復讐の舞踏
◆
気圧の境界を作り出し、空気の膜の上に氷の足場を作り出して、滑るように移動する。空中を身ひとつで飛ぶことが、こんなに気持ちが良いとは思わなかった。
こんな魔術は使ったことはなかったが、ディルタの研ぎ澄まされた感覚が、それを可能にする。
(レデクス村の行き来するときも、これくらい楽しめたらよかったのにな)
なぜか心は穏やかだった。
恐怖が憎しみによって塗り潰され、足元が不安定でも体がすくむようなことはない。鼓動が静かになり、自分でも不思議なほど落ち着いていた。
それどころか、いつもよりも周りが良く見える。感覚が研ぎ澄まされているのを感じる。
(そうか。憎しみじゃないんだ。あのときの師匠の気持ちがわかった)
ゾンビたちが街の中に溢れている。避難が終わっていることで、戦いは極所的でしかない。そんな中、避難が遅れている者もいる。
孤児院の子どもたちが、兵士たちに守られながら走っていた。だが、兵士たちは満身創痍だ。イヴの姿もある。放ってはおけない。
どのみち、街の中を掃除するつもりだった。
ディルタは魔術を展開する。かつて、師から教わった魔術。
「零れ落つるは我が吐息。
憎しみを忘れ、永遠の眠りを与えよう。
儚く、舞い降りよ。
氷晶挽歌」
ディルタが白い息を吐く。
ミルデヴァの街に雪が降り始めた。
今までのディルタには想像できなかったほどの力が湧いてくる。
小さな頃、何度か見ただけの魔術だったが、完全にイメージ通りに使うことができる。
雪の結晶のひとつひとつが、ディルタの作り出した魔術であった。それに触れたものは、瞬時に凍てつくことになる。命なき者だけを選び出し、広範囲を安全に殲滅することができる。
墓守りフロストレイの魔術。彼を七魔剣と成した魔術だ。この魔術によって、不死者は師匠に近付くことはできなかった。
街が白く染まっていく。子どもたちの息が白く凍る。それを襲おうとしていたゾンビは完全に凍りつき、もう二度と蘇らない。
街に侵入した不死者たちが、活動を止めた。
慈悲の魔術だ。憎しみで使うものではない。
「ダメ……か」
それでもディルタは満足しなかった。高熱を発するティタンゾンビの力には及ばない。
もっと強い力が必要だ。
そう思ったとき、声を感じた。
「ルナか? 力を貸してくれるのか」
だが、ルナは反対しているようだ。それでも力が流れ込んでくるのを感じる。彼女の意思とは関係なく、ディルタはこの力を使えるらしい。
「そうか、これはルナじゃないな……。あいつ、今までズルしてたな。
ま、じゃあ、ありがたく使わせてもらいますか!」
力の源流を感じる。
星空と、月と、街の住人たち。
魔術で使う魔力は、自分の力だけで完結しなければならない。
もし、外の力を取り込めば、人は魔物と化す。それは概念としての魔物ではない。自然にある魔力を体内に取り込むことは、肉体の変化をもたらし、思考を書き換え、人の形も、心も失うということだ。
だが、ルナとダウリが作り出したこの衣装は、皮膚の一部のように振舞い、魔力を血流のように張り巡らせた。
ディルタの魔術士としての力が、それを理解させる。幼いときにならった師の教えが、ようやく理解できた。
次第に冷たくなっていく魔力に体温を奪われながらも、温かみを感じる。
視界が開け、頭の中でずっと渦巻いている煙が晴れる。
悲鳴と、血と、暗闇が消える。
ディルタの時間は、ずっと止まっていた。故郷が滅び、両親の温もりが消えたときから。
その時計の針が、ようやく動き始めた。
守るべき人がいるとき、人は強い力を出せる。師匠はそう言って、ディルタの元を去った。
自分の番が来たのだ。
ヴァヴェル学園の天文観測所が遠くに見えた。リリアナと目が合った気がする。
彼女はテラスから、手を伸ばした。冷たい風が、彼女の髪を揺らす。
「リリアナ」
しんみりした別れをしなくて済んで良かった。これで自分のことは忘れてくれるはずだ。
そう思ったのに、手を伸ばしてしまった。決して触れることのできない距離なのに、失いたくないと思ってしまう。
「また会おう!」
名残惜しむことはせず、視線をティタンゾンビに向ける。
家族を殺し、生まれ故郷を奪った魔物。あっちもディルタを認識したようだ。巨大で虚ろな瞳と目がある。
今なら、やれる。
ミルデヴァの街に、脈動する魔力が流れ込んでくる。それが自分の手のように操れる。
イメージが形作られ、師匠の魔術を使えることがわかった。本来はこのときのために使うために作られた。
「エーリヴァーガル」
呪文さえない単純な魔術。
ディルタの指先から放たれた魔力の奔流が、空気も凍てつかせる。持っている熱量を反転させ、全ての力を奪っていく。全てを停止させていく。
鼓動が止まる。
神話に登場する、冥界の川の再現する魔術だ。不死者をも凍てつかせる毒の川。
「巨人は生まれた場所に帰れ」
冷気を奪う魔力が、自分自身の体も凍てつかせる。瞬きができなくなる前に、目を瞑った。
たったひとりの命で、大切なものを守れるのであれば、安いものだ。師匠も同じ気持ちだったのだろう。
絶対零度の力の流れが、ティタンゾンビの熱を冷気へと変えた。内部から活力が消尽していく。決して融けない氷よって、巨人は完全に動きを止めた。
これでもう二度と、このティタンは蘇ることはない。
巨大な氷の彫像と化したティタンを感じ、ディルタは満足そうな笑みを浮かべた。それと同時に、自分自身も凍りつき、力を失い落下していった。
◆
ボレリリスは全力で防御魔術を展開し、何とか凍りつかずに済んだ。
「く……お……、こんな、こんな魔術……。私のティタンが……」
窯の火は、炎の形のまま凍りついている。これではもう一度、火を入れることは叶わない。
それだけではない。核であるレヴェナントが自力で抜け出してしまった。これでは起動しても、転位で脱出もできない。
「やってくれたな……。ただの魔術士がァ!」
ボレリリスは凍りついた窯を蹴り上げる。凍りついた金属の窯に、足が砕ける。痛みはなく、足は一瞬で再生するが、少しは冷静になれた。
「……まぁ、いい。結界は消えた。
まずは非戦闘員の住人たちを食い尽くせ。戦士と魔術士はグールにする。殺さずにこっちに送れ」
リッチであるボレリリスが言うと、その背後の影から白く濁ったの液体が浮かび上がる。
液体は下半身のない人の形を成す。レイスが四体。
触れた者から命を奪い、魂を啜る。実体のない魔物だ。
対抗手段がなければ、一方的に蹂躙できる。そして、このレイスたちは特別に作り出したものだ。ボレリリスと同じ屍霊術を使う。
死体から即座にゴーストとゾンビを生み出し、操ることができる。殺した者をその場で軍と成し、その軍団がまた新たな軍団を作り出す。リッチの典型的な戦術である。
しかし、魔物の力を抑制する結界は、肉体を持たない魔物にとっては致命傷となる。
街の物理的な壁と、魔術的な結界を破壊しなければ、このレイスを街に放つことはできない。
「行け、レイスたち!」
優秀な手駒であるグールは、燃料として使ってしまった。ティタンから生み出したゾンビも、ほぼ全て氷漬けである。戦力の補充は急務だ。
レイスたちは飛翔し、街へと向かおうとする。そこに上空から小さな影が落ちる。肉体のないはずのレイスたちが圧し潰され、消え去った。
「何⁉」
自分の手足として作り出したレイスが、一瞬で消されたのだ。止まったはずの鼓動が跳ねるような気がした。
「まさか、七魔剣か⁉」
この街でこんなことができるのは七魔剣か、衛兵隊長くらいのはずだ。
だが、レイスたちの残滓が消えると、そこに立っていたのは少女である。かなり若く見える。幼いくらいだ。
「貴様は……、フィオ・オド!」
ドワーフ族であるオド学園長は、メネル族から見れば少女にしか見えない。だから、彼女は滅多に姿を見せず、学園ではゴーレムに仕事を任せている。
(どうやって命を吸い取るレイスたちを殺したのだ。どんな魔術を使った。いや……)
オドはティタンゾンビに対抗するために、学園丸ごとをゴーレムに変えて戦っていた。すでに限界に近いはずだ。
「バカが! 死にに現れたか! もう魔力は残っていないだろう!」
あれだけ派手に戦ったのだ。ゴーレムを動かすのに魔力を消耗したはずである。
対してボレリリスは魔力を充分に残している。リッチが恐れられるのは、自身の魔力をほとんど使わずに、恐ろしい軍団を作り出すことにある。
「どこかで会ったことがあるかい? 悪いけどリッチの顔はズル剥けで、いちいち記憶してないんだよ」
その言葉に、ボレリリスは歯を食いしばった。種族的な違いだけで、生きる長さが違うことをうらやみ、嫉妬したこともある。だが、今はボレリリスの時間は無限だ。
影からゾンビを取り出す。リッチとしての魔術が、背後の影から、無数の動く死体を溢れ出させた。
オドは指の間から、小さな人形を取り出す。それが風船のように膨らむと、動く石像、ゴーレムと化す。
「……っ⁉ どうしてまだ魔術が使える⁉」
「うるさいよ、リッチ風情が。屍霊術士に身を奴したやつじゃ、絶対に辿り着けない境地にあたしはいるんだよ」
屍霊術士は死体から魔力を取り出して利用する。理論上、新鮮な死体さえあれば無限に魔力を利用できる。
魔術士には、魔力の制限がある。自分の持つ魔力以上の魔術は使えない。魔石によってそれを補うこともできるが、それにも色々と準備が必要だ。
リッチは魔術士に対して、絶対的な優位に立てる。ただ、消耗戦を仕掛ければ、勝つことができるのだ。
ゾンビたちとゴーレムたちが戦いを開始する。しかし、ゾンビではゴーレムの石の体を破壊することはできない。ゾンビの数は圧倒的だが、オドに近付くことすらできない。
「無駄だ!」
ボレリリスが手を振ると、さらに大量のゾンビが生み出される。
それだけではなく、バラバラに破壊されたゾンビの体が再生し、まるで新鮮な死体であるかのように振舞う。
「何が境地だ! 私の魔術はさらにその先……。至高の領域にある!」
ボレリリスの骨だけになった手に、赤い球体が作り出される。
同じくしてゾンビたちの体が赤く輝き始めた。体内から湧き上がるような赤い光は、ティタンゾンビの発していた熱と同じものを帯びている。
「ティタンはもう動かせないが、その機構はそのまま応用できる。私の軍にひれ伏すが良い!」
ゾンビの動きが機敏に変わり、ゴーレムたちを圧倒し始める。
しかし、速度と筋力が多少上がったところで、ゴーレムの強度には敵うはずもない。
「これがあたしの大ゴーレムを倒した魔術かい」
「これだけだと思うな! 死ぬが良い!」
ボレリリスが球体を掲げた。
「⁉」
ゴーレムに取り付いたゾンビが、強烈な光を伴って、爆発を巻き起こす。
破壊のエネルギーが、辺りを吹き飛ばす。ゴーレムたちは衝撃で砕け散り、骨片が凶器と化した。
オドの小さな体も爆発に巻き込まれ、衝撃で吹き飛ばされる。鋼鉄の手摺りを歪めて止まった。
全身に骨の破片が突き刺さり、治癒魔術をもってしても再生できない。即死だ。
「ギャハハハハ! 前衛もなしに、単独で魔術士が動くからそうなる!」
オドの体に刺さった骨の破片が抜き出され、また人の形に戻っていく。
このゾンビ爆弾は、何度でも使用できる。自走し、自分で相手に近付き、確実にトドメを刺す。シアリスから教わった別世界の戦術のひとつだ。
「なるほどね。いざとなったら、この巨人も爆発させるつもりだったわけか」
「な……⁉」
全身がズタズタに引き裂かれたはずオドが、ぎこちなく立ち上がる。
「まさか……、貴様も不死者なのか⁉」
「そんなわけないだろう。う~ん、少し警戒していたけど、どうやらここまでだね。
あんただけでここに来たわけではないだろ。他の魔物も警戒していたけど、戦闘が不得意なリッチだけとはね」
「だったら跡形もなく消し飛ばしてやる!」
全てのゾンビたちがオドに跳びかかる。複数の爆発が連鎖し、ティタンゾンビに取り付けられた足場ごとオドを吹き飛ばす。
今度は直撃である。噴煙で、視界が遮られ、姿は見えないが、衝撃と高熱で、肉片の一片も残らないはずだ。
勝利を確信したボレリリスは、半分だけ残った唇を引きつらせる。
「ククク……。惜しいな。これほどの魔術士の死体なら、良いグールにできたはずだが」
ゾンビたちが再生していく。破片が集ま始めその隙間に、一瞬だけオドの姿が映った。
少女の手にある小さなナイフが、ボレリリスの胸を貫く。口から黒く澱んだ液体が溢れ、全身の力が抜ける。
「あり……えな……、こんな……」
ボレリリスはオドから離れようと、その手を肩にかける。しかし、手は塵になって消えてしまう。
「こんな小さな刀で……、私の永遠の……命が……」
「教えておいてあげるよ。
あたしの魔術は、無生物に命を与える魔術だ。屍霊術なんか使わなくても、命を与えた無生物から魔力を取り出せる。
時代は進化してる。不滅者なんて、もう古いのさ」
「オド……、貴様は……」
オドはその皮膚のない顔に見覚えはない。ただ何となくだが、雰囲気で感じた。
「ああ。あんた、ボレリリスか。
宮廷魔術師の仕事をほっぽり出して、こんなところで魔物をやってるなんて。
あたしの子どもたちを、よくも殺しまくってくれたね。もう二度と、この世に戻ることはできないようにしてやるよ」
ボレリリスは言い返そうとするが、もう考えることもできない。
その目に映るのは、オドの背後で倒れたオドだった。先ほど、爆発に巻き込まれたのは、精巧に作られたゴーレムだったのだ。
魔力も生命力も、完璧に偽装されていた。本物のオドはずっとどこかに隠れ、隙を伺っていたのだ。
オドの魔術がボレリリスに流れ込んでくる。不死になった体に、命が宿り、同時に死んでいく。
ボレリリスは一瞬だけ生前の女の姿となり、そのまま塵となって崩れ落ちた。最期は微笑んだように見えた。そう思いたい。
オドの見知った姿だ。もう何十年も前に行方不明になった彼女に、こんなところで再会することになるとは、思ってもみなかった。
「……嫌になるね」
崩れかけたティタンの胸にある足場から、オドは空を見上げる。そこには二匹の吸血鬼が、こっちの様子を伺っていた。
だが、吸血鬼たちは興味を失くしたように、飛び去っていく。その手に誰かを抱えているようだが、こちらからは良く見えなかった。
(あれが襲撃の実行犯か……。この距離じゃ追うことはできないか)
街はかなりの損害を被った。建物はすぐに直せるが、失われた人の命はそうはいかない。追撃する部隊を組もうにも、街はこの有様である。それにまだ街の中には魔物が潜んでいる可能性もある。
すぐに結界を再編し、住人の安全を確保しなければならない。
(メル……。もう、会えないんだね……)
オドはメルビムが死んだことを悟っていた。彼女とはもう長い付き合いだ。寿命の長いオドからしても、かなり長い時間を一緒に過ごした。
寿命の短いメネル族との付き合いでは、いつも覚悟している。友を見送り、永遠の別れを告げる覚悟だ。
しかし、長く一緒にいた者が死んでしまったとき、心の奥に、冷たく乾いた風が吹き荒ぶような気分になる。
だから、同じ人間だとしても、それぞれの種族は別々に暮らしている。ドワーフ族がドワーフ族だけで暮らすように。
巨大ゴーレムが破壊されたとき、オドはなんとかティタンの体に張り付いて、好機を待っていた。その好機を作り出したのが、ディルタである。
生徒の手を借りなければ、ボレリリスを止めることもできなかった。巨大ゴーレムが破壊されたせいで、街にかなりの被害を出してしまった。
「もう、あたし自身も時代遅れか……。そろそろ引き際かね」
魔術士としても、学園長としても。
読んでいただきありがとうございます!
評価、ブックマーク、感想等で応援お願いします!




