忙しくなる日々
◆
吸血鬼騒ぎから、一週間ほどが経った。
オルシアはその間、学園に通って来ず、アルフォンスも姿を見せなかった。
授業が終わり、放課後の修行がないルナは、自分だけの時間を満喫した。
(まずは図書室だね。やっぱり本、本を読んでだけ過ごしたい……)
ルナは並木翡翠であったときから、良く本を読んでいた。本を買うほどの金銭の余裕はなかったから、学校や公共の図書館で本を読んでいた。
実を言うと、この学園に入ってから、初めての図書室である。行きたい行きたいとは思っていたが、日々の生活(主にアルフォンスの修行)によって、それは叶わなかった。
「……ここは、どこかな」
問題は、図書室への道を知らないことだ。
今まではオルシアがずっと先導してくれていたため、道に迷うことはなかった。
「うう~、オルシアのいるうちに道を覚えておくべきだった……」
吸血鬼騒ぎ以来、オルシアと会話する機会がなかった。彼女自身は無事なはずだが、家族たちに多数の死傷者が出たのだ。屋敷自体も荒れているから、その片付けもあるだろう。
(体調は良くしたけど……、少し心配だな)
ルナはオルシアの体調を治すために、何度か治療を試みていた。
度々、彼女は突然の不調に襲われることがあった。そのたびに治療し、オルシアは元気を取り戻していたが、完治には至っていない。
変身して時間をかけて治療をすれば、その原因がわかるかもしれないとは思っていた。が、変身して姿を現すことは、リスクがある。
(魔法を……魔術を使える世界で、正体を隠す必要ないと思ってたのに、結局、こうなるんだなぁ……)
長い人気のない廊下をひとりで歩いていると、色々考えさせられる。今まではそういう時間も少なかったから、思い出さずに済んでいたことだ。
(救えたんだよね……今度は。そうだといいな……)
廊下の窓を眺めると、中庭が見える。そこには一本の大きなトネリコの木が聳えている。そこに一羽の鷹が留まっており、ルナを見ていた。ルナが窓を開けると、その縁までやってくる。
「ルナさま、ようやく見つけました」
「キューリちゃん、アル先生からの使い?」
キューリと呼ばれた鷹は、アルフォンスの使い魔である。アルフォンスが忙しいときは、彼女がルナの見張りについていた。
アルフォンスは彼女に名前を与えていなかったため、ルナが勝手に名前を付けた。彼女は胡瓜に似た植物のつける実が好きらしい。理由は蛇の形に似ているからだそうだ。
ルナが魔術で出してあげると、喜んで食べるので、会うたびに餌付けしていた。ルナはキューリが胡瓜を食べる間、その羽毛を撫でさせてもらう。背中は硬め、腹はフワフワで、ルナはその感触を楽しんだ。
「ハッ⁉」
キューリが仕事を思い出して、胡瓜を飲み込んだ。
「こんなことしてる場合じゃないんですよ! アルフォンスさまがお呼びです。学園長室まで来てください」
「学園長室? アル先生来てるんだ。行きたいのはやまやまなんだけど、道に迷っちゃって……」
キューリが目を細めた。表情筋がないのに、呆れているのはわかる。
「ついて来てください。案内します」
キューリは器用に飛び、ルナを先導した。
(アル先生にバレてないと思うけど……。とにかく、動揺しないようにしよう)
ルナはグリオンを助けたとき、変身状態であったから、顔は見られていないはずだ。なんだか恥ずかしいことを言われた気がするが、とにかく表情に出さないように気を付けるため、ルナは自分の頬を強く撫で、筋肉の強張りを取る。
見慣れた廊下に近付き、学園長室の前まで来ると、キューリはどこかに飛んで行ってしまう。学園長室の扉を叩くと、「お入り」とオド学園長の声がした。
「失礼します」
学園長室は相変わらず落ち着いた雰囲気である。中には三人の大人が待っていた。
オド学園長は言わずもがな、アルフォンスがおり、そして、オルシアの父コルブレルがいた。ルナとは顔を合わせたことがないということになっているので、目が合ったが目礼だけで済ます。
「お呼びにより貴重な時間を使って参りました。何か御用でしょうか」
ルナが嫌味っぽく言うと、オドは嫌そうな顔をする。
「アルフォンスが移ったのかい。……修行が上手くいっているようで何よりだよ」
コルブレルが立ち上がり、ルナを見る。コルブレルは小太りの男だったが、ここ数日でかなり痩せたようである。屋敷で見たときよりも、やつれていた。
「君がルナか。娘が世話になっている。私はコルブレル・イーブンソード。オリィ……オルシアの父親だ」
コルブレルが手を差し出してきたので、ルナは手を取った。彼はルナの手を両手で握ると、少し頭を下げた。
「ありがとう、娘の友になってくれて。君のおかげで、娘は明るくなった。前までは塞ぎ込むことも多かったのだが、今では花が咲いたように元気でいる。本当にありがとう……」
「え、ええ。えと、オルシアさんは元気ですか。もし、寝込んでいるのであれば……」
「心配には及ばないよ。少し、家で色々あってね。それで忙しくしていたのだ。もうすぐ、学園にも戻ってこれるだろう」
ルナは知らないフリをして、胸を撫で下ろす。
「そうですか。あの、色々って言うのは、噂になっている、アレですか。吸血鬼が……」
少し訊き辛そうに言ってみる。コルブレルは頷いた。
「うむ。そうなのだ。それで実は、君にお願いがあって来たのだ」
「お願いですか……」
ルナは黙っているアルフォンスをちらりと見やる。アルフォンスは知らぬ顔で茶を飲んでいる。
「オリィはこの学園の寮に入りたいと言っているのだ。だが、私はどうしても決心がつかなくてね……」
オドが話を続ける。
「この学園は無数の高度な結界で守られている。寮に入った方が安全だし、勉強の時間も多く取れるって言っているんだけどね」
コルブレルは娘可愛さに、学園での生活を案じているのだ。ルナには覚えのない親子関係だが、もし、両親が生きていたなら、このような親の姿を見ることになったのだろうかと考えた。
「それで、お願いというのは?」
「ああ、ルナ。君には娘の世話をお願いしたいのだ。同じ部屋に入るし、歳の頃も近いから……」
「嫌です」
ルナは食い気味にハッキリと言う。
コルブレルはその返事に面食らったようで、言葉を詰まらせる。
「も、もちろん、無料でとは言わない。研究したいことがあれば資金援助もできるし、君は特待生だ。将来は……」
「あの、いえ、そういうことを言っているのではなくて。私はあなたの家の使用人ではありません。それに娘さんの世話は必要がありません。あなたは本当に、オルシアの父親なんですか?」
ルナはなぜか無性に腹が立ってきた。
「娘の友人を買収して見張らせようとするとか、正気なんですか? 貴族だから許されると思っているんですか。あなたの娘は、今、あなたの手から離れようとしているんです。そんなに人形にしておきたいのなら、鍵付きの棚にでも閉じ込めておけばいいでしょ」
矢継ぎ早の批判に、コルブレルは口をあんぐり開ける。さすがにオドがルナを止めた。
「ルナ。そこまでにしなよ。コルブレルは本当に娘を心配して、こういう風に言っているんだ」
ルナは鼻を鳴らす。
「そうですか。では、私からもお願いします。今後一切、私はオルシアには関わりません。何かあって、私のせいにされても困ります。部屋も別にしてください。ハァ……、頭おかしくなりそう。もう帰っていいですか。勉強したいので」
言い過ぎてしまった気がするが、もう遅い。感情を抑えられない。昔のルナならば、これがどんな感情なのか理解できなかっただろうが、今は違う。
嫉妬だ。
暖かい家庭、優しい父親、恵まれた環境。ルナにはなかったものだ。そのことに気が付くと、自己嫌悪で頭が痛くなる。走り去って、何かを壊したくなる。
そのルナを引き留めたのは、呆然としていたコルブレルだった。
彼は両膝を床につき、両腕を胸の前で交差させた。それは命懸けのときにするときに行うジェスチャーである。首を差し出し、死を覚悟して懇願するものだ。
「待って欲しい……、すまない! 申し訳ない! 愚かな私を許してほしい! 私はオリィを大切に思っている。だが、妻が消え、軍の任務で家にいることの少ない私は、どうすれば良いのかわからないのだ! 時々、こうやって暴走してしまう……。どうか、娘の友でいてやってくれ。どうか、お願いだ……」
さすがのルナも大の男がそんな風に懇願するのは憐れに思えた。昔であれば何を言われようとも、一度口にしたことを取り消すなど、意地を張ってしなかっただろうが、ルナももう大人である。ここで意地を張るなど、無意味でしかない。
「……最初からそう言えば良かったんじゃないですか。寮に入れるから、娘の友達でいてくれ。それだけで済む話でしょう」
娘と同じくらいの年頃に説教をされたコルブレルだが、不快に思うことなくその言葉に頷くばかりである。オルシアの父親だなと、ルナは感じた。
大きく息をつく。
「オルシアがどうして急いで魔術士になりたいか知っていますか」
ルナに問われたコルブレルは、首を横に振った。
「あの子はいつも言っていますよ。すぐに魔術士になって、父親の手伝いをするのだと。そうすればいつも一緒にいられるし、危険な仕事も少しは楽になるはずだって。体の調子が悪いのに、しっかり勉強して……。しっかりとした覚悟を持っています。その父親のあなたが、そんな覚悟でどうするんですか。さぁ、立って! ちゃんとしてください!」
ルナがイライラとして言うので、コルブレルは急いで立ち上がった。
「発言を撤回します。オルシアは私と同じ部屋にしてください。いいですか、オド学園長」
「あ、ああ、もちろんだ。それでいいね、コルブレル」
「は、はい」
結局のところ、オルシアは寮に入ることになる。その結論に至るまでに、どうしてこんなに時間がかかるのかと、ルナは嘆息した。
「じゃ、話が纏まったところで、私はこれで失礼します」
ルナが部屋を出ようとするとが、アルフォンスに止められる。
「待ちなさい。まだ、話は終わっていません」
ルナはぎこちなく振り向いた。
「なんでしょうか」
「先日の吸血鬼の襲撃は、魔王軍に関わることだったのです。イーブンソード卿が変なことを言い出すので、話がおかしな方に向かいましたが、オルシア君にも関わりのある話なのですよ」
「オルシアに?」
ルナはアルフォンスと目が合うと、何となく気恥ずかしくて目を逸らしてしまった。怪しまれただろうか。
コルブレルが話し手を引き継ぐ。
「吸血鬼はオルシアを狙って、我が家を襲ったのだ。それだけならば、まだ良かったのだが、それが魔王軍による作戦で、新たなる吸血鬼の王を生み出す目的だったようなのだよ」
そう言われてもルナにはピンと来ない。
「……そうですか」
訊き返すのも面倒になってきたので、ルナは頷きもしない。アルフォンスは察して、説明する。
「ルナ君、吸血鬼がどうやって生まれるか知っていますか?」
「吸血鬼の王に噛まれた人間が吸血鬼になるんですよね?」
ルナの知識ではその程度しか知らない。
「いいえ、違います。そうやって生み出されるのは吸血鬼の従徒と呼ばれる、吸血鬼の紛い物、偽物です」
「偽物?」
「はい。世間一般で吸血鬼と言えば、数の多く出会うことの多い『吸血鬼の従徒』のことを指しますが、本物の吸血鬼とは、『吸血鬼の王』のことを指すのです。我々のような軍人が、従徒とも王とも言わずに吸血鬼と呼べば、それは吸血鬼の王のことを指します。では、吸血鬼の王はどのようにして生まれると思いますか」
「……なんか特別な人の血を吸った従徒が王になるとか?」
なんとなく蜂のロイヤルゼリーを思い出して言ってみる。確か、群れを作る蜂は、ロイヤルゼリーを与えられた幼虫が、女王蜂として成長すると聞いたような気がする。
「違います。吸血鬼の王は生まれながらにしての吸血鬼です。何かを特別なことをしても、紛い物は紛い物。従徒が王になることはありえません。では、どうやって王は生まれるのか」
授業じみてきたなとルナは思った。
「吸血鬼の王は、エルフの死体を素材して造られる、人造人間の一種なのです」
そう言われても、とルナが無反応なので、アルフォンスは溜息をつく。
「基礎知識もしっかりと教えなければいけませんねぇ」
「すみませんね、無学で。要点を教えてくださいませんか」
ムカつきながら、話を進めさせる。
「つまり、イーブンソード家はエルフの血筋であり、吸血鬼はその血を求めているということです」
ルナはコルブレルを見た。この小太りのおっさんは、どう見てもエルフには見えない。エルフだと思いたくない。
「なんだかとても失礼な視線を向けられている気がするのだが……。私は婿養子だから、イーブンソードの直系ではないのだ。今のイーブンソード家には、直系はオリィが唯一なのだよ」
「私はエルフを見たことがないので、的外れかも知れませんが、オルシアもエルフには見えないのですが」
ルナのイメージでは、エルフは金髪碧眼で、絵画から飛び出してきたようなスラリと足の長い美男美女だ。
オルシアは、背は高めで幸薄げな美少女だが、絵に描いたような、とは言い難い。
「イーブンソード家にエルフの血が混ざったのは、もう十代以上前の話だからね。我々、メネル族と見た目はもうほとんど変わりはないのだ」
コルブレルが言う。
「そうですか。でも、どうしてそんな血の薄いオルシアを狙うんです? 純血のエルフを狙った方が確実では?」
「そうできない理由があるのだ。エルフ族は既に絶滅していると言っても過言ではない。私は各地を軍務で回っていたが、一度も会ったことがないほど、彼らは希少なのだ。オド学園長ならば、会ったことはあるかも知れないが……」
コルブレルがオドを見た。
「まぁ、ひとりだけだね。この街に来たことがあるよ。あたしが学園の魔導師をやっていたときだから、もう三十年以上前の話さ」
ルナは話がひと段落したのを悟ると、彼らが自分に何をさせたいのか察した。
「つまり、私にオルシアを守れと言うことですか」
コルブレルが慌てて否定する。
「いや、いやいやいや、違うのだ。そこまでは言わない。もし、オリィの周りに怪しい人物が現れたりしたら、フォルスター卿でもオド学園長でも構わない。知らせてほしいのだ」
「これからも、襲撃があると考えているのですか」
「そうです」
ルナの問いに答えたのは、アルフォンスである。
「魔王軍は戦力増強に努めている段階のようです。しばらくは大規模な襲撃はないでしょう。しかし、潜入工作や、散発的な戦闘は、これからも行われると考えてください。そのときに備え、ルナ君も戦力になれるように鍛え上げます」
ルナは顔を顰める。図書室に通える日は来るのだろうか。ルナが肩を落とすと、コルブレルが声をかける。
「もちろん、君たちが戦わなくても済むように、私たち軍人も尽力しよう。君の言葉で目が覚めたよ。私は今の任務を降りる。オルシアと過ごせる時間を作ることにするよ」
この言葉に反応したのはアルフォンスだ。
「本気ですか。そんなことをすれば悪くすれば懲戒処分に……」
「かもしれんな。だが、娘を放って置くこと強いる軍になどはいられん。辞めることになっても、この話は通すつもりだ」
コルブレルの任務は、国内外の凶悪な魔物を被害が出る前に探し出し、その動向を探ることになる。国家の治安を守る重要な任務だ。特にコルブレルの探知魔術は特殊で、そう簡単に辞めさせるわけにはいかないというのが軍の現状である。
大人たちの話が始まる気配を感じたルナは、扉に近付く。
「話は終わりですよね。オルシアのことは善処します」
今度は引き留められなかったが、アルフォンスは去ろうとする背中に言う。
「明日から私も復帰します。訓練も再開するので、忘れないように」
ルナは頷く。二人きりになるのは気まずいが、アルフォンスはルナのことを怪しんでいるわけではなさそうである。動揺しなければ問題ないと思うことにした。




