忙しくなる日々 2
◆
「よかった……。上手くいった……」
戦闘服に身を包んだルナはそう呟くと、アルフォンスを見た。
その翡翠色の瞳に射貫かれたアルフォンスは、声を忘れてしまった。
吸血鬼であったグリオンの顔色は、まるで生きている人間のように赤みが差している。そのグリオンの体がから生えた植物は、塵となって消えてしまった。
緑のドレスの女が手に持つ不気味な果実は、彼女が息を吹きかけると、同じように塵になり、その手には二粒の大きな種だけが残される。
「いったい、何を……」
「吸血草という植物系の魔物です。人の血を吸い、魔力で育つ恐ろしい魔物ですが、扱いを間違わなければ、毒を吸い上げ、魔力に冒された人を元に戻すことが可能です」
「ま、まさか」
女は意識のないグリオンをやさしく地面に寝かせると、アルフォンスに視線を向ける。立ち上がると、その手にある種の内のひとつをアルフォンスに差し出した。
「これを持っていってください。必要な人がいれば、使ってください」
アルフォンスは慎重に種を受け取る。
吸血草はアルフォンスも知っているが、吸血鬼を元に戻すことができるなど聞いたこともないことだ。
「どうやって使えば良いのですか」
「種に自分の魔力を少しだけ送り込んで目を覚まさせ、相手の素肌に触れさせれば効果を発揮します。この子たちは私が品種改良しましたから、無闇に人を襲ったりしませんが、実を付けたらすぐに捥いでください。そうしないと死ぬまで力を吸い続けてしまいます。後は根で傷付いた部分を治療すれば、体調は良くなるはずです」
アルフォンスは無言で極彩色の種を見つめ、そして、女を見やる。
「……我が友人を救っていただき、感謝の言葉もございません。美しきお方。この愚かなる身に許されるならば、貴女の御名をお聞かせください」
(美し……⁉)
アルフォンスはこういうことを言いそうな人物であるが、こうやって面と向かって言われてルナは動揺する。正体がバレて揶揄われているのかと思ったが、アルフォンスの表情は真剣そのものだ。
ドレスによる認識阻害魔術が働き、アルフォンスにはルナが絶世の美女に見えているのだと気が付いた。
ルナはどうしようか迷った。別に正体を隠すつもりはなかったのだ。ここでルナ・ヴェルデと名乗ってしまえば、認識阻害の効果はなくなるはずだが、名乗り辛くなってしまった。
「……」
ルナが固まってしまったのを見て、アルフォンスは彼女が不快に感じたのかと思い、何とか取り繕うとする。
「も、申し訳ございません。僕はこういうことに慣れていなくて……。ただ、お近付きになりたいと思っただけで……」
しどろもどろになり、思春期の少年のように赤面するアルフォンスに、ルナは瞬きするするしかない。何か言おうとしたが、ここは日頃の鬱憤を晴らすところかもしれないと思い直す。もう少し様子を見よう。
ルナは口を噤んだまま、アルフォンスを見ただけだ。それでアルフォンスはさらに早口になる。
「僕は今まで、貴女のように美しい女性に会ったことがないのです。何人にも言い寄られ、何人もの彼女らの父親が、僕を婿にしようとしてきましたが、僕にはその気はなかった。僕は一生を孤独に過ごすと誓ったのです。ですが、その考えを改めます。貴女に出会い、貴女のような人と老いて往けたならば、これ以上の幸せはない。いえ、貴女は美しいだけではない。吸血鬼を人に戻すという偉業を成し遂げられた、偉大なる魔術師だ。僕も魔術士の端くれとして、貴女を尊敬する。どうか、僕と……」
足元に倒れたグリオンが唸った。そこでアルフォンスは正気に戻る。
ルナは意地悪そうに微笑むと、口を開いた。
「どうか、ご友人を看てやってください。名も知らぬ殿方」
アルフォンスは自分の失態を悟る。自分の名を名乗っていないし、友が倒れているのに女を口説き落とそうとするなど、人の道の悖る。
アルフォンスが慌ててグリオンを看た。確かに人の体に戻っているのを感じる。
アルフォンスが屈み、ルナから視線を離した瞬間に、ルナは静かに夜空に消えた。アルフォンスがそれに気が付いたかはわからないが、とにかく追いかけてくるようなことはなかった。
(あれ? 今なんか、プロポーズされた気がする……)
ルナは背筋に寒気を感じた。これで正体を隠すしかなくなってしまった。とっても酷い過ちを冒した気がする。
◆
学園室でのコルブレルとの邂逅の次の日。授業が始まる前の朝の時間に、大きな手荷物を持ったオルシアが、ルナの寮の部屋に現れた。
「ルナちゃん!」
オルシアがまるで花が咲いたかのように笑うので、ルナも釣られて笑顔で出迎える。
オルシアは荷物を投げ出すと、ルナに抱き着いてきた。オルシアがしばらく経っても離れないので、ルナは彼女の背中を軽く叩いた。
耳元で聞こえる呼吸が深い。また体調が悪くなったのかと思ったが、体に回された手の力はしっかりしている。
「オルシア? 何?」
ルナが訊ねると、オルシアはルナの首元に顔を埋める。オルシアが鼻で吸い込んでいることに気が付く。
「待って。今、ルナちゃん成分を補充してるから」
「えぇ……」
オルシアと過ごしているとき、ルナは何度か応急処置で魔術を使っている。
(本能的に体が楽になるところを求めてるんだろうか……)
などと考えて受け入れていると、頭上から声が聞こえる。
「朝からお熱いね。父親は説得できたわけ?」
イルヴァが寝癖のついた顔でベッドから見下ろしている。
「イルヴァさん! 今日からお世話になります!」
オルシアはルナに抱き着いたまま、イルヴァを見上げた。さすがに我慢できなくなったルナは、オルシアを引き剥そうとするが、その腕が思いのほか力強くて剥せない。
「ルナちゃんがお父さまは説得してくれたんですよ。あっさり許してくださいました」
「へぇ。そういうことしなさそうなのに。意外だね。じゃあ、朝飯食べに行こう」
イルヴァがあくび混じりに言うと、ルナたちは着替え大食堂に向かった。
実はこうしてイルヴァと一緒に朝食を摂るのは、今日が初めてである。彼女は朝が弱く授業ギリギリの時刻まで寝ているため、朝食を摂ること自体が少なかった。
相変わらずイルヴァは擦れ違う人全員に挨拶していく。ただ、今回はルナとオルシアがいるので、遠巻きにされている感がある。貴族であるオルシアはもちろん、ルナも同じようなものだ。
イルヴァはそんなことは気にせずに、オルシアに色々と話して聞かせる。
「なんだか街中が騒がしくなってきたんだよ。警備の兵士が増えたし、他の街からも兵が来てるって話だよ。オルシア、父親から何か聞いてない?」
ルナはそういうことかと思った。イルヴァは色々な人と交流し、情報を集めている。魔術士としての将来のためと本人は言っているが、ただの噂好きのような気もする。こうして一緒に朝食を摂るのも、その一環なのだ。
「すまいせん、詳しくは聞いていないです。この間の襲撃が原因だとは言ってましたけど……」
「そうだよねぇ。ルナは? お師匠から何か聞いてないの?」
「知りません。というか、私たちに話すわけがないですよ。軍務の話を」
ルナは魔王軍に対する備えだと知っていたが、話すつもりはない。アルフォンスから口止めされているし、ルナもそんな話を広めるつもりはなかった。
魔王軍の存在が確認されて、その襲撃があったなど学生が簡単に知れる情報ではない。
「だよね。ま、そうだろうとは思ってたけど」
イルヴァは久しぶりの朝食ではあったが、あまり食欲はないようである。
大食堂はビュッフェ形式になっており、好きなものを好きなだけ食べて良いとされてはいる。味はともかく、量は食べられる。が、あまり食べ過ぎると、大食堂の守護ゴーレムに摘まみ出されてしまう。
オルシアも既に食べてきていたのか、少しの菓子と飲み物だけで、皿にいっぱいに取ったのはルナだけだった。
またイルヴァが席に座った人物に声をかけられる。ルナたちは気にしなかったが、イルヴァは立ち止まってまで、その人に挨拶した。
「おはよ、イル。珍しいじゃん。朝飯なんて」
「ダウリ⁉ ついに姿を現したね!」
イルヴァは少し興奮した様子で、挨拶してきた人物に近付いた。
「なになに? なんかあったの?」
ダウリはイルヴァの様子に驚いたようだ。少し身を引いて問う。イルヴァはルナとオルシアを呼ぶと、ダウリを紹介した。
「うちの部屋の最後の住人のダウリだよ。ようやく紹介できた。ダウリ、こっちの二人が新しく部屋に入った二人、ルナとオルシア。二人とも第三学位だよ」
ルナもこの学園に入ってから一か月ほどは経つが、一度もこのルームメイトに会ったことはなかった人物である。
彼女は緩やかなくせ毛を長く伸ばし、それを美しい髪飾りで彩っている。この学園ではあまり見かけないタイプの大人の女性だった。
「へぇ、そうなんだ。よろしくねぇ」
ダウリは気の抜けた挨拶をすると、食事に戻った。イルヴァが遠慮なくその隣に座るので、ルナとオルシアも顔を見合わせてから座る。
「で? こんなに長く帰って来なかったってことは、何かあったんだよね? 聞かせてよ」
イルヴァは眠気が吹き飛んだらしく、ダウリに詰め寄る。
「まぁね。学園から呼び出し喰らってさ、早く帰って来いって。当面は出掛けないから、部屋でゆっくり話すよ。それより、イル。ちょっと立って見せて」
ダウリに言われ、イルヴァは立ち上がると、体を回転して見せた。
「さすがダウリ。あんたなら気が付くと思ってたよ」
ダウリは変化した制服が気になったようだ。
イルヴァはルナに制服の形を改造してもらってから、さらにアレンジを要求していた。
彼女のスカートはさらに短くなり、カーディガンも生地を薄くして、体のラインがわかるようにされている。
ダウリは何気ない動作でそのミニスカートを持ち上げて中を覗くので、イルヴァは慌ててスカートを押さえて魔の手から逃れる。
「ちょっと!」
「ああ、ごめんごめん。さすがに下着はそのままなんだね」
「訊けばわかるでしょ! もう!」
イルヴァは恥ずかしさを隠すために、椅子に八つ当たり気味に腰を下ろす。
「どうやってやったの? 縫製されてるようには見えないけど、材質は公式の制服のものだよね」
ルナはダウリがひと目見ただけでそこまで理解することに驚く。
彼女は第六学位で、もうすぐ卒業し、魔術士として社会に出るはずだ。アルフォンスも同じように変化を悟る術に長けている。優れた魔術士には必要な素養なのかも知れない。
「ルナが魔術で変えてくれたんだよ」
イルヴァが言う。話を振られたルナはダウリに見られて頷いた。
「服飾に興味があるんですか?」
ルナが問うと、ダウリは頷いた。
「私は卒業したら仕立て屋になるつもりなんだ。魔術で作る服で、自由で新しい形のおしゃれを提供するつもりなの。魔術士は個性的な人が多いでしょ? そういう人や、常に新しい物を求める貴族や金持ち相手の商売としてね。ここ数ヶ月も新しい素材探しに旅してたの」
ルナは関心した。
将来のことなどルナはあまり考えていないが、ダウリは明確な目標がある。オルシアも父の手伝いという目標を持っているし、イルヴァも将来に向けての人脈作りに励んでいる。ルナだけが今を生きるのに精一杯だ。
「どういう魔術なの? どれくらいの速度で作れる? 魔術使用の疲労や、コストは?」
ダウリが矢継ぎ早に訊ねてくるが、大食堂が混み合ってきたことで、話を終わらせた。
「今夜、部屋に戻りますよね? そこで話しますよ」
「わかった。約束ね」
ダウリとイルヴァとはそこで別れ、オルシアとともに教室へ向かう。
「なんか大人の女性って感じだったね」
オルシアが言うので、ルナも同意する。
「そうだね。私たちとそんなに年齢も変わりないのに……」
生きた年数で言えばルナの方が歳上かもしれなかったが、ルナよりも経験も豊富そうなダウリに、少しの敗北感を覚えるルナであった。
◆
授業の始まり方が、今日はいつもと違った。
担当教師とともに、ルナが入学したときに試験を担当したセシリアという若い魔導師が教壇に立った。
「貴重な授業の時間を割いてしまって申し訳ありません。二か月後の試験についての告知があり、お邪魔しました」
セシリアは生徒を見渡す。
「次回の昇格試験、六月に行われる偶数学位の試験になりますが、第四学位試験を国の要職にある人物たちが見学をすることになりました。公開試験というやつですね」
セシリアがそう宣言すると、生徒たちがその言葉を飲み込むのを待ってから、再び口を開いた。
「不定期に開催される公開試験ですが、各自治体の重役や、多くの有力者が、実力ある魔術士のたまごを探しに来る場となります。
学園の実力を示すための場であり、有力者に自分の魔術を売り込む場でもあります。要は自分の魔術の発表会ということですね」
ルナはそれを聞いて、不思議に思った。自分の魔術を不特定多数の人間に見られたい魔術士がいるのだろうか。
舌打ちして不満を表明したいところである。第四学位試験は受けるつもりであったのに、こんな横槍が入るとは思ってもみなかった。
「この試験には第三学位の方と、飛び級で第二学位の方が参加できるのは通常の試験と変わりありません。ただ、応募者多数の場合、事前試験による振るい落としが行われます。学園として恥ずかしい姿を、国の重役に見せるわけにはいきませんからね。
この事前試験は内申点には影響しませんので、お気軽に参加してください。ただし、事前試験に合格した場合、次の公開試験を辞退することはできませんのでご注意を。
というわけで……、受験予定の方は、三日後の放課後までに、職員室にいる私かこの子に、こちらの申請用紙を提出してください。急な話で申し訳ないですけど」
セシリアの袖の中から黒い液体が出てきたかと思うと、それが彼女の肩の上で猫の形に変わる。セシリアの使い魔は黒猫のようである。
(かわいい……。モフモフしたい……)
ルナは試験を受ける気は失せてきていたが、あの子に会うために、机を回されてきた申請用紙を受け取ることにした。
「質問、いいですか?」
ルナが手を上げると、セシリアが頷いた。
「いくつかあるのですが……。試験の合否は、その重役たちが決めるのでしょうか。合格と有力者に名を売る以外に何か特典がありますか。試験は受けたいけれど、公開試験には出たくない人に、何か救済処置はありますか」
「重役たちは試験の採点には一切関わりません。
合格以外に特典はありませんが、例え不合格でも重役たちの目に留まる可能性はあります。
公開するのは嫌だと言う人は、次の試験まで待ってもらうしかありませんね。慣例上、同じ学位の試験が連続で公開試験になることはありませんから、半年待てば同一学位の試験を受けることは可能です」
救済処置に一縷の希望を託したが、無駄だったようだ。
別の生徒が手を上げる。ロバルトだ。彼は何かとオルシアに関わってくるが、ルナがいるときは反撃を恐れてか大人しくしているときが多い。
「参加資格は、第二・第三学位にあるとのことですが、試験はコネクションのない人が優先されるべきでは? 貴族や名家の人間は、辞退すべきではないでしょうか」
「いいえ。その必要はありませんよ。あくまでも魔術士としての資質を計る試験ですから、どのような出生の人でも参加できます。ソリアーダン家の二代目であるあなたも、もちろん参加できますよ」
ロバルトは、オルシアやルナに向けて言ったのだが、セシリアはそれを知ってか知らずか、彼が遠慮していると思ったようである。ルナは鼻で笑ってしまった。ロバルトがそれ以上何も言わずに引き下がると、他には誰も質問をしなかった。
「では、これで告知を終わります。魔導師、時間を頂き、すみません」
「いやいや、構わないよ。楽しみだねぇ、久しぶりの公開試験。セシリア魔導師は忙しくて目が回るだろうけど」
セシリアは苦笑いしてから教室を後にした。
「じゃ、授業始めるよ」
生徒たちは興奮気味の中、手につかない授業を受けることになった。




