務机から立ち上がったオドは、来客用のソファに座り直す。ルナにその向かいに座るように促し、ルナも腰を下ろした。

 なぜかアルフォンスは空いた執務机の椅子に腰かけ、クルクルと回転して遊び始める。オドはそれを気にせずに、話を進める。


「ヴェルデと呼ぶのは少しハバカられるので、ルナと呼ぶけれど構わないかい」


「え、ええ。構いません」


 どうしてヴェルデと呼ぶのか憚られるのかわからなかったが、ルナは素直に頷いた。


「では、ルナ。まずは……、あんたが治癒魔術師だというのは、本当のことかな。自分を治療し、人を癒すことが可能なのかな」


「はい」


 ルナは端的に答える。今はあの黒い炎で、少し自信を失ってはいるが、その力は健在だ。


「ふむ。まぁ、アルフォンスの紹介だ。それは信じるとして、問題はあんたを信頼しても良いかということだ。今は入学試験の期間ではないし、このタイミングだ。色々と学内も混乱していてね」


「……このタイミングというのは?」


「各地で名のある魔術師が、次々と暗殺、あるいは行方不明になっているんだよ。魔物が活性化して、怪我人も増えている。そこに都合良く治癒魔術師が現れて、この魔術の大家タイカであるヴァヴェル学園に入学したいという。何か裏があるように思えてね」


 この学校の略称はヴァヴェル学園というとルナは覚えた。それよりも、魔術師の暗殺である。身に覚えのある話だ。


「それは、その……、魔王軍と関係のある話でしょうか」


 ルナが少し躊躇して訊ねると、オドは目を見開いた。


「魔王。どこかでそんな噂を聞いたのかい?」


「……私の家族を殺した魔物が、その名を口にしていました」


 この言葉に反応したのはアルフォンスだ。


「魔王軍。久しくその名は聞いてなかった。君はその襲撃を生き延びた、ということですか」


 ルナが頷くと、オドが訊ねる。


「どういう敵だった? 魔物だったのかい?」


「多数のゴブリン、それとオーガです。オーガが人語をハッキリと喋り、ゴブリンの一匹は魔法を放ちました」


「魔法。どんな魔法だった?」


「それは……」


 もし、あのゴブリンの魔法が、あまり使用されない魔法で、ここで話したことで魔王軍に伝わってしまったら、ルナが生命の魔女だと特定される可能性が高い。魔王軍の名前を出すのも勇気がいるのに、詳細を話すわけにはいかない。

 言い淀んでしまった彼女を見て、アルフォンスが助け舟を出す。


「学園長、彼女は命を狙われることを警戒しているのです。全ての話を聞き出したいのであれば、学園に入学させてから聞き出してはどうですか?」


 ルナはハッとして、その話に乗っかる。


「そうです。入学させてもらって、信頼できると思えば、話すかもしれません!」


「あんたたちね。これは結構、重要な話なんだよ……」


 オドは溜息を吐きながら立ち上がり、執務机の後ろの窓を眺める。


「わかったよ。じゃあ、こうしよう。ルナ、隠している全ての話を聞かせてもらう。その代わりに、ルナには入学試験を受ける権利をやろう。私も実力のない者を、話を聞き出すためだけに、入学させてやるほどお人好しじゃないからね」


「当然、受験料と入学金は免除。試験結果が特待生級であれば、特待生として迎えていただけますね」


 アルフォンスが言うと、オドが鼻を鳴らす。


「抜け目ないね。私だって身寄りのない子どもから、金を巻き上げようなんて考えていないさ。ただし、試験は一般と同じ。厳しいものだよ。それでいいね、ルナ」


「あの、特待生というのは……」


 アルフォンスが答える。


「ああ、すみません。特待生は才能のある人物を、学校側が招いて生徒にする制度なのです。授業料も不要ですし、試験は本来行われない。今回は特例ということだね」


「特待生級でなければ、授業料がいる。ということですね」


「そうなるね」


「わかりました。その条件で話を受けます」


 ルナが言うと、オドが頷いた。


「わかっているかい。全て話すんだよ。包み隠さずね。こっちには嘘を見抜く魔術もあるんだからね」


 ルナはその言葉に少し怯んだ。本当にそんな魔術があるかは知らないが、オドとアルフォンスに全てを話す決意を固めた。この世界のことも、あちらの世界のことも。

 もし、これで魔王軍に狙われることになるなら、それはこの街が危険だということだ。すぐに出て行く覚悟も決めた。


(信頼し過ぎないように、必要な魔法を学ぶ。冷静に、冷酷に)


 ◆


 アルフォンスはルナを送り、イデルに彼女を任せたあと、もう一度、学園長室を訪れていた。


「ルナ君の話、どう思いまいましたか。リンドー先生」


 アルフォンスは二人きりのときは、オド学園長をリンドーと呼ぶ。

 彼女のフルネームはリンドー・フィオ・オド。アルフォンスの育ての親である。


「魔神ヴェルディクタか。あたしらにはどうにもできないね。彼女を異界に帰す方法もない」


「そちらも気になりますが、魔王の話ですよ。各地で発生している魔術師の失踪。それが魔王軍の仕業であれば、憂慮すべき事態です。この都市にも無関係の話ではない」


「ああ。調査団を派遣するよう要請するよ。アル、あんたも国王に働きかけな」


「う……。それをすると僕が調査に行かなくてはならなくなるのですが……」


「それがなんだって言うんだ。子どもみたいなこと言わずに、しっかりおやり」


「はい……」


 気落ちしたアルフォンスを見て、オド学園長は溜息をつき、話を進める。


「魔王出現の頻度が早すぎるよ。前に現れた魔王を私が倒したのが六十年前、その前に現れた魔王は、百年前。今回の魔王は偽物か、あるいは私が会った魔王が偽物だったか……。気になるところだね」


「確か、リンドー先生たちが倒した魔王も、背中に翼のある種族だったとか」


「それだけじゃない。奴は異界の神を名乗っていた。つまり、ルナは同じ世界から来た可能性が高い」


「それはつまり……、彼女も天翼族ネフィリムかも知れないと?」


「さぁね。災厄の使徒か、幸運の女神か。とにかく、監視下に置いて泳がせ、様子を見るつもりだよ」


 アルフォンスが頷き、話題を変えた。


「彼女がヴェルデを名乗ったことはどう思いますか。この学園のヴァルナ・ヴェルデ(・・・・)高等学園の名を聞いても、何も反応がありませんでしたが」


「この学園の創始者のひとりが、狼型の使い魔を使っていたとか。そして、ヴェルデを名乗る異界からの訪問者……。ま、偶然にしては出来過ぎだけど、人はそういうことに因果を求める生き物だからね。あたしは本当にただの偶然だと思っているよ」


「そうですね。色々と面倒が起こりそうですが……。それも」


「そうだねぇ。どうしたものか……」


 オド学園長が思案を巡らせていると、アルフォンスが良い案を思いついたようである。


「では、こういうのはどうでしょう。僕もこの学校の教師となります。そして、彼女の師匠となる。教育と監視、どちらも行えます。事情を知っている人物を最小限に留めるには、それが良いとは思いませんか。幸い僕は魔導師アルカニストに資格も持っていますし」


「……あんたを学内に置いておくと、女学生が色めき立つから嫌なのだがね」


「色めき立っても、それが良い方向に動くなら問題ないでしょう。僕は優秀な生徒を集め、特別授業を行うようにすれば、中には僕に会うためだけに、勉強する者も出てくるはずです。動機は不純であれ、勉強することは良いことです」


 アルフォンスがにこやかに言う。リンドーは育ての親として、その考えがわかった。


「あんた、調査に行きたくないだけだろう」


「ハッハッハ! でも、妙案だとも思いましたよね。では、その方向で話を進めましょう。国王への調査団派遣の依頼と、僕の教師としての採用。お願いしますよ、オド学園長」


 アルフォンスが楽し気な足取りで部屋を出て行くと、オド学園長は呆れつつも、すぐに行動を開始した。


「全く……、いつまでも子どもなんだから」


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