心臓の音
◆
雪の魔術が不死者たちを凍らせる中、グリオンはその雪を手に取った。六花を描く雪の結晶は手のひらの体温で、簡単に溶けて消えてしまう。
「どうやら、敵判定はされなかったみたいだ」
さっきグリオンがアルフォンスの代わりに受けた傷は、すでになくなってしまっていた。人であれば即死であったはずの傷だ。
地面に膝をついたアルフォンスは、その姿を見て、複雑な思いだった。
「グリオン……、あなたはいったい何者なのですか」
この手に持つ魔槍を突き入れれば、グリオンを殺すことができる。そうするべきなのか、迷う。
「俺は、グリオン・パーシバル。モリーの夫で、ミリアの父だ」
「……その姿、吸血鬼の力ではないのですか」
「確かに俺は、今は吸血鬼だが……。敵ではない。それは信じてくれ」
「……」
今し方、命を助けられたばかりだ。命の恩人であり、親友を殺したくはない。しかし、今までもアルフォンスは、そう言った人から魔物に変わった者たちを始末してきた。
私情で吸血鬼を見逃すことはできない。今まで殺してきた者に申し訳が立たない。
グリオンの事情は複雑だ。
一度は吸血鬼の従徒となり、そして、人に戻った。そのはずだった。
もし、吸血鬼だということを隠し、アルフォンスを騙していたというのであれば、それも魔王軍の策略だったのか。しかし、グリオンはアルフォンスを助けた。それは魔王軍の策略だとは思えない。
「どういうことなのですか……。なぜ、黙っていたのです」
「それは……。
待て……。魔力を感じる」
「魔力?」
グリオンはどこかを向いている。まだ魔物の生き残りがいるのだろうか。
「立てるか、アル。ひとりで勝てるかわからない。お前の助けが必要だ」
アルフォンスはその言葉に、何とか立ち上がる。
「やれやれ……。もう、僕は疲労困憊なのですが……」
「だから何だと言うんだ。疲れたから、立ち上がらないのか? お前はまだ軍人だろ」
アルフォンスは苦笑いした。
「嫌味ですか。緑のドレスの……、ルナ君の性格が移ったのですか」
「知っていたのか。けど、嫌味はお前の教えだろ」
アルフォンスは微笑んだ。平静を装いながらも、心の中は穏やかではなかった。
◆
グリオンが案内したのは、もぬけの殻になった孤児院である。
今はアルフォンスが運営資金を援助している、ロウリとイヴが暮らす孤児院だ。以前は友人がここを支援していた。その友人は、この施設の出身だった。
「どうしてここに……」
グリオンは剣を抜いたまま、孤児院の玄関扉を開けた。中は薄暗く、いつもより雑然としている。
人の気配は感じないが、一階の広間には、黒い塊が蠢いていた。人ほどの大きさそれは、暗闇で輝く目をしている。不死者特有の目だ。
アルフォンスも槍を構える。
「なぜこんなところに……」
孤児院には争った形跡や、子どもたちの死体は見当たらない。無事に避難できたのだ。そんな場所に魔物が訪れる理由はない。
それに黒い塊は、アルフォンスとグリオンの姿を見ても、逃げる素振りも、戦う素振りすら見せない。
『……ア……アル。グリオ……ン』
ひび割れた井戸の底から聞こえるような声を、黒い塊が発する。その声には聞き覚えがあった。
「ヴァージル……」
もはや人の形すら保っていない。
ヴァージル・レインロッドは、魔物レヴェナントと化したと聞いている。そのレヴェナントであるはずのヴァージルは、手足は捥げ、黒く焼け焦げた、肉塊にしか見えない。
グリオンが剣の切先を向けた。
「俺もこうなっていたのかもしれないな……。魔王軍に加担した者の末路か……。哀れだな、ヴァージル」
そう言われたヴァージルは、這いずって頭をグリオンたちに向けた。
『イエールも……、ダズも……。どこに、いるんだ……』
グリオンは目を細めた。
「ふざけているのか……、みんな死んだ! もう、仲間で生きているのは、俺とアル、モリーだけ……」
アルフォンスがグリオンを止める。
「グリオン。どうやら、もう彼の心はここにないようです」
グリオンは口を閉じる。
ヴァージルは耳が聞こえていない。目が見えているのかも怪しい。心は過去に飛び、現実の中にすでに居場所はなかった。
『……姉さんが、いないんだ。いつも、ここで本を読んでいるのに……』
グリオンはその言葉を聞いて、目を瞑った。
ヴァージルの姉は、すでにこの世にいない。いつも、ヴァージルのことを心配する、儚げな少女だった。
彼が騎士になるとき貴族の人質にとられ、そのまま帰らぬ人となってしまった。
それでもヴァージルは騎士として、国に忠誠を尽くしていた。だが、姉が死んだときから、彼の心はここになかったのかも知れない。
そして、そのことをずっと恨んでいたのだろう。
「トドメを刺す。構わないな、アル」
「……」
このまま、放っておくことはできない。このままでもすぐに死んでしまいそうであるが、万が一にも復活する可能性は捨てきれない。
ヴァージルは大罪人だ。魔王軍に手を貸し、フィオナ王女を攫おうとした。そして、この街にまたやってきたと言うことは、襲撃に手を貸したということだろう。
居場所がわかり次第、アルフォンスが任務で殺す予定になっていた。止める理由は皆無だ。
グリオンがヴァージルの胸に刃を突き立てようとする。
いつものアルフォンスであれば、止めることはなかった。だが、グリオンに対する疑念。魔王の話。そして、自分の持つものを考える。
「待ってください」
グリオンはアルフォンスの言葉に手を止めた。
「これを試してみたいと思います」
「それは……?」
アルフォンスは小さな紙を懐から取り出した。紙を二枚合わせ魔術的な封印が施されている。中には丸く小さな何かが入っているようだ。
「緑のドレスの持っていた植物の種です。あなたを正気に戻した魔術に使われたものです」
「吸血草か」
「知っていましたか。……当然ですね。
これを使えば、不死者を人に戻せるかもしれません」
「……」
アルフォンスは紙の封印を破り、中から毒々しい極彩色の種を取り出す。
アルフォンスはヴァージルの体を仰向けにした。ヴァージルは痛みを感じているのか、呻き声を上げる。
『アル、どうしてこんなに暗いんだ……。手足の感覚がない……。治癒魔術で治してくれ……』
ヴァージルの声は、声帯から出ているのではなかった。彼の胸に露出した赤色の魔石が、空気を振動させているのだ。
その魔石こそが、レヴェナントの核である。これを破壊しない限り、いくら肉体を破壊されようとも、不死者であるヴァージルは生き続ける。
痛々しく、グリオンの言う通り、哀れである。
子どもの頃、まだ楽しかった時期を思い出した。皆、心に傷を負いながらも、楽しんでいた時期を。
「……えてください」
アルフォンスは種を落とそうとした手を止めた。
「アル。やるなら早くした方がいい。人に見られるのは危険だ」
グリオンにはわかっているのだ。
ここでヴァージルを治せたとしても、もう元のヴァージルには戻れない。
精神が破壊されているだけではない。彼は反逆者だ。追われる身になるだろう。捕まれば、魔王軍の情報を引き出せるだけ引き出したあと、死んだ方が楽に思える刑に処されることになる。
それだけで済めばマシな方だ。グリオンとの違いは、彼は望んで魔物になった。
「…………」
「アル」
グリオンが呼びかけに、アルフォンスは種を握り直す。
「ヴァージル、教えてくれ……。僕は、どうしたらいい。ヴァージル、お前は……」
声は聞こえていない。ヴァージルは呻くだけだ。
「……」
誰にも答えなどわからない。
手に力を込めると、種は砕け散る。
「アルフォンス……」
グリオンは驚きはしなかった。
アルフォンスは、魔槍をヴァージルの核に突き立てる。核は砕けるのではなく、小さな刺し傷の中に吸い込まれるように消えていき、黒い肉塊だけがそこに残った。
呼吸が浅くなるのを感じた。汗とともに視界が滲む。力が抜け、突き立てた槍を支えにするしかない。
またひとり、友人が消えた。何度も耐えてきたことだ。それでも慣れることはない。
確かに吸血草の種は、グリオンを正気に戻しはした。だが、まだグリオンは吸血鬼の力を有している。
この種の存在は、あまりにも危険である。
人の不死の欲望を叶えるだけではない。魔物の魔法を得ることもできるのであれば、どんなことをしても手に入れようとする者もいる。持ち主であるルナの元に、殺到することになる。
魔物と人間の境界がなくなり、国は混沌へと向かう。今まで汚泥を啜ってまで守ってきた世界が、一瞬で崩壊する。全てが意味を失う。
(ルナが魔王であるならば、それが狙いなのか。それとも……)
「それで、良かったのかもしれない。
ヴァージルは、俺たちの知っているあいつは、もうずっと昔に死んでいたんだ……」
「……ええ」
グリオンの声が、どこか遠くに聞こえた。自分の体が自分のものでないような感覚に、アルフォンスは眩暈を覚える。血圧が下がり、そして急激に上がった。
ルナの信用を得るために、努力していた。厳しくしつつも、己の全力を尽くして、魔術を教えていた。
その全てが、裏切りであったのであれば、自分自身の手で正さねばならない。
アルフォンスは立ち上がる。
グリオンはその背中に殺気を感じ、剣を構えた。体の脇を魔槍の刃が通り過ぎる。かすり傷でも致命傷になる刃に、グリオンの背中に緊張が走る。
一瞬でも体のひねりが遅れ、剣で刃の軌道を逸らすことができなければ、グリオンも別空間に吸い込まれ、跡形もなく消え去ることになっていた。
後ろに跳び、距離を取る。アルフォンスの紐の魔術は発動していない。グリオンを殺すつもりがないのではない。魔力が足らないだけだ。
グリオンの剣の刃は、魔槍を受け止めた場所だけが、綺麗に丸く抜け落ちている。もう武器としては役に立たない。
「なんのつもりだ、アル!」
グリオンの叫びに、アルフォンスはその目を光らせる。
「なんのつもり? それは僕の台詞ですよ。
僕にこの種を使わせて、人を魔物に変えさせるつもりだったのですか。それとも、この街の住人を全員魔物にするための前準備ですか。
昔、僕を助けたのは、僕を操るため?
わからない。けれど……、僕は今まで殺してきた人たちのためにも……、考えを変えるつもりはない」
「何を……」
アルフォンスは踏み込み、グリオンに槍を突き立てようとする。グリオンはさらに下がる。
「やめろ! 錯乱しているのか⁉」
「……錯乱などしていません。ただ、仕事をしているだけです。
あなたの主人は、あのシアリスという吸血鬼ですか。それとも魔王ですか」
グリオンは何と答えれば良いか逡巡した。
「待ってくれ。話を聞け!
今の俺の主人は……、不思議なことだが、ルナなんだ。ルナの力を借りて、この力を使えるようになったんだ」
「なるほど……、つまり、ルナも吸血鬼というわけですね」
「違……」
アルフォンスの槍の速度が増す。吸血鬼の力に目覚めたグリオンに、躱せない速度ではない。完全なる殺意が籠っているのを感じる。
アルフォンスは声を出しているが、会話をしているわけではない。
自分に有利な状況を作り出そうとしているだけだ。アルフォンスの七魔剣『処刑人』としての顔が見えた。
「本気でやるつもりか。ルナも殺すのか」
「どうでしょうか。それは彼女に会ってから考えます」
アルフォンスは魔力を使い切り、肉体もかなりの疲労を負っている。グリオンにも今なら勝ち目がある。
ただ、アルフォンスは魔術士であるが、軍人として格闘技術も磨いている。そこに魔槍が組み合わされば、決して油断ができる相手ではない。
(逃げるべきか……。だが、ここで逃げれば、家族に何をされるか……)
アルフォンスは一度、殺すと決めた者に容赦はしない。その家族・関係者にも決して慈悲をかけることはない。そこはある意味で、信頼できる。
グリオンは剣を捨てた。両手を降ろし、無抵抗の意を示す。
もし、本気でやり合えば、お互いに無事では済まない。家族を殺されることも、アルフォンスを殺すことも、グリオンには耐えられない。
グリオンが恐れていたことも、アルフォンスは知っている。
いつか、グリオンの中の吸血鬼が暴れ出し、家族を手にかける可能性があったことを。
「逃げるつもりはないということですか」
「ああ。そうだ。抵抗はしない。
ルナも俺に吸血鬼の力が宿ったのは、予想外だったみたいだ。そのことも考慮して、冷静に話をしてほしい。
俺については、この混乱で行方不明になったことにしてくれ。
どうせ、一度拾った命だ。惜しくはないが……、モリーとミリアには手を出さないでくれ。何も知らないし、ただの人間だ」
「お腹の中の子は? 吸血鬼になってから、できた子どもではないのですか」
「それは……、わからない。けれど、モリーにも子にも何の異常もない」
グリオンは吸血鬼から人に戻り、そして、軍を辞めたあと、しばらくは家で休養を取っていた。その間に、妻モリーの中に第二子が宿っている。
不死者である吸血鬼に、子どもができるという話は聞いたことはないが、もしそれが可能であるならば、人の社会の中での幸せはない。
「……いいでしょう。前にした約束の通り、ふたりの安全は保障します」
「ありがとう、アル」
グリオンは吸血鬼の力を収め、目を瞑った。
「さようなら、グリオン」
アルフォンスは躊躇なく、足を踏み出す。
魔槍がグリオンの心臓を貫こうとした。だが、グリオンは影になって移動し、それを躱してしまう。
「チッ! やはり信用できませんね!」
「ちょっと待ってくれ! 誰かの気配が……」
「悪あがきを……」
追撃しようとしたアルフォンスも気配を感じ、扉の方を見やる。小さな影が星明り顔を覗かせている。隙間から顔を出していたのは、鷹だった。
「キューリ? なぜ、ここに」
アルフォンスの使い魔だったキューリが、申し訳なさそうに顔を見せる。
「その、お二人のお邪魔をするのは、本意ではないということを先に申し上げておきます。
しかし、ご友人同士で遊んでいる場合ではありません」
キューリにそう言われて、グリオンとアルフォンスは顔を見合わせる。
張り詰めていた紐が緩み、忘れていた呼吸を思い出させる。ようやく、自分の状態が、普通でないことを知る。
心拍を正常に戻そうと、アルフォンスは息を吐いた。
「アルフォンスさま。外の空気を吸って、少し頭を冷やされてはいかがですか。時と場合を考えられた方が良いと存じますが」
キューリはアルフォンスの支配下にいたときは、そんなことを言うことはなかった。
自由を得た今、もう猫を被る気はないようだ。それとも、キューリもルナの影響下に入ったのだろうか。
「ルナさまは秘密主義者です。そのことはあなたもご存じのはず。取り返しのつかないことをする前に、お話をされてみてはどうですか」
アルフォンスは溜息をつく。弟子のことでいつもいつも心労が増えるばかりだ。
アルフォンスやロートベット以外にも、何人もの弟子を育て上げたオドのことを、今さらになって尊敬することになるとは思っていなかった。
戦う気も失せた、アルフォンスは素直にキューリのことを聞くことにした。
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