戦姫たち
◆
巨大な狐の姿のカンナは跳び上がり、空から落ちてくる氷の塊を、器用に口で受け止めた。
慎重に着地し、それを地面に置く。
「冷たてぇ……」
前足で舌をマッサージして、血流を回復させる。
氷の塊の中には、人がいた。カンナも知っている人物だ。
「ディルタのアホめ。先走りやがって」
氷の中のディルタの表情は、満足そうである。
「ハァ……。運ぼうにも、こう冷たいとな」
街の抑制結界は、カンナの力も抑制していた。巨大な姿になれないわけではないが、変身には時間がかかってしまう。だから、物陰に隠れてやり過ごしていた。
その結界が消え、ルナの元に向かおうとしたとき、ディルタが放った魔術でティタンゾンビは凍り付いた。
ディルタの魔術は街に侵入した不死者たちを、完全に凍らせてしまったようである。しばらくは融けることはない。
「これ、融ける……よな?」
爪で凍り付いたディルタを触る。冷気が爪を凍らせた。
「面倒だ。ここに置いていくか」
誰かを呼びに行こうとしたとき、ルナの気配を感じて振り返る。
「カンナ! またその姿になってるの⁉」
ルナはカンナのこの姿をあまり気に入っていないようだ。
ルシオに背負われたルナが近付いてくる。
「なんだよ。この姿になったから、ディルタを助けられたんじゃないか」
「……だって、小さいのがかわいいのに……」
「あのなぁ……。そんなこと言ってる場合かよ!」
ルシオが呆れたようにカンナを見ている。
「これが君の使い魔……? 使い魔ってこんな大きくなるのか……?」
ルシオはルナを口説こうとしている奇特な男だ。ある意味、肝の大きな尊敬できる男だとカンナは思っている。
ルナはディルタの様子を見ようと、ルシオの背から降りた。カンナが注意する。
「触らない方が良いぜ。内側から冷気を出してやがる。凍傷になるぞ」
ルナはその言葉を聞いて、手をかざすだけにした。
「ありがとう、カンナ。助けてくれて」
ディルタは氷の中で、眠るように完全に動きを止めている。
「これは……、生きているんだよね?」
ルナは訊ねるが、答えられる者はいない。
満足そうに眠るディルタに、何となく腹が立つ。こんなことをして、リリアナをどうするつもりなのだ。
「ホント、バカなんだから!」
しかし、氷の魔術は完全事象化しても、熱があれば水に融け戻るはずだ。中から湧き出るような冷気があるなら、魔術がまだ行使されている証拠だ。
(融かせば元に戻るの? いえ……、下手に融かせば、細胞が破壊される。
もし体内まで凍りついているのなら、何か別の魔術で保護を……。治癒魔術で再生させながら……?)
ルナはディルタを解放する方法を考えるが、凍りついた人間を解凍する方法など、前の世界の技術でも知らない。
「アル先生を呼ばないと……」
困ったときに頼るのは悪い癖だとは思うが、頼れるのだから仕方がない。
手紙鳥を書こうと懐から取り出す。血と埃で紙はボロボロになっていた。これでは飛び立たせるどころか、字を書くことも難しい。
「ルナ、俺の魔力を使え。お前なら使えるだろ」
カンナの言葉にルナは驚いた。
「いいの? あなたは嫌がると思ってた」
「そりゃ、好きじゃねーけど。時と場合は理解してるぜ」
「わかった。使わせてもらう」
ルナがカンナの大きな鼻に触れると、その魔力が流れ込んでくるのを感じた。それがドレスの下、皮膚の上。そこに留まり、体内には入り込んでこない。
ドレスに血液のように張り巡らされた魔力は、ルナの体の一部として認識される。この感じには覚えがあった。しかし、その魔力はルナの中には浸透せず、あくまでも外の魔力として振舞っている。
(私の……、おばあちゃんの魔法だ。そうか。カンナは魔法の力を失う前に作り出した使い魔だから、まだ残ってたんだ)
そこでようやく理解したのは、自分が今まで使っていた魔力は、外の魔力だったということだ。ルナ自身の中にある魔力など、大した量ではない。魔装を着ることで、その外の魔力を安全に使えるようになっていた。
外の魔力と内の魔力。
現代魔術においては、当たり前すぎて、誰も考えないことだ。
外の魔力を取り込めば、魔物と化す。もし、人としての形と精神を持ったままでいたいならば、外の魔力を使うことは考えないことである。現代の魔術士の基本である。
岩から魔力を取り込めば、体が岩に変わる。草木から取り込めば、草木に。空気から取り込めば、空気に。魔物から取り込めば、魔物に。
人は人の形を失わないために、見格好を整え、魔術のイメージを固定することで、そのリスクを最小限にした。自分の魔力だけに力を制限することで、人は人のまま、人を超越する力を使うことができる。
(ダウリさんが仕掛けた魔術だとは思えない。それにディルタのこの魔術。あきらかに実力を逸脱している。
私のせいで、こんなことになったの? 私がドレスを作ったから……)
このドレスは外の魔力を取り込む。おそらくはディルタの着るスーツも同じ力を持ったのだ。外の魔力を取り込んだことで、氷となってしまったのだとルナは考えた。
ルナの傷がカンナの魔力に修復されていく。同時に血と埃にまみれたドレスが、純白を取り戻していく。
カンナが身を震わせ、ルナは慌てて手を離した。
「うう! 気持ち悪! この何かが抜けていく感じ、最悪の気分だ……」
「ご、ごめん。ありがとう、カンナ」
ルシオが感心して口元を押さえ、何かを考えている。
「すごいな。使い魔魔術には、そんな使い方があるのか。緊急時の魔力貯蔵庫として使えるなら、沢山使い魔を作っておけば、魔術を使いたい放題じゃないか」
「カンナはかなり特別な造りです。全然、言うこと聞いてくれないし……。
使い魔を沢山使役すると、それだけ魔力を消費するから、他の魔術が使えなくなりそうですけどね」
カンナがルナの背中に回り込むように体を擦りつけた。巨体に押されてよろめく。
「そんなことより、まずいことになってるぜ。オルシアが攫われたみたいだ」
「え?」
カンナのいきなり話に、ルナは狼狽える。
「オリィ? どうして、そこで彼女が攫われるの? この街の破壊も、オリィを攫うためだったわけ?」
「知るか! けど、吸血鬼っぽい奴が、オルシアを抱えてるのを見たんだ」
「吸血鬼……。あいつか……!」
ルナには覚えがある。だが、あの吸血鬼は死んだはずだ。別の吸血鬼かも知れないが、何となくあいつは生きている気がしていた。
変幻自在のあの吸血鬼が、そう簡単にくたばるとは思えなかった。
「どこにいるの」
「どこって、空の上だ。飛んで行った方向はわかるけど……。まさか、このまま追うつもりかよ⁉ 生きてるかもわからないぞ」
「エルフの血が混じったオリィは、吸血鬼の王の素質がある。でも、吸血鬼の王を作り出すには、かなりの儀式が必要だって、本に書いてあった。
儀式が終わるまではオリィは生きているはず。だから、追って取り戻す!」
ルナは魔力とともに、怒りと後悔の念が湧き上がってくるのを感じる。
(あのオーク、時間稼ぎだったの? いえ、話をしようとしたのは私か……)
ルナはカンナに飛び乗る。カンナは嫌そうにする。ルシオが止めるように、ルナを見上げた。
「お、おい。本気か⁉ せめて、他の魔術士と合流してから……」
「ルシオさん、すみません。でも見失ったら、もう見つけられないかもしれない。
アル先生……、フォルスター魔導師にこのことを伝えてください! ディルタのことお願いします!」
カンナが跳躍し、瓦礫の向こうに消えた。ルシオはその素早さに呆然と口を開けて見送った。
また取り残されたルシオは、ルナについていくのは難しそうだと感じる。
高嶺の花どころではない。彼女は険しい山奥に住む狼なのだ。
◆
リリアナはテラスに寝転んで、星空を眺めていた。晴れているのに雪が降り続けていた。
星空と六花が、街の明かりに反射して、美しく輝いている。
「きれい……」
まるで自分が自分でないような感覚で、フワフワとしている。降り注ぐ雪が、リリアナを見ている気がする。いや、リリアナ自身が見ている。雪の結晶に反射する自分自身が、リリアナを見ている。
その視界を遮る者がいた。鷹が上空を旋回している。
「リリアナ君、意識はありますか」
「アルフォンスさま」
覗き込まれ、目だけを動かしてアルフォンスの整った顔を見た。相変わらずに美しいが、少し疲れているようだ。
アルフォンスはリリアナの額に触れる。彼の暖かい魔術が流れ込むが、治癒魔術ではないようだ。
「大した怪我はないようですね」
「問題ありません。ロバルトは……」
「無傷です。意識はないようですが」
「……師匠は」
「メルビム魔導師がここに?」
天文観測所には争いの後はない。倒れているのは、リリアナとロバルト、それと知らない少女だけである。
「アル。見てくれ」
グリオンがその知らない少女の姿勢を正した。胸に鋭い一撃。心臓ごと抉られている。
アルフォンスはリリアナを支え、立ち上がらせる。リリアナにも全く傷はなく、ドレスにも汚れはない。ここで戦いがあったとは思えない。
部屋の中に戻る。不思議なほど天文観測所は落ち着いている。
少女の死体から、リリアナは目を逸らした。
グリオンが見ていた少女は、メルビムに似ていた。彼女の孫か、曾孫と言っても信じてしまいそうだ。
いつもメルビムが着ていたローブと、同じものを身に着けている。
「まさか、この少女がメルビム魔導師なのですか」
「……はい」
リリアナの答えに、アルフォンスは目を細めた。
「原初無界の魔術。死の魔術ですね……」
アルフォンスはメルビムの乱れた髪をやさしく治す。
結界によって人との境界をなくし、時間すらも超越するという禁術である。
天文観測所に争いの痕跡がないのも、メルビムの魔術によるものだろう。アルフォンスも知識としてしか知らないが、この魔術の行きつくところは、術者の死だ。対象と術者は生まれる前の姿にまで戻り、消え去ることになる。
しかし、メルビムの魔術は不完全に終わったようである。
「リリアナ。あなたのせいなどとは思わないでください。私のせいです。私があの吸血鬼を逃したせいだ」
アルフォンスはメルビムの胸に空いた穴を見たことがある。黒炎による傷だ。
だが、どこで見たのかはハッキリとは思い出せなかった。リリアナがこの傷を受けたのだったか。
「でも、私……。私は……」
リリアナのこの状態は、アルフォンスもグリオンも覚えがある。
あまりに色々とあり過ぎて、現実感が薄れているのだ。そして、ふと我に返ったときに、危険な状況になる。
アルフォンスはよろめくリリアナを抱きしめる。
「良くつらい状況を耐え抜きました。もう独りではありません。あなたが無事でいてよかった。今は無理に何かをする必要はありません」
リリアナはようやく感情を発露し、アルフォンスの軍服を涙で濡らした。
しばらく、そうしてリリアナは泣いていたが、あまり時間も経たないうちに我に返って、アルフォンスから身を離す。
「申し訳ありません。取り乱しましたわ」
「落ち着いたみたいですね。しかし、無理はする必要はありません」
「はい……。感謝します、アルフォンスさま、グリオンさま。しかし、こんなことをしている場合ではないのです。
オルシアが攫われました。すぐに追わないといけません」
「オルシアが」
グリオンが顔を上げる。覚えのある話だ。
「いえ。今はこの街の安全を確保するのが先決です。リリアナには結界魔術の再構築を手伝ってもらわねばなりません。
軍の再編と、侵入した魔物を排除し、その後、追撃隊を正式に組織します」
アルフォンスの言うことはもっともで、この状況で個人に構っている暇はない。
アルフォンスはハッキリとは言わなかったが、オルシアを諦めるという決断をしなければならない。
リリアナもわかっていることだし、こんなことは言いたくないが、アルフォンスを動かすために嘘を口にした。
「ルナが単独で追跡しています」
「な……」
リリアナはそのことを知っていたわけではないが、ルナならばそうすると考えた。
「今、追わなければ、見失ってルナを失ってしまいますわ」
アルフォンスはまた血圧が上がるのを感じる。大きく深呼吸をして心を落ち着けると、リリアナを見た。
「駄目です。追うことは許可しません。
あの吸血鬼を追うのならば、少なくとも七魔剣級の実力者が必要です」
グリオンが補足した。
「二人だ。七魔剣が二人必要だ。
校門の破壊の痕を見ただろう。あれはルミリア・イーブンソードの魔術だ」
「そう……ですね。応援を呼ばねばなりません」
「ルミリア……イーブンソード」
リリアナには聞き覚えのない名だったが、思い当たるのはひとりしかいない。
「あの吸血鬼は……、オルシアの母親なのですか」
「ええ。ハッキリ言いましょう。ルミリアの破壊力は、僕よりも上です。
もちろん、総合力では僕の方が上ですが、体力を万全にしなくては勝てないでしょう」
「七魔剣……、天険の魔剣士ルミリア」
十年以上前に活躍した魔術士である。リリアナの世代の子が知っているのは珍しいが、宮廷魔術師である父親から話を聞かされていた。
アルフォンスはグリオンの行動を咎める。
「ロバルトに触れないでください、グリオン・パーシバル」
その言葉にロバルトを抱えようしていたグリオンは止まった。手を上げて、何もするつもりはないとアピールする。
アルフォンスのグリオンを見る目には、敵意と疑念が含まれているのを感じた。リリアナは思い当たることがあり、アルフォンスの視線を遮った。
「アルフォンスさま、グリオンさまは味方です」
「わかっています。ですが、信用はできない」
「……あの力を、見たのですね」
「そうです。……リリアナ君は、知っていたのですか。あなたまで僕に秘密を……」
「あなたにだけではありませんわ。わたくしは誰にもグリオンさまのことを話してはいません。
わたくしはグリオンさまに命を救われました。確かに初めは疑念を持ちましたが、グリオンさまは味方であると今は確信しております。今は味方同士で争っている場合ではありません!」
いつの間にかテラスに降り立っていたキューリが噴き出した。
「教え子に説教されてますよ、アルフォンスさま!」
「キューリ、あなた……、そんな性格でしたか?」
アルフォンスは息をつくと、肩の力を抜いた。リリアナはアルフォンスの腕に触れる。
「本当にお疲れのようですわ。少し休んでくださいまし」
「そうします。統律城へ行きましょう。あそこであれば安全のはずだ」
安全であるし、ベルキオン伯爵が補佐を求めていることだろう。
「じゃあ、ロバルトを背負っても構わないか」
グリオンが言うので、アルフォンスは仕方なく頷いた。
リリアナはメルビムの長杖を拾う。思ったよりも軽く、それでいて硬い手触りが心強い。
メルビムの死体を見る。ほんの半年間、師匠だっただけだ。それが今さらながらに、大きな存在として、心の大部分を占めていたと知る。
自分が師の魔術を全て受け継げたとは言い難い。
また、視界が滲んだ。それを振り払うと、杖の先で床を鳴らした。
「オルシアを、失いたくありません。
アルフォンスさま、七魔剣級の魔術士がいれば、追撃を許可していただけるのですわね」
リリアナの決意を込めた口調に、アルフォンスは片眉を上げた。
「何をするつもりですか」
リリアナは大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。
「わたくしがこの街の結界を張ります」
アルフォンスはいったい何を言い出すのかと、リリアナを見た。
ミルデヴァの街の結界は、魔石に複数人で魔術を籠めて作り出したものである。メルビムがひとりで張ったものではない。
要石である魔石が失われ、結界魔術師が失われた今、それを再構築することはできない。新たに魔術を施す必要性がある。
それも知らないリリアナではない。
「わたくし、ずっと忘れておりましたの。どうしてメルビム師匠の弟子になろうと思ったのか。
何の違和感もなく、レデクス村でアンに会い、その理由も思い出すことはありませんでした。
でも、思い出した今、再び仲間を失うわけにはいきませんわ」
アルフォンスには何の話をしているのかわからなかった。だが、リリアナの中で変化が起きたことはわかる。
「錯乱しているわけではなさそうですね。張ることができるのですか」
「メルビム師匠と一緒にずっと考えていたのです、新しい結界を。それを試します」
「わかりました。やってみてください」
リリアナは目を瞑った。
アンを忘れてしまっていた。レデクス村で暮らすアンは、リリアナの知るアンではなかった。でも、アンはアンだった。
良く笑うアンと、いつも不機嫌そうなアン。対照的な人物像が、リリアナの中に蘇る。
それはメルビムの魔術が起こした副作用だった。
リリアナを守るためにその体の時間を戻したことで、改変された現実が元に戻った。記憶を保持しながらも、リリアナは別次元の自分自身と融合したのだ。
特殊な状況と偶然が、リリアナを覚醒へと導く。
(もっと早くに思い出せていれば)
リリアナは目を開けると、ドレスに魔力を取り込む。そして、アンから教わっていた呪文を唱える。
誰の助けも得られないときに唱えろと言われた呪文である。
「アナスタシア、力を貸してくださいまし」
忘れてしまっていたという後悔と、仲間を守るという決意が、魔力を呼び起こさせる。
「大地よ、我にその姿を与えよ。アストラリーズ!」
リリアナの赤いドレスが、周囲の空気を取り込んでいく。美しいドレスに、無骨にも見える鎧が形成され、その姿は戦姫を思わせるものへと変わる。
それは、アルフォンスの追いかけていた者の姿に良く似ていた。緑のドレスの女だ。
赤い魔装を着た戦姫リリアナは、ずっと大人びて見えた。
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