襲撃 2
◆
馬車の中で揺られながら、オルシアはいつも同じことを考えていた。
「今日もルナちゃんと放課後会えなかったな……」
考えが口から漏れる。ひとりの時間が多いオルシアは、この一年で独り言が癖になってしまった。
突然、胸に痛みを感じ、呼吸が荒くなる。喉の奥に異物感があり、咳き込んだ。押さえた手に暖かい液体が広がる。
(血が……。近頃は問題なかったのに……)
血で汚れた手袋を脱ぐ。馬車の窓を開け、それを外に投げ落とした。捨ててしまうことに罪悪感を覚える。
「ごめんなさい。お父さまに見せるわけにはいかないから……」
誰に言い訳するのか、オルシアはすぐに窓を閉める。
その手袋を拾い上げる人影があった。その影は、その血を味わうと、再び影へと戻った。
やがて馬車は停まり、屋敷に着いた音がする。扉が開けられると、屋敷の狭い庭で、小太りの優しい顔をした年配の男が迎えてくれた。
「お父さま!」
オルシアはなるべく元気に彼の胸に飛び込んだ。
「お、おお! オリィ……、愛しいオルシア!」
彼女の父コルブレル・イーブンソードは、半年ぶりに会う娘オルシアを受け止める。
「手紙の通りだな! 本当に元気になったか!」
「お仕事はもういいの? これで一緒に暮らせる?」
コルブレルは少し残念そうな顔をした。
「すまない、オリィ。そういうわけではないのだよ。この街で起きている事件を解決したら、また任務に戻らなくてはいけない。だが、何日かはいられるだろう。久しぶりの休暇だと思うことにしよう」
オルシアは落胆したようだが、気を取り直すとコルブレルに顔を向けた。
「お父さま、私、お友達ができました。それで……、学園の寮に入りたいのです」
「友達? それはめでたいが……、寮に? いや、いや……。いくら健康になったからと言っても、寮では自分のことは自分でしなければいけないのだぞ。お前は……」
「お父さま。近頃はひとりでも起きられますし、部屋の掃除も、着替えも髪の手入れも、自分だけで終わらせています。どうか、お願い。後悔したくないのです。もっと、前に進みたい、お父さまのような魔術士になりたいのです!」
オルシアに力強く言われ、コルブレルは度肝を抜かれた。今までこんな風に大声で話す娘を見たことがない。力のある視線は、彼女の必死さを物語っている。
娘の成長に安堵しながらも、コルブレルは冷静である。うんうんと頷くと、オルシアの肩に触れた。
「とりあえず、話は夕食の席でしよう。夜風は冷える。先に座って休んでいておくれ。父さまは荷物を片付けるからな」
「はい」
オルシアは素直に引き下がり、屋敷の中に戻る。
「今のは本当か? なぜ世話をしない」
コルブレルは密やかに待機していた執事ドルジェと家政長ネイリルに険しい顔を向けた。彼女らにはオルシアの世話を命に懸けて任せていたはずだ。
「はい。確かに命令されました。ただ、旦那さまはこうも言われました。お嬢さまの願いは可能な限り叶えてほしいと。私たちはオルシアお嬢さまの願いをかなえるためならば、命は惜しくありません」
コルブレルは溜息をついた。
「そうだな。そう命令した。だが、私に先にこういう話をしておくことはできたのではないかね」
「お嬢さまに、自分の口から言うから言わないで、とお願いされましたから」
コルブレルは眉間の皴を人差し指で解した。
忙しくしているコルブレルよりも、彼らはオルシアとの時間を長く過ごしている。それでもオルシアがコルブレルを好いてくれているのは、彼女らのおかげだ。コルブレルは使用人たちを叱責することなどできはしない。
夕食の席で、オルシアは学園生活のことを息もつかさずに語った。特に友人となったという、ルナ・ヴェルデという少女のことを良くしゃべる。
「ヴェルデと言うことはあれかね。ヴァルナ・ヴェルデの一族ということかね」
コルブレルがそう言うと、オルシアは首を横に振った。
「いえ、ルームメイトのイルヴァさんが伺っていましたが、本人は違うとおっしゃっていました。その、私は存じ上げないのですが、ヴェルデと言う家名は有名なのでしょうか」
コルブレルが一瞬、信じられないというような顔をして、思い直した。
「そうか。魔術を習い始めてからまだ一年だったな。知らなくても無理はない。ヴァルナ・ヴェルデというのは、魔術学園という、多くの人に魔術を教えるという概念自体を創った人物だ。それまでの魔術は、個別主義・秘匿主義で、開放されていなかった。わたしやお前が魔術を習えたのも、そのヴェルデさまのおかげというわけだ」
「そんな偉人だったのですね……」
オルシアが魔術を使い始めたのは、入学のほんの少し前である。名前の由来や、歴史については学ぶ時間は少なかった。それよりも魔術の実践を優先した学習を行っているからである。
「その……もうひとつお伺いしたいのですが、お父さまは、七魔剣なのでしょうか」
コルブレルがフォークで肉を口の中に入れようとしたのを止めた。
「学園で、ルナちゃんのことを七魔剣の弟子と呼ぶ方がいて、私のことも七魔剣の娘と……。お父さまも魔術士ですし、七魔剣なのかと……」
コルブレルはフォークを置き、オルシアを困った表情で見つめた。
「オリィ……。悪かった。私のせいだ。学園に入学するとき、このことは話しておくべきだった。私は七魔剣ではない。七魔剣は妻の……お前の母のルミリアのことだ」
「お母さま……。お母さまも魔術士だったのですか?」
コルブレルはオルシアの母の話をあまりしない。執事や家政たちに訊ねても、言葉を濁されるばかりで、いつしかその質問は禁句なのだと思っていた。
だから、その父の口から母の名が出たことに驚いた。
「そうだ。七魔剣とは、この国の七人の戦士の頂点に立つ者を指すのだよ。ルナという娘の師であるフォルスター卿も現役のひとりだ。そして、お前が生まれる前、ルミリアは七魔剣の代表格の、最強の戦士だった」
オルシアは、父が母の話をするところを初めて見た。
居間に飾られている母の姿を写した絵画を、愛おしそうに眺めている姿を見たことはある。
母はドレスのような鎧に身を包み、剣を掲げた勇ましい姿で描かれている。貴族女性の肖像画にしては、珍し過ぎる絵であるが、オルシアには見慣れたものである。
「オリィ……。お前が大人になるまでは、この話はしないようにしていた。だが、魔術士として身を立てるつもりであるならば、知っておくことが必要だろう……。あまり、気持ちの良い話ではないとハッキリ言っておこう」
父コルブレルがいつになく神妙な顔をするので、オルシアは息を飲んだ。
「この話を聞く覚悟はあるかね」
オルシアは父の顔を見つめて、そして、首を横に振った。
「いいえ、お父さま。ありませんわ。だって、お父さまが話したくなさそうなのですもの。でも、ひとつだけ聞かせてください。お父さまは、お母さまのことを愛しておられましたか?」
オルシアの問いに、コルブレルは眉を上げ、そして、微笑んだ。
「もちろんだ。今でも愛している。ルミリアもお前のことを愛しているだろう」
「……それだけ聞ければ充分です」
その後、二人は黙って食事を摂った。黙ってはいるが、なぜか幸せな気分のまま、食事を終えるとこができた。
食後の休憩の中、オルシアは父のことについても訊ねた。
「そう言えば、お父さま。今はどのような任務に就いておられるのですか?」
「ん? おお、そうだな。せっかく魔術士の卵になったのだ。私の魔術も見せておこう」
コルブレルが懐から革袋を出し、その中から美しい小石を取り出した。それを机に放り投げたと思ったら、その小石は散らばることなく回転して宙に浮く。
「これが私の杖だ。私の魔術は魔力に反応し、それを地図上に示すのだが……。見ていろ。この杖を使えば……。星よ、地を巡れ。秘めし明かりに応えよ。我の指にそのありかを示せ」
コルブレルが手を広げ、杖に魔力を吹き込む。杖である小石は、それに応じ、クルクルと回転しながら、一定の配置についていく。
「この赤い石が私だ。そして、その向かいに座るオルシアは、この緑の石。その後ろの黒い石がドルジェで、この下の階にいるのが料理人だな」
他にも家政たちを示す石などが、空中でその位置を示す。人数以上の数の石は、浮かび上がらずに袋の中に戻っていった。
「本来は平面の地図の上、二次元でしか探せない魔術だが、私はそれを一段進化させ、三次元で示す方法を編み出したのだ。風の魔術でこの石を浮かすことでな。オリィも風使いだ。使えるようになるはずだ」
コルブレルは嬉しそうな顔で、オルシアを見た。自分の技術を我が子に伝えることほど、親冥利に尽きることはない。
だが、浮かび上がった石を見つめるオルシアは、なぜか不思議そうな顔である。指で石を数えているようだ。
「お父さま、数が足りません。この屋敷には今、十一人いるはずです。それなのに……」
オルシアがそう言ったとき、ひとつの小石が力を失ったように机の上に落ちた。さらにもうひとつ、小石が落ちた。
コルブレルは立ち上がり、暖炉の上に置いてある剣を急ぎ取る。その様子を見て執事も同様に武器を取った。
「オリィ、私の後ろに。ドルジェ、外の様子を探れ」
執事のドルジェは武器を手に、食堂の扉を開ける。廊下には二人の家政たちが待機しており、次の指示を待っていた。
「ドルジェさん、どうかされましたか」
武器を持ったドルジェに動揺した家政らだが、その声は冷静である。
「侵入者だ。誰かが死んだ」
二人の家政はスカートの中から携行型の武器を取り出すと、それを構えた。
「畏まりました。私が様子を見て参ります。ドルジェさんとルイはご主人さまの警護を……」
「いや、私も行こう。吸血鬼かも知れない。ドルジェとルイで、オリィを守れ。それと増援を呼べ」
執事ドルジェは懐から手紙とペンを取り出す。それに簡単に内容を書くと、一定の手順で手早く折る。手紙魔術は、誰でも使えるように紙自体に魔術が既に込められている。それで増援を呼ぶのだ。
部屋から出てきたコルブレルはその手の上で石を浮かしたままだ。確かに侵入者を探し出すならば、彼以上に適任はいない。
「畏まりました。お嬢さまはお任せください。エリー、コルブレルさまをくれぐれもお守りしなさい」
「はい。参ります。ご主人さま、私の後ろに」
「わかった」
手際の良さは訓練の賜物である。イーブンソード家に仕える者は、須く戦闘訓練を積んでいる。
そして、家長であるコルブレルは大きな腹をしているが、魔物退治の専門家である。経験だけでいうならば、この国でも屈指の戦士である。
彼は街に侵入した吸血鬼を探し出すために、この街に呼び戻されたのだ。
ただひとり、オルシアだけが一体何が起こっているのか理解できず、食堂で立ち尽くすのみだった。
◆
短い時間で湯浴みを終えたルナは、疲労を押して机に向かった。
治癒魔術で疲労を取ることはできるが、自身の治療というのは寿命の前借のようなものであり、なるべく使わないことに越したことはない。
イルヴァは部屋にいない。談話室か誰か友人の部屋に遊びに行っているのだろう。彼女は友人知人がかなり多い。色々と考えていることがあるようで、人脈作りは彼女のライフワークだ。
鐘が外で響いた。
「こんな夜中に? 珍しい」
日はすっかり沈んで、夜の闇が窓の外に広がっている。開け放たれた窓から、冷たい空気が流れ込む。少し不快な感じがして、ルナは窓を閉めた。
イルヴァが残念そうな顔で部屋に帰ってくる。
「どうしたんですか?」
「寮長に部屋に戻れって言われた……」
その後ろで寮長のミニティが言う。
「その通り。ルナさん。街に戒厳令が出たわ。だから、今日はもう部屋から出ないで」
「戒厳令? 何が……」
「悪いけど、アタシも知らないわ。でも、理由はひとつよ。魔物が出たんだわ」
ミニティはそう言うと、他の部屋を見回りに行った。
「魔物ってまさか」
「だね。多分、吸血鬼が見つかったんだろうね。でも、安心したよ。この街に七魔剣がいるときで。明日の朝には退治されてるでしょ。学園内は強力な結界が何重にもなってるから、この街で一番安全な場所だしね」
イルヴァが言うが、なぜかルナは胸騒ぎがした。
もう一度窓を開け、外の様子を伺う。街の光の中に、飛び去るアルフォンスの姿が見えた。呼び止めて事情を訊きたいが、ここからでは遠過ぎるし、仕事の邪魔をしてしまうことにもなる。
「大丈夫でしょ。アタシたちが襲われることはないって」
イルヴァもアルフォンスの見送ったあと、ルナの背中を軽く叩き、あくびをした。
「イルヴァさん、あっちの方角には何があるんですか?」
ルナが問うと、イルヴァは少し考えた。
「ええと、あっちが商店街だから、あっちは貴族街かな? ああ、オルシアのことが心配なの? 大丈夫だよ。だって、イーブンソード家だし」
「イーブンソードだと大丈夫なのですか? どうして」
「あそこは吸血鬼を狩る一族だったからね」
「だった、とう言うのは?」
「うん、あー。……今の当主が入り婿らしくて、直伝の魔術が途絶えたとかなんとか。オルシアの母親が行方不明だって、ルナは聞いてない?」
ルナは否定した。オルシアからは家族のことは聞いていない。
「そっか。じゃあ、アタシが話せるのはここまでかな。ハァ、アタシ寝るわ。こういうときは寝て待つのが一番だよ」
イルヴァがベッドに登り眠りに就く。ルナは嫌な予感がした。この感覚には覚えがある。
怪人。
魔神ヴェルディクタによって操られた人々が変貌した姿。彼らは人知を超えた力を使い、人類を滅ぼすための操り人形と化していた。その怪人が現れたときのような不快な異物感が、ルナの心臓を叩くのだ。
(オルシア……)
ルナはベッドに明かりを消し、ベッドに潜り込んだフリをした。毛布を丸めて、ベッドの中にいるような簡単な偽装を施すと、開けた窓を外から閉める。そして、庭に静かに降り立った。
「テラ、ディー・ミッヒ、フォルマ・トゥアム」
静かにそれを告げると、庭の植物がルナを覆い、そして、戦うための鎧としての力を貸し与えてくれる。緑のドレスを纏ったルナは、目を見開いた。
(何もないならそれでいい。でも……)
こういうときのルナの予感は当たるのだ。
(もう、誰も傷つけたくない)
ルナは夜の闇に紛れ、街へ向かうために学園の城壁を跳び越える。そして、アルフォンスが消えた方向に向かった。




